第二百七十七話 ザンドラ死す
セバスの言葉を受けて、俺は周りを見回す。
部屋は明かりに満ちているが、カーテンは閉められている。
ベッドから立ち上がり、カーテンの向こうを見ようとするが、思ったよりも体の筋力が衰えているようでふらつく羽目になった。
「ちっ……」
「ご無理はいけません。魔法で体の維持はしていたとはいえ、筋力の衰えは完全には防ぎきれません」
「どうせ、元々大した体じゃない」
魔力で体を強化し、俺はカーテンを少し開く。
外はそろそろ日が落ちようとしていた。
今日が最終日だというなら、死ぬのは今日の晩だ。
「ザンドラは外か?」
「いえ、最初の三日間は見せしめとして晒されましたが、多くの嘆願が寄せられて、今は部屋に閉じ込められています」
「自分たちで見せしめを望んだのに、次は嘆願か……」
「帝毒酒は国の秘毒です。噂こそされていましたが、その苦しみようは常軌を逸しています。もがき苦しむ様を見て、憂さ晴らしを望んだ層も、想像を超える光景に心を折られたのでしょう」
「想像を超えているんじゃない。想像力が足りないんだ。帝国の皇族が皇帝に弓を引き、民の想像程度の仕打ちで済むわけがない。考えればわかるだろうに……」
帝毒酒の苦しみようは拷問を生業とする者ですら、眉を顰めるほどだ。
普通なら死んでいるような状態だが、絶対に死ねない。それが帝毒酒の根幹。七日間の地獄を与えられてからようやく死ぬことができる。
大陸最狂の毒であることは間違いない。
それを実の娘に使ったということは、父上はザンドラを決して許さないということだ。
心の内はわからないが。
「ザンドラの部屋には誰がいる?」
「陛下は看取ることを禁じられました。反逆者には孤独がふさわしいと」
「そうか……じゃあ少し行ってくる。俺の仮面はあるか?」
「シルバーとして赴くのですか?」
「父上なら……もしかしたら自分だけで看取るかもしれないからな」
「重臣たちの目があります。それはないかと」
「用心のためだ」
「かしこまりました」
セバスは一礼して俺の仮面を取り出す。
それを被り、服を着替えると俺は転移門を作り、ザンドラの部屋へ向かった。
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部屋に転移すると真っ先に気づいたのは血の匂いだった。
ザンドラの部屋はあちこちに血の跡があった。すべてザンドラの血だろう。
これだけ血を吐き出しても死ねないというのは、不思議なものだ。
そして地獄の最中にあるザンドラはベッドにいた。髪は乱れ、やせ細り、肌は土色。一見すると死体にしか見えない。
しかし、辛うじて生きてはいた。
「……シル……バー……?」
俺に気づいたザンドラはフッと笑う。
もはや痛みも感じないんだろう。死はもうザンドラのすぐ後ろまで来ている。
だからか、ザンドラの顔には意外なほどすっきりとした表情が浮かんでいた。
「笑いにきたのかしら……? あなたの登場で最後の希望を断たれた私を」
「そういうわけではない。いくつか聞きたいことがある」
「そんなに時間はないわよ……私はもう死ぬわ……」
「そこは頑張ってほしいものだ。これには確実に答えてもらおう。魔奥公団について知っていることを話せ」
魔奥公団。
その名を聞き、ザンドラは少し眉を動かした。
そしてザンドラは俺に向けて右手を向けた。その右手には魔力が宿っていた。
「そんなこと教えると思っていて……?」
「どうだろうな。だが、多くのことを知っているはずだ。禁術を求めるならば、あの組織に接触したほうが色々とメリットがある」
真っすぐにザンドラを見つめる。
するとザンドラの手が小さく光った。
禁術使いとして名を馳せたザンドラの魔法とは思えない。初歩の初歩。小さな光弾を発射する魔法がザンドラの手から放たれた。
それは俺の顔の横をゆっくりと通り過ぎ、俺の背後の壁に当たった。
そしてザンドラは疲れたように右手を下げる。
「知りたいなら……勝手に調べなさい……」
「隠し棚か」
後ろを見ると壁に穴が開いていた。ザンドラの魔力に反応して開く仕組みだったんだろう。
そこには一冊の手記が入っていた。
「母が……魔奥公団と繋がるようになったのは十年以上前よ……そしてそれから母は変わったわ……」
「どう変わったと?」
「母は第二妃に張り合い、私にはリーゼロッテに負けるなと教えてきたわ……けれど、そのうち皇帝を目指すように言ってきた……そして禁術でリーゼロッテたちを呪い、第二妃を殺すまでになったわ……」
「魔奥公団が変えたと?」
「知らないわ……ただ、私もそのうち母の言動を疑問に思わなくなった……どうしてかしらね……? 幼い頃、皇帝位なんて興味なかったのに……帝国を皇国に負けない魔法大国にしたくて、魔法のより良い利用法として禁術を研究していたはずなのに……そのうち人を呪うために禁術を研究するようになってた……」
ザンドラは自嘲的な笑みを浮かべた。
変化の結果、今のザンドラがある。
今回の帝位争いはおかしい。多くの者がそれを感じている。その変化は一気に訪れたモノじゃない。徐々に徐々に、皇族を侵食していたものだとしたら。
闇は俺が思うよりも根深い。
「そこには幹部と支部の場所も書かれているわ……せいぜい頑張って潰しなさい……」
「ありがたくいただこう」
「……どうしてこうなったのかしらね……」
「……あなたが利用されたにせよ……あなたがしたことは許されない。多くの者が死んだ」
「わかってるわ……私が一番、私がした愚かな行為をわかってる……私は血のつながった妹を……実験に使おうとしたのよ……おぞましいことこの上ないわ……その他にも多くの凶行に手を染めたわ……狂ってたのよ……」
ザンドラは自分の両手をみつめる。その手は微かに震えていた。
その姿は意外にも過去のザンドラのイメージに一致する。
性格は苛烈でお世辞にも優しくはなかったが、しかし、今ほど狂った性格ではなかったと記憶している。
転移門で去ろうとした俺の足が止まる。
ザンドラに同情の余地はない。たとえその人格が何者かによってゆがめられたとしても、帝国の民に与えた被害は消えない。罪は決して消えない。
だが、俺の脳裏にはかつての記憶が繰り返されて流れる。
まだ俺が五歳くらいの頃。父上の狩りに家族でついていったことがあった。
森の中で動物を見つけた俺は、それを追って迷子になった。そんな俺を見つけたのはザンドラだった。
悪態をつきながら、伸ばされた手の温かみがどうしても消えない。
「まだ何か質問が……あるのかしら……?」
「いくらでもある。だが……もう持つまい」
「そうね……一人寂しく死ぬとするわ……母を見捨てて、父も裏切ったのだから……当然……ね……」
ザンドラの声が少しずつ小さくなっていく。
思わず、俺はその手を握ってしまった。
「なんの……つもり……?」
「あなたは許されないし、許さない……けど、昔の借りだ。不満でしょうが、俺があなたの最期を看取ります」
そう言うと俺は仮面を外す。
ザンドラは俺の顔を見て驚いたように目を見開くが、やがて納得したように笑った。
「どうして……私じゃなくてレオナルトに肩入れするのか謎だったけど……納得したわ……」
「いやいや、レオがいなくてもあなたには肩入れしないですよ」
「生意気ね……まったく……初級魔法一つ撃てなかった子が……古代魔法の適性があるなんて……誰も思わないわ……」
「でしょうね。俺もびっくりでしたよ」
「……でも甘さは変わらないわね……その甘さが命取りになるわ……私に同情なんてしなくていいのよ……」
そう言ってザンドラは俺の手を払う。
そしてその手がゆっくりと探るように俺の顔に迫る。きっともう目も見えないんだろう。
手が俺の頬に触れる。撫でるように触るとザンドラがつぶやく。
「さすが……私の弟ね……」
「ザンドラ姉上……」
「……エリクに気をつけなさい……お父様を……お願いね……」
そう言い残すとザンドラの手から力が抜け、下へ落ちた。
目は半開きになり、体に残っていた微かな生気も消え去った。
俺の姉であるザンドラは今、死んだのだ。
歯をかみしめ、俺は拳を握る。
不自然さを出さないために、ザンドラの遺体には手をつけず、隠し扉だけを直して俺はその場を去った。
そして部屋に戻った俺は、ベッドに幻術を作り出す。
「すぐに発たれますか?」
「時間が惜しい」
「……何かありましたかな?」
「何もないさ。ただ情報収集してきただけだ」
「その割には声が悲し気ですな」
「……」
俺はセバスの言葉に答えず、ザンドラの手記をセバスに渡した。
そして強い口調で告げた。
「魔奥公団を探れ。徹底的にだ」
「仰せのままに」
何も言わず、ただセバスは一礼する。
それを見て俺は深呼吸すると転移門を開く。
「では行ってくる」
「お気をつけて」
そして俺は転移門に入ったのだった。