第三百三十二話 さん付け
「シュヴァルツさん。ここの領主には手紙を渡してきたよ」
俺たちはシャルと共にローエンシュタイン公爵の領地に向かっていた。
ただ、ローエンシュタイン公爵を説得してから手紙を各領主たちに配っていたら時間がかかりすぎるため、道中にいる領主にはシャルが手紙を手渡していた。
遠方の領主にはネルベ・リッターの隊員が馬を走らせて届けに向かっている。ツヴァイク侯爵の手紙とセットで、シャルの手紙もだ。
内容はローエンシュタイン公爵を説得しにいく。ローエンシュタイン公爵が動いた場合、祖父の手紙に賛同してほしいという内容だった。遠方の領主はこれでローエンシュタイン公爵の動きに注目するだろうし、そのために領地を離れてローエンシュタイン公爵領の近くまで来るはず。そうなれば北部貴族の招集は難しくない。
まぁ、それはいいんだが……。
「なんでさん付けに戻ってるんだ?」
「……」
部屋には俺とシャルのみ。
アルノルトと呼べないのはわかるが、わざわざさん付けに戻す理由がわからない。
「それはご命令ですか? 殿下」
「……本当に皇族が嫌いなんだな。ああ、敬語は不要だ」
「……じゃあ失礼して。あなたを信じると決めたし、あなたに膝を折ったわ。けど、それと仲良くするかは別問題。私、皇族嫌いなの」
「肩書きで判断しないんじゃないのか?」
「北部全体の問題だもの。肩書きじゃ判断しないわ。けど、私個人の問題は別よ」
そう言ってシャルは何ともいえない表情を浮かべた。
嫌悪と親しみが同居しているような、そんな表情だ。
それだけでシャルの内心が複雑なのがよくわかる。
「なるほど。俺としては君と仲良くやっていきたいんだが?」
「無理よ。嫌いなものを食べるのって苦痛でしょ?」
「克服するのも一興だと思うが?」
「無理やり嫌いなものを食べさせる相手って面倒でしょ?」
「確かにな」
シャルの中で結論は出ている。
皇族に対する嫌悪感は消えず、だから俺とは距離を取る。
それを知りながら距離を縮めようとする人間は面倒すぎるだろう。
だが、これからローエンシュタイン公爵を説得しにいくのにシャルとの関係が希薄なのは良くない。
そもそもシャルとすら仲良くなれないなら、ローエンシュタイン公爵を説得するとか無理だろう。
「しかし、だ。君と仲が悪いというのはローエンシュタイン公爵を説得するうえでマイナスだ」
「演技するわよ」
「演技くらい見破るだろうさ。だから仲良くなる努力をしてみないか?」
「……なにするのよ?」
目を細め、不機嫌さを全身から発しながらシャルがそう言って椅子に座った。
どうやら協力はしてくれるらしい。
まずは第一関門突破だな。
「とりあえず確認なんだが、皇族の何が嫌いなんだ?」
「血ね。もう皇族の血が無理なのよ」
「根本的なところを言ってくる奴だなぁ……」
さすがに血筋に関してはどうすることもできない。
最初から全面拒否とはやってくれる。
だが、その程度で諦める俺ではない。
被っていたフードを取り、俺は軽く髪をかきあげた。
「代々の皇帝家にはあまり黒髪がいない。それなのにどうして黒髪なのかといえば、俺の母が東方出身だからだ」
「それで?」
「血の話をするなら俺の母は平民だから、俺の血は半分平民の血だ。皇帝家らしい特徴もほとんどない。君が無理だと語る血の要素が俺にはないわけだ」
「けど、皇族でしょう?」
「自慢じゃないが皇族らしい扱いを受けたことはほとんどない。兄弟の中で幼少期に牢屋に入ったのは俺だけだ」
「それを自慢げに言うのもどうかと思うわ……」
シャルは呆れたようにため息を吐く。
皇族の中で、皇族という扱いから俺は最も遠い。皇族だから嫌いと言われても、皇族要素がほとんどないわけだ。
俺にはその理論は通じない。
「どうだ? まだ俺が皇族に思えるか?」
「思えるわ」
「……なぜだ?」
「だって皇族じゃない。あなたを殿下と慕う臣下がいるもの」
「……俺には幼馴染がいるんだが、そいつは木剣で俺を幾度も殺そうとしてきた。一応、あれも臣下のはずなんだが……」
「驚くべきは、殺されかけているのに誰も止めないところね……」
シャルの言葉に俺は苦笑する。
俺の周りにいた大人たちは結構な放任主義だった。
子供のやることに一々口をはさむようなことはしなかった。
「俺が何も言わなかったからな。皇族の特権を行使したら、もう対等な関係は築けないしな」
「……だから大人しくやられていたの? その時にお爺様が助けたということ?」
「そうだ。虐められているって父に言えばなんとかなっただろうが、弱い立場の奴らは最悪、死刑にされかねない。恐ろしいだろ? 子供同士の幼稚ないじめの結果が死刑だなんて。だから何も言わなかった。そのときツヴァイク侯爵が助けてくれたんだ。すべてを理解して、感服したと言ってくれた。嬉しかったよ」
「……あなたは子供の頃から大人だったのね。私なら親に泣きついているわ。その後、どうなるかなんて思いもつかない」
「お手本には困らなかったからな。そういう意味じゃ俺は皇族という恩恵にあずかっていたかもしれない」
子供の頃。
俺の周りには皇太子やリーゼ姉上がいた。
皇族とはこうあるべきだという見本がいた。
だから俺は自分なりにそれを体現できた。それだけの話だ。
「あなたは……本当に皇族らしくないのね。でも……皇族がお爺様を見捨てたのは事実よ」
「そうだな、それは消えない。でも、だから俺が来た。恩は返すべきだから」
「恩?」
「そうだ。皇族はツヴァイク侯爵に返しきれない恩がある。皇太子の死後、帝国は乱れた。やることが多すぎて手が回らなかったんだ。その時に北部の問題を解決してくれるツヴァイク侯爵が現れた。好都合だった。だから何もしなかったんだ。正当化はしない。皇族は臣下の北部を想う気持ちを利用した」
「ずいぶんな言い方ね……」
「事実は変わらない。俺の父は冷静な判断を下した。そしてその恩を返すこともしなかった。もっと早くに何かするべきだったと思う。けど、後回しにした。それは消えない。けど、これからの行為で取り返すことはできる。恩は返すものだからな」
「……お爺様を見捨てたのは皇帝よ。あなたじゃない」
「君がツヴァイク侯爵の後を継ぐように、俺も皇帝の息子だ。それに皇族としてひとくくりにしてるじゃないか。理由はそれで十分だ。俺は皇族で、皇帝が受けた恩を返す。まずは手始めに北部諸侯を団結させる。北部を救うのは北部諸侯であるべきだからだ」
俺と北部の諸侯は似ている。
俺は虐めてくる貴族の子供たちを守るために我慢した。
北部諸侯は北部の領地を守るために冷遇に耐えた。
いくらでも抗議はできた。しかし、彼らがしたのは距離を取ることだけ。公然と皇太子の死に触れることもできた。
しかし、あの時期に皇太子の死は敏感すぎる話題だった。今よりもまずい事態になっていたかもしれない。
だから黙って、冷遇された。北部を戦場にしないためだ。
そんな北部の諸侯たちだからこそ、この事態を収束するのは彼らであるべきだ。
「あなたって変だと言われない?」
「よく言われる」
「でしょうね。皇族どころか貴族だとしても変わってるわ。皇族としての扱いを受けてないって自分で言うのに……どうして皇族としての責務を果たすの?」
「君だってツヴァイク侯爵の跡継ぎという立場から外された。けど、今はツヴァイク侯爵家のために動いている。どうしてだ?」
「私が動くのは私がするべきだと思ったからよ」
「俺の答えだって一緒だ。立場や肩書きなんて決断の一助になることはあっても、それだけですべてが決まるわけじゃない。決めるのは自分だ。俺は今、皇族としての責務を果たすべきだと思ったからここにいる。過去の扱いなんてどうでもいい話だろ?」
出涸らし皇子と呼ばれ続けたのも、こうして皇族としての責務を果たしにきたのも、自分で決めたことだ。
そうやって育てられた。
すべて自分の責任だ。
「……肩書きは所詮、肩書きって言葉の本質がわかった気がするわ」
そういうとシャルは立ち上がって、部屋を出ていこうとする。
そんなシャルを俺は呼び止めた。
「シャル。俺の愛称はアルなんだが、呼んでくれるか?」
「……恩を返せたなら呼んであげるわ。それまではシュヴァルツよ」
そう言ってシャルは部屋を出ていく。
仲良くなったかは微妙なところだが、さん付けよりはましだろう。
しかし。
「シャルでこれならローエンシュタイン公爵にはもっと苦労するだろうなぁ」
はぁとため息を吐き、俺は椅子にもたれかかるのだった。




