第二百十九話 第七妃ジアーナ
第七妃ジアーナは皇帝の妃の中では最も若い。
その年齢は二十八歳。嫁いだのは十一年前。十七歳の時だ。
エリクと変わらない年齢の女性を妻として父上は迎えた。しかし、それは父上が見初めたというわけではない。
二人の間にあったのは政略だ。
ジアーナは元々皇国の公爵の娘だ。
十一年前。ドワーフをめぐるやり取りで帝国の怒りを買った皇国は、王族の遠縁である公爵の娘を父上に差し出した。
その娘がジアーナだ。これでもって友好関係を結ぼうと言ってきたのだ。
王族の遠縁といえば聞こえはいいが、それはいつでも切り捨てられるということでもある。その証拠にジアーナが嫁いでからも皇国は国境を超えようとしたことがある。
父上はしなかったが、ジアーナは見せしめとして処刑されてもおかしくない行為だった。
一時の和解のための生贄。それがジアーナという妃だ。
祖国である皇国からは生贄に差し出され、帝国では自分と同じ年齢の息子がいる男の第七妃とならねばならなかったジアーナは妃の中でも特異だ。
だが、政略結婚を断れば皇国との関係が悪化するため、父上は政略結婚を受け入れたし、ジアーナのことも大切にした。
末弟、第十皇子のルーペルトがその証拠だろう。
十歳になるルーペルトは父上にとっては必要のない子供だった。
上位の子供たちの年齢を考えれば、帝位争いが始まったときにルーペルトはまだまだ子供。
最も愛された第二妃の娘であるクリスタとはわけが違う。
それでも父上はジアーナとの子供を作った。皇国からは生贄、帝国では必要のない妃。そんな扱いを受けるのはあまりにも不憫だと考えたからだ。
しかし、それはジアーナにとって新たな悩みを作らせることにもつながった。
帝国内でジアーナの味方はいない。皇国出身である以上、疑われる立場だからだ。そしてその息子であるルーペルトも疑われる立場だ。
皇国が帝国に干渉してくる可能性の存在。それがルーペルトだ。
もちろんジアーナはその疑いを承知しており、ルーペルトを手元に置いて余計な動きはこれまでしてこなかった。もちろん帝位争いには不参加だ。
そんなジアーナが母上を頼って、俺に助けを求めてきた。
それは他の帝位候補者たちに睨まれる動きだ。
「ジアーナ様。俺に助けを求める意味がわかっていますか?」
「もちろんです……」
「……レオの陣営につくという判断で間違いありませんか?」
「……はい」
ジアーナとて馬鹿ではない。
俺に頼んできたといっても俺個人に頼ったわけではない。
出涸らし皇子に息子を託すなんて自殺行為だ。
だからジアーナが言っていることはそのままの意味じゃない。
俺にレオへの取り次ぎを頼んでいるのだ。
「ゴードンの動きが怪しい以上、どこかの陣営の保護下に入ろうとするのは間違いではないでしょう。ですが、皇国出身のあなたなら選ぶべきはエリク兄上では?」
外務大臣であるエリクは皇国と親しい。
皇国出身であるジアーナが最も頼りやすいのはエリクのはずだ。
「それも考えました……ですが私は恐ろしいのです……我が祖国の皇国の者、とくに王族に名を連ねる者たちは闇の深い人間ばかりです。そんな者たちとエリク殿下は平気な顔で渡り合う。それが私には恐ろしいのです……」
「それだけ有能だといえるのでは?」
「そのとおりなのでしょう。しかし……エリク殿下は彼らと渡り合っても何も感じていないかのような顔をしています。感情がないかのようです。どれだけ有能でも……あの方には息子は任せられません」
「なるほど」
理由はわかった。
筋も通っている。母親としてエリクを信用できないならば、俺たちの陣営を頼るしかない。
最初期ならまだしも、今のレオの陣営はエリクの陣営に迫る勢いだ。頼ったとしても不思議ではない。
レオが帝位をとるというのも現実味が増してきているのだ。
しかし。
「頼っていただいて申し訳ないのですが、こちらにあなた方を保護する余裕はありません。エリク兄上に掛け合うことをおすすめします」
「そんな! せめてルーペルトだけでも!」
「クリスタだけで精一杯です。ご存じでは? こちらの戦力はほとんど帝都の外です。頼みのエルナも帝都の外にいる以上、勇爵家を動かすこともできません。やれることが少ないのです。諦めてください」
ジアーナは言葉を失い、母上を見た。
俺もジアーナから視線を外し、母上のほうを見る。
「アル。弟を助けたいと思わないのかしら?」
「……助けられるなら助けたいですが、こちらには余裕がないのです。レオもいなければセバスもいない。戦える者が極端に少ない中で、保護する者が増えれば絶対に守らなければいけない者も危険に晒します」
「一人増えたところで大したことではないでしょう?」
「大事です。ルーペルトはただの子供ではなく、皇子なのですから。守るとなればそれなりの戦力がいります。誰かが戦力をくれるなら考えますが」
「……私たちには味方がいないのです……」
「存じていますよ。そして俺やレオも最初はそうだった。あなたが俺たちが不利なときに味方してくれた恩人なら無理もしますが、俺たちの勢いが増した時に見返りもなしに助けを求めてくるのは虫が良すぎるでしょう」
弱いときに味方してくれた者は信用できるし、恩も感じる。
だが、強いときに味方するといわれても信用はできないし、恩も感じない。ましてやジアーナとルーペルトには味方はおらず、敵がいるだけ。
こちらの負担が増えるだけだ。
「アル。守っておやりなさい。レオなら弱い者は見捨てないわ」
「残念ながら俺はレオではないので。理想より現実のほうが大事なんですよ。戦力的に守るのは不可能です」
ゴードンが動くとなれば城は制圧されて、天球が発動される。
天球は要となる複数の宝玉を台座にセットして発動させられる。一度発動させられたら、内部からしか崩せない。そのために俺は内側に残っている。
城に引き入れた戦力もそれに備えた戦力だ。護衛に回す余裕はない。
天球を発動させられたら、レオたちの合流は不可能。まずは天球を解除する必要がある。
その絶対条件がある以上、俺に選択の余地はない。
「あら、そう。では私が守るとするわ」
「母上……困らせないでください。無理なものは無理なんです。戦力が」
「戦力なら借りればいいわ」
「誰に借りるんですか?」
「あなたの兄からよ」
そう言って母上は部屋の入口を見つめた。
嫌な予感を覚えつつ、俺はゆっくりと振り返る。
そこには青い顔のトラウ兄さんがいた。
「話は聞きましたぞ! 自分が協力しようではありませんか!」
「……なぜトラウ兄さんがここに?」
「あなたに断られた時の保険に呼んだのよ」
「……血が足りなくて寝込んでる人を呼びだしますかね、普通……」
「緊急事態だもの。それに無理はさせてないわ。条件を聞いて向こうから来たのよ?」
「一応聞きますけど、どんな条件で来たんですか?」
「自分が動くのは幼女のためだけ! ミツバ女史にクリスタ女史の護衛を頼まれたので自分、ふらつきながら来たでありますよ!!」
「……」
「あら、不思議。これで戦力に余裕が生まれたわね?」
母上の言葉に俺は顔を引きつらせる。
クリスタを餌にしてトラウ兄さんを引き込んだか。
たしかにそれならクリスタの護衛をルーペルトに回せる。
だが、そこには一つ問題がある。
「トラウ兄さん……その体でどう守るおつもりで?」
「アルノルト、兄を馬鹿にするものではないですぞ。ちゃんと強力な助っ人を呼んでいるでありますよ!」
「強力な助っ人?」
「兄の側近たちです」
「はい?」
それは俺の予想をはるかに超えるとんでもない助っ人たちだった。