第三百四十一話 シャルの出陣
「行くのか?」
北部貴族による会議は終わった。
貴族たちは自分の領地に戻り、騎士を率いてくるだろう。
だが、それには時間がかかる。
そのため、先行して前線に近い貴族たちを援軍に差し向けるという方針となった。
それを率いるのはツヴァイク侯爵の名代であるシャルだ。
「うん。こっちに騎士を呼び寄せるよりも、私が行ったほうが早いもの」
「そうか……体調は平気なのか?」
「平気よ。心配しないで」
「……気を付けてな?」
「そっちこそ。大変なのはこれからよ?」
「……そうだな」
短い会話の後、シャルは笑顔を浮かべて俺に背を向ける。
これから俺はどんどん集まる北部貴族の軍勢をまとめなきゃいけない。
それは大変ではある。しかし、危険ではない。
「シャル」
「どうかした?」
「ネルベ・リッターを連れていけ」
「近衛代わりの部隊を連れていけって? あなたの護衛は?」
「セバスがいる。問題ない」
「問題しかないと思うけれど……」
シャルは苦笑しながら視線を後ろに向けた。
そこには部下と共にやってきたラースがいた。
「殿下のお傍を離れるわけにはいきません」
「気持ちはわかるが、戦力が必要なのはシャルだ」
「そうであっても殿下の守りを薄くするわけにはいきません」
「……頼む。俺を安心させるために行ってくれ」
利を説いてもきっとラースは動かないだろう。
北部貴族たちと一緒だ。
利では動かないなら感情に訴えるしかない。
「では部隊を二つに分けます」
「百人の部隊を二つに分けるのは愚かだ。全員で行ってくれ」
「……殿下の下で戦いたいと思っています」
「精鋭部隊を遊ばせておく余裕はない。それに後から俺も行く。レオとシャルを頼む」
「……仕方ありません。命令には従いましょう」
ラースは諦めたようにため息を吐き、俺の願いを聞き入れた。
そしてネルベ・リッターたちも出立の準備に取り掛かる。
「これで北部諸侯連合の盟主が暗殺されたら目も当てられないわよ?」
「俺の存在はギリギリまで隠す。貴族たちにも厳命しているし、わざわざ暗殺には来ない。そんな余裕はゴードンたちにはない。むしろ、援軍の可能性がある貴族を狙うほうがありえる」
「だから私に護衛をつけるの?」
「そんなところだ」
そう言って俺はシャルに背中を向ける。
これ以上話していると危ないからやめろと言ってしまいそうだから。
そんな俺の背中にシャルが問いかける。
「もう……北部諸侯連合の盟主なんだし、私の口の利き方に何か言わないの?」
「手のひらを返す奴は嫌いだ」
「そう……じゃあこのままでいい?」
「ああ、気軽に話してくれる奴は貴重だ。これから先も……友人のように接してもらえると助かる。とても」
「まぁ、そっちがそう言うなら仕方ないわね。友人でいてあげるわ」
そう言ってシャルはその場を去っていく。
その姿を見送る俺の後ろでセバスが呟く。
「これで動きやすくなりましたな」
「そうだな……」
「心配ならシルバーとして動きますか?」
「戦争への介入はしない。わざわざ本部まで行った意味がなくなる」
「ですが、どうも気になっているご様子」
「シャルは友人だし……恩人の孫娘だ。死なせたら……俺は俺自身を一生許せない」
傍に置くことはできる。しかしそれはシャルの意志に反する。
俺の安心と引き換えにシャルを傷つけることになるだろう。
ローエンシュタイン公爵が命を賭けている。シャルも何かしたいと思うのは当然だ。
「では、どうなさいます? ここにいるだけでは始まらないかと」
「そうだな……やれることをやろう」
「何から手をつけますかな?」
「ターレの街に人をやり、帝都から持ってきたキューバー大臣の発明品を持ってこさせろ。あそこにはこっちの切り札もあるしな」
「そういえばそうでしたな。使わないで済むなら使わないほうが良いでしょうな。技術大臣の首のためにも」
「使ったほうがいいに決まっている。必要だったから持ってきたと言えるだろ? 黙って持ち出したのなんて、戦果で帳消しだ」
「屁理屈ですな。まぁアルノルト様らしいですが」
そう言ってセバスが肩を竦める。
これから敵がどう動くか。
予測はできるが断定はできない。
敵はウィリアム。帝都でも細い抜け道から逃げられた。
こちらの思惑を超えてくることは十分にありえる。
しかし、ゴードンのやりそうなことはほぼ読める。
追い詰められた場合にあいつがしそうなことは帝都にいた時点で予測できた。
だからそれに対抗する術も持ってきた。
向こうは勝つために切り札を使うだろうが、それに対してこちらも切り札を使う。そうなればほぼこっちの勝ちだ。
「まぁ……腐っても兄だからな。そこまで堕ちていないと思いたいが」
「私の記憶にあるゴードン殿下は戦場での卑怯な振る舞いを嫌っておりましたが……」
「今のゴードンは昔と違う。ザンドラ姉上と同じようにな……」
「お気をつけください。陛下の耳に入ると騒ぎになりますぞ? ザンドラ皇女は反逆者です」
「そうだな……」
姉とすら呼べない。
それだけのことをやった。仕方ない。そう思う俺もいるが、同時に狂わせた黒幕もいると信じている俺もいる。
きっとゴードンも一緒で、本当は違うと思えば思うほどやりきれない。
罪は罪。どれだけおかしくなっていようと、ゴードンは反逆し、それにザンドラ姉上も加わった。死罪は当然。
理解はできるが、納得はできない。
「帝位争いがおかしくなったのはいつからなんだろうな? 今回だけか? それとも最初からおかしいのか?」
「私にはなんとも。しかし、明らかに今回の帝位争いがおかしいのは事実です。参加者ではなく、外にいる方々がそう言っている以上、何かが介入しているのでしょう」
「……魔奥公団か」
「詳しく調べてみないとわかりませんな。動きは追っていますが、まずは内乱をどうにかしなければ」
「そうだな。早く帝位争いを終わらせるためにも……」
レオに手柄を立てさせる。
つまりレオがゴードンを討つということだ。
そのことに少しだけ心が動く。
もしもザンドラ姉上のようであったなら。
きっと残酷な未来が待っている。
「帝位争いに介入してきている奴は皇族を狙い撃ちしている。まるで……帝国の皇族が邪魔のような動きだ。そうだと思わないか?」
「アードラーの一族ほど恨みを買っている一族もいませんからな」
「積年の恨みか。まぁ関係ないか。どんな理由があれ……殴ってきたのは向こうだ。いつまでも姿を見せず、殴ってくるなんて都合のいいことはさせない。影に潜む者を探し出すぞ」
そう言いながら、俺は何もない空間に手を伸ばす。
それをするためには内乱を終わらせるしかない。
選択肢がない。そんな窮屈な状況を作り出した奴らに怒りが沸き上がる。
「この内乱を終わらせたら……必ず見つけ出して、潰す」
拳を握り、俺は決意を口にした。
そう言ったとき、それなりの数の騎馬が本陣を出立した。
シャルたちだろう。
「何事もなければいいがな」
「心配性ですな。ご安心なさいませ。前線にいるのは敵だけではありません。あなたの自慢の弟君もおります」
「……それもそうだな」
少しだけ心が楽になったのを感じながら、俺は青い空を見上げたのだった。
そして気持ちを切り替え、セバスに告げる。
「俺は一度、帝都に戻る」
「かしこまりました」
そんなやり取りのあと、自分用の天幕に戻り、俺は帝都に転移したのだった。