第三百七十八話 アメリア
帝剣城。
外から剣のように見えるこの城にはいくつも尖塔がある。
その中にはどうやってそこに入るのかわからない尖塔もある。
いくつも改修を重ねた城ゆえ、秘密の通路が無数に存在するからだ。
帝都での反乱の際、いくつもの秘密の通路が使われて封鎖された。
だが、そんな作業の中でも気づかれない通路があった。
なぜなら文字通り皇帝しか知らない通路だったからだ。
通常のルートでは決してたどり着けない尖塔。
そこへの秘密の通路。
それは玉座の間の近くにある皇帝ヨハネスの私室に入口があった。
「ここに人を連れてくるのは初めてだ」
「ときおりどこかに行っていると思ったら、こんなところに隠れ家があったのですね」
通路を歩くヨハネスの後ろにはミツバの姿があった。
わざわざヨハネスが呼び出したのだ。
「ここだ」
ヨハネスはそう言って立ち止まる。
そこはどう見ても行き止まりのようにしか見えなかった。
しかし、ヨハネスが手をかざした瞬間、そこに扉が浮かび上がったのだった。
そしてヨハネスはその扉を開けた。
ヨハネスの後に続いたミツバは、すぐに寒さを感じた。
そこは氷室だった。
帝剣城の中になぜ氷室が? と疑問を抱いたが、すぐにそれは解けた。
その氷室の中央には氷の棺があった。
透明なその棺には一人の人物が眠っていた。
「アメリア……」
長い金髪の美女。
穏やかな顔で眠っている。
皇帝の寵姫にして、リーゼロッテとクリスタの実母。
第二妃アメリア・レークス・アードラーがそこにはいた。
「形式的には墓を作ったが、どうしても傍にいてほしかった。死に不審しかなかったというのも理由の一つだがな」
「……ズーザンの話ではアメリアはズーザンの仕掛けた呪いを自らに集中させたとか。それが本当ならばアメリアは自ら命を危険に晒したことになります」
「ワシには何も言わなかった。帝国のために自らを犠牲にしたのではと思った日もあった。だが、どうしても納得がいかぬ。ズーザンの姦計に気づいたならばワシに言えばいいだけのこと。自らの命をどうして危険に晒す?」
「死ぬとは思わなかったというのは考えづらいでしょうね。アメリアは確かな魔法の知識を持っていましたから。不可解な行動ですが、やらなければいけないことだったのでは?」
「ワシもそう思う。だが、やらなければいけないこととはなんだ? 自らを殺すことか?」
ズーザンの呪いをどうにかするためというなら、他にもいくらでもやりようがある。
何か行動に意味があるとするなら、アメリアの死が必要だったとしか思えない。
「アメリアが死んだところで帝位争いに大した影響はありません。自ら死んで、リーゼロッテとクリスタを守ろうとしたとしても、ズーザンがいる以上は解決にはなりません。私たちの知らない理由があったのでしょう」
「その理由をずっと探していた。しかしワシだけでは答えが出ない」
「私とて一緒です」
「そうだろう。だが、アメリアは死の前に手紙を書いていた。ワシ宛てだ」
「初耳です。どうして隠していたのですか?」
「内容が内容だからだ。文章自体は短い。そこには〝ミツバ以外の妃は信じてはいけない〟と書かれていた」
意外な内容にミツバは棺の中のアメリアを見た。
アメリアとミツバは生前とても仲が良かった。性格的に似ていたわけではないが、どうも波長があっていたのだ。
そんなアメリアだから、ミツバのために手紙を残しても不思議ではない。
だが。
「つまりそれは遺書ということです。死ぬとわかっていてアメリアは行動に移した。その上でズーザンだけではなく、他の妃への警告も出していた。不可解ですね」
「そうだな。ワシの長年の謎だ。しかし、アメリアは意味のないことはしまい。だから表面上は公平に接するようにして、ワシは妃たちから距離を取った。結局はそれが仇になりつつあるがな」
ズーザンにしろ、ゾフィーアにしろ、ヨハネスとの溝があった。
それが子供たちにも波及し、帝位争いを過激化させることになった。
ヨハネスと妃たちの間に確かな絆があれば、反乱などという愚かな行為にまでは至らなかったかもしれない。
後宮から距離を取ったツケがヨハネスを襲ったのだ。
だが、理由なく距離を取ったわけではない。
「なぜ私だけは信じていいのでしょうか? アメリアの行動を知ると、まるで自分を信じられないかのように思えます。だからこそ、自らの命を絶った?」
「わからぬ。詳しいことは何も。しかし、おかしなことは最近頻発しておる。ザンドラにせよ、ゴードンにせよ、反乱まで起こすほど愚かではなかった」
「……帝位争いが起きてから人が変わったと噂されていましたね」
「そうだ。権力は人を狂わす。玉座の魔力が変えてしまったのだと思っていた。だが、レオナルトが言っていた。最期の瞬間、ゴードンは昔のゴードンのようだったと……」
ヨハネスが顔をしかめたのを見て、ミツバは視線を伏せる。
通常、皇帝は子供に過剰な愛は注がない。
しかし、ヨハネスは違った。どの子供も愛していた。
帝位争いとなれば辛い思いをするだけだとわかっていても。
冷たく接することはなかった。
数年前まではそれでよかった。帝位争いが起きないと誰もが思っていたからだ。
皇太子となった第一皇子ヴィルヘルムが完璧だったからだ。
ゆえにヨハネスは歴代の皇帝の中でも辛い立ち位置にいた。
愛する子どもたちの帝位争いを見なくてはいけないからだ。
「陛下……陛下はザンドラとゴードンが変わったのには何か訳があるとお考えですか?」
「無論だ。アメリアは自ら死を選んだ。なぜなのか? もしも自分が変わってしまうと察したのなら……多くのことに辻褄が合う」
「そうだとしても、他者の人格を変える魔法など聞いたことはありません」
「ワシもない。だが、そんなものがあったとしたら? アメリアは自ら変わる前に自らを裁いた。アメリアならばあり得る話だ」
ミツバはヨハネスの話を聞きながら、静かにため息を吐いた。
すべては憶測。
そうとも考えられるが、そうじゃないとも考えられる。
だが、ミツバの中で辻褄が合う仮説が一つだけ立ってしまった。
それを言うべきかどうか、ミツバは悩む。
憶測を加速させかねない仮説だ。
だが、黙っていてさらなる被害が出たとき。
皇帝ヨハネスは深く傷つくだろう。
だからミツバは口を開いた。ヨハネスのために。
「陛下。すべて憶測です」
「そうだ。証拠はない。だが!」
「もしもそうだとしたら、その前提の上で話をしましょう。例えば人格を変える魔法や呪いがあったとして、アメリアがそれに気づき、自らを殺したとしましょう。なぜ殺す必要があったのか? なぜ私だけは信じられたのか? 答えはきっと子供たちです」
「どういう意味だ?」
「帝国の皇族は多くの恨みを買っています。しかし、直接皇族に何かするのは難しい。人格を変えるような魔法を直接、皇族に掛けたとしても皇族には強力な血があります。抵抗は必至。では、どうするのか? こういう場合、間接的な方法が用いられます。親しい人間を使うのです」
アードラーの血を引く者たちはどれだけ幼かろうが、その血の恩恵を受ける。
だが、後宮にいる妃たちは違う。
「まさか……」
「あくまで憶測です。しかし、辻褄は合います。あってしまうのです。私が信用できる理由は――私が子供たちに不干渉だから。指図しない親では間接的に何かすることはできません。そしてアメリアが命を絶った理由は……自らの子供たちと陛下を守るため。アメリアは陛下に最も近い妃だからです」
皇帝を操るには皇帝が最も愛する女を使うべきだ。
死の後ですら皇帝の心には常にアメリアがいた。
アメリアを通してであれば、皇帝にも何かしらの術を掛けられたかもしれない。
その可能性を潰すためにアメリアは自らの命を絶った。
そう考えようと思えば考えられる。
ただし証拠は何もない。
「ザンドラやゴードンが変わった理由も母親を通して変貌させられたからか……?」
「わかりません。しかし、ザンドラにせよ、ゴードンにせよ、どちらも母親から強い期待を掛けられていたのは事実です。より母親との距離が近ければ変わるのも極端なのかもしれません」
「……だとしたらワシはどうすればいい? その話通りならばエリクも信用できん……」
「私からはこれ以上、何も言うことはできません。その憶測が成立するならば、私が首謀者であるということも考えられます。もしくは利用しているやも。子供たちのために」
「お前はそんな人間ではない!」
「そう捉えることができるという話です。あなたのすることは決して変わりません。いまだに帝位争いは続いています。エリクとレオの勢力は強大になりました。皇帝が強権を発揮して、どちらかを皇太子とすれば帝国が二分されます。心を落ち着かせ、情勢を見極めなさいませ。今までそうしてきたように」
ミツバはそうヨハネスを諭す。
ようやくレオはエリクに並んだだけ。
これからはより多くの手柄を立てたほうが皇太子に近づく。
帝位争いはより激しさを増すのだ。
「……一体だれがこんなことを……?」
「誰であろうと問題ではありません。すべて憶測です。しかし、それが事実ならば帝国は攻撃されたのです。しかも陰湿で、巧妙な手を使って。妃も皇子も皇女も犠牲になりました。敵がいるとするなら、今は勢いづいているでしょう。これ以上、勢いづかせてはいけません」
「……そうだ。これ以上、好きにはさせられん……!」
ショックを受け、弱弱しかったヨハネスに覇気が戻る。
それを見てミツバは気づかれないようにホッと息を吐いた。
これで気落ちされては何もできない。
すべては憶測。
しかし、証拠がそろえば憶測ではなくなる。
「リーゼロッテに藩国を攻めさせる。すぐに落ちるだろう。その時に改めて調べなおすとしよう。皇太子の死を」
「そうするべきでしょう」
ミツバは皇帝に同意しながらアメリアを見つめる。
もっと情報を残してくれていれば、こんなことにはならなかった。
遺書を書けたならばもっと情報を残せたのではないかという疑問が残る。
しかし、もしもこの断片的な情報が精一杯の情報だとするなら。
これからは険しい道が続くことになるだろう。
ミツバはそんなことを思いながら、皇帝を支えて部屋を後にしたのだった。




