第三百四十三話 前夜
対陣したまま両軍に動きがなく、数日が過ぎた。
痺れを切らしたのはヘンリックのほうだった。
「僕はコンラート兄上にゴードン兄上を支えてほしいと言われた。だからこそ、僕はゴードン兄上を玉座につける」
集まった将軍の前でそうヘンリックは告げた。
自らを拾い上げたコンラートへの恩義がヘンリックには芽生えていた。
そしてそれは忠義に変わりつつあった。
ヘンリックはコンラートのために、ゴードンを補佐して邪魔者を排除するという意識を持っていた。ゆえにこの状況は好ましくなかった。
「これは……帝国の戦だ。竜王子が封じ込めたレオナルトを包囲しているだけでは、竜王子の手柄は消えない……玉座を取ったあと、自らの手柄を誇示されては帝国の名折れというものだろう! 僕は仕掛けるぞ! 総攻撃だ!」
「お見事! 先鋒は私に!」
「いえ! 私に!」
ヘンリックの言葉に半数以上の将軍が賛同し、先鋒争いを始めた。
残る将軍も不安はありつつも、積極的な反対はしなかった。
ヘンリックが言う通り、ウィリアムの功績を消すためにはこの場で仕掛けるしかないからだ。
長期の包囲でレオを倒したところで、そこに持ち込んだウィリアムが第一功となってしまう。それを阻止するならば直接レオを倒すしかない。
ここでヘンリックに抗議したところで、聞き入れてもらえないだろうという諦めもあった。
一度、攻撃を仕掛けて迎撃されれば判断も変わるだろうと思い、結局はすべての将軍が不安を拭い去った。
そしてしばらく先鋒争いが続き、ヘンリックがそれを裁定した。
「先鋒はルーマン将軍に任せる!」
「ありがたく!」
「よし! 兵士たちに酒と食べ物を振る舞え! 明日は存分に働いてもらうぞ!」
「殿下、全軍にですか?」
「もちろんだ! 区別は許さない! 平等に扱え!」
「しかし……見張りの部隊もおります」
「不満が出たらどうするんだ? 士気にかかわるぞ?」
「不平の前に不安が生じます。どうかご明察ください」
「そこまで言うならいいだろう。見張り部隊は食事だけに留めろ」
ヘンリックがそういうと将軍たちは頭を下げた。
忠言を受け入れ、兵士のことも忘れない。
ヘンリックは自らが好判断を下しているという自負があった。
周りをよく見て、動けている。
ウィリアムを排除したのにも理由があり、これからの攻撃にも理由がある。
「どうだろう? ギード。僕は総大将をやれているか?」
「ご立派ですよ。一兵士にまで気配りができる総大将などそうはいないでしょう」
横に控えるギードの言葉を聞き、ヘンリックは自信を深める。
自分には武勇に秀でたアードラーの血が流れており、今、その血の素質を開花させている。
レオにだって負けていない。
「いよいよレオナルトと決戦ですね。僕も前に出てもいいですか?」
「ふっ、あまり無理をするなよ? お前に何かあればホルツヴァート公爵に申し開きができない」
「気をつけましょう」
笑い合いながら二人は明日について話を弾ませるのであった。
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一方、城ではレオに報告が入っていた。
「敵の援軍総大将はヘンリック皇子です」
「そのようだ」
グライスナー侯爵から報告を聞きながら、レオは敵陣を見つめていた。
そこから立ちのぼるのは炊事の煙。
それ自体は珍しいことではない。
ただ、レオはその変化をしっかり感じ取っていた。
「どう見る? グライスナー侯爵」
「はい……? 私には飯の支度をしているとしか……」
「多すぎるんだよ。対陣してからこんなに多くなったことはない。兵糧に限りがある以上、日によって量が一気に増えるなんてことはほぼない。士気高揚のために全軍に振る舞うなんてことをしないかぎりは」
「っっ!? では、敵は攻撃に出ると!?」
「ヘンリックのことだ。ウィリアム王子の手柄にしたくないんだろうね。もう反乱に勝った気でいるあたり、性格が出ている」
勝負は最後の瞬間までわからない。
手柄のことを話すということは、終わったあとのことを考えるということだ。
悪いことではない。しかし、数万の兵を率いる指揮官がそれに頭の中を占められては勝てる戦も勝てない。
そういうことができるのはよほどの天才だけだ。
「騎馬隊を後方の門から出撃させる。静かに、音を立てずに動くんだ」
「機先を制すということですな。かしこまりました」
「カトリナたち竜騎士は上空で待機。何かあれば知らせるように厳命しておいてくれ」
「はっ! 支城にいるヴィンフリート殿たちには知らせますか?」
「察知される危険は冒したくない。ヴィンならこちらの動きを見て合わせられる。いつも通りを心掛けてくれ」
「はっ! 慎重に手配します」
そう言ってグライスナー侯爵は一礼してその場を去る。
そんなグライスナー侯爵と入れ替わる形で、レオの肩に乗る熊の姿があった。
「仕掛けるのか?」
「うん、君にも手伝ってもらうよ? ジーク」
「やっと攻められるのか。守ってばかりで肩が凝って仕方なかったんだ」
「揉んであげようか?」
「男じゃ駄目だ。やっぱり美女の柔らかい手じゃないと気持ちよくない」
「ははは、それならさっさと帝都に戻らないとね。戦場じゃなかなか美女にお目にかかれないし」
そう言ってレオは笑いながら敵陣に目を向けるのだった。
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その頃、援軍として前線近くの貴族領から総勢五千の軍を率いたシャルも敵陣が見える位置に来ていた。
「食事の煙が多いと言う報告ですが、いかがいたしますか?」
「私も見てきたわ。いくら何でも多すぎる。明日は何か動きがあるかもしれないから、厳戒態勢で待機を」
偵察に出たネルベ・リッターの隊員の報告を受け、シャルも自らの目で敵陣を見てきた。
全軍に食事が振る舞われ、遠目にも騒いでいるのがわかった。酒も出ているのだろう。
そういうことをあえてするのは士気高揚のため。
大抵は攻撃を開始する前だ。
そのため、シャルは全軍に待機を命じた。
何か起きたときにすぐに動けるように。
「私なら本陣を狙うところですが」
「私だってそうするわ。けど、私たちは援軍。動くのはレオナルト皇子よ。レオナルト皇子の出方を見て、それに合わせるわ」
「動かない場合は膠着状態となりますが?」
「私たちは精鋭じゃないわ。ネルベ・リッターならどうとでもできるかもしれないけれど、所詮は寄せ集めよ。五千で突っ込んでも敵を撤退させられない。膠着状態になるなら、北部諸侯連合軍の本隊を待つわ」
「なるほど、迂闊でした。お許しを」
「いいのよ。レオナルト皇子が耐えきれない状況なら、本陣を奇襲するかもしれない。そのときはあなたたちに任せるわ」
「お任せを。あの程度の防陣、あくびをしながらでも突破できます」
ラースの言葉にシャルは苦笑しながら、レオが出陣した場合の動きを考え始めたのだった。




