第二百四十八話 日没
フィーネたちが脱出路に入ったとき、外では日が落ちようとしていた。
正午から始まったゴードンの反乱は、一日では決着がつかずに明日に持ち越されつつあった。
「元帥、敵の攻めが緩みつつあります」
「日が落ちてるところで攻めには出ないか。ゴードンめ。少しは頭を使うようになったな」
リーゼは目の前の敵軍を見ながらそうつぶやく。
東門を防衛拠点としたリーゼの軍はおよそ二千。それを囲むようにして攻めるゴードンの軍はおよそ八千。
約四倍の敵の攻勢を受け止められたのは、リーゼの指揮と皇帝の周りにいた近衛騎士たちの武勇、そして兵士の質の差。そのほか多くの条件が絡み合った結果だった。
しかし多勢に無勢であることは変わりなく、反乱に参加していない将軍たちの多くは捕らえられてしまい、帝都内での援軍も期待できない状況だった。
長引けば不利。しかし長引けば長引くほど希望も見えてくる。今はそういう不安定な状況だった。
時間が経てば兵士たちが疲弊し、綻びができる。しかし、その間に勇爵かエルナが駆けつければ状況は一変する。
そんな状況の中でゴードンは夜間の無理攻めはしなかった。
その程度で崩れるリーゼと兵士たちではないという認識と、夜間という視界が不明瞭な状況で攻めて逆襲を食らうことを恐れたからだ。
リーゼの兵は国境兵。常に守ることを意識して訓練された彼らは、夜間の戦闘でも問題なく戦える。
敵に対して一撃を加えて、包囲を突破することだってできた。
皇帝を闇に乗じて逃がせば、より有利になれる。
敵が攻めてきたならばそれを実行しようとリーゼは思っていたが、その作戦はゴードンが待機を選択したことで使えなくなったのだ。
「どうだ? リーゼロッテ」
「父上がいなければさっさとゴードンを奇襲して、その首を取るのですが、父上がいるので難しいですね。なので手こずっています」
「それは……すまんな……」
暗に邪魔だと言われてヨハネスは肩を落とす。
そんなヨハネスに対して、リーゼは逆に訊ねた。
「戦のことはお任せを。それよりも父上はどちらが先に来ると思いますか?」
「エルナか勇爵かということか?」
「はい。この状況を一撃で打破できるのは聖剣持ちのみ。帝国で聖剣を使えるのは今は二人だけです。聖女の救出にいったエルナか、事前に備えていた勇爵か。父上はどちらだと思われますか?」
リーゼの言葉を聞き、ヨハネスは少し黙り込む。
普通に考えれば勇爵の到着のほうが早い。
聖女を助けにいったエルナは、聖女を助けるまでは戻ってこれない。一方、勇爵は自分の判断で動ける。この差はあまりにも大きい。
しかし。
「来るならエルナであろうな」
「その根拠は?」
「城にはアルノルトがいる。アムスベルグ勇爵家は忠義に厚い。いつでも武力で帝国を奪えるにもかかわらず、常に剣であり続けた。そんなアムスベルグ勇爵家の者であるエルナも例外ではない。そしてエルナの忠誠は幼き頃からアルノルトに向いている。傍にいるレオナルトも同様だが、状況を知れば二人は死に物狂いでアルノルトを助けに来るだろう。そしてそれをアルノルトは狙っている」
「アルが仕組んだと?」
「あれは観察力に優れている。聖女の死の偽装にも気づいていた。そんなアルノルトがゴードンの不穏な動きに気づかぬとは思えん。それにもかかわらずアルノルトはセバスまでレオの傍に行かせた。いざというときに備えてのことだろう。そうであるならば、聖女を救出した流れで二人は即座に取って返してくる」
「なるほど。一緒に行くということをしなかったのは、あえて残って二人が全力で戻ってくるように仕向けるためだと。アルらしい手ではありますね」
「あれは人を使うのも上手いが、自分を使うのはもっと上手い。人質としての価値はほとんどないアルノルトだが、レオナルトとエルナには決定的な人質になる。自ら残ることで、アルノルトは二人にとっての枷となったのだ」
アルが帝都にいれば、必ずレオとエルナは帝都に戻る。それを最優先とする。
そこに対して余計な思考は一切ない。
全力で戻ってきて、ゴードンと戦うことになるだろう。
「セバスは二人が暴走しすぎたときの歯止め役といったところでしょうか」
「かもしれんな。それとセバスは使いやすい。帝都に攻め入るときには強力な戦力となるだろう」
「となると、城でもアルは動いているのでしょうね」
「期待はしている。覚えているか? レオナルトと二人でアルノルトは城の隠し通路を探し出していた」
「ええ、覚えています。手紙でも毎回、新しい隠し通路を見つけたと自慢していました。あの時は城の全体図でも書くつもりなのかと思ってましたが、ここに来て役立ちそうですね。アルは城に関しては誰よりも詳しい」
「遊びも無駄にはならんということだな」
そう言いながらヨハネスは少し遠い目をする。
城の中で遊びまわるアルを幾度も叱った。そのたびに反省した素振りも見せなかったアルだが、今ではその遊びの成果に期待している。
「人生とはわからんな。少し前はこんなことになるとは思わなかった。もちろん、アルノルトに期待する時が来るとも思わなかった。不思議なものだな……」
「いつでも先が見えれば苦労はしません。兄上の死にせよ、今回のゴードンの反乱にせよ。起きてしまった以上は変えれません。どう収めるかの問題で、大体のことは常に後手です。万全を期したつもりでも足りず、予想外のことは起こり続ける。しかし悪いことばかりではありません。予想の上が起きることもある。アルがいい例です」
アルは国中から出涸らし皇子と蔑まれてきた。
そのことをヨハネスはよく知っていた。
皇子を馬鹿にするとは何事かと思ったときもあったが、当の本人が何も言わない以上は皇帝として言うことは何もなかった。
ただアルにちゃんとしろと言うだけが、ヨハネスにできることだった。
そしてそう言うときには常に、心の中で小さな思いがあった。
見返してみろ、奮い立ってみろ。
そう思いながらヨハネスはアルを叱り、アルはそれを受け流し続けた。
しかし状況がアルを変えた。
レオが帝位争いに加わり、今まで見せて来なかった一面を見せ始めた。
「誰もがアルノルトのことを出涸らし皇子と呼ぶ。功績をあげても出発点が低すぎて、評価を改める者は少ない。きっとゴードンも侮り、蔑んでいるだろう。もしかしたら、それがあやつの命取りになるかもしれんな」
「そこまでやれたらアルを出涸らし皇子と呼ぶ者はいなくなるかもしれませんね」
「どうだろうな。アルノルトはきっと出涸らし皇子という言葉と扱いを気に入っている。実際、アルノルトは意欲というものに欠ける。有事にしか動かぬ者は評価しづらいものだ」
「考えればわかることだと思いますが。努力して優れる者は秀才。努力せずに優れる者は天才。アルはどう考えても後者です。アルは他者を出し抜くことに関しては天性のモノを持っています。そして天性のモノは得難く、評価に値する」
「その価値を見抜ける者ばかりなら苦労はせん。それにアルノルトはあえて評価されないように振る舞うところがある。きっと――あれはワシらにも見せぬ一面をまだ隠し持っている」
ヨハネスはそう言ったあと、ため息を吐いた。
そしてリーゼを見ながらつぶやく。
「ワシは自惚れておったのだろうな。それなりには立派な皇帝だったと自負していたが、子供の本質も見抜けぬ。だからこうして反乱も起こされた。許せ。苦労ばかりをかける」
「子が親を助けるのは当然。元帥が皇帝を助けるのも当然。許しを乞われることなど何もありません。私の方こそ謝らなければいけません。私は兄上の死後、国境に閉じこもった。辛かったのです。しかし、長女として父上をお傍で支えるべきでした。父上が一番辛かったのだから……私が傍にいればこのような反乱もなかったでしょう。お許しを」
そんなリーゼの言葉を聞き、ヨハネスはフッと笑った。
そして。
「反乱も悪くはないな。娘と本音で語り合えた……リーゼ。もしも敵がワシに近づいたときはわかっているな?」
「……はい。そのときは私が父上の命をいただきます」
「そうしてくれ。皇帝として反乱者に首を取られるわけにはいかん。お前に斬られるならば悪くはない」
そう言ってヨハネスは笑いながらその場を後にする。
残されたリーゼはゆっくりと包囲する敵軍、そして城を見つめた。
「ご安心を……父上を斬ったあとは愚か者たちもまとめてお送りします。あの世で愚行を詫びさせましょう」
どうかそうならないでほしいと思いつつ、リーゼは剣についた血を綺麗にふき取るのだった。