第二百二十話 弟のため
亡き皇太子には有能な部下が多かった。
とくに側近たちはとびぬけていた。ヴィンはその候補。つまりヴィンでも側近に食い込めないレベル。
それが皇太子ヴィルヘルムの陣営だった。
その部下たちは夢を託した皇太子の死によって、散り散りとなった。他の者に仕えた者もいたが、多くは夢敗れてヴィンのように隠居生活に移った。それだけ皇太子は輝かしく、眩しい存在だったのだ。
太陽がなければ人は生きていけない。皇太子の死は皇太子に夢を託した多くの者にとって太陽の死だった。
それでも新たな太陽の可能性はあった。
唯一、皇太子の後を継げる存在。それは同じ母を持ち、同じように育てられた実の弟。
第四皇子トラウゴット・レークス・アードラー。
芸術関連以外なら何ができても驚かない俺の兄。
才能なんて溢れているのに、好きなのは才能のない芸術だというアンバランスな人。
「……長兄の側近に号令をかけたんですか?」
「もちろん。極秘裏ではありますがすでに帝都にいるでありますよ」
「……帝位争いに名乗り出ると?」
そう取られてもおかしくはない。
亡き皇太子の後を継ぐ気になったと誰もが思うだろう。
少なくとも今までのような立場ではいられない。レオが勢力に担ぎ出されたように、エリクたちはトラウ兄さんを敵とみなすだろう。
「そう思うでありますか?」
「俺は思いません。ですが……ほかの人はそうは思わないでしょう」
「それなら平気でありますよ。今更他人にどう思われようと気にしないので。今回、兄の側近に声をかけたのは藩国に怪しい動きがあった場合、自分だけでは止められないからであります。兄に恩義を感じている側近たちは、実の弟である自分に甘いので。今回だけ手伝ってほしいと声をかけたのでありますよ」
「……覚悟の上だと? 目立つ行動をすればすべての帝位候補者にとって、あなたは最も邪魔な存在となります」
「確かに。芸術に没頭はしばらくできないかもしれないですなぁ」
そう言ってトラウ兄さんは残念そうにつぶやく。
それはトラウ兄さんにとって命より大切なことだ。
それが生きがいなのだから。
才能がなくても、誰に馬鹿にされても。
それでも続けているのは好きだから。趣味人として好きなことをやるとトラウ兄さんは決めているし、それがブレたこともない。
そのトラウ兄さんがその好きなことの妨げになる行動に出る。
とんでもないことだ。
「……どうしてそこまで? レオのためですか? 長兄を超える皇帝になれる可能性をレオに見出しているから」
「それもあります。レオナルトはきっと良い皇帝になる。そうなってほしい。だから応援すると決めたでありますよ。けれど、今ここで名乗り出たのは別の理由です」
「別の理由?」
「弟が別の弟を見捨てるのは見たくないでありますよ。自分が犠牲になって別の道が開けるなら、そうするべきだと思っただけであります」
そう言ってトラウ兄さんはフッと笑った。
その笑い方はどこか長兄に似ていた。
きっと今の俺はひどい顔をしているだろうな。
やれること。できることは限られている。
救えるならだれもを救いたい。けど、それはできないから救う人を選ばざるをえない。
だけど、今、トラウ兄さんは自分の生き方を犠牲にして、手の届く範囲を広げてくれた。
「――クリスタをお願いします。ルーペルトは俺が必ず守ります」
「任されたでありますよ。これを機にクリスタ女史にはお兄様と呼んでもらいたいでありますなぁ。デュフフフ!」
何とも言えない笑い声を出したあと、トラウ兄さんは踵を返した。
用は済んだということだろう。
その足はふらついている。本当に無理をして来たんだ。
「トラウ兄さん……ありがとうございます」
「気にせずに。ここは帝国。そして我々は皇族。国のために動くのは当然でありますよ。あまり上の者を甘くみないでほしいでありますな。気負わず自分にできることをやるでありますよ。アルノルトの手が届かないところはきっと誰かが手を伸ばす」
そう言ってトラウ兄さんは部屋を去っていく。
そんなトラウ兄さんに一礼したあと、俺はジアーナのほうを見た。
「……聞いたとおりです。ルーペルトはこちらで保護します」
「ありがとうございます! 感謝申し上げます! アルノルト殿下!」
「感謝は……トラウ兄さんに」
そう言って俺はジアーナと母上に頭を下げて、踵を返した。
トラウ兄さんの協力がある以上、戦力配置を変える必要がある。
いつもならセバスにいろいろと任せるところだが、あいにく今は俺しかいない。
今日は徹夜だな。
「惜しいわねぇ。トラウゴットはやる気さえあれば良い皇帝になると思うのだけど」
そう母上がつぶやいた。
それは本心だろう。
しかし条件付きだ。
やる気があれば。
それは爺さんも言っていた。皇帝になる気がない者はどれだけ素質があろうと皇帝にはなれないし、なってはいけない。
トラウ兄さんにはすべてがある。皇后の息子にして皇太子の弟。一声かければ皇太子の側近すら集められる。本人だって皇太子と同じように育てられ、その能力はバランスよく高い。
それでも皇帝になる気はない。
亡き皇太子の姿を超えられないからだ。
だからその後をレオに託した。
帝国の新たな太陽はレオなのだと。
「ご安心を。レオはもっと良い皇帝になります」
「根拠は何かしら?」
「兄の勘ですね」
そう言って俺は笑って、母上の部屋を出た。
そして自分の部屋に戻るとフィーネが待っていた。
「お疲れ様です。今、紅茶を淹れますね」
「ありがとう。けど、その前にやることがある」
そう言って俺はシルバーの仮面を取り出した。
天球が発動すれば帝都の外には出れない。外に出るなら今夜が最後のチャンスだろう。
やれることはやっておかないといけない。
トラウ兄さんが思い出させてくれた。すべて俺だけでやる必要はない。
いろんな人に頼ってもいいんだ。
「わかりました。この場はお任せください」
「ああ……フィーネ。レオはレティシアを助けられただろうか」
空に浮かぶのは星空。
星によって未来や天候を読む者が過去にはいたというが、あいにく俺にその才能はない。
レオには与えられるだけの戦力を与えた。
それで駄目ならしょうがないとあきらめるしかない。しかし、レティシアを助けられない場合、レオはすぐには切り替えられないだろう。
最悪の事態を考えて、エルナを向かわせた。エルナなら上手くレオを止めてくれるだろう。
しかし、できればすべて上手くいってほしい。
そう俺が思っているとフィーネがニコリと笑った。
「大丈夫です! レオ様はアル様の弟君ですから!」
「それは根拠にはならないと思うが?」
「なります! アル様は多くの人を助けてきました! レオ様もきっと大丈夫です! 私は信じています!」
ため息が出そうなほど楽観的な答えだ。
しかし、今はそれがとても心にしみわたる。
「……正直、君も帝都の外に出そうか迷ってたんだ」
「えっ!? そんなのあんまりです!」
「ああ、そうだな。出さなくてよかったと今は思っているよ。君がいると助かる。良い判断だった」
そう言うと俺はシルバーの仮面をつけて、服を幻術で形作る。
シルバーの姿に変わった俺は一言、フィーネに告げた。
「少しの間、頼む」
「はい。お任せください」
そう言って俺は転移でその場をあとにしたのだった。