第二百八十二話 酒の街
王国北部の小さな街、バイユー。
美酒の街として知られ、その美酒を求めて大陸中から大勢の人が集まってくる。
その観光客をターゲットとして、遊女を派遣するサービスも盛んで、酒飲みたちはそれも一つの目的としてやってくる。
そんなバイユーに転移した俺は、幻術を使って自分の姿を一般人に溶け込ませる。
帝国と王国は戦争中であり、俺は帝国に肩入れしているSS級冒険者だ。どれだけ言い訳したところで、その事実と認識は変わらない。
そんなシルバーが王国の街にいきなり現れたら大混乱は必至だ。
「中の人のほうが大問題だけどな」
なにせ帝国の皇子だからな。
正体がバレれば即座に軍が出てくるだろう。
難儀なものだ。
そんなことを思いつつ、店で酒を売っている中年の男性に声をかける。
「失礼、この街で一番高い酒はどこに売ってるかな?」
「高い酒? 美味い酒ならうちが一番だぜ?」
「友人からの頼みで、高い酒を頼むと言われてね」
「酒のことがわかってない友人だな」
「同感だ。しかし、頼みは頼みなのでね」
「そうかい。高いっていうならバルデュールの店だろうな。味もまぁ、うちに次ぐ。大通りを真っすぐいけば見えてくるはずだ」
中年の男性は顔をしかめながらそう答えた。
内心、味のほうも認めているんだろうな。
苦笑しながら俺は金貨を一枚置くと、酒瓶を一本手に取る。
「ありがとう。一本貰うよ」
「おいおい、金貨なんて貰いすぎだ」
「情報料さ。それと、自分の酒を売りつけることもできたのにそうしなかった誠実さに。この酒は自分で飲むことにするよ」
「お、おお。そりゃあ、うちは誠実な商売を親父の代から心がけているからな!」
そう言って男性は照れくさそうに頭をかく。
そんな男性に見送られながら、俺は大通りを歩いていく。
すると大きな店が見えてきた。看板にはバルデュールと書かれている。
「ここか」
俺は店に入り、店主を探す。
すると奥でどっしりと構えた禿げ頭の大男を見つけた。
「失礼。あなたが店主で間違いないかな?」
「ああ、そうだ。俺が店主のバルデュールだ」
「友人に高い酒を買ってきてくれと頼まれてね。ここは高いが味も申し分ないという評判を聞いてやってきた。上等な酒を一本貰えるかな?」
「ふっ、俺の酒はたしかに他の店よりは高いが、味を考えれば高いとは言わせないぜ」
「なるほど。それは楽しみだ」
バルデュールは意気揚々と酒を選び始める。
このバイユーで酒を売っている奴らは、基本的に自分で酒を造っている。
当然、酒に対するプライドも高い。近場にはライバル店が数多く、そこを生き残ってる自負があるからだ。
「これなんてどうだい?」
「いくらするのかな?」
「金貨一枚ってところだな」
「なかなかいい値段だな。さすがは名店といったところか」
「その分、期待できるぜ」
「そうだな。この店の酒なら安い買い物かもしれない」
俺は金貨を一枚出して、酒を受け取る。
バルデュールは酒も売れたし、褒められてご満悦な様子だ。
そんなバルデュールに問いかける。
「しかし、景気はどうなんだい? 帝国と戦争になって売り上げが落ちてるんじゃないか?」
「まぁな。けどな、今は上客がいるから平気さ」
かかったな。
ジャックの性格的に酒は高い物を好む。絶対に何本かはこの店で買ってると思った。
「上客?」
「ああ。どこぞの富豪だか知らないが、数か月前からこの街の宿屋を貸し切って豪遊してる奴がいるんだ。そいつはうちの店で何本も買い込んで、遊女たちを呼んでお祭り騒ぎさ」
「おめでたい奴もいたもんだ」
「こっちには大助かりだ。さすがに金を使って酒を集めるだけあって、話してみると酒の味もわかるみたいだしな」
「そんな人なら一目見てみたいな。どこの宿を貸し切ってるんだ?」
「このまま大通りを真っすぐ進めばわかるさ。この街で一番大きな宿だからな」
「なるほど。じゃあちょっと見てみるよ」
そう言って俺は店を後にすると、大通りを進む。
すると大きな宿屋が見えてきた。おそらくここだろう。
俺は宿屋に向かって足を向ける。
しかし。
「申し訳ありませんが、当宿は現在貸し切りでございます。お引き取りを」
護衛らしき男が二人、俺の行く手を阻む。
宿側の警備員ってところか。
そんな彼らに俺は笑いかける。
「すまない。すぐに帰るよ」
そう言って俺は真っすぐ進む。
しかし、警備員たちは俺に反応しない。
彼らには本当の俺は見えておらず、引き返す俺の幻影が見えているからだ。
揉め事を起こしても仕方ないからな。ここは穏便にいこう。
ジャックには協力してもらわなきゃいけない。できるだけあいつの機嫌を損ねないように立ち回るのが肝要だ。
俺は宿屋の中に入る。すると奥のほうから騒がしい音が聞こえてきた。
その音を頼りに進んでいくと、かなり大きな大部屋にたどり着いた。
扉は開け放たれており、中から男の声と大勢の女の声が聞こえてくる。
「どこだ? どこだ~? 可愛い子ちゃ~ん」
「こっちですよ! ジャック様!」
「いえいえ、こっちです!」
そこでは目隠しをした中年のおっさんが、十数人の遊女を追いかけて遊んでいた。
酔っぱらっているのか、おっさんは千鳥足だ。
遊女はおっさんが近づくとヒラリと逃げてしまい、また追いかけっこが始まる。
まったく、本当にろくでなしだな。
そんな風に思っていると、目隠ししたおっさん、ジャックが酒の瓶を手に取って一気に飲み干す。
「ぷはぁ!」
「すごい飲みっぷり!」
「そうだろ、そうだろ」
遊女から拍手をもらい、ジャックは機嫌良さそうに笑う。
そしてそのまま何の前触れもなく、物陰から中を見ていた俺に向かって酒瓶を投げつけてきた。
俺はそれを結界で受け止める。
「なんか酒が不味いと思ったら……野郎がいたんじゃ当たり前か」
「俺の気配に気づけるのに、遊女の気配に気づけないわけないだろ。奇特な遊びだな」
目隠しをしていようが、遠くの敵を射抜けるほどの達人。
それがジャックだ。伊達に弓神だなんて呼ばれていない。
遊女は声をかけて避けているつもりだろうが、ジャックはいつでも捕まえようと思えば捕まえられる。
まさしく茶番だ。
「おいおい。どうも聞いたことのある陰気な声だと思ったら、お前かよ」
「久しぶりだな。ジャック」
そう言って俺は自分の幻術を解く。
ジャックに見抜かれているなら魔力の無駄だ。
どうせここは貸し切り。
多少、遊女が騒いだところで問題にはならないだろう。
「何のようだ? シルバー。俺は忙しいんだよ」
「そうは見えないが?」
俺の言葉を受けて、ジャックは騒然としている遊女を自分の腕に抱える。
「俺は可愛い子ちゃんと遊んでるんだ。見てわからないなら、その仮面を捨てちまえ」
「愛人に振られたと聞いたが? そんなことをしていると他の愛人にも振られるぞ?」
「おい……お前、俺に喧嘩を売りにきたのか?」
そう言ってジャックは遊女から手を離し、ゆっくりと俺を睨む。
明らかに先ほどまでとは別人だ。
遊女たちもその変わりように恐れを抱いたようで、ジャックから一斉に距離を取っている。
「喧嘩をするつもりはない。今日は頼みがあってきた」
「頼みだと? ふん、なんだろうと聞く気はないな」
「ふっ、そうやって話を聞かないから妻子にも逃げられるんじゃないか?」
俺の一言が決め手だった。
ジャックは真っすぐ俺に突っ込んでくる。
それを見越していた俺は、自分の目の前に転移門を開く。行き先はエゴールの家だ。
「先に行って待ってろ。荷物は持っていく」
「なっ!? シルバー!! てめぇ!!」
ギリギリでジャックは踏みとどまるが、俺は後ろに回ってその背を押す。
ジャックはそのまま成す術なく、転移門の中へと吸い込まれていった。
確保完了。向こうで暴れてもエゴールが対応するだろう。
これぞ大人の戦い。
「さて、あいつの荷物はどこだ?」
俺が質問すると、遊女たちが同じところを指さす。
そこには簡単な手荷物と弓が置かれていた。
さすが放浪の弓神。身軽だな。
そんなことを思いつつ、俺は素早く荷物を持って開きっぱなしの転移門に入ったのだった。