第三百七十九話 もうひと頑張り
「第三近衛騎士隊、これより殿下の護衛につきます」
「ご苦労、騎士マルク」
エルナに遅れて数日。
馬での移動で北部に来た副隊長マルクと第三近衛騎士隊の近衛騎士が俺のところまでたどり着いた。
まさか部下を置いていく隊長がいるとは思わなかったんだろう。
マルクの顔はやや疲れ気味だ。
「疲れているみたいだな? 今日くらいは休んでも構わないぞ?」
「残念ながら隊長が張り切っていますので。これから護衛体制の確認をしにいきます」
「俺から一言言っておくか?」
「いえ……張り切る気持ちはわかるので平気です」
「そんなにトラウ兄さんの護衛はつまらなかったか?」
「まぁ、トラウゴット殿下はほとんど動かない人でしたから。楽ではありましたが、張り合いには欠けました。それは認めます。ですが、隊長が張り切っているのはあなたが功績を残したからです」
なんで俺が功績を残したらエルナが張り切るのやら。
呆れてため息を吐くと、マルクが苦笑する。
「殿下にはわからないかもしれませんが……今回の護衛は殿下が功績を残したから我々が選ばれました」
「どういう意味だ?」
「あなたが大した功績をあげていないなら、わざわざ第三近衛騎士隊が来ることはなかったということです。あなたの重要度が上がったため、皇帝陛下は我々を送り出しました。もちろん、それ以外の意図もあったでしょうが」
「それ以外の意図しか感じなかったけどな」
「殿下はそうでしょうな。しかし、それだけではないのです。あなたの身に何かあったら困るからこそ、我々が来ました。騎士狩猟祭のときとは違うのです。隊長が働きかけたわけではなく、あなたの功績が我々を動かした。隊長はいつかこんな日が来ることを待ち望んでいました」
「俺は待ち望んでいなかったけどな。功績を上げたのも上げざるを得なかったからだ。できることなら帝都でずっと寝ていたかった」
「時代は傑物を放ってはおかないということでしょう」
マルクの言葉を聞いた俺は窓に視線を移し、ゆっくりと流れる白い雲を見つめた。
あんなふうにのんびり過ごせたらどんなにいいか。
「まぁ、そういうわけです。隊長が張り切る理由をご承知ください」
「俺は騎士のエルナより、幼馴染のエルナといるほうが居心地はいいんだがな……」
ポツリと口からそんな言葉がこぼれた。
考えたわけじゃない。
なんとなく出てきた言葉だ。
だから俺はマルクに口止めする。
「……今のはエルナには黙っておけ。喋ったら承知しないぞ?」
「承知いたしました。ご安心を」
そう言ってマルクはニヤニヤしながら部屋を去っていく。
まったく。
子供の頃から俺を知っているアムスベルグの騎士はこれだから厄介なんだ。
そんなことを思いつつ、俺はセバスの名を呼んだ。
「セバス」
「御用でしょうか?」
「北部貴族の様子はどうだ?」
「まだ情報収集段階ではありますが、戦争中ほどのまとまりはないですな。北部の半分は戦場となり、もう半分も山賊などに苦しめられました。そこからの復興を皆目指していますが、被害にも格差があります」
「共に被害者ではあるが、受けた被害に差が出るのは仕方ない。問題は意識のほうだ」
「その通りです。被害の大きい領地を持つ貴族たちは支援されて当然という意識を持ち、他の貴族ともめ始めています」
「すべての貴族に通達しろ。俺を通さない交渉は許さない。些細な問題でも俺が裁く」
「かしこまりました。それと竜騎士たちが手紙を届けたため、こちらに貴族の子弟が向かっています。挨拶ともろもろの問題を訴えるためでしょう」
「貴族の子弟か……」
俺の露骨な反応にセバスはやれやれと言わんばかりに首を横に振る。
仕方ないだろうに。
いい思い出がない。
中途半端な責任しか背負っていないから、当主たちよりもやりにくい。
「苦手意識は感心しませんな」
「苦手なんじゃない。嫌いなんだ」
「それはそれで問題ですな。特に今回は」
「どういう意味だ?」
「帝都の時とは真逆ですからな。あの時、あなたは貴族の子弟たちから恨みを買いましたが、今は北部貴族をまとめあげた皇子です。多くの貴族の子弟は戦場を共にしておりました。彼らはあなたを高く評価しています。あなたが思う以上に」
「……面倒なことだ」
俺の立場は曖昧だ。
ゴードンの反乱をレオと共に治めた皇子であると同時に、ゴードンの再来になりえる皇子でもある。
北部全体を任されたことで、俺には注目が集まっている。
些細な事が大事になりかねない。
「帝都にいるエリクはどうしている?」
「外務大臣として王国側の有力者と連絡を取り合っているようですな」
「……まだ動かないか」
リーゼ姉上にラインフェルト公爵。
この二人がレオを支持すれば多くの者がこちらに流れてくる。
正式に支持を表明しないにしても、俺たちに協力的なのは今回のことで周知されるだろう。
そうなればエリクもうかうかしていられない。
そろそろレオを自分と戦うに足る相手と認める頃だと思うが。
「王国との戦争でも静観するとなると、さすがに不気味ですな」
「西部のクライネルト公爵家、南部のジンメル伯爵家、東部のラインフェルト公爵家。地方で影響力を持つ貴族の支持は取り付けられる。そして北部全域を俺が任された。帝都の貴族の多くはエリクの支持者だろうが、地方じゃ俺たちのほうが優勢だ。それでもなお余裕を見せているならエリクには絶対に負けないという切り札があるのかもな」
「どんなものでしょうか? 諸外国のパイプというなら確かに強力でしょうが、帝位争いにどこまで有利に働くのやら」
「見当もつかん。まぁ切り札があるなら構わない。備えるだけだし、切り札があるのは向こうだけじゃない」
「確かにそろそろ切り時かもしれませんな」
「こっちからは切らない。向こうが切り札を切ってからだ。それまではこちらも温存だ」
こっちの切り札は強力だが、デメリットも強力だ。
なにより当初考えていたよりも状況は複雑だ。
俺が表に出すぎている。
シルバーの正体が俺だと分かれば、俺を支持する者が出てくるだろう。
そうなれば俺とレオの争いになりかねない。
「できれば切りたくないな」
「そうですな。少なくとも表向きは帝国を去らねばなりますまい」
「それは俺の望むところじゃない」
そう言いながら俺はそっと拳を握る。
皇帝なんて厄介な役職をレオに押し付ける以上、せめてそばにはいてやりたい。
皇帝になって終わりというわけではないからだ。
その望みをかなえるためにはエリクを封殺する必要がある。
「もうひと頑張りだな」
「どうせ帝位争いが終わればだらけた人生を送るのです。ひと頑張りなどと言わず、一生分の頑張りを使いなさいませ」
「もう使い果たしていると思うんだがなぁ」
そんなことを言いながら俺は机の上に溜まっている書類に手を伸ばすのだった。