第二百四十九話 急ぐ者たち
ゴードンが攻撃の手をやめた夜。
いまだ皇帝ヨハネスと第三皇子ゴードンの対立が続く帝都ヴィルトにとっては、静かで、しかし不気味な夜。
そんな夜の中、疾走する一団があった。
「さすがは聖女様ね。全員の移動速度を上げるなんて驚きだわ」
一団は空と陸の二手に分かれていた。
陸は千を超える騎馬隊。空は鷲獅子、そしてそんな鷲獅子と同じ速さで空を飛ぶ騎士たち。
レオたちだ。
「でも負担は大きそうだよ」
「わかるわ。聖剣も使えばとても疲れるし。でも……今は速さが欲しいとき。気を遣ってはいられないわ」
レオの隣でエルナがつぶやく。
聖杖の持ち主、レティシアは聖杖を発動させて全員の移動速度を上げていた。
その効果によってレオたちは帝都まであと半日というところまで迫っていたのだ。
しかし、その代償も大きかった。
移動速度を上げたといっても、体力までは上がらない。
ネルベ・リッターの兵士たちからは離脱者が続出しており、鷲獅子騎士たちも疲労を隠せなくなっていた。
もっとも、一番疲れているはずのレオは一団の先頭を駆けていた。
いつも以上に速度を出している鷲獅子に跨るのは、それだけで体力は相当消費する行為だが、レオにとってそれは苦にはならなかった。
辛いことは辛い。しかし、それをどうでもいいと思えるほどの一大事だったからだ。
「……そうだね。レティシアも僕らの気持ちを汲んで、辛い中で聖杖を使ってくれているんだ。気を遣うのは失礼だったね」
レオはそう言って少し後ろを見る。
聖杖を発動させているレティシアは、ほかの鷲獅子騎士の後ろに乗っていた。
疲労困憊の中で、さらに聖杖を使っているため、いつ意識を失うかわからなかったからだ。
それでもレティシアは聖杖を使い続ける。
自分の救助のために帝国の重要戦力が帝都を離れてしまったこと、そして自分を助けるためにアルが戦力の大半をレオに渡してしまい、危険に晒されていること。
すべて自分のせいだとレティシアは自分を責め、今も杖を握り締める。
しかし、心にあるのはそれだけではなかった。
アルにもしものことがあればレオが壊れてしまう。そんな予感があった。だからレティシアは疲れた体に鞭を打つのだった。
レオと自分自身のために。
「これで反乱なんてありませんでしたってなったら笑えないわよ?」
「そうだったらいいんだけどね……ヴィンは常に多くを予想して動く。そのヴィンが可能性が高いと踏んだんだ。帝都で何かが起きるのは間違いないと思うよ」
軍師のヴィンは正確にゴードンの反乱を予測した。あらかじめネルベ・リッターと行動をしていたのも、それに備えるためだったからだ。
ヴィンとアルノルトにとってゴードンの反乱は予想の範囲内。予想外だったのはレティシアが攫われたこと。
本来ならば帝都へすぐに駆け付けられる位置にいるはずだったネルベ・リッターが、帝都からかなり距離を取ってしまった。
その誤差を埋めるためにレティシアの聖杖を使っているわけだが、それでも時間はかかっている。
それがレオには気がかりだった。
「反乱に求められるのは速度だ。グズグズしてたら援軍が駆けつけるからね。ゴードン兄上もその周りにいる将軍たちも、そこを外したりしないと思う」
「反乱が終結している可能性のほうが高いって言いたいの?」
「……そうだね。何もなければ反乱は成功するんじゃないかな」
「陛下はもちろん宰相もいるのよ? 何も備えてないとは思えないわ」
「うん、僕もそう思う。問題はどういう手を打ったのか。その一手次第で稼げる時間は決まってくる」
半端な手で稼げる時間はたかが知れている。
反乱を狙うならば最終日の武闘大会。
正午から始めるその行事中に反乱が起きたとすれば、すでに反乱開始から半日ほどが過ぎたことになる。
果たして間に合うかどうか。
焦りが心の中に生まれるが、レオはそれを無理やり封じ込めた。
焦ったところで速度は変わらない。つまりは何も変わらないからだ。
「アルは……大丈夫よね?」
「大丈夫だと思う。兄さんは勝ち目のない戦いはしない。セバスを僕らのほうに寄こしたってことは、いなくてもどうにかなると思ったからだ。今は信じよう。兄さんを」
「そうね。アルなら大丈夫よね。きっと、いつもみたいに悪だくみしてるわ」
自分に言い聞かせるようにエルナがつぶやく。
その言葉を聞いて、レオはゆっくりと息を吸う。
負の感情は伝播しやすい。自分が不安がればついてくる者たちも全員、不安に駆られる。
「うん。帝都に僕らはいないけど、頼りになる人たちはまだいる。父上もいるし、宰相もいる。それにいざとなればトラウ兄上だっているし、大丈夫だよ」
「トラウゴット殿下の名前が出てくると色々心配になるわ……」
「いや、まぁ変わってるけど凄い人だよ?」
余計に不安そうな表情を浮かべたエルナにフォローをいれつつ、レオは前を向く。
アルが本当に一人ならば心配でたまらないが、周りにはまだ家族がいる。
「大丈夫。兄さんは家族を大切に思う人だから。家族と一緒にいる兄さんは強いよ」
それは純粋な言葉だった。
自分のためには頑張れないし、頑張らない。それがアルという人間だった。
だからこそ、周りに人がいると思うと安心できる。
「きっと兄さんは一生懸命頑張ってる。同時に僕らを待ってるはずだよ。兄さんは頑張るの嫌いだから。早く後は任せたって言いたいだろうし、急ごう」
「そうね。アルならきっとそうだわ」
そう言って二人は帝都へ急ぐのだった。
■■■
その帝都の東門。
本来なら兵士の休憩室として使われている部屋に、二人の人物が閉じ込められていた。
ゴードンの実弟であるコンラートとザンドラの実弟であるヘンリックの二人だ。
「エリク兄上! 僕は何も知らなかったんです! どうか解放してください!」
そんな二人の前にエリクが現れた。
その体には返り血がついていた。
つい先ほどまで剣を握って前線に出ていたからだ。
剣は得意というほうではないが、鍛錬を怠ったりはしてこなかった。頭脳だけの男に人はついては来ない。いざというときに剣も握れぬ者では誰の信も勝ち取れない。皇太子を長く見てきたエリクはそのことをよくわかっていた。
強くなくてもよいが、前線に出て兵士を鼓舞する気概がなくては皇帝にはなりえない。
「言いたいことはそれだけか? この状況で父上の無事も聞けないとは、それでも皇族か?」
「うっ……それは……」
「エリク兄上が無事ってことは父上も無事なんでしょうね。喜ばしいことで」
部屋の床で横になっていたコンラートがふわーっとあくびをする。
それを見てエリクは眉をひそめた。
「ヘンリックはともかく、お前は何か聞いていたのではないか? コンラート」
「聞いてたら一緒に城に残ってますよ。あそこで反乱起こしたら俺が捕まるじゃないですか。俺は俺の命が大事なので」
「ふん、どうだかな。お前は食えん男だ。これが終われば取り調べをする。覚悟しておけ」
「怖い怖い。まぁ覚悟だけはしておきますよ」
そう言ってコンラートはまた床に寝始めた。
それを見てエリクはその場を後にする。
この場に来たのは何か有益な情報を二人が知っているのではないかと思ったからだが、今の様子では何も知らないようだった。
「どうでしたか? エリク殿下」
「宰相か。無駄骨だったな。元々ゴードンにしろ、ザンドラにしろ家族を大事にするタイプではない。あの二人は切り捨てられたと見るべきだろう」
「やはりそうですか。私も同意見です。しかし、そうなると人質にはなりませんな」
「そうだな。人質にならない二人に近衛騎士をつけるのは無駄だろう。空いた近衛騎士を私に貸してほしい」
「ほう? 何か策がおありですかな?」
「帝都にはまだ戦力がいる。私が動かそう」
エリクが何を言っているのか宰相はすぐに察する。
「なるほど。闇に乗じるとはいえ、包囲を抜けるのは危険では? それに簡単に彼らが動くとは思えませんが?」
「危険は承知。しかし今は私が長男だ。父上を守る義務が私にはある。それに交渉事は得意だ」
そう言うエリクを見て、宰相は一つ頷いた。
了承と受け取ったエリクはすぐに行動に移したのだった。




