第二百二十二話 皇太子の両翼
帝都に戻った俺をフィーネが出迎えた。
連続での転移魔法。これから何が起こるかわからない状態では痛い出費ではあったが、これで皇国が動き出しても問題ないし、いざというときのまとまった軍は確保できた。
「お帰りなさいませ。アル様」
「ああ、ただいま。といっても休むわけにはいかないけどな」
そう言って俺は机の上に紙と筆を広げた。
トラウ兄さんの参戦で戦力に余裕が生まれたものの、ルーペルトも守らなければいけない。
「長兄の側近というなら〝あの二人〟は確実だろうし、クリスタは心配ないな」
「あの二人?」
「ああ、トラウ兄さんが長兄の側近を呼びよせて、クリスタの護衛をしてくれることになった。長兄に側近と呼ばれる部下はそれなりにいたけれど、トラウ兄さんにまで忠義を尽くす人は少ない」
あくまで皇太子ヴィルヘルムが好きなのであって、その血筋や関係者はどうでもいい。そう思う側近も多い。だからこそ、多くの者が他の者に仕えたりはしなかったのだ。
その中にあって、皇太子だけでなくてトラウ兄さんにも忠義を誓う側近が二人いた。
二人は兄弟であり、皇后の従妹の息子たちだった。皇太子とトラウ兄さんにとっては又従兄にあたる。
早くに亡くなった従妹に代わり、皇后はその二人を城に呼び寄せて皇太子の遊び役とした。
こうして幼い頃より皇太子と共に育ち、皇后、皇太子、トラウ兄さんと家族のように育った二人は、皇太子の最初の部下となって常に傍にいた。
皇太子の最後の戦い以外は。
長年仕えた二人が皇太子の訃報を聞いたのは皇后の傍だった。北部視察前に風邪を引いた皇后のために皇太子が二人を帝都に残したのだ。
大事な主君であり、兄弟のようだった皇太子を守れなかったと悔やんだ二人は、父上の引き留めも断り、どこかに姿を消した。
居場所を知っていたのはおそらく皇后とトラウ兄さんだけ。
その兄弟の名は。
「ライフアイゼン兄弟。皇太子の又従兄にあたり、側近中の側近。兄は勇猛な将軍であり、弟は頭脳明晰な参謀だった。皇太子は多くの武功をあげているが、そのすべてにこの二人は絡んでいる。皇太子やトラウ兄さんにとっては部下というよりは家族。義兄のような存在だった」
「名前だけは聞いたことがあります。皇太子殿下の両翼と呼ばれた方々ですね?」
「ああ、この二人が傍にいれば長兄はきっと命は助かっていた。忠義に厚く、機転の利く人たちだったからな」
「そのような方々が来てくれるなら安心ですね!」
「心強いことは心強いが、安心とはならない」
この二人は一度、父上の引き留めを断っている。
それなのにトラウ兄さんの助力に駆け付けるのはいただけない。
そこらへんはトラウ兄さんも考えているだろう。きっと、たまたま式典に来ていた二人がトラウ兄さんに助力する。そういう流れを取るはずだ。
しかし、そうなると二人の行動は常に後手ということになる。
「二人が間に合えば間違いなくクリスタの安全は確保されるが、二人が来るまではトラウ兄さんに期待するしかない」
「それは……大丈夫なのですか?」
「あれでなかなかに剣も使えるし、状況把握能力も高い。あの人だって長兄と同じ教育を受けているんだ。そこらの兵士には後れは取らないだろうさ。問題なのはゴードンが動いたときにどれだけの将軍が加担するかだ」
帝国軍は三人の元帥がトップに立つ。
二人は東西の国境守備軍を率いており、一人は帝都にて皇帝の補佐と全体指揮に当たる。
その下には、各軍隊を率いる現場指揮官、将軍がいる。
将軍の中にも自らの軍隊を持たないフリーの将軍や、精鋭部隊を率いる将軍など、いろいろといるのだが、基本的には将軍の下には一つの軍が存在し、将軍の意思決定で動く。
つまり、ゴードンに加担する将軍が多ければ多いほどゴードンの勢力は巨大になるということだ。
一般の兵士に善悪の判断を求めるのは酷だ。上官の命令は絶対だと常々訓練されているしな。
将軍が帝都を攻撃すれば、迷いながらも大半の兵士はそれに従うだろう。
そして今回の式典には多くの将軍が参加している。
当然のことだが、将軍に上り詰めるような奴らは個人として強いか、もしくは強い部下を持っている。
そういうレべルの相手が来ればトラウ兄さんも苦戦は免れない。
「アル様はどれくらいの将軍がゴードン殿下に協力すると思っているんですか?」
「最悪、帝都にいるすべての将軍が敵に回る可能性もある」
「全員ですか!?」
「可能性の問題だ。帝国軍は身分の低い者や貴族の家でも跡継ぎになれない奴が集まっている。彼らは武功をあげて出世したいし、帝国軍を優遇してくれる皇帝を欲しているんだ」
「皇帝陛下が帝国軍をないがしろにしていると?」
「ないがしろになんてしてないさ。ただ、もっと優遇してほしいって話なんだ。現状、帝国軍の仕事は国境警備。貴族の領内では騎士たちが動くし、モンスター退治は大抵、冒険者に回される。そうなると帝国軍内で出世するには戦争がないといけない。しかし、近年の父上は他国との戦争には乗り気じゃない。当たり前だ。長兄を他国との戦争で失ったからな」
父上だって人間だ。
帝位争いならば諦めもつくだろう。それは伝統であり、帝国のための儀式みたいなもんだ。
そうやって父上も皇帝になった。だが、他国との戦争で息子を失うのはわけが違う。
怒りに任せて戦争というのは皇帝には許されない。
やり場のない怒りと悲しみを胸に閉じ込めて、父上はここ数年を過ごしている。
そんな父上は帝国軍の過激派から見れば軟弱に映るんだろうな。
「悲しむことすら許されないのですか……? 皇帝陛下は」
「許されるさ。ただ全員を満足させるのは難しいんだ。戦争なんて金の無駄遣いと思っている文官たちは、最近の父上を高く評価しているはずだ。しかし、その反対側にいる帝国軍の将軍たちは違う。そういう考え方の違う奴らを上手くまとめるのが皇帝ってもんだ。今までは父上も上手くやってた。長兄が死んだあとに、父上はバランスを欠いたってことだろうさ」
軍部の不満をどこかで解消する必要があった。
吸血鬼との一件があったとき、近衛騎士団だけではなく軍部を使うことだってできた。しかし父上は近衛騎士団を重宝した。
能力的には当たり前のことだが、軍部からすればそれも不満に思えてしまう。
「だから全員が敵に回る可能性がある。もはや軍部の人間はほとんど信用できない」
「で、ですけど! 帝都に集まった将軍が全員敵に回ったりしたら……!」
「多勢に無勢だ。レオの管轄になっている帝都守備隊、あとは近衛騎士団。そのほか微々たる戦力が父上の戦力になる。帝都守備隊はあくまで通常時の帝都の治安維持が仕事だ。それですら法務大臣管轄の警邏隊と分け合っている。だから現在、帝都にはかなりの数の軍が展開されている。万が一に備えてな」
「迎え撃つはずの剣が自分に向く……」
「その通り。だが、奴らの目は必ず父上に向く。絶対に逃がさず、最低でも捕らえることを命令されるはずだ。それに父上は抵抗するだろう。その両者の争いの間に俺たちは暗躍する」
向こうが全力でこちらに戦力を傾ければひとたまりもないだろうが、そんなことはありえない。
第一目標は父上になる。これは絶対だ。
「アル様……なんだか皇帝陛下を囮にすると言っているように聞こえるんですが……?」
「当たり前だ。そう言ってるんだから」
「怒られませんか……?」
「命を助ければ文句は言われないだろうさ。そもそも父上を守るのは俺の仕事じゃない」
「たしかに宰相閣下もいますし、大丈夫だとは思いますが……」
フィーネが不安そうにつぶやく。
仕方ないだろう。
今までとは問題の大きさが違ってくる。
俺たちの勢力の問題ではなく、帝国全体に関わる問題、皇帝の命が関わってくるからな。
だが、しかし。
「心配したってしょうがない。俺たちは城の中で動き、父上は城の外の問題に対処する。それしか手がない以上は、その中でやれることをやるだけだ。ゴードンが反乱を起こすなら必ず帝都は封鎖される。俺たちの役目はその封鎖を解くこと」
「封鎖を解いたあとはどうされるんですか?」
「レオたちに期待だな。あとはシルバーとして自由に動けるならクライネルト公爵を帝都に引き寄せる。だが、それでもやっぱりレオの戦力は大事になってくる」
「レオ様がレティシア様を助け、帝都まで来てくれることを願うしかないということですか……成功自体は疑いませんが、そんなに早く向こうの問題が片付くでしょうか?」
「それはわからん。けど、信じて待つしかない。すでに俺たちは敵の渦中にいるようなもんだからな。包囲されたも同然だ。なんとか包囲の一角を崩すことはできても、根本的な解決は外からの助けを待つしかない」
そう言いながら俺はこれからの計画を紙に書いていく。
できるかぎりのパターンを考えていくしかない。
そんな俺にフィーネは紅茶を差し出す。
「頑張りましょう!」
「ああ、頼りにしてる」
そう言って俺は紙に向かい続けたのだった。




