第二百十五話 アードラーの宣誓
うっすらと空に明かりが灯り始めた頃。
城は完全に包囲を受けた。
レオは一人だけ崩れかけた城壁に登る。するとそれに応じてバベットも前に出た。
「こんなところまでご苦労様だね。英雄皇子。自己紹介をしておこう。あたしはバベット。ダークエルフの族長さ」
「第八皇子、レオナルト・レークス・アードラーだ。初めましてと言ったほうがいいかな?」
「初めましてじゃないさ。護衛隊長と入れ替わってたのはあたしだったからね。ずっと見てたよ、あんたと聖女のおままごとを、ね」
「そうか……あなたがレティシアを攫ったのか」
諸悪の根源。それを見つけたレオはその目に殺気を宿す。
しかしバベットは動じない。
「楽だったよ。あんたの顔を借りたからさ」
「……」
「覚えているかい? あんたと握手したエルフがいただろ? あれもあたしさ。あんたの顔は便利そうだから触れさせてもらったのさ。思った以上に役立ったよ。そのお礼といっちゃなんだが、聖女を置いていけば見逃してもいい」
レオは膨れ上がる怒りを抑えるのに苦労していた。
通常の怒りではなく、どす黒い憎しみに近いものだったため、どう制御するべきか自分でもわからなかったのだ。
それでも表に出すことはしなかった。
後ろでレティシアが見ていたからだ。情けない姿は見せたくない。そんな理性がレオに歯止めをかけていた。そうでなければ今すぐにでもバベットに斬りかかっていただろう。
「……どうしてレティシアを狙う?」
「王国がそう望んだからさ。聖女を実験体にして帝国内で魔法実験をしてほしいってね。そのために王国はいろいろしてくれたよ? エルフの里に圧力をかけて、エルフの移動ルートを入手したり、帝国内での協力者を見つけたり、そこまでやるかねってさすがに思ったよ」
「それは魔奥公団としての理由だ。僕はあなたに聞いている」
「あたし個人の理由? そんなの決まってるだろ? あたしはもう一度、魔王に現れてほしいのさ。そのために魔奥公団に入ってる。上質な依り代がないと魔王クラスは召喚できないからね。さすがに直接召喚なんてしたら手に負えないってのは五百年前で知っているから、依り代が必要なのさ」
「魔王の再来を望んで何になる? また大陸を戦乱に包むと?」
「あんたらは知らないかもしれないけどね。昔は大陸の支配者はエルフだったのさ。それを人間が奪った。だからあたしたちダークエルフは魔王に協力したんだ。我が物顔で大陸に国を建てる人間どもが気に食わなくてね。好都合だったのさ。力も手に入り、あんたらも駆逐できる。まぁ魔王は想像以上に危険だったから討伐されたときはホッとしたがね。あのままじゃすべてを破壊しかねなかったからね」
バベットはそう言って昔を懐かしむ。
五百年前。魔王が現れて、大陸は危機に陥った。
そんな中で大陸中の生命が協力して魔王に立ち向かった。魔王を討伐したのは勇者だが、その勇者一人で魔王とその配下をすべて倒したわけではない。
何体もの悪魔を配下としていた魔王の軍勢は強力だった。少なくともこの五百年で最強の軍団だったことは間違いない。それらを破れたのは奇跡に近いと言われている。
そんな五百年前を知る古強者。歴戦などという言葉では足りないほどの経験を持つのがバベットだ。
戦えば間違いなく負ける。そうレオが感じるほどの差が二人の間にはあった。ワンチャンスすらあるかどうか。
シルバーやエルナに匹敵するとは言わないが、どちら側といえばあちら側の実力者であることは疑いようがなかった。元々強力なエルフが魔王によって強化されたダークエルフの族長だ。当然といえる。
それでも。
「エルフの復権、人間への復讐。くだらないな。大陸の覇権は移り変わるもの。エルフが人間との競争に敗れたのは自然の流れだ。種としての多様性が人間のほうがあったというだけのこと。魔王を利用してまでそれを変えようとし、失敗したのになぜわからない?」
「傲慢だこと。さすがは罪深き一族、アードラーの者。世界にあるモノ、すべてを自分たちの物にしなければ気が済まない生粋の略奪者。人間がエルフに勝る点など繁殖能力程度。ときたま現れる規格外たちがいなければ自分の身すら守れない種族が偉そうにするな!」
「弱い者もいれば、強い者もいる。それが人間の多様性だ。その多様性を武器に人間は進化し、多くのモノを得た。だから大陸で繁栄することができている。人間は未熟だからこそ可能性に溢れている。一方、エルフはすでに完成されている。それは尊いことではあるけれど、種の限界ともいえる。エルフ全体が大陸の覇権を求めないのが答えだ。彼らは変化を求めていない。バベット。お前の望みは一生叶わない」
「ふん、ご高説どうも。だがあいにく、エルフが大陸の覇権を取り戻すってのはついでだ。あたしは人間がむかつくから滅ぼしたいだけさ。とくにあんたら帝国の皇族は大嫌いでね。今も殺してやりたいと思ってるよ」
「そうかい……奇遇だね。僕もあなたを殺したい」
そう言って二人の視線がぶつかり合う。
そしてバベットはレオが立っている城壁の上に音もなく現れた。
「魔法でいますぐ壊滅させてやりたいが、そうなるとこの城が倒壊するかもしれない。聖女が埋まっちゃ困るんでね。白兵戦しかない。それを踏まえてのこの場所なんだろ? あたしはアードラーのそういう抜け目のないところが大っ嫌いなんだ!」
「僕が抜け目ない? あなたはどうやら本当のアードラーを知らないようだ。僕なんて大したことないさ」
「そうかい。まぁ大したことないってのは同意さ。長く生きてきて、英雄なんて言われた奴らを多く見てきた。たしかにあんたはそれなりにやる。だけどあたしの敵じゃない。白兵戦なら勝てると踏んだその目を恨むんだね!」
そう言ってバベットは腰の細剣を抜いた。
それに合わせてレオも剣を抜き放つ。
そして二人の戦いが始まった。
レオはかつてないほどの集中力を以って、バベットと相対していた。
これほど研ぎ澄まされたのは初めてだった。
しかし、それでもレオは押されていた。
「くっ……!」
「どうした! 英雄皇子!」
「ぐっ!」
重い一撃を受け止めたレオだが、勢いを止めきれずに後ろに吹き飛ばされた。
なんとか体勢を整えたときにはバベットはもうレオの懐だった。
バベットの蹴りをもろに食らい、レオは城壁の一部を破壊しながら吹き飛んでいく。
「うっ……くっ……」
「あんたは強いが、あたしには勝てない。諦めて聖女を渡すといったらどうだい?」
「彼女は……渡さない……」
そう言ってレオは血だらけになりながら立ち上がった。
その目がまだ死んでいないことを察して、バベットは舌打ちをする。
「イライラするんだよ! あんたらアードラーは! 五百年の間、帝国の拡大を見てきた! すべてを我が手にとばかりに略奪してきた罪深き一族! それがあんたらアードラーだ! たまには略奪される側の気持ちを味わうんだね!」
「アードラーの略奪には……意味がある……」
「偽善者が! 略奪に何の意味がある! 大陸をあたしらエルフから奪った人間の中でも最も強欲な一族! 黄金の鷲を掲げてすべてを奪ってきたあんたらは人間の中でも最低の部類さ!」
そう言ってバベットはボロボロのレオに近づき、その胸を貫こうとする。
だが、レオは自分の剣でその細剣の軌道を逸らす。しかしバベットの剣はレオの肩をかすっていく。
「ぐっ……!」
「往生際が悪い! それもあんたらの特徴だったね!」
そう言ってバベットは上段から細剣を振り下ろす。
それをレオは受け止めるが、ボロボロの体ではそれが精いっぱいだった。
徐々に刃がレオの首に迫る。
「遺言として教えてほしいねぇ。アードラーの略奪にどんな意味があるのか!」
レオは答えずに集中する。
明確な死の危機。
それでもレオは慌てなかった。焦りは禁物。
ゆっくりと息を吸い、レオは力を入れてバベットの細剣を押し返した。
「なに!?」
「お返しだ!」
そう言ってレオはバベットを蹴り飛ばす。
だが、それはバベットを軽く吹き飛ばしただけだった。レオが受けたダメージとは釣り合わない。
「小癪だね……アードラーらしい醜さだよ」
「ああ、そうだ……僕らアードラーは醜い……それでも僕らは略奪を繰り返すんだ……」
レオが幼い頃。
略奪者と一族が呼ばれることに憤慨したことがあった。それを諭したのは皇太子ヴィルヘルムだった。
幼いレオの頭に手を置いて、ヴィルヘルムは告げた。
『世界には大きく分けて二つの人がいる。奪われる人と奪う人だ。我々は奪う人。ゆえに略奪者と呼ばれる』
何て言い草だとレオはさらに憤慨したが、ヴィルヘルムは笑みを浮かべてさらにレオの頭を撫でた。
『そうだ。その怒りがアードラーの原点だ。悲劇が起きてから食い止めても涙は流れていく。それらをすべて止めるには奪う側に回るしかなかった。すべてを奪い、すべて我々の下に集める。それがアードラーの信条だ。上等なモノではない。褒められたモノでもない。それでも我々は略奪を繰り返す。一つの誓いを胸に宿して』
レオはゆっくりと左手を胸にあてた。
言葉は胸に残っている。
それでも今まではどこか納得できていなかった。しかし今はしっかりとわかる。
「アードラーの略奪は宣誓だ……この手に掴んだすべては誰にも渡さない……あらゆるモノから守るという誓いがアードラーの略奪だ! この地はその誓いの産物だ! この帝国にお前たちの居場所はない! 血が絶え、誓いが消失するまで――アードラーは略奪したすべての守護者だ!」
ゆっくりとレオが構える。
すべてを一撃に掛ける構えだった。
その目に危険を感じたバベットは危機感を持って腰を落とした。
しかし、その足が少し後ろに下がっていた。
「なんだと……? あたしが下がった……? あんな小僧にビビったとでも!?」
自分の本能が信じられずにバベットはレオに再度視線を向けた。
するとレオの周りには光り輝く円が浮かんでいた。
その円の正体をバベットは知っていた。
「まさか!? あの状態で聖杖を使えるのか!?」
「我が声に応じよ! 神聖なる星の杖よ。聖天に君臨せし杖よ。色無き悲しき大地に色を授けたまえ! 授ける色は〝黄金〟!!」
聖杖の効果は色を付加すること。
使用者が選択した色によって効果は千差万別。
その中で〝黄金〟は特殊な色だ。
その特性は〝可能性〟。対象の潜在能力を引き出す。
潜在能力がない者にはほぼ効果がないが、あえてレティシアはその色を選んだ。
聖杖の使用には体力と精神力が必要になる。今のレティシアは疲弊し長時間は使えない。体力だけならどうにでもなるが、精神力だけはどうにもならない。
だから最も爆発力のある色を選択するしかなかった。
バベットという古強者を倒せるほどの爆発力。単純な強化では不可能。
ゆえにレティシアはレオの潜在能力に賭けた。
そしてそれは成功していた。
「誰だ……あんたは……?」
「帝国第八皇子……レオナルトだ」
「そんな馬鹿な話があるか……あれだけの力がありながら……まだ一端だったと? 本来なら規格外の連中と肩を並べられるとでもいう気か!?」
「アードラーは血も略奪してきた……強くなければ略奪できず、強くなければ守り切れない……この血がアードラーの決意の表れだ!」
そう言ってレオはバベットがまったく反応できない速度で接近し、流れるような動作でバベットを切り裂いた。
胸から胴体にかけて斜めに切られたバベットは口から血を吐くが、そんなバベットをレオは城外へと蹴り飛ばす。
そして空中にいるバベットに向かって左手を向けた。
すると上空に金色の円が浮かび上がり、そこから光が漏れ始めた。
それは魔王の強化を受けたバベットにとっては最も相性の悪い魔法だった。
「ちくしょうめ……!!」
「――ホーリー・グリッター!!」
詠唱を破棄し、魔法名のみでレオは最上級の聖魔法を発動させた。
浄化の金光がバベットを飲み込み、その身を焼いていく。
やがて金光が薄れ、残ったのは半身を焼かれたバベットだった。咄嗟に結界を張ったおかげで即死は免れたのだった。
だがもはや死は目前だった。
そのタイミングでレティシアはまた気を失った。聖杖の力に耐え切れなくなったのだ。
当然、レオもそのタイミングで通常の状態へと戻る。
「くっ……」
「……まさかままごとの二人に負けるとはね……だけどただじゃいかない」
そう言ってバベットは残る手を思いっきり上げた。
それを合図として後ろに控えていた軍勢が動き出す。
ポツポツと光が灯り始め、やがてそれは軍勢全体を覆った。
すべてが魔法の光だ。
「今なら捕縛できるかもしれないけどね……あたしが死んだあとのことなんて関係ない……千を超える魔法さ……あたしと一緒に消えな! 道連れだよ! アードラーの小僧!!」
そう言ってバベットはニヤリと笑いながら腕を振り下ろした。
レオはとっさに剣を構え、後ろで見ていた鷲獅子騎士たちはレティシアをノワールの背に乗せようとする。
だが間に合わない。
城に向かって無数の魔法が向かってくる。
城を破壊するには十分すぎる量だ。
しかし、そのすべての魔法が城の手前で叩き落された。
そしてレオの前で白いマントが翻った。
「なん、だと……?」
「――幾千、幾万だろうと撃ってきなさい。それで黄金の鷲を打ち落とせると思うなら馬鹿げた夢よ。この地には私たちがいるのだから」
「……勇者!!」
「その呼び方は古いわよ。今はアムスベルグ勇爵家――帝国の盾にして剣。帝国と皇族の守護者よ」
「またしても……! 許さない! 幾度立ちふさがれば気が済むの!?」
「幾度でもよ」
そう言って突如現れたエルナはバベットの前に移動し、剣を上段に掲げる。
すでに死は確定している。
それでもエルナは剣に力を込めた。
「……化物め」
「お好きに呼びなさい。こちらも言いたいことがあるの。あなたたちのせいで私の殿下が弟を殴る羽目になったわ……万死に値する。死んで償いなさい」
そう言ってエルナは剣を振り下ろし、バベットは一瞬で消滅させられた。
そしてエルナはゆっくりと視線を城壁に戻す。
「無事みたいね。レオ。良かったわ」
「エルナ……どうやって……?」
「聞かなくてもわかってるんじゃない? アルが皇帝陛下たちを説得してくれたの。だから間に合えたわ」
そう言ってエルナが微笑む。
そしてそんなエルナに続いて第三騎士隊やセバスたちも城へと到着したのだった。