第二百八十五話 リナレス
オリビエからの許可をもらい、俺とフィーネは大陸北東部にある特異点に来ていた。
皇国の辺境に位置するその場所の名は霊峰・シャングリラ。
一見するとただの巨山だが、近づけばその魔力の濃さに気づく。
「ここがシャングリラですか……少し息苦しいですね」
「君には結界を張ってる。それで息苦しいんだ。きっと何もなければ倒れているだろうな」
「それだけこの山は魔力に満ちているということですね……」
魔力の濃さは植物にも影響を及ぼしている。
山の山頂付近は淡い緑の光を放つ花で埋め尽くされていた。
「この花は……?」
「光翠花。一般には出回らない貴重な花だ。使い方次第で薬にもなるし、毒にもなる。特異点の一部にしか咲かない花だから、この花の採取クエストがあるくらいだ」
「とても綺麗ですね……」
「たしかに幻想的だな。だが、これを見られるのはごくわずかな冒険者だけだ。濃い魔力は山に生息するモンスターにも強い影響を与える。この山にいるモンスターの平均はAA級」
「平均でAA級ですか……」
「魔力に惹かれて山を下りないから害はないが、山を登る者にとっては厄介な存在だ。俺たちはそれを素っ飛ばして山頂まで来たけどな」
転移がなければ面倒なことになっていただろう。
なにせモンスターは山頂には近づかない。その分、下のほうにうじゃうじゃといる。突破は容易じゃない。
「貴重な景色をありがとうございます」
「喜んでくれたならなによりだ。だが、残念ながら、この景色はついでだ」
礼を言うフィーネに肩をすくめながら、俺は山頂めざして歩き始める。
すると、突然爆音が響き渡る。それも一回ではない。幾度も繰り返される。
「な、なんですか!? この音は!?」
「気にしなくていい」
「き、気になります!」
音が大きすぎるせいか、フィーネが声を張る。
そんなフィーネに俺は呆れた口調で答えた。
「正拳突きの音だよ」
「……はい?」
「拳仙なんて言われる奴だからな。ただの突きでも強力な魔法並みの威力があるんだ」
言いながら俺は足を進める。立ち止まってしまうと行きたくない病が発生しかねない。
そんな俺の後をフィーネが恐る恐るついてくる。
やがて山頂の中心で構えている人物が見えてきた。
その人物は一度静止すると、目にもとまらぬ速さで拳を突き出す。
そして。
「私の庭に黙って立ち入るなんて無粋ね。シルバー。だからあなたは駄目なのよ」
「急用だったんだ。リナレス」
「何度言ったらわかるのかしら? 私のことはリナと呼びなさい」
そう言って身長二メートルを超える筋骨隆々な大男がこちらに振り向いた。
薄紫色の長い髪に同じ色の瞳。肌は白く、顔には薄っすらと化粧が施されている。
年齢は三十代くらいに見えるが、本当の年齢はわからない。
仕草は女性的だが、見た目は完全に男。
こういう奴だからあまり会いたくなかった。
リナレスはオカマなのだ。
SS級冒険者の中でも群を抜いて強烈な個性を持っているといえる。
「えっと……」
「紹介しよう、フィーネ嬢。こいつが〝両極の拳仙〟と呼ばれるロナルド・リナレスだ。愛称は本人希望でリナだがな」
「いやだわ。フルネームを使わないでちょうだい。デリカシーがないわね」
「リナレス。こちらは帝国のフィーネ・フォン・クライネルト嬢。噂くらいは聞いたことがあるんじゃないか?」
「ええ、聞いているわ。帝国一の美女、蒼鴎姫。噂以上だわ。本当に綺麗ねぇ~」
「お、お初にお目にかかります。リナ様。フィーネと申します」
そう言ってフィーネは優雅に一礼する。
すると、リナレスは見定めるように上から下まで見る。
「――素晴らしいわ! パーフェクト! 外見はもちろん、仕草や纏う雰囲気まで綺麗! 美しいわ! こんなに綺麗な子は私以外に見たことないわ!!」
「ありがとうございます」
フィーネは素直にリナレスの称賛を受け入れた。
今の言葉で分かる通り、リナレスは自分に対する評価がとても高い。よくもまぁ、その外見でフィーネと自分を比べられるもんだ。
まぁその美意識の高さゆえに、特異点にいるわけだが。
こいつが特異点にいる理由は修行と美容だ。
魔力の濃い場所で修業することで、自分を追い込むという目的と、そういう場所で暮らすことで自分の美を磨くという目的。
光翠花を使った美容薬も開発しているし、その美意識は徹底している。
ゆえに両極。武と美、男と女。それぞれの道を極めている人物だからこそ、両極の拳仙と呼ばれている。
「シルバー、そんな美意識の欠片もない仮面をつけている割には、すごい子を連れてくるじゃない! あなたとこの子じゃ月とスッポンだけど!」
「悪かったな。美意識のない仮面で。今日は話があってきた。とりあえず家に入れてもらえるか?」
「あなたみたいなダサい男をいれるのは嫌だけど、フィーネが一緒だからいいわ。来なさい」
「ありがとうございます! リナ様!」
「もう! リナ様なんて堅苦しいわ! 美しい者同士、呼び捨てでいいわよ!」
「そんな! 恐れ多いです!」
「そんなかしこまらないで!」
「で、では、リナさんと……」
「まぁ、いいわ。私特製のお茶があるの。美容にいいのよ! シルバー。あなたは少し離れてついてきなさい」
「はいはい」
溜め息を吐きつつ、俺はリナレスのあとをついていく。
リナレスは俺の仮面が気に入らないらしく、会うたびにこの仮面に文句を言ってくる。そんな俺が話があると言っても聞いてくれないと思って、フィーネを連れてきたのだが、正解だったな。
リナレスは自分に対する美意識は狂ってるが、それ以外の美意識はそこそこ正常だ。
美にうるさいリナレスなら、フィーネを連れていけば必ず気に入ると思っていた。
まずは第一段階はクリアだな。
しばらく歩いていると、やけにファンシーな家が見えてきた。
よく、こんな家をこの山頂に作れたな……。
「どうぞ、私の家へ」
そう言ってリナレスはフィーネを招き入れる。その後ろから俺が入ると、リナレスは嫌だ嫌だと言わんばかりに首を振る。どんだけ、この仮面が嫌いなんだよ。
部屋の中はかなり女性的だった。随所に自分の髪色と同じ紫の小物を使っているのが、リナレスなりのこだわりなんだろう。
「綺麗な紫ですね! リナさんにとても似合ってます!」
「そうでしょ! もー! わかってるんだから!」
「……」
自然と相手が褒めてほしいところを褒められるのはフィーネの長所といえるだろう。
するりと相手の懐に入れるということは、それだけ交渉を有利に運べるということだ。
大使というのはフィーネにとっては天職なのかもしれない。
そんなことを思っていると、リナレスが客用の椅子を出した。
フィーネの分だけだが。
「俺の分はどうした?」
「あなたは立ってなさい。家具に触れたら帝国まで吹き飛ばすわよ?」
「……」
思わず、この家を破壊してやろうかという言葉が口から出かけたが、なんとか押し留まる。
せっかくフィーネが気に入られて、説得できそうなんだ。台無しにしては悪い。
こうして、リナレスへの説得が始まったのだった。