第二百三十七話 トラウ兄上
俺はクリスタたちがいる部屋から少し離れた部屋に転移した。そこで幻術を解いてアルノルトへと戻る。
そのまま俺は素早く隠し通路を開ける。クリスタたちがいる部屋に繋がる隠し通路だ。
そこを駆け足で走り抜け、俺はクリスタたちがいる部屋の大きな衣装タンスに出た。
すると。
「デュフフフ……幼女が三人……儚げ幼女に元気幼女にロリフ!! 尊い! 尊い! 自分、これだけで何でもできそうでありますよ!」
そんなことを呟きながら、タンスの隙間から部屋にいるクリスタたちを見ている変態がいた。
しかもなぜか腕立てをしていた。
荒い息を吐いているのは疲れているからか、興奮しているからか。
とりあえず気持ち悪いので俺はそれを踏みつけた。
「おい、この状況でなにしてる?」
「ほげぇ!? そ、その声はアルノルト!? 非常事態に兄を踏みつけるとは何事でありますか!? そんな子に育てた覚えはないでありますよ!」
「育てられた覚えもありません。それにトラウ兄さん。とんでもない非常事態なので踏みつけているんです。今、まさに兄弟から犯罪者が出そうなので」
「そうでありますよ! ゴードンが反乱であります! 止めなければ!」
「いえ、ゴードンだけじゃなくてトラウ兄さんもです」
「じ、自分も!? 心外な! 自分のどこに犯罪者要素があるというでありますか!?」
本当に心外そうにトラウ兄さんが叫んだ。
それに対して俺も負けじと言い返す。
「全部ですよ! 頭から足まで、全部犯罪者要素しか感じられませんよ!」
「全否定ですと!? 自分が何をしてたと言うでありますか!? 幼女を眺めるのが犯罪だと!?」
「スレスレですよ! 大体見ながら息荒げてたでしょうが!」
「それは腕立て伏せをしていたからであります!」
「なんでタンスでしてるんですか!?」
「いざというときに幼女を守るためでありますよ! 久々に剣を持ったら重かったので!」
「今鍛えてるんですか!? もう遅いでしょ!」
「何事も遅いなんてことはないでありますよ!」
そう言ってトラウ兄さんは腕立てを再開した。
疲れるだけだと思うが。こんな短時間じゃ筋肉もつかないだろ。
そんな風に思っているとタンスが開けられた。
開けたのはクリスタだった。
「トラウ兄上、うるさい」
「も、申し訳ないでありますよ……クリスタ女史……で、でもアルノルトが来たせいでありまして……」
「人のせいにしないで。大声出すとウェンディが怖がるから静かにしてて」
「はい……申し訳ないであります……ああ、でもクリスタ女史と話せたでありますよ! ふふん! 羨ましいでありますか? アルノルト!」
完全に力関係がはっきりしてるな。
俺は可哀想な人を見る目でトラウ兄さんを見たあと、クリスタに腕を引っ張られた。
「アル兄様、いらっしゃい……こっち来て」
「じゃ、じゃあ自分も……」
「トラウ兄上はそこにいて。ウェンディが怖がるから」
「はい……」
クリスタにそう言われたトラウ兄さんは、言われたとおりタンスを閉めた。
ここまで来るなと言われるということは、きっと何かしたな。
そんなことを思いながら俺は部屋の真ん中に案内された。
そこではウェンディとリタが紅茶とお菓子を広げて、ちょっとしたパーティーをしていた。
「アル兄! いらっしゃい!」
「ご無事でなによりです。殿下」
リタはいつもどおり元気よく俺に挨拶し、ウェンディが控えめに頭を下げた。
なんというか……落ち着いてんなぁ。
ルーペルトとは大違いだ。
まぁ三人とも潜ってきた修羅場が違うからな。
クリスタもリタも命の危機に晒されたことがあるし、ウェンディはつい最近までダークエルフと一緒に行動せざるを得なかった。
それに比べればこの状況はまだまだ余裕があるんだろうな。
「三人とも無事でよかった。ウェンディ殿を助けたのはクリスタか?」
「うん……部屋にずっといると捕まっちゃうから」
「申し訳ありません……私のせいで予定を狂わせてしまって……」
「気にしないでいいよ。ウェンディが幻術で気づかないようにしてくれてるから無事なんだから」
そう言ってクリスタがウェンディに笑いかける。
といってもいつも無表情なクリスタだ。
微笑んだくらいの変化だが、それだけクリスタにとってはウェンディは大切な友人なんだろう。
秘密を共有していた仲ということであれば、俺とフィーネの関係に近いのかもしれない。
「アル兄、城はどんな感じだったの?」
「玉座の間は近衛騎士団長が固めてる。それ以外は兵士ばかりだな。上層はまだ少ないが、そのうち登ってくるだろうな」
お目当ての虹天玉は玉座の間にあるからな。
ゴードンが事前に一つも虹天玉を用意できていない場合、玉座の間の制圧は必須だ。
一つ用意できていた場合、手に入っていない虹天玉は三つ。
聖剣への備えも考え、ゴードンは四つでの展開をしたいはず。だから残る三つのうち、あと一つは手に入れたい。
二つは玉座の間にあり、もう一つは俺もどこにあるかわからない。
宰相のことだ。どうせ元々あった場所から移動させているだろう。
簡単には見つからない場所に隠しているだろうし、結局は玉座の間の制圧に動かなくちゃいけない。
しかし、城にはあと一つ隠されており、そちらを見つければアリーダを相手にしなくても済む。
だから全力で玉座の間に向かうことはしないし、できない。
いやらしい対策だ。
一つのところに戦力を集めず、分散させたのは敵の思考が読めているからだろう。あとは裏切りがあった場合の被害を最小限に抑えるため。
まぁそこは宰相も重要だとは思っていなかったんだろう。信頼できる近衛騎士隊長を配置すれば済む話だ。
問題なのは信頼できる騎士隊長が裏切った点。
「トラウ兄さん。聞こえますか?」
「なんでありますか? 自分、腕立てに忙しいのでありますが?」
「そのまま聞いてください。ゴードン側に近衛騎士隊長がつくメリットってありますか?」
「ほぼないでありますよ。近衛騎士隊長が裏切ったならば、よほど父上が嫌いだったか、もしくは他の目的があると考えるべきであります」
「ゴードンに忠誠を誓ったわけではないと?」
「軍を重用するゴードンに忠誠を誓ってどうすると? 軍での栄達を望むようなら最初から近衛騎士にはなっていないでしょうし、ゴードンの反乱はあまりにもリスキーであります。成功するかどうかはよくて半々といったところでありましょう」
「ですよね。たとえ父上を討ったとしても、絶対に各地の諸侯はゴードンを認めない」
「そうであります。そうなるときっと各地の諸侯は違う皇帝を担ぎ出すでありますよ。ゴードンに対抗できる人物はレオナルトかエリクのみ。とはいえ、レオナルトは帝都の外。皇帝の危機に傍にいなかった皇子は頼りないとみられるでしょうな」
どうやらトラウ兄さんの考えも俺と同じらしい。
今回の一件、おそらくゴードンの反乱という派手な光の裏で、どす黒い闇が蠢いている。
それが事態をややこしいことにしている気がする。
暗躍の糸は見えている。しかし、それをたどって犯人のもとにはたどり着けない。
どこまでいっても憶測だし、丁寧にたどっている暇がない。
俺たちはゴードンに対処しなければいけないからだ。
「良い隠れ蓑ということですかね、ゴードンは」
「そういう面もあると思うでありますよ。本人がどう思っているかはわからないでありますが」
たぶん本人は気づいていても気にしないだろう。
自分を操ることなど不可能とか思いそうだし。
そんなこと思っていると俺たちがいる階で兵士の叫び声が響き始めた。
どうやらお待ちかねの護衛が来たようだ。
「全員、移動の準備を。トラウ兄さん、どうやら来たようですよ?」
「そのようでありますなぁ」
そう言ってトラウ兄さんが汗だくでタンスから出てきた。
その姿にウェンディはひぃっと小さな悲鳴をあげてリタの後ろに隠れた。
「き、傷つくであります……」
「トラウ兄上が悪い。ウェンディにいきなり色んな質問するから」
「そんなことしたんですか?」
「ロリフを見て興奮が抑えきれず……不覚でありました」
自分としたことがと、トラウ兄さんは後悔をにじませる。
まったく、こういうところがなきゃ良い人なんだが。
クリスタはウェンディの幻術で気づかれていないと言っていたが、気づかれていないのは目立たない部屋に幻術がかけられているからだ。
この部屋に逃げ込む判断をしたのはきっとトラウ兄さんだ。
地味に良い仕事をする。
「トラウ兄上、汗臭い」
「ガーン! 妹に臭いと言われたであります!?」
クリスタはトラウ兄さんに容赦がない。
その原因はリーゼ姉上だ。
クリスタがトラウ兄さんを兄様と呼ばないのもリーゼ姉上の指示だ。
ある意味、リーゼ姉上が一番警戒しているのはトラウ兄さんなのかもしれない。
深く落ち込んだ様子を見せていたトラウ兄さんだが、突然、扉のほうに視線を向けた。
そして威厳のある声で告げた。
「入るでありますよ。我が兄の両翼よ」
その許可が出ると扉が開かれたのだった。