第二百五十八話 不和の風
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一人隊列を抜け出したウィリアムは帝剣城の中層にある広場に着地した。
そしてクリスタをそっと降ろす。
クリスタはウィリアムから少し距離を取る。その手には虹天玉が入った袋が握られているため、ウィリアムは静かに手を差し出した。
「それを渡すんだ。クリスタ殿下」
「嫌……」
「子供に怖い思いをさせたくはないんだ」
「リタを打ち落としたのに……」
「彼女は子供じゃない。君の騎士だった」
情けはかけた。殺さないという情けだ。
しかし、騎士として扱ったつもりだった。それが最低限の礼儀だろうと思ったからだ。
だが、リタとクリスタは違う。
守る側と守られる側。虹天玉の入った袋を拾った行動力は勇敢といえた。さすがはアードラーの一族だと感心したりもした。
しかし、それだけだ。クリスタは戦士ではない。
「さぁ、早く渡すんだ」
「渡さぬなら腕を斬り落とすくらい言ったほうが効果的だぞ?」
「……」
遅れてきたゴードンがそう言って、クリスタに近づいていく。
そのゴードンの前に槍を突き出し、ウィリアムは動きを止めた。
「何の真似だ?」
「彼女と虹天玉を手に入れたのは私だ。処遇については私が決める」
「ふざけるな。お前はあくまで協力者。立場を弁えろ」
「立場か。ならば戦功者への褒美というならどうだ? よもや戦功を立てた者に褒美もやれぬとは言うまい?」
ウィリアムの言い分にゴードンは眉を顰める。
しかし、ここで揉めても仕方ないと考えたのか、一歩引いた。
それを見てウィリアムは静かにクリスタに近づくと、その手にある袋を音もなく奪い取った。
「え……?」
「よく頑張った。しかしここまでだ」
そう言ってウィリアムは袋をゴードンに投げ渡す。
ゴードンは気分良さそうにそれを受け取ったが、そんなゴードンの機嫌を損ねる甲高い声が広場に響いた。
「ゴードン!!」
「ちっ……何の用だ? ザンドラ?」
広場にやってきたのは怒り心頭といった様子のザンドラだった。
ゴードンは不機嫌さを隠そうともせず、ザンドラに対応する。
それが気に食わないのか、ザンドラはさらに怒りを爆発させた。
「何の用? ふざけないでちょうだい!! あんたの部下が無能なせいで、城は無茶苦茶なのよ! 最後の虹天玉を探すどころじゃないわ!」
「なに?」
「敵に幻術使いがいるわ! そいつが私に化けて、エストマンを逃がしたのよ! あんたの部下はご丁寧にその偽物の私に従って、私を攻撃してきたわ! 城の上層にいたエストマンの部下たちはエストマンに従って、皇帝側についたわよ!」
「なんだと……!? 城のことは任せたはずだぞ!」
「私のせいだと言いたいわけ? 責めるなら禁術を見せても私を捕まえようとしてきた、あんたの無能な部下を責めなさい! 天球の台座には近衛第一騎士隊が襲撃を仕掛けてきてるわ! ラファエルが守っているけれど、相手がアリーダじゃどうなるかわからないわよ!」
すべてが順調だった。そのはずだった。
しかし、自分の周り以外では問題がどんどん発生していた。
そのことにゴードンは苛立ちを隠せなかった。
無能な弱者たちはこれだから困る。
「使えん奴らだ。お前も含めてな、ザンドラ」
「はっ、嫌味を言ってる暇があったら動いたらどう? 偽物が出た以上、兵士は私の言うことを聞かないわ。さっさと問題を解決しなさい、将軍」
「ちっ……お前はこれを台座にセットしろ。俺は城の中を制圧する」
そう言ってゴードンはザンドラに虹天玉の入った袋を渡し、城内の制圧に乗り出そうとした。
しかし、それをザンドラが止めた。
「待ちなさい! この脳筋!!」
「なにぃ? 死にたいのか?」
「あんたには脳筋以外の言葉は似合わないわよ! 持ってみて気づけないのかしら? これは偽物よ!!」
そう言ってザンドラは袋を地面に叩きつけた。
袋から転がり出た宝玉は見た目は間違いなく虹天玉だった。しかし、皇族の中でも優れた魔導師であるザンドラにはすぐにわかった。
これが精巧につくられた偽物なのだと。
「魔力も見た目も似せているけれど、本物の虹天玉はこんなもんじゃないわ! まんまとはめられたわね!」
「なん、だと……?」
ゴードンは目を見開き、転がる偽物の虹天玉を見つめる。
やがて憤怒の表情を浮かべ、ゆっくりとクリスタへと近づいていく。
「謀ったか! クリスタ!」
「よせ! 動きは間違いなく本物を守る動きだった! 味方すら謀った者がいる! 彼女に当たるだけ時間の無駄だ!」
「やかましい! なぜ偽物だと気づかなかった!?」
「お前に気づけないものを私が気づけるわけがない。責任問題を持ち出す前に今後のことを考えろ」
「くっ……!」
ゴードンは苛立ちながら状況を整理する。
城内は混乱しており、天球はいまだ三段階目。最低でもあと一つ。虹天玉が必要になる。
帝都だけを見ればいまだゴードンが優勢だが、帝都の外には皇帝への援軍が着々と近づいているはずだ。
これ以上、長引かせるわけにはいかない。
しかし、城内の制圧にせよ、東門の制圧にせよ、時間がかかる。
帝都には多くの将軍がおり、大半がゴードン側についているが中には皇帝へ忠誠を誓っている将軍もいる。
また帝都にはそれなりの護衛を引き連れている貴族もいる。ゴードンが勝つか、皇帝が勝つか、静観を決めていたり、あえて動かずに警戒させてゴードンの動きを妨げたりと狙いはまちまちではあるが、彼らは無闇に動かずに戦力を温存している。
それらを押さえたり、備えたりするのにも戦力を割いているため、全戦力を皇帝に向けることができないというのがゴードンの弱点だった。
どうするべきか。
ここから一気に流れを引き戻すには何ができるか。
そう考えているとき、ゴードンの視界にクリスタの姿が映った。
「は、はっはっはっ!! まだチャンスはあるぞ! 拡声の魔道具を持ってこい! 敵に最後通告を出す!」
「何をする気だ……?」
「リーゼロッテはクリスタを見捨てられん! クリスタを人質としてリーゼロッテを無力化する!」
「馬鹿な! 仮にも帝国元帥がその程度で揺れるはずはない! デメリットしかないぞ! やめろ!」
「貴様の小言は聞き飽きた! 騎士道精神に反するからといって、俺の邪魔をするな!」
「同盟相手として賢明な判断を促しているだけだ! やるならせめて使者を立てろ! 帝都中に脅し文句を伝えれば、民の支持も兵士の支持も失い、敵を作るだけだぞ!!」
「使者を立てれば長引くだけだ! 俺は交渉をする気はない! 断るなら結構! クリスタを城から突き落とし、自らの過ちを思い知らせてやろう! 激怒して攻め込んでくるなら、その隙に父上の首を取る!」
ゴードンはそう言ってクリスタの腕を引っ張り、広場の外周へと向かう。
城の中層とはいえ帝都のどの建物よりも高い。落ちれば間違いなく命はないだろう。
ウィリアムはゴードンの愚行に顔をしかめつつ、ザンドラに視線を移す。
「ザンドラ皇女。止めねば待っているのは破滅だぞ?」
「そうね。ゴードン、脅すのはいいけれど突き落とすのは駄目よ。クリスタは私にちょうだい」
「なにぃ?」
「人体実験の道具にするわ。ザンドラに引き渡すといえば、リーゼロッテもさすがに冷静じゃいられないはずよ」
愉快そうに笑うザンドラを見て、ウィリアムは気が遠くなった。
この状況で脅すのは構わないと言ってしまう神経が理解できなかったからだ。
それに対して、ゴードンは考えておこうと返した。
思わずウィリアムは空を見上げる。こんな晴れ渡った空ならば、何も考えずに飛べばさぞや気持ちいいだろうなと思いふける。
だが、いつまでも現実逃避もしていられない。
気持ちをすぐに持ち直し、ウィリアムは言葉を重ねる。
「考え直せ、ゴードン。決してお前の思い通りにはならん。甘い幻想を追いかけず、現実を見ろ。逆転の一手などという都合のよいものはない。使える戦力をすべて動員し、皇帝を討ちにいこう。私も出れば可能性は格段に上がる。皇帝さえ討てれば、援軍が来たとしても問題ない。帝都を捨てて、北部を拠点として帝国内を制圧すればいい」
「ふん! そんなことを言って、お前の思惑は透けて見えるぞ? どうにかして俺が連合王国に頼る状況にしたいのだろう?」
「だとしたらどうだ? それで何が変わる? お前の策が成功したとしても、諸侯はお前には従わない。それを短期間で制圧するには我が国の力が必要なのだろう? 結局、お前は連合王国を頼る。私が思惑を巡らせる必要がどこにある?」
「どうだか。どうせ反乱が終わって、帝国が乱れ始めたら私たちを裏切る算段なんでしょう?」
ザンドラの言葉にウィリアムは爪が食い込むほど拳を握り締めた。
勝手にしろと言いたかった。しかし、それは許されない。
ゴードン側についた以上、ゴードンに勝ってもらわなければ困る。ウィリアムの双肩には連合王国の命運がかかっていた。
万が一、ゴードンが皇帝を殺すことに失敗したら。
大陸最強の帝国の怒りが連合王国に向く。
連合王国、藩国、王国の三か国で戦ったとしても、勝てるかどうか。
いくら弱体化しようと帝国はどこまでいっても帝国なのだ。
皇帝が生存してしまえば、混乱期も短い。付け入る隙がなくなる。
そもそもウィリアムは王国と藩国はアテにしていなかった。三か国はゴードンを支援するという名目で手を組んだが、これほど信頼関係のない同盟は歴史的に見ても稀だ。
いつ裏切るかわからない同盟国。それを抱えながら戦えるほど帝国は甘くはない。
だからこそ、この状況は千載一遇のチャンスだった。
「私の思惑を探るのは結構! 好きにしろ! しかし、言うべきことは言わせてもらおう! お前の策は中立の立場の者たちを敵に回す! そうなれば皇帝を討つのはより難しくなるぞ!」
「敵になるなら望むところ! すべて粉砕してくれる!」
「いい加減にしろ! 目の前の敵をいともたやすく粉砕できるなら、人質を使う必要もない! お前はお前が思うほど強くはない!! 敵を増やすな! 味方を増やせ!」
「ふん、貴様とは平行線のようだな。俺は俺のやりたいようにやらせてもらう。気に食わんなら国に帰れ」
そう言ってゴードンは部下が持ってきた魔導具を受け取り、帝都中に声を拡散させた。
「帝国元帥、リーゼロッテ。聞こえるか? 聞こえているならば即刻皇帝を差し出せ。さもなければクリスタを処刑する」
竜騎士であるウィリアムは風の流れに敏感だった。
風が突然、正反対に吹き始めたのを感じとったウィリアムは小さくつぶやいた。
「向かい風となったか……」
風向きが変わった。
きっとこの風向きを再度変えるのは至難の業だと思えた。
それでもウィリアムは諦めるわけにはいかなかった。