第二百三十六話 近衛騎士団長
俺は強さという点でこいつヤバイっていう感想を他者に抱くことはあんまりない。
SS級冒険者とか、エルナとか大陸屈指の例外たちくらいだろう。もしくは人間という枠組みを軽く超えてくるモンスターたちか。
そんな俺が久しぶりにヤバイと思った。
それだけ玉座の間の扉で戦うアリーダは強かった。玉座の間に入って戦うまでもないと言わんばかりに無双している。
玉座の間を目指す敵は精鋭部隊。
その数は百以上。そのほとんどが扉の前で冷たくなっていた。
アリーダによって斬り伏せられたのだ。
「ぐっ! 総員突撃体勢! 一気に突破するぞ!!」
指揮官と思わしき男が鼓舞する。
とはいえ、その指揮官も片腕を失っている。
いや、片腕で済んでいるというべきか。
残るのは十人ほどだが、無傷な者はだれもいない。
運よくアリーダの刃から逃れた者たちだ。しかし、彼らは無謀にも一斉突撃でアリーダを突破しようと試みた。
玉座の間の扉は大きい。とはいえ、大人が十人も突っ込むのは無理がある。
必然、前と後ろで分かれてしまう。
そうなればアリーダの思う壺だ。
澄んだ音が鳴り響く。
早業。そんな言葉が浮かぶ。
アリーダは突撃してきた兵士たちの首を余さず斬り飛ばしたのだ。
唯一生き残ったのは指揮官だけだ。
「そんな馬鹿な……訓練を重ねた私の部隊が……」
「訓練した部隊で近衛騎士が倒せるなら、皇帝陛下は近衛騎士を重用したりしませんよ」
「くそっ……なぜそこまでの力がありながら皇帝に従う? 憎くはないのか!? 弟を殺した皇帝が!!」
ヤケクソ気味の説得だ。
しかしそれはアリーダの心の隙を的確に突く言葉でもある。
アリーダには皇族を恨む理由がある。
それは俺も危惧していたことだ。なにせ直接関わっている。
だが。
「弟は自らの行いの責任を自らの命で取ったまでのこと。陛下のせいではありません。責任があるとすれば……あの子に世の中の厳しさを教えられなかった私たち家族のほうです。陛下には多大なご迷惑をかけたと反省していますよ」
「家族が大切ではないのか!?」
「大切です。しかし、私は近衛騎士団長となり、多くの時間を陛下の傍で過ごしました。幼い頃から知っている父の友人が、帝国のことをどれほど考え、どれほど動いているか。私は知ったのです。毎日、寝る間を惜しんで帝国中から押し寄せる書類と向き合い、民と向き合おうとする皇帝陛下と、家の名声に甘んじて、好き勝手に暴れた弟。どちらの肩を持つかは明白では?」
アリーダはそう告げると指揮官の首を刎ねた。
そして曲がり角からその様子を窺っていた俺たちのほうを見た。
「――ご無事でなによりです。ルーペルト殿下」
俺の後ろに隠れ、顔だけを出していたルーペルトを確認し、アリーダはフッと優しく微笑む。
だが、ルーペルトは腰が引けている。
なにせアリーダの周りには無数の死体が積み重なり、血の海ができていたからだ。
それに気づいたアリーダは、失礼しましたと言って風の魔法でその場の死体や血を通路の端に吹き飛ばしてしまった。
「これで少しは綺麗になりましたね。殿下、こちらへ」
「あ、う、うん……」
「殿下を保護してくださったのはジンメル伯爵でしたか。感謝申し上げます」
「いえ、僕は言われたとおりに行動しただけですので。ここまで連れてきてくれたのは軍師のグラウとアルノルト殿下の指示があったからです」
そう言ってアロイスが頭を下げる。
しかし、アロイスは自分がまずいことを言ったのではという表情を浮かべていた。
俺の名前を出したのは失敗だと思ったんだろう。
敵にはああ言ったが、弟の死の原因である俺とレオを好ましいと思っているはずがないからな。
しかし、アリーダは予想外の反応を見せた。
「なるほど。アルノルト殿下が動いていましたか。あなたを城に引き入れたのも殿下ですか? 帝国軍一万を撃退した流れの軍師、グラウ」
「いかにも。もっとも頼まれなくてもアロイスを助けるつもりではあったが」
「……今は状況が状況です。あなたの素性について問い詰めるべきではないのでしょうね」
「そうしていただけると助かる」
「せめて、幻術を使わずにいてくれれば疑わずに済むのですが?」
「素顔を晒せと? 帝国軍と敵対した以上、これくらいは安全策として許してほしいものだ」
俺の言葉を受けて、アリーダはそうですかと静かに頷いた。
これ以上、問い詰める気はなさそうだ。
そしてアリーダはルーペルトたちを玉座の間に招く。
だが、俺はその場を動かない。
「グラウは? 来ないの?」
俺が玉座の間に入らないことを見て、ルーペルトが不思議そうに首を傾げた。
そんなルーペルトに向かって俺は頷く。
「ああ、まだやることがある」
「で、でも……下にはもう兵士が一杯のはずだよ……? グラウがそう言ったんだよ?」
「そのとおり。敵は多い。ここにいたほうが安全ではあるだろう。だが、手助けを必要とする者がまだ多く残っている。アルノルト皇子は人質になり得る人物たちをすべて城外に逃がす気だ。良い作戦だが、彼だけでは不可能だろう」
「グラウ……」
ルーペルトが心配そうにこちらを見つめる。
その目には不安が映っている。
だが、ルーペルトは大きく深呼吸したあとに告げた。
「……城にはまだアルノルト兄上はもちろん、クリスタ姉上もいるんだ。お願い……できる?」
「承知した」
俺の言葉にルーペルトは顔を輝かせる。
この少しの間にルーペルトは成長した。
自分のことだけではなく、クリスタのことまで考えられるようになった。
こんな状況で成長するのが良いとは思わないが、それでも弟の成長は嬉しいものだ。
「アロイス。ルーペルト皇子を任せたぞ」
「はい。グラウもお気をつけて」
「君もな。では近衛騎士団長。失礼する」
「私の部下を一人つけましょうか?」
アリーダの申し出に俺は苦笑する。
きっとこれは援護ではなく監視のつもりなんだろうな。
だから俺は首を横に振った。
「遠慮しよう。あなたの部下が一緒では目立つ」
「あなたの恰好でも目立つと思いますが?」
「そこは考えてある。心配ご無用だ」
そう俺が言うとアリーダは何も言わなかった。
無理に部下を押しつけても仕方ないと思ったんだろう。
アリーダとしても戦力が余っているわけじゃないだろうからな。
「――近衛騎士団長としてこのようなことを頼むのはお恥ずかしいかぎりですが、どうか皇族の皆様をよろしくお願いします。私はここを動けませんので」
「言われるまでもない。流れの軍師などをやっている俺としては、反乱というのは好かん。戦場で一番非難される行為だからな。戦場に生きる者として、裏切りの果てに成功があると思っている人種には思い知らさないと気が済まんのだよ。裏切り者の末路というのがどんなに悲惨かということを、な」
そう言って俺は玉座の間を去った。
そして一瞬だけ探知魔法を発動させる。最も近いのはクリスタとトラウ兄さんたちだ。
どうやら長兄の側近と合流し損ねているようだが、クリスタたちはまだ無事だ。
帝国軍は部屋の中にいるクリスタたちに気づいていないようだ。
というか、部屋自体に気づいていない。
「軍が裏切っているのに、会って数日の子供が手を取り合っているってのは皮肉な話だな」
クリスタの傍にはエルフの要人、ウェンディがいた。
おそらくクリスタがウェンディを部屋から出したんだろう。だから予定が狂って、長兄の側近とは合流できていない。
それでもウェンディが幻術を使って、帝国軍の目を逸らしている。
俺が行くまではなんとかなるだろう。
心配なのはただ一つ。
「トラウ兄さん、大丈夫かなぁ……理性的な意味で」
あれならクリスタの傍にはリタまでいる。
トラウ兄さんにとっては天国みたいな状況だろう。
嬉しすぎて発狂してなきゃいいが。
まぁあの人はあれでちゃんとしているし、この緊迫した状況でアホなことはしないだろう。きっと。たぶん。そうだと信じたい。
「……急ぐか」
そうつぶやいて俺は転移門を展開したのだった。