第三百五十話 忠義者
「ゴードンより早く私がついて幸いだったな」
ウィリアムはそう言って項垂れるヘンリックに告げた。
ハーニッシュ将軍の軍を抑えていたゴードンは、ヘンリックの撤退を受けて本拠地であるヴィスマールへの帰路についていた。
あのままではレオとハーニッシュに挟み撃ちされかねないからだ。
それだけヘンリックの撤退は全体に影響を与える出来事だった。
もうじき、ゴードンはヴィスマールに着くだろう。
罪人のようにヴィスマールに連れてこられたヘンリックは、そんなゴードンの帰りを待っていた。しかし、ゴードンが来た瞬間、それはヘンリックの終わりの瞬間でもある。
ただ、縋るようにヘンリックはウィリアムを見た。
そんなヘンリックを見て、ウィリアムはため息を吐いた。
ウィリアムは藩国における兵糧輸送問題に取り組んでいた。
藩国で暴れる義賊は二人。
朱月の騎士と呼ばれる弓使い。藩国の悪徳貴族に対して、前から義賊活動をしている。この義賊のせいで、藩国の貴族たちは思ったような動きが取れないでいた。
しかし、それだけで兵糧の輸送が遅れるわけがない。
もう一人。兵糧を狙い撃ちにする義賊がいた。
厄介なことにこの義賊は姿すら現さない。
わかっているのは凄腕の弓使いで、姿も見せずに輸送部隊を全滅させているということ。
この名もない弓使いの活躍によって、藩国の貴族は兵糧に関わることを嫌うようになった。そのせいで連合王国は藩国経由での兵糧輸送に苦労していたのだ。
ウィリアムは藩国の貴族たちにわかりやすい脅しをかけて、義賊への対応と兵糧の運搬をスムーズにさせることを約束させた。
いずれウィリアムがやらなければいけなかったことだ。しかし、前線を離れればレオが自由に動いてしまう。だからできなかった。
そしてそれは間違いではなかった。
ヘンリックの撤退を聞き、ウィリアムは急いでヴィスマールに戻ってきたのだ。
その戻りは少しだけゴードンより早かった。そしてウィリアムはゴードンがヘンリックに会う前に、ヘンリックと話すことができたのだ。
「……何か私に言うことがあるのではないか? ヘンリック皇子」
「……度重なる不敬。申し訳……ありませんでした……」
「不敬など気にしない。私が聞きたいのは君の反省だ」
「……僕は……あなたに手柄を立てられたくなかった……それは大きな過ちでした……」
「それは過ちではない。私は他国の人間だ。ゴードンに与する皇族として、私を排除しようとするのは過ちではない。そういう選択肢もあるだろう。しかし、君には決定的に欠けていたものがあった。それが何かわかるか?」
「……経験でしょうか……」
恐る恐ると言った様子でヘンリックは呟く。
それに対してウィリアムは静かに首を横に振った。
「自分を冷静に見る目だ。自分を冷静に見られれば、他者も冷静に見られる。他者を冷静に見られれば、状況も冷静に見られる。私を排除するという選択肢は過ちではないが、あの状況で私を排除すれば、レオナルトが攻め込んでくるのは目に見えていた。それでも君は私を排除した。自分を過大評価していたからだ。君は君が思うほど優れてはいない」
「そ、そんなことは……!」
「こうして敗北しても認められないのがその証拠だ。優れた者は失敗や敗北から学ぶ」
言葉を素直に受け取れないのは、心の中で認めていないから。
レオに負けないという自負があったから、ヘンリックはウィリアムを排除した。もっといえばレオよりも優れていると自負していたから慎重にもならなかった。
根本的な問題はヘンリックの自己評価の高さだとウィリアムは見抜いていたのだ。
「僕は……僕は!」
「本陣のみの撤退は兵を見捨てることに等しい。兵士の逃亡が処罰される以上、総大将の逃亡も処罰される。君はゴードンに斬られるだろう」
「そんな……どうか助けてください!」
「助けるメリットを提示してみたらどうだ?」
「ぼ、僕は……皇族です! 連合王国から見れば扱いやすいはず!」
「大敗北の張本人だぞ? 扱いやすかろうと担ぎ出す気はない」
「そんな……僕は……僕は……」
「君には実績がない。力もない。経験も、技術も。誇れるのは血筋だけ。追い詰められたときに交渉材料がそれしかないということは、価値があるのは血筋だけということだ」
ウィリアムに現実を突き付けられ、ヘンリックは大きく肩を落とした。
必死にウィリアムへの反論を考えるが、思いつかない。
そしてようやく悟った。
ウィリアムの言う通りだと。
「僕は……皇族の出来損ないだ……」
「アードラーの一族は優秀だ。君にだって血は流れている。だが、君は学ぶ姿勢ができていなかった。自分の力を正確に把握できない者は強くなどなれない」
出来損ないというほどヘンリックは無能ではない。
ただ、比べる相手が悪すぎた。
必要以上の背伸びは害悪だ。
人には人の器がある。
それがわかったならいくらでも挽回はできる。
「命は助けよう。私の傍で学べ。命を落とした兵士たちのことを思うなら、今回の失態を無駄にするな」
「僕を……助けて何になるんですか……?」
「親友が弟を手にかけずに済む。それに……弟すら斬る総大将を信頼できるか?」
すべて私に任せろと告げてウィリアムは部屋を出たのだった。
■■■
それから少しして、ゴードンはヴィスマールに帰ってきた。
目指すのはヘンリックがいる部屋。
その手には抜き身の剣が握られていた。
「ヘンリック!! 言い残すことはあるかぁ!!」
部屋を蹴破るようにして入ってきたゴードンは、ヘンリックをそう恫喝した。
それに対してヘンリックは床に頭をこすりつけて謝罪を口にした。
「申し訳ありません……すべて……僕の責任です」
「その通りだ! その首を差し出せ! 全軍への見せしめとしてやる!」
ゴードンは剣を振り上げる。
だが、その腕をウィリアムが掴んだ。
「やめろ、ゴードン」
「なぜ止める!?」
「今斬れば、将軍たちは粛清を恐れるようになる。斬ってはいけない」
「配下に号令もかけず、本陣のみが撤退したのだぞ!? 前線にいる兵士を置き去りにした総大将を罰せずにいたら、示しがつかん!」
「ヘンリック皇子は名ばかりの総大将! 脇を固める将軍たちがいた! 元々は私が総大将だった! それを手柄争いで私を追い出したのは脇を固める将軍たちだ! ヘンリック皇子を斬れば、彼らも斬ることになるぞ!?」
「斬ってしまえばいい! 状況も読めぬ無能などいらん!」
「そんなことを言ってられる状況か!? これからレオナルトとの決戦が待っているんだぞ!? 今は許し、挽回のチャンスを与えるべきだ!」
「どうしてそこまでヘンリックを庇う? 本国からの指示か!?」
ゴードンとてウィリアムとの友情は疑わない。
しかし、ウィリアムの本国である連合王国には全幅の信頼を置いてはいなかった。
自分の代わりにヘンリックを担ぎ出そうとする。その程度は想定していた。
だが。
「お前以外を担ぎあげようとするなら、私が父を斬る! お前がいるから私はここにいるんだ! 勘違いするな! ヘンリック皇子を庇うのはお前とお前の軍のためだ!」
ウィリアムとゴードンの目ががっちりと合い、にらみ合いが続く。
張り詰めた空気が部屋を支配し、傍にいた兵士たちが息苦しさを感じるほどだった。
永遠とも思える時間の中、ヘンリックはただ頭を下げ続ける。
ゴードンが剣を振り下ろせば、自分の首が飛ぶ。だが、もはやヘンリックにはウィリアムに任せるしかなかった。
そして。
「……お前は悔しくないのか?」
「私の悔しさがお前の勝利よりも価値があるのか?」
「……いいだろう。お前の言う通りにしよう。ヘンリックは斬らん!」
そう言ってゴードンは腕を下した。
そんなゴードンの腕から手を離す。
だが、問題は解決していない。
「挽回のチャンスを与えるのはいいが、この一件をすべて不問とするのか?」
「罰は必要だ。それはホルツヴァート公爵家に受けてもらおうと思うが……よろしいか? 公爵」
ウィリアムは部屋の外にいたロルフに問いかける。
ロルフはそれに対して恭しく頭を下げた。
「どうぞ、殿下の思うがままに」
「ヘンリック皇子に撤退を進言したのはあなたのご長男、ギードだそうだ。どのように扱おうと異論はないな? もちろんあなたも今の地位にいられない」
「我が息子の失態。もちろん甘んじて受け入れます」
ウィリアムはそう言うロルフを見て、顔をしかめる。
腹の底が読めぬロルフをウィリアムは好きではなかった。
ましてや自分の息子が危機にさらされているのに、堪えている様子すら見せない。
それが心底気に入らなかった。
「全員、席をはずせ。ゴードンと二人で話したい」
ウィリアムはそう言ってヘンリックやロルフを含めて人払いをする。
そしてゴードンに告げた。
「奴の様子を見たか?」
「堪えた様子も見せなかったな」
「息子を処刑するならどうぞご勝手にと言わんばかりの顔だ。最悪、それを口実に裏切る可能性もある」
「ではどうする? ヘンリックを斬らないならギードを斬るのが一番だぞ」
「そうでもない。士気高揚や引き締めに使えるのは首だけではないからな」
そう言ってウィリアムは静かに剣に手をかけた。
■■■
ヴィスマールに駐屯する全軍をゴードンは集めた。
そして演説台に乗って、全軍に向けて演説を始めた。
「聞いての通り、我が軍はレオナルトの封じ込めに失敗した。あえて言おう! これは敗北だ!」
敗北を認めないゴードンがあえて敗北と告げた。
そのことに兵士たちは動揺するが、ゴードンは気にせず話を続ける。
「敗北の原因はわかっている! 総大将である我が弟、ヘンリックが臆病風に吹かれたからだ! ゆえに俺はヘンリックを斬るつもりでいた! 当然のことだ! 前線で死んだ兵士たちを思えば、家族の情など関係ない!」
しかし、とゴードンは続ける。
その手には布に包まれた何かが掴まれていた。
その布を取り払い、ゴードンは掲げる。
それは人の腕だった。
「俺が斬ろうとしたとき! ヘンリックの側近であるギード・フォン・ホルツヴァートが自ら片腕を切り落とした! この腕で処罰を待ってほしいと! ヘンリックに次のチャンスをと懇願してきたのだ! 大貴族の息子がヘンリックのために腕を差し出した! 今回の敗戦、この腕に釣り合うモノではないのは承知している! しかし! 俺はヘンリックにチャンスを与えることにした! なぜか!? 我々が大切にするのは、このギードが示した忠節だからだ!! 俺も誓おう! 諸君らの! ギードの忠節に恥じぬ戦いをすると! 必ず俺たちは勝利する!! 我らはもう負けぬのだ!!」
ゴードンの言葉を受けて、全軍が沸き立つ。
歓声が上がり、ギードの名を兵士たちは口にする。
しかし、実際はそこまで綺麗な物語ではない。
「ボクの兄を腕を差し出した忠節者に仕立てあげ、全軍の士気をあげるとは……さすがウィリアム殿下というべきでしょうか?」
ヴィスマールにある屋敷。
そこにある一室。
そこでライナーはウィリアムに語りかける。
部屋のベッドにはギードが眠っていた。
周りには医師と侍女たちがいる。
さきほどまで腕を切り落とされた際の出血で、少し危険な状態になっていた。
そうなったのはギードが泣き喚き、暴れまわってすぐに治療ができなかったからだ。
ギードは当然ながらウィリアムの提案を受け入れなかった。自ら腕を差し出すなどギードにはできない。
しかし、ウィリアムはお構いなしにギードの腕を切り落とした。
ウィリアムにとってギードの意思など関係ないのだ。
すでにヘンリックの本陣にいた兵士たちには口止めを行い、ウィリアム配下の部隊に組み込んでいる。余計な噂を流すことはないだろう。
事情を知る将軍たちも次は自分たちと思えば、必死になって戦うだろう。これは士気高揚と同時に警告だからだ。
「兄が危険な状態だったというのに余裕だな?」
「出来損ないの兄ですから。別に死んでくれても構いませんよ。ボクは父に育てられ、兄は母によって甘やかされて育った。いずれ失態をさらすとは思ってました。父は少し期待していたようですが」
「なるほど。だから父親のように腹の内が読めんのだな?」
ウィリアムはそう言いながらライナーを睨みつける。
あのロルフが無能なギードに期待するとは思えない。
そして二人の反応からウィリアムは一つの結論に達した。
「ギードが失態を犯すと読んでいたな? しかしホルツヴァート公爵家はゴードン陣営には重要。命は取られないとわかっていた。だからこその余裕だ」
ホルツヴァート公爵家はゴードンにつく貴族たちのまとめ役。
ホルツヴァート公爵家がいるからゴードン陣営についた貴族も多い。
ヘンリック以上に斬るわけにはいかない相手だ。
ギードの失態を受けて閑職に回そうにも、ギードを忠節者に仕立て上げたことでそうすることもできない。
信頼できない相手だと思っているが、排除もできない。
そしてそれがわかっているからホルツヴァート公爵家には余裕がある。
「だとしたら……どうするのですか?」
「裏切れば殺す」
ウィリアムは目にもとまらぬ速さで剣を抜くと、ライナーの首に突きつけていた。
さすがにライナーは冷や汗をかき、顔をひきつらせる。
その表情に満足しながらウィリアムは剣をしまい、ライナーの横を通っていく。
「レオナルトとの決戦ではホルツヴァート公爵家に先鋒を任せる。せいぜい頑張ることだ。忠義者のホルツヴァート公爵家が先鋒になることに誰も反対しないだろう」
「……光栄です」
裏切る可能性があるならば先に使いつぶすまで。
ウィリアムの考えをよく理解したライナーは、去っていくウィリアムの背中を睨みつけるのだった。