第二百四十二話 ヴァイトリング姉妹
オリヴァーが兵士たちを食い止めてくれたおかげだろう。
俺たちはすんなりと玉座の間までたどり着くことができた。
しかし、そこには先客の一団がいた。
「ご無事でなによりです。テレーゼ姉上」
そう言ってアリーダは、玉座の間の前までやってきた一団の中にいたテレーゼ義姉上に頭を下げた。
しかしその一団を率いるのはテレーゼ義姉上ではない。
「第三妃様もご無事でなによりです。テレーゼ姉上をお救いくださり感謝申し上げます」
「感謝などよいのですよ。アリーダ騎士団長。あなたの姉上を助けるのは当然のこと」
そう答えたのは眼鏡をかけた青い髪の女性。
穏やかな表情を浮かべているその女性の名はカミラ。
皇帝の第三妃にしてエリクの母親だ。
エリク同様、理知的な印象を他者に与える女性だが、同時に冷たさも同じくらい他者に与える。
「当然のことだというなら他の妃方も連れてきてほしかったですね」
そう俺は口を出す。
俺の姿を見て、テレーゼは悲し気に顔を伏せ、アリーダは少しだけ目を細めた。
この姉妹にとって俺はそういう存在だからだ。
仕方ないことだろうな。
「ご機嫌よう。アルノルト皇子、トラウゴット皇子とクリスタ皇女もご無事なようでなによりです」
「まったくもってご機嫌ではありませんね。これだけ早くここにいるということは反乱について勘づいていたのでしょう? なぜテレーゼ義姉上だけを連れてきたんです?」
「人質にされて困るのは彼女だけだからですよ。皇帝陛下に楯突いた前科があるヴァイトリング家。申し訳ありませんが近衛騎士団長もその一族。姉を人質に取られれば裏切るかもしれません。テレーゼさんは弟のために皇帝陛下に楯突いていますから。家族の情が厚いというのも問題ですね」
そう言ってカミラは薄く笑う。
それに対して俺は眉を顰める。
やっぱりこの女は嫌いだ。まだズーザンのほうがマシに思える。
「人質にされて困るというなら、他の妃方も困ると思いますが?」
「テレーゼさんほどではありません。どうやらあなたの母上を連れてこなかったことを怒っているようですが、ズーザンの恨みを買っているミツバさんを連れてくれば、私はもちろんテレーゼさんも危険です。帝国のためです。ご理解ください」
「帝国のため? ご自分が逃げるための囮にしたと正直にいったらどうです?」
「そういう見方もできますね。残念ですが」
ぶん殴ってやりたい。
そう思いつつ、俺は拳を作るだけで何もしなかった。
殴れば問題になる。言ってること自体は間違いじゃない。
考え方は母上と一緒だ。人質の価値がないから重要ではない。それは理解できる。母上が民に人気であり、見捨てれば民の信用を失うにしても、アリーダが裏切る可能性を考えれば小さいものだ。
俺はチラリとアリーダを見た。
お前が裏切るかもしれないから姉を連れてきたと言われたんだ。忠誠心の厚いアリーダからすれば心外だろう。
しかしアリーダは涼しい顔をしていた。
「近衛騎士団長は何か言うことないのか?」
「ありません。疑われるのも当然ですから。弟は罪を犯し、姉上はそれを皇后様の力を借りて助けようとしました。妹の私が疑われるのは自然なこと」
「裏切るなんて思っていませんよ。あくまで可能性を潰しただけのこと。さぁ、テレーゼさん。入りましょうか」
「はい……カミラ様」
カミラとテレーゼは玉座の間に入っていく。
それを俺は忌々し気に見つめる。
「アル兄様……お母様は……?」
「フィーネが助けに向かってる。ただ、集中砲火を浴びてるだろうがな」
後宮には人質候補が多い。
それだけ敵も分散する。そこをミアなら各個撃破できると踏んでいた。
しかしここにカミラとテレーゼがいるということは、ズーザンは容赦なく母上に戦力を集中するだろう。
きっとミアがいても苦戦することは間違いない。
しかもこれでフィーネが人質にでもなれば俺の責任となる。
自分の母可愛さにフィーネという重要人物を人質にしてしまったと。
まったく……予定通りいかないもんだな。
「フィーネとお母様は大丈夫なの……?」
「護衛はつけてるが……ここに来るのは一筋縄じゃいかないだろうな」
「それはカミラ女史も同じだったはずでありますが……まぁ蛇みたいな女性でありますから、隙間を縫ってきたのでしょう。反乱を事前に察知していたなら、兵士たちに監視をつけていたかもしれませんからな」
「それで囮にされるほうはたまったもんじゃありません。トラウ兄さん、三人を頼みます。俺は隠し通路で迎えに行きます」
「一人でありますか?」
「陰気な軍師がいます。彼と一緒なら危険は避けられるでしょう」
「不安でありますな。誰かを護衛に連れて行っては?」
「玉座の間に人が増えました。近衛騎士から人を出しましょう」
そうアリーダが提案してくる。
正直、ありがた迷惑だ。
大勢ならまだしも数人の護衛は俺にとってはハンデに近い。
俺一人なら大抵の場合はどうにでもできるからだ。
だから俺はその提案を断った。
「遠慮しておく。戦いに行くわけじゃないし、正規のルートを行くわけでもない。それなら玉座の間の周りを確実に確保していてもらいたい。ここが敵で一杯だと身動きが取れないからな」
「しかしあまりにも危険では?」
「危険は危険だが、俺一人のために護衛を割くのももったいない。それに玉座の間の戦力を薄くするのも危険だ。中に問題のある女がいるからな」
そう言って俺はカミラのことに言及する。
反乱を事前に察知していたにしても、ここに来るまでが早すぎる。
カミラの周りを固めるのは手練れというわけではない。ただの武装した侍女や女衛兵だ。
「敵と通じているから無事にたどり着けた。あり得る話ではありますな」
「この状況では全員を疑うべきだ。監視を頼む」
「……そういうことでしたら了解いたしました。お任せください」
アリーダはそう言って引き下がる。
それに頷き、俺はトラウ兄さんたちが玉座の間に入るのを見てから踵を返す。
だが、そんな俺の後ろからアリーダが声をかけた。
「アルノルト殿下」
「……まだなにか? アリーダ騎士団長」
「……弟は七日七晩苦しみ抜いて死にました。父はずっと傍で看病し、最期は家族で看取りました。しでかしたことを考えれば当然ですが……怒りがないと言えば嘘になります」
「当然だろうな。俺もレオが何か罪を犯して死を賜ったとしたら……怒りを抱えるだろう」
「……ご理解くださり感謝します。正直な話、あなたがフィーネ様の近くにいなければと思わずにはいられません。ですが……あなたは今もフィーネ様の傍にいる。弟はそれを許せずに死んだのです。ご迷惑かと思いますが、その思いを背負ってください。あなたが死に、フィーネ様が悲しむなら弟は何のために死んだのかわからなくなってしまいます。どうか私の心の安寧のためにも――生きてください」
それは意外な言葉だった。
真っすぐ俺を見つめる水色の瞳には曇り一つない。
本当にそう思っているんだろう。
おかしな人だ。
「死んでほしいとは思わないのか?」
「それで誰が救われますか? フィーネ様が笑顔なら……ラウレンツも満足でしょう。甘い考え、甘い思いだったかもしれませんが、それでも好いた人が笑っているのだから」
そう思えないからラウレンツは俺に喧嘩を売ったわけだが。
まぁそう思えば少しは救われるというなら拒否する理由もない。
「承った。元々死ぬ気はないがな」
「心より――感謝申し上げます。ご武運をお祈りしております」
そう言ってアリーダはフッと笑って俺を送り出したのだった。