第三百三十六話 皇子の地位
一晩経って、俺たちは屋敷に近づくことができなくなった。
近くの宿屋で待機していたネルベ・リッターと合流はできたが、公爵はもちろん、シャルとの面会も許されていない。
「余計なことができないようにされたか」
「なんとしても誓約状を持ってこさせるつもりですな」
セバスの言葉に俺はため息を吐いた。
今から帝都に戻って父上を説得している時間はない。
なんとかして公爵を説得しなくては。
「ローエンシュタイン公爵が病気というのは本当なのですか?」
宿屋の一室。
そこにいるのは俺とセバス、そしてラースの三人だけだ。
ローエンシュタイン公爵の病気についてはラースにだけ伝えた。
しかし、ラースはまだ半信半疑の様子だ。
「ほぼ間違いない」
咳のこらえ方、体のぐらつき方。
どれも見たことがある。
母上と同じ病だろう。そしてそれはきっとシャルも同様だ。
症状があまりにも似ている。
「確信があるご様子で、しかし、そうなると公爵の出陣は難しいのでは?」
「病の進行次第だが、あの頑なな様子を見る限り、自分の死期を悟っているんだろう。そうでなければ提案を跳ね除けて、誓約状を持ってこいなんて無茶ぶりはしない」
無茶を言うのは必要だからだ。
ローエンシュタイン公爵は北部の象徴。
あの人がいればこそ、北部はまとまるし、北部貴族の存在感も増す。
戦後に亡くなったとなれば北部貴族は烏合の衆。約束を破られたとしても抗議する力すらなくなるだろう。
自分が死ねば軽んじられる。そうわかっているから誓約状を求めているわけだ。
「公爵が生きていればいくらでもやりようがある。だが、公爵の命は長くなく、代わりもいない。唯一、代わりを担えたかもしれない人は先に逝った」
「辛いですな。シャルロッテ嬢は」
「……」
二人の祖父を同時期に亡くすなんて、不幸としかいいようがない。
できるなら穏やかな日々を与えてあげたいが、そうもいかない。
病に対して古代魔法は無意味だ。
母上の病を治せない以上、公爵の病も治せない。
こういうとき、自分の能力が偏っていることが恨めしくなる。
「公爵はきっとシャルに病を隠している。ショックを与えないためだろうが……どうせいつまでも隠し通すのは無理だ」
「接触しますか? シャルロッテ嬢に」
「そうするしかない。すべてはシャル次第だ」
ツヴァイク侯爵の後を継ぐということは、公爵に無理をさせるということだ。
逆にローエンシュタイン公爵の傍で穏やかな日々を望むということは、ツヴァイク侯爵の後を継がないということになる。
道は二つに一つ。
俺たちがどうこういうよりもシャルが選択するべきだろう。
「潜入するぞ。できるな?」
「楽勝です」
そう言ってラースは意気揚々と屋敷の地図を取り出した。
「用意がいいな?」
「いざというときは制圧する気だったので」
「交渉が穏やかに終わってよかったよ」
そう言いながら俺はラースの言葉に耳を傾け始めた。
■■■
ローエンシュタイン公爵の屋敷は通常の貴族の屋敷よりもだいぶ厳重だった。
しかし、軍を引退して久しく、公爵と共に戦場を駆けた臣下たちも老いた。
バリバリの訓練を積んでいるネルベ・リッターならば、潜入はさほど難しくなかった。
「ではお気をつけて」
屋敷の西側を迅速に制圧し、ルートを確保したラースがそう言って俺とセバスを送り出した。
屋敷の中に入ってしまえば、あとはセバス一人でどうにかなるからだ。
屋敷の地図を頭の中で思い描きながら、シャルがおそらくいるだろう部屋を探す。
そうしていると、二人の護衛がついた部屋を見つけた。
公爵の部屋ではない。
俺はセバスに目配せして、真っすぐその部屋へ向かう。
俺の姿に気づいた護衛が目を見開くが、彼らは後ろからセバスによって気絶させられた。
「シャル! 入るぞ!」
軽くノックをして俺は扉を開ける。
エルナみたいで抵抗はあるが、悠長にはしてられない。
「シュヴァルツ!?」
驚いた声が中から聞こえてくる。
しかし思った以上に遠い。
見ればシャルはバルコニーから外に出ようとしていた。カーテンをまとめて、綱のようにしている。
何しているんだと思いつつ、そっちに駆け寄るが、俺のせいでバランスを崩したらしく、シャルはグラグラと揺れ始めた。
「わっ、わっ、わっ!!」
「おいおい!!」
慌てて距離を詰めるとシャルの腕を両手でつかむ。
なんとか体勢を立て直したシャルをバルコニーまで引っ張り上げ、俺は一言告げた。
「はぁはぁ……危ないって言ったろ?」
「あはは……そうね。ごめん」
苦笑いを浮かべながらシャルは立ち上がる。
外に出ようとしていたんだ。
何か目的があったんだろう。
「お爺様に会いに行かなきゃ。手伝って」
「構わないが……いいのか? おそらく公爵は病気だぞ?」
「うん……たぶん私と一緒ね。原因不明の体調不良。悪いときは血を吐くし、立ち上がることもできなくなる。それなのに平気なときはとことん平気。厄介な病気よね」
「……君と公爵は違う。もう高齢だ。無理をすればそれだけ寿命が縮む」
「わかってるわよ……でも、私はローエンシュタイン公爵の孫娘で、ツヴァイク侯爵の孫娘。北部のためにやれることをやる義務があるわ。あなたが北部に来たように」
そう言ってシャルはフッと微笑むと、踵を返して扉へと向かっていった。
正直、覚悟を甘く見ていた。
シャルはすでに強い覚悟を持っている。
「すまない。謝罪しよう」
「何をかしら?」
「甘く見た。君という人間を」
「そうね。侮らないでほしいわ。私は雷神の孫娘なんだから」
■■■
「通しなさい。お爺様に用があるわ」
「シャルロッテ様……しかし……」
「力づくで通ったほうがいいかしら?」
シャルの右手で雷がバチリとはじけた。
それを見て、公爵の部屋を守っていた護衛は道を譲る。
そしてシャルはゆっくりと扉を開けた。
「お転婆娘め……誰に似たのやら」
ローエンシュタイン公爵はベッドで横になっていた。
その顔は昨日に比べると十歳は老け込んでいるように見えた。
病は俺が思っているよりもひどいのかもしれない。
「お爺様に似たんです」
「そうか……」
シャルは俺を部屋の中に入れると、扉を閉める。
ローエンシュタイン公爵は俺を見て目を細めた。
「昨日の今日で動き出すとは……こらえ性のない男だな……」
「時間がないのでな」
「そうか……だが時間がないのは儂も一緒だ」
そういうとローエンシュタイン公爵は苦し気に顔を歪めながら体を起こす。
シャルは慌ててそれを支えるが、ローエンシュタイン公爵は激しくせき込んだ。
「ごほっ! ごほっ! はぁはぁ……見ての通り……儂は動けん……」
「だから誓約状が必要だと?」
「そうだ……儂亡きあと……北部を尊重させるためには確実な物証が必要だ……どれほど憎んでも憎み足りん皇帝だが……情勢を見誤るほど愚かではないと評価もしている……」
誓約状を書いたのにそれを反故にすれば、各地の貴族からの信頼を失う。
他国に攻められ、国内の問題を解決したい父上はその愚を犯さない。
だから公爵はどうしても誓約状が欲しいんだ。
だが。
「父上は決して誓約状を書かない。臣下の要求に屈すれば、それはそれで求心力の低下に繋がるからだ」
「それをなんとかするのが貴様の仕事だ……」
「説得には時間がかかる。その間に北部の戦況は取り返しがつかないことになる。時間はかけられない。どうか信じてほしい。皇帝である父ではなく、皇子である俺を」
「出涸らし皇子を信頼しろと……? 貴様にそこまでの力があるか?」
「……誓約状は俺が書く。俺は俺の最大の強みを賭けて、北部貴族への尊重を勝ち取ろう」
「最大の強みだと……?」
「皇子の地位を賭けよう。血筋ゆえ、平民にということはないだろうが、どのような役職でも、政略結婚でも、実験でも受け入れる。俺は俺の自由を代価として北部を守る。だから……俺の誓約で納得してほしい」
そう言って俺はゆっくりと片膝をついて、ローエンシュタイン公爵に頭を下げた。
皇族が臣下に頭を下げることは基本、あってはならない。
だが、俺の頭は軽い。下げなきゃいけないならいくらでも下げよう。
そうして見せれば俺の言葉にも重みが出る。
俺は皇子の地位に執着していないと公爵に伝えられる。
父上としても俺が皇子の地位を賭けるとまでいえば、否とは言えない。俺がそうするということは、北部貴族が戦功をあげているということだ。それに対する正当な評価を要求するわけだ。それを突っぱねればそれはそれで周りの信頼を損なう。
「なぜ……そこまでする……?」
「言ったはずだ。ツヴァイク侯爵には大恩がある。その恩はシャルに返す。北部の問題も解決するし、北部貴族の地位も確保しよう。ほかでもなく、俺がそうしたいからだ」
「……シャルロッテ。お前は信じるか?」
「……信じます。きっと……共に死んでほしいと言えば共に死んでくれるでしょう。そういう人です」
シャルの言葉にローエンシュタイン公爵は何度も頷き、そして疲れたように深く息を吐いた。
そして。
「では……どうしたい?」
「私はツヴァイク侯爵の後を継ぎます。北部貴族による会議を開き、北部貴族の意見を一つにまとめます」
「それが戦うとの意見だったら……?」
「北部諸侯連合を提案します。ほかでもない、ツヴァイク侯爵の孫娘である私が提案すべきだから」
シャルの言葉を聞き、ローエンシュタイン公爵は小さく笑みを浮かべたのだった。




