第二百四十六話 得をする者
カミラは忌々し気に俺を見ている。
しかし俺はそれを笑顔で受け止めた。
「〝帝国のためです〟。ご了承ください」
カミラが使った言葉をあえてそのままカミラに返す。
母上を囮に使って、自分が逃げ出すことが帝国のためなら、虹天玉のダミーを持って敵を引き付けるのも帝国のためなはずだ。
カミラは深呼吸をすると立て直して、俺に反論してきた。
「アルノルト皇子。なぜ虹天玉のダミーを持ち出す必要があるのですか? アリーダ騎士団長がここにいる以上、本物はここにあると敵は思うでしょう。効果が薄いにもかかわらず危険が大きい策かと思いますが?」
「ご安心を。本物も持ち出します」
「なんですって……?」
俺の言葉にカミラが怪訝な表情を浮かべた。
アリーダと近衛第一騎士隊が玉座の間を守る。この布陣をあえて捨てる意味がわからなかったんだろう。
実際、この布陣はかなり強い。並みの相手なら突破はできないだろう。
しかし敵も並みではない。
「ラファエル隊長が裏切った以上、ここで籠るのは得策ではありません。いずれ武闘派の将軍たちと共に彼がここに来ます。そうなればアリーダ騎士団長でも守り切るのは難しいでしょう」
「戦って負けるとは思いませんが、虹天玉を守り切れないかもしれないというのは認めます」
カミラに視線で本当かと訊ねられ、アリーダは冷静に答えた。
一対一でアリーダに勝てる者など限られている。ましてや魔法の使えない玉座の間だ。剣術だけで突破する必要がある。
勝つのは非現実。しかし足止めなら可能だろう。ラファエルならば。
そうなるとアリーダの部下たちで食い止めることになるが、いくら精鋭の近衛騎士といえど多勢に無勢ではいつか綻びが出る。カミラたちに人数を割くならなおさらだ。
「……では本物を私たちが持ちましょう」
「テレーゼ義姉上とアリーダ騎士団長が姉妹なのは誰もが知るところ。ましてや長兄の妻であるテレーゼ義姉上は国中に顔が知れています。この面子でアリーダ騎士団長が虹天玉を誰に託すか……一番可能性があるのはテレーゼ義姉上です。そんな人に本物を馬鹿正直に預けるわけにはいきません」
「囮になるというなら大変な危険に晒されますよ? アリーダ騎士団長は良いのですか?」
「……皇太子妃となった時点で姉は皇族です。帝国のためにその身を捧げるのは義務です。ましてや私たちはヴァイトリング家の者。カミラ様がおっしゃったとおり、我が家には弟が残した汚名があります。どこまでいっても、どのような身分になってもその汚名はいつまでも我が家とそれに関わる者に付きまといます。その汚名は働きで晴らすしかありません。姉上、私も命を賭けます。どうかお引き受けください。これも父上のためです」
「……わかったわ。私も……責務を果たします」
テレーゼ義姉上はアリーダの説得を受けて、深く頷いた。
カミラはそれを聞いて顔をしかめる。
帝国全体のことを考えれば、テレーゼ義姉上が囮になってくれるのはありがたい。
しかし、カミラにとってはまずいんだろう。
まず自分が危険に晒される。クリスタかテレーゼ義姉上が最優先だと自分で言ったばかりだし、クリスタを怖がらせた後だ。今更テレーゼ義姉上と一緒にはいかないとは言えない。
そしてカミラが一番困るのは囮であるテレーゼ義姉上に敵が反応しない場合だ。
素早く行動した俺とフィーネたちですら、城の下に向かうときには隠し通路を使うことになった。それなのにカミラは戦闘した様子もなく、城の上まで上がってきた。
こっちが隠し通路で苦労したのに、隙間を縫うだけで上に行けるだろうか? 人のいないルートを知っていたと言われたほうがしっくりくる。
よほど早く動いていれば別だろうが、それならどうしてそんなに早く動けたのかという疑問が浮かぶし、そうでないなら兵士が城を制圧中なのに上に来れるルートを見つけられたことが疑問だ。
どこまで行ってもカミラには疑念が付きまとう。
母上を囮に使ったという個人的な感情を抜きにしても、カミラには怪しさしか感じられない。
これは一つの試しだ。
テレーゼ義姉上に対して敵が反応しない場合、カミラはほとんど黒になる。そうなるとカミラの息子であるエリクだって黒くなっていく。
大抵の場合、異変が起きて得する奴は怪しい。
六人いる皇帝の妻のうち、ズーザンと第四妃は反乱側に回った。残るのは皇后と母上とジアーナ。
皇后の息子はトラウ兄さんであり、帝位につく意思がない。そうなると母上とジアーナが死んで、反乱が鎮圧された場合、後宮はほとんどカミラのモノとなるわけだ。
万が一、父上が死んだ場合、傍にいる皇后もかなり危ういだろう。そうなればカミラの地位はさらに盤石だ。
エリクにしろ、カミラにしろ、この反乱を潜り抜ければ邪魔者がいなくなる。ゴードンが邪魔者を排除し、そのゴードンを討伐する大義名分を手に入れられる。
そう考えれば後ろに潜む黒幕の姿も薄っすらと見えてくる。
だが、エリクはきっと尻尾を出さない。
どちらかといえばカミラのほうが尻尾を出す可能性は高い。
反乱が鎮圧されたあと、敵がカミラに近づかなかった場合、追及することができる。一度追及さえできれば証拠も見つけられるかもしれない。
「ではカミラ様。テレーゼ義姉上をお願いします」
「……テレーゼさんが良いというなら私が何か言うのは筋違いというもの。承りました」
もはや言葉ではひっくりかえせないと察したようで、カミラは大人しく引いた。
さすがはエリクの母親というべきか。そこらへんの見極めはちゃんとしている。
まぁすべてが誤解で、俺の早とちりという可能性もある。そうだとしても囮が目立てばそれだけ本命が安全を確保できる。
勝負の分かれ目は四つ目の虹天玉だ。渡さずに時間が経てば経つほど、こちらが有利になる。逆に四つ目がゴードンの手に渡り、天球を強化されてはお手上げだ。
だから絶対に渡せない。渡せばすべてが無に帰す。
「姉上。ダミーの虹天玉です。どうぞ、お気をつけて」
「ありがとう、アリーダ。じゃあ……行くわね。みんなも生きていたら笑顔で会いましょう」
そう言ってテレーゼ義姉上は隠し通路に入っていく。
その後にカミラとカミラの侍女や女衛兵、そして近衛騎士たちが続く。
時間を置いてクリスタたちも外に出ることになるだろう。
俺は今まで虹天玉が置かれていた台座を見る。
その下には仕掛けがあり、それをいじると台座の下が開いた。
そこには拳ほどの大きさの宝玉が隠されていた。
「それが虹天玉ですわね? すごい綺麗ですわ!」
ミアは後ろから覗き込みながらそうつぶやく。
しかし、俺は二つの宝玉を持ちながらため息を吐いた。
「これもダミーか。宰相もよくやるもんだな」
「それもダミーですの!?」
信じられないといった様子でミアが叫ぶ。
そりゃあ当然だ。この宝玉からもしっかりと魔力が感じられる。しかも相当に。
それをダミーに仕立てるなんて、もったいないことこの上ない。
しかし、だからこそ騙せるということだろうな。
「隠しておいたこれもダミーなら本物は騎士団長が持っているのか?」
「よくお気づきで。本物は私が持っています」
そう言ってアリーダは本物の虹天玉を取り出した。
それは俺が持っている物とそっくりだった。いや、俺が持っているダミーがそっくりなのか。
見た目ではほぼわからない。
ただし、魔力に敏感な者なら気づくだろう。本物の虹天玉のほうが底知れない魔力を感じる。
中に深淵が広がっているのではと思うほど、その魔力は深く、大きい。
「殿下は偽物を見分けるのが得意なご様子ですね」
「昔からさ。こういうことならレオにだって負けない自信がある」
アリーダはレティシアの死体の違和感を見破ったことも含めて言っているんだろう。
自分が嘘つきだからか、この手のことを見破るのは得意だ。なんでも疑うからな。俺は。
そんな風に思っているとアリーダは二つの袋を取り出した。どちらも同じ袋だ。
それに本物とダミーをいれる。
「どうぞ。どのように扱うかは殿下にお任せします」
「いいのか? 俺に任せて」
「ここまで多くの方を導いたあなたに期待します」
「そりゃあどうも。んじゃこっちでやらせてもらうよ」
そう言って俺は二つの袋を持ってクリスタたちのほうへ向かったのだった。