第三百五十三話 戦の時間
「ゴードン軍、動き出しました。目指すはオスター平原のようです」
「読み通り、オスター平原が決戦の場か」
報告を受けながら、俺とローエンシュタイン公爵は地図を見つめる。
ハイナ山を取り、高所を確保したうえでのオスター平原での決戦。
今のところはすべて読み通りだ。
「まぁ、このあたりならそこしかないだろうな。レオに城へ籠られて困るのは向こうだし」
「よく城攻めはないと判断したな?」
「理由はいくつかある。ゴードンは野戦のほうが得意というのが一つ目。城攻めでは勝つまでに時間がかかるというのが二つ目。三つ目は竜騎士を活かすなら城攻めより野戦だから。それらを総合してゴードンは城攻めをしないと判断した」
「まるで経験豊富な知将だな」
「他人の行動を予想するのは得意なんでな」
兵糧に困っているという大前提がゴードンとウィリアムを縛る。
軍勢が集まれば集まるほど、一度に使う兵糧は増えていく。
だから二人は時間をかけたくない。
そして、ゴードンは負けを取り戻すために勝利が欲しい。なるべく早く、だ。
そうなるとレオに城から出てきてもらわないと困る。
「自分たちに有利であり、かつレオが乗ってきそうな戦場。このあたりじゃオスター平原が最善だ。決戦を仕掛ける以上、吟味して選択する。戦場選びで奇策を使うほど追い詰められていない。だから最善手を打つことになる。あいつらは俺たちがいまだに後方にいると思っているだろうからな」
今、俺たちがいるのは北部国境のギリギリ。
ゴードンとレオ。互いに互いを警戒し、偵察に力を注いでいるから俺たちを探す余裕がない。
グナーデの丘には旗を立てて、陣をそのままにしてある。維持するために兵も少し残してきた。
だからゴードンは北部諸侯連合軍がレオの後ろにいると思っている。その前提で作戦を立てるだろう。
だが、俺たちは誰よりも決戦場の近くにいる。
それがゴードンの誤算だ。
「ハイナ山を取りに行くか?」
「ゴードンが動いたということは、ウィリアムはもう動いているということだ。竜騎士団がさっさと拠点化している。隙をつけるにはつけるだろうが、旨味が薄い」
「ならば……開戦後に背後を封じるか」
「それがこちらの最善手。ゴードンの逃げ道を塞げるからな」
「上手く立ち回れば最高の挟撃ができるだろう。北は山、南は川だ。逃げ場はない。だが、レオナルト皇子が意図したとおりに動くのか?」
ローエンシュタイン公爵の懸念はもっともだ。
俺たちが背後に現れてから開戦したのでは遅い。
レオとゴードンが戦い始め、注意がレオに向かったときに俺たちは背後に現れたい。
そのためにはレオが良いタイミングで仕掛ける必要がある。
ゴードンたちは万全の態勢を敷いている。長引けば別だが、そんな簡単には仕掛けないだろう。
「ここからオスター平原に向かうには激流の川を渡る必要がある。勢いが弱まる瞬間は現地の者しかわからん。軍隊が渡れるとは思わん以上、バレることはない。だが、渡った後は別だ。敵に近づけば近づくほど危険は増す」
ローエンシュタイン公爵の言う通り。
俺たちは万を超す軍勢。
野営一つするにも目立つ。レオが仕掛けるのをいつまでも待ってはいられない。しかし、川が弱まるときは決まっている。
渡れるときに渡らなければ、決戦に間に合わないかもしれない。
「伝令を出すべきではないか?」
「必要ない。俺がレオのことをわかるように、レオだって俺のことがわかる」
「双子ゆえの特殊な感覚を信じろと?」
「そんな曖昧なものじゃない。俺たちは互いに読み合っている。戦場の機微を将が経験で読むように、な。安心しろ。レオは動く」
「……命を預けている。儂に不満はない。だが、他の貴族はわからんぞ?」
「シャルが向こうで作戦を伝えていると言えばいい。すべて作戦どおりだと」
「崩壊したとき、取返しがつかんぞ?」
「その時は正面から打ち破る」
俺の言葉にローエンシュタイン公爵は呆れたようにため息を吐いた。
そして。
「どこからその自信が出てくる? ゴードンは歴戦の将軍だぞ?」
「かつては、な」
「今は違うと?」
「戦の勝利よりも自分の命が大切な奴には負けん」
「命が……大切ではないのか?」
「他人に命を賭けさせて、自分は賭けないなんてそんな理不尽が許されると? 命を捨てなきゃ勝てないというなら喜んで命を捨てよう。もちろん、そうならないように最大限の努力はするけどな」
命は最後の手段だ。
賭けるときは本当にピンチのとき。
皇族は旗印。それをしないで済むようにするのが役目でもある。
「全軍に出立命令。川を渡るぞ」
「承知した」
こうして俺たちは激流が弱まる瞬間を狙って、川を渡ることに成功した。
そして山を迂回して、ゴードン軍の後ろに回り込んだのだった。
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「レオナルト皇子が仕掛けました!」
ゴードン軍の後方。
こんなところに軍勢がいるはずないと思う場所。
そこに北部諸侯連合軍は待機していた。
「本当に仕掛けたか……」
「だから言っただろ?」
「その自慢気な顔に何も言えんのは悔しいかぎりだ……では、前進ということでよろしいか? 総大将」
「もちろん」
「では号令を」
一万を超す北部諸侯連合軍。
貴族たちはともかく、騎士たちはこの連合軍の総大将が俺だとつい最近知った。
皇族の下で戦うことに抵抗がある者もいるだろう。
だから俺は彼らの前に馬を進ませて、告げた。
「これより前進する。北部の命運をかけた戦だ。だから――好きなモノのために戦え」
それは戦前の総大将の号令としてはありえないものだった。
士気をあげるべき時。
だが、皇族が大声で叫んでも北部の騎士は士気が上がらない。
ずっと自らの主を虐げてきた存在だ。
好きになれるわけがない。
だから。
「北部の騎士たちに皇族への忠誠を求めたりはしない。求められる立場にあるとも思っていない。だから好きなモノのために戦え。家族でもいい。僚友でもいい。愛する者でもいい。好きなモノのために戦え。自分の心に素直に従え。その結果、何が起ころうと責任は取る」
あくまで俺は仮初の盟主。
北部の者は北部の意思で戦う。
そうでなければいけない。
「ついて来いとは言わない。好きなところへ行け。ため込んだ感情はすべて戦場で吐き出してこい。そして生きろ。北部の命運は――北部を守る者たちの双肩にかかっている。簡単に死ねるほど安い命ではないと心得ろ! 北部の騎士の勇猛さと粘り強さ! 大陸中に知らしめてやれ!!」
そう言うと俺は前に出てきている貴族たちを見渡す。
彼らの顔には覇気が満ちている。
良い表情だ。
「ボルネフェルト子爵には左翼、ゼンケル伯爵には右翼の先鋒を任せる。二人の判断力に期待しているぞ!」
「は、ははっ!!」
「お任せを!」
「中央はローエンシュタイン公爵に任せる」
「はっ。お任せを」
「両翼の先鋒を血気盛んな若武者に任せた! ゆえに! 後ろは決して失敗は許されない! 各々方! 任せたぞ!」
「おおっ!」
「敵に目に物を見せてやりましょう!」
ほかの貴族たちが不満をためないように声をかけていく。
先鋒は名誉だが、戦において最重要というわけではない。
最も大事なのはそれを支える後ろの軍だ。
崩れてはいけない。ゆえに慎重さを持つ貴族たちが必要となる。
布陣はもうほとんど済んでいる。
あとはこのまま進むだけ。
「全軍前進――戦の時間だ」
俺が片手を振ると万を超える騎士が決戦の場に向かって一歩踏み出したのだった。