第三百三話 ジャック
カレリアの街に到着したジャックは、早々にほかのSS級冒険者たちとは別れ、美味そうな酒を探す旅に出ていた。
しかし。
「どこもやってねぇじゃねぇか……」
人のいない街を歩きながら、ジャックはそう呟く。
当然ながら、巨大モンスターが街に迫っている状況で店を開くような人間はいない。
さらに多くの民がすでに西門に避難しており、店を開く意味もない状況だった。
「酒、酒、酒……酒はねぇのか……?」
街をフラフラと徘徊する危険人物となりながら、ジャックは酒を求め歩く。
そんなジャックの前に開いている小さな宿屋が見えた。
「宿屋!? 酒くらい置いてんだろ!」
見つけるやいなや、ジャックは即座に宿屋の扉を開けた。
中では数人の老人が軽く酒を飲んでおり、物珍しそうにジャックを見つめていた。
「なんじゃ? 見ない顔じゃな?」
「旅しててな。酒が飲みたいんだが?」
「こんなときに来るなんて運の悪い奴じゃなぁ」
老人たちは苦笑しながら、そうつぶやいた。
もはや逃げることを諦めている。そんな様子だった。
「わしらみたいな老いぼれは今更、他の所じゃ生きられん。この街で死にたいんじゃ。しかし、あんたは違うじゃろ? 悪いことはいわんから逃げなさい」
「わざわざカレリアの酒を飲みに来たんだ。飲まずには逃げれねぇな」
「変わっとるのぉ。ニーナちゃんや! あんたと同じ変わり者が来たぞー!」
そう言って老人たちは宿屋の奥へ声を掛ける。
すると十代後半くらいの、エプロン姿の少女が出てきた。
茶色の髪に少しそばかすのある少女だ。愛嬌のある笑顔を浮かべ、ジャックに席をすすめる。
「はいはい! いらっしゃいませ! お一人ですか?」
「ああ、一人だ。とりあえず酒をくれ。つまみも適当に」
「はい! わかりました! 少々、お待ちください!」
一人で切り盛りしているのだろう。
ニーナと呼ばれた少女は忙しそうに奥へ戻り、老人たちに食事を配膳していく。
その様子を見ながらジャックは酒を待つ。
そしてすぐにジャックの下に酒とつまみが届いた。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「いえいえ。カレリアのお酒は絶品ですから! 楽しんでくださいね!」
「ニーナちゃんや。お客さんにも酒を出したことだし、もう逃げなさい。悪いことはいわんから」
「逃げたとして、逃げ切れる保証はないでしょ? なら、寝ているお父さんとお父さんの店を守りたいんです。お父さんは冒険者のためにこの宿屋を開いたんです。モンスターが来たからって閉じてたら、この宿屋の意味がないじゃないですか!」
酒をグラスに注ぎ、ジャックはゴクリと飲み干す。
多くの酒を飲んできたジャックでも美味いと感じる酒だった。さすがは名酒の街として名前が広まるだけはあると、感心しながらジャックはニーナに問いかけた。
「立派だな……嬢ちゃん。親父さんは?」
「病で寝ています。そんなに重くはないんですが、遠くには……」
明るかったニーナが初めて暗い表情を見せた。
その表情を見てから、ジャックが再度酒を飲むと先ほどよりも美味しくはなかった。
やはり酒は愉しい気分で飲むのが一番だな、とジャックはため息を吐いた。
そんな中、宿屋の二階からガタガタと物が落ちる音がした。
ニーナが何事かと二階へと続く階段を覗く。
「ちょっ!? お父さん! 何してるの!?」
「それはこっちのセリフだ……早く逃げろ……!」
手すりを掴みながら、どうにかこうにかという様子でニーナの父親は階段を降りてきた。
そして一人で酒を飲んでいたジャックに目を向ける。
「あんた……冒険者だな……?」
「だとしたら?」
「うちの娘を連れて逃げてくれ……」
冒険者のために宿屋を開き、長年冒険者を見てきたニーナの父親にはジャックの実力の一端が見て取れた。
そもそもこの異常事態に慌てた様子もなく、酒を飲んでいるというのはありえないことだった。
経験の伴わない冒険者ならば、これをチャンスととらえて迎撃に向かう。ある程度の経験を持つ冒険者ならば、いるだけ無駄だと避難する民の護衛に向かう。
そのどちらでもないジャックは、ニーナの父親には奇特に見えた。しかし、だからこそニーナの父親はニーナのことを頼んだ。
「今更逃げても遅せぇ。もうモンスターは城壁だ。冒険者の迎撃に期待するんだな」
「モンスターを食い止められたとしても……戦闘の余波が来るかもしれない……」
「今、城壁には冒険者ギルドが派遣した高ランクの冒険者がいる。そんなヘマはしねぇよ」
「何が起きるかわからん……! 頼む……!」
「くどい。いくら積まれようとその依頼は受けん。逃げる意思のない奴を無理やり逃がすなんてごめんだな」
「そうよ! お父さん! 私はお父さんとこの店にいるの! そう決めたんだから!」
ニーナはそう言って父親を二階に押し戻す。
無理をしたせいか、父親はせき込み、ニーナに逆らうこともできない。
少しして、ニーナが戻ってきた。
そして頼んでいない酒がジャックの前に出てきた。
「頼んでねぇが?」
「迷惑代です。父がすみませんでした」
「……父親なら当然だ」
愛した娘が自分と自分の店を守ろうとしてくれる。
どれほど嬉しいことか。
しかし、嬉しいからこそ受け入れられない。
ニーナの父親の気持ちはジャックにもわかった。
だが。
「なら、どうして依頼を受けなかったんですか……?」
「親の勝手で娘の信念を曲げちゃいけねぇ。俺にも娘がいるからな……」
決して逃げないという意思をニーナから感じたからこそ、ジャックは依頼を受けなかった。
逃げて欲しいと思うのは親の勝手。娘には娘の考えがある。
自分の勝手で妻と娘が離れていったジャックにとって、それは受け入れられない依頼だった。
「どんな娘さんなんです?」
「さぁな。もうずっと会ってない。いつか会えればいいと思っているが……決めてることがある。生き方は否定しないって決めてんだ」
ジャックは小さかった娘を思い出しながら、酒を飲む。
しかし、酒は不味くなる一方だった。
当然だった。最後に見た小さな娘の姿は、任務に向かうジャックに泣きながら手を伸ばす姿だった。
行かないでと言われてもジャックは顧みなかった。
任務をこなし、冒険者としての高みに登ることだけを優先した。
その苦い記憶が酒を不味くする。
いつもそうだ。美味いと思うのは最初だけ。その後はずっと不味い。
「良いお父さんですね。お客さん」
「良いお父さん? 俺がか? 言っておくが、俺は妻と娘に逃げられてんだぞ? 俺の勝手が過ぎたせいでな」
「けど、娘さんを想っているんでしょ? うちのお父さんと一緒です」
「はっ……嬢ちゃんの親父さんほど立派じゃねぇよ」
そう言ってジャックが自分を笑った時。
老人たちが騒ぎ出した。
「ニーナちゃんや! 外にモンスターがおるぞ!」
「隠れるんじゃ!!」
ちょうど、一羽の棘雀が店の外から突っ込んできた。
窓が割れ、老人とニーナが悲鳴をあげる。
しかし、それと同時に棘雀は一瞬で塵になっていた。
「え……?」
「なにしてやがんだ……あいつらは」
呆れながらジャックは、いつの間にか構えていた弓を肩にかつぐ。
そしてそのまま懐を漁る。
「あれ? たしか一枚くらい残ってたはずなんだが……ああ、あったあった」
そう言ってジャックは懐から出てきた硬貨を見て、顔を引きつらせる。
しかし、仕方ないとあきらめてその硬貨をテーブルに置いた。
「美味い酒とつまみだった。つりは好きに使ってくれ」
「え? え、え、えええええええ!!??」
ニーナはテーブルに置かれた硬貨の色を見て、震えながら叫んだ。
そこには虹貨が置かれていたからだ。
「お、おつりって……」
「親父さんの治療費にでも使え。持ち合わせはそれしかないんでな」
「そ、そんな! いただけません!」
「美味い酒と……嬢ちゃんの肝っ玉への代金だ。余るようなら俺がまた来たときはタダにしてくれ」
「……あなたは……一体……?」
「俺はジャック。ランクはSS級。これでも弓だけは大陸一なんだぜ? 妻と娘には逃げられてるけどな」
そう言いながらジャックは店を出る。
そして空を見上げてため息を吐いた。
「ふざけてんのか? あいつら」
街の上空には無数の棘雀が飛んでいた。
それが街に入るのをエゴールたちが防いでいるようだったが、手が足らずに少しずつ街に侵入され始めているようだった。
それを見て、ジャックは一本の小さな矢を取り出した。
おもちゃのようなその矢に魔力を通すと、細長い矢へと変化する。
それをジャックは弓に番えて、天空に向かって構えた。
「乾坤一擲――天を駆け、雨となり大地に還れ! 魔弓奥義……集束拡散光天雨!!」
かつてミアが使った魔弓奥義。それと同じモノを詠唱したあとにジャックは矢を放った。
光を纏った巨大な矢は空高くあがると、都市に向かって降下してくる。
それと同時に光の矢は拡散を始めた。
その拡散はミアの比ではなく、万を超える小さな矢が都市に雨のごとく降り注ぐ。
驚くべきはそのすべてに無駄がなかったことだ。
一本一本が空を飛ぶ棘雀を捉え、寸分違わずに射抜いていく。
たったの一撃で都市から棘雀が消え去った。
それを確認すると、ジャックは一瞬で城壁に移動した。
「どういう風の吹き回しだ? ジャック」
「お前たちが遊びすぎて、酒が不味いだけだ。さっさと片付けるぞ」
そう言ってジャックはエヴォリューション・スライムを見据えたのだった。