第二百八話 トラウの本気
玉座の間に運び込まれたレティシアの遺体は綺麗なものだった。
城の使用人が皇帝の前に出しても問題ないようにしたんだろう。だが、そうであっても違和感は消えない。
「美人だし、見てて悲しくなるっすねー。やったのは女っすよ。間違いない」
「黙れ、コンラート。今はそんなことはどうでもいい」
軽口を叩くコンラートをエリクがたしなめる。
ヘンリックは見るのも嫌だといった様子で視線をそらしており、しっかり見てるのは父上とエリク、そしてゴードンだけだ。
「……ゴードン。お前は何か感じるか?」
「何も感じませんが?」
「エリク。お前はどうだ?」
「多少ですが違和感はあります。既視感のような曖昧さではありますが、しっかりと見ればなんとなくおかしいとは感じます」
「わしもそうだ。アルノルトの言う通り、この遺体には違和感がある」
一瞬、ゴードンの顔がゆがみ、俺のほうを睨みつけてきた。
いつもなら目をそらすところだが、今日は本気でやると決めている。
だから俺は小馬鹿にした様子で笑って見せた。
「っ!? なにがおかしい! アルノルト!!」
「いえ、別に。ただ皇族ならだれでも気づけると思っていたので。なにせ出来損ないの俺に気づけたくらいですから」
「……死にたいらしいな」
ブチンと何かが切れたような音が聞こえた気がした。
顔を真っ赤にしたゴードンが俺のほうに向かってくる。父上やエリクの制止すら受け付けない。
そんなゴードンを止めたのは玉座の間の端で待機していたアリーダだった。
瞬時にゴードンと俺の間に割って入ったアリーダは静かに告げた。
「皇帝陛下の御前です。お静まりください、ゴードン殿下」
「黙れ。その搾りかすを捻りつぶさなければ気が済まん!」
「武力行使に出るというなら力づくでお止めします」
それは警告だった。
近衛騎士団は帝国の最精鋭。その隊長たちはどいつもこいつも化物級の実力を持っているが、その中でも上位三隊の隊長は正真正銘の化物だ。
アリーダはあのエルナが聖剣がなければ勝てないと断言している数少ない一人だ。少なくとも同等の評価をエルナが下しているのはエルナの父である勇爵以外にはいない。
当然ながらゴードンでは勝ち目がない。帝国最強とエルナが言われるのは聖剣込みでの話。そうでなければ帝国最強の剣士はアリーダだろう。
もちろん数年後にはわからないが、今の段階でいえばアリーダは剣の技術だけでいえばエルナ以上なのだ。
ヴァイトリング翁の娘だから、父上が傍に置いているなんて言う人もいるが、そういう人は一度彼女の剣技を見たほうがいい。
稽古なのに何しているのかわからないほど速いから。
「くっ……」
「お下がりください。ゴードン殿下。アルノルト殿下も挑発はほどほどに」
「気を付けるよ」
俺にも注意が来たため、肩すくめて対応する。
まぁもう挑発は必要ない。ゴードンやヘンリックは話を聞かずに俺の処罰を口にしていた。万が一にでも父上がそれを飲めば、説明の機会は失われる。
だから怒らせた。これでこの場でゴードンの意見が通ることはないだろう。
「……失礼しました。皇帝陛下」
「うむ」
ゴードンが謝罪し、父上が視線で俺に説明を促した。
この遺体は一体なんなのか。そういう話になるわけだ。
皇族だけが違和感を覚える偽物。それは明らかに異常だ。
その答えを父上は求めている。
「この遺体はおそらく幻術で偽装されたものでしょう。人形ではさすがに気づかれるため、きっと本物の遺体が使われています」
「なにぃ?」
「それは本当か? アルノルト」
「あくまで俺とレオの推測です。証拠はありません」
「証拠がなければ何の価値もない! 近衛騎士たち! 早くこの遺体を片付けろ! 皇帝陛下! アルノルトの妄言に付き合う必要は」
「何を勝手に仕切っておる? いつからお前が皇帝になった? ヘンリック」
「ひっ!? も、申し訳ありません!!」
父上に睨みつけられて、ヘンリックは恐怖に顔を歪めて跪く。
それを見て、父上は鼻を鳴らしながら俺のほうに視線を移した。
「証拠はない。憶測に次ぐ憶測だ。信じるほどのものとは思えん。だが――この遺体に仕掛けがあるのもまた事実。この違和感を解消するには何が必要だ? アルノルト」
第二段階クリア。
これで俺の要請ではなくなる。
俺が彼女らを呼んで欲しいと頼めば、馬鹿馬鹿しいと一蹴されかねない。
だが、皇帝が求める答えに必要だといえば違ってる。彼女らも断れないだろう。
「エルフの方々を呼んでいただけますか? これだけの幻術を使えるのはおそらくエルフくらいでしょう。突然、帝国の招待を受けたり、来るまでの道中の行方が知れなかったり、彼女たちには謎が多い。陛下がお取り調べください」
「よし。エルフの一行を呼び出せ」
■■■
呼び出されたエルフたちの数は七名。来た時と同じ数で、欠けてはいない。
その中心にいるのは幻術で姿を誤魔化しているウェンディ。一応、接待役ということでクリスタも呼び出されている。
今回は皇族のみの会議のため、フィーネは外で待機中だ。
クリスタは突然呼び出されて不安そうに俺を見てくるが、それに対して俺は優しく微笑む。
「アル兄さま……」
「大丈夫だ」
俺の言葉を受けてクリスタは静かにうなずく。
そして父上の取り調べが始まった。
「さて、ウェンディ殿。あなたに聞きたいことがあってお呼びした」
「なんでしょうか? 皇帝陛下」
「まずはあちらをご覧いただきたい。ああ、クリスタは見んでいい」
「はい……」
何があるのか想像したのだろう。クリスタが顔を青くしながら正面だけを見ている。
一方、ウェンディたちはレティシアの遺体を見ていた。
一瞬、ウェンディが悲し気に眉をひそめた。周りのエルフに変化はない。
「聖女レティシアは……残念でした」
「そうとも言えん。実はそれは幻術で偽装されたものではないかという意見が出た。それについてはどうだ?」
「陛下は……我々エルフが犯人だと考えておいでなのでしょうか?」
「可能性の話をしている。あなた方なら遺体を別の誰かに偽装することくらいは可能なのではないか?」
「それは……」
そう言ったとき、ウェンディはチラリと自分の隣に立つエルフの女を見た。
たしか俺とレオが喋っているときに入ってきたエルフの従者だ。
名前はたしかポーラだったか。
そのポーラの顔色をウェンディはしきりに伺っている。まるで主従関係のようだ。
「可能なのか? 不可能なのか? どちらだ?」
「可能ではあります……ただそれほどの使い手は今回は……いません」
そう言ってウェンディは視線をそらした。
嘘をついているときの典型的な反応だ。そしてポーラへの反応には恐れが見える。
今ので関係性が透けて見えたな。父上の横ではフランツが険しい表情を浮かべつつ、近衛騎士たちに視線で指示を出した。
自然な様子で近衛騎士たちがエルフたちとの距離をつめた。この場にいる近衛騎士はアリーダを筆頭とした隊長たちや精鋭ばかり。逃げようとしても逃げられないだろう。
そんな中で俺はウェンディに告げた。
「姫君。それは本当ですか?」
「ほ、本当です……アルノルト殿下」
ウェンディの瞳が揺れる。
視線が俺とポーラを行き来している。
その目がやめてと語っていたが、やめてあげるわけにはいかない。ウェンディとポーラの関係も放置できないしな。
ここらで問題はすべて解決させてもらおう。
「あなたは姿を幻術で偽っている。あなたなら可能では?」
「そ、それは……」
「どういうことかな? ウェンディ殿」
父上に問い詰められたウェンディは仕方ないという表情で、自らの幻術を解き、真の姿を晒した。
「欺いたことは謝罪いたします。皇帝陛下」
「これは驚いた……」
「子供が代表では失礼にあたるということで、我が祖父より幻術にて姿を変えろと言いつけられておりました。お許しを」
「それはいい。問題はそれだけの幻術をあなたが使え、それに我々も気づけなかったということだ」
「この状況では何を言っても信じてもらえないでしょうが、我々エルフの仕業ではありません。皇帝陛下」
そう言ってウェンディが跪き、ほかのエルフたちも続く。
父上は腕を組んで目を細める。
多くの人を見てきた父上にはウェンディの嘘は透けているだろう。問題はなぜ嘘をついているのか。
エルフがこの一件に関与する理由が父上には思いつかないんだろう。
「その言葉を信じるとして……あなたならその遺体に掛けられた幻術をとけるのではないか?」
「わかりません。やれと言われればやってはみますが……」
時間稼ぎだ。
これに乗るのは得策ではない。
だから俺は最後の提案をした。
「父上。提案があります」
「何度いえばわかるのだ、皇帝陛下と……ああもう。好きにせよ」
「申し訳ありません。宝物庫にある物を使いたいのですが?」
「まさかと思うが……〝皇旗〟か?」
「はい。この玉座の間には魔法の発動を阻害する結界が張ってありますが、すでに発動している魔法は対象外です。ですから発動圏内の魔法をすべて無効にする〝皇旗〟の使用許可を」
玉座の間にある結界は最高クラスだ。
俺ですら転移魔法での侵入は困難だし、この場での魔法発動は無理だ。しかし、発動しているものはその限りではない。それは意図されたものだ。
すべてを無効化してしまえば、皇帝は魔導具すら使えない。だからすでにかけられた魔法は阻害されない。その程度なら近衛騎士たちで対処可能だからだ。
しかしその結界以上の威力を誇る魔導具が宝物庫にはある。
皇旗と呼ばれるそれは一見するとただの国旗だ。黄金の鷲が描かれた精巧な旗にしか見えない。
だが、皇族の血をささげることで一定範囲内の魔法をすべて無効化する。
その強力さの反面、ほとんど使われることのない魔導具だ。すべての魔法を無効化してしまうと不利になるのが大抵は帝国側だからだ。
しかも皇族の血が必要となる。そうポンポン使えるものではないのだ。
「あれは相当な量の血を要求される。お前が血を捧げるのか?」
「そのつもりです。その代わり、もしもこの遺体が聖女レティシアの物でない場合、レオの行動は正しかったと認めていただきたい。そして増援として近衛第三騎士隊の派遣を要請します」
「……弟のためにそこまでするか」
「弟だからそこまでするのです。レオは正しいことをしています。それを証明するのが兄の務めでしょう」
「よく言った! 皇旗の使用を許可する!」
そう父上が言った瞬間。
玉座の間が開かれた。後ろを振り向くとそこにはトラウ兄さんがいた。
その手には黄金の鷲が描かれた旗があった。
「使用許可ですと!? さすが父上! このトラウゴットの行動を先読みするとは! その信頼に応えて自分が使いましょう!」
「なっ!? 待て! トラウゴット!!??」
「はぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
「ちょっ! トラウ兄さん!」
「アルノルト! 弟の無実を証明するのは兄の務め! このトラウゴットに任せておくのですぞ!」
「いや、人の話を!?」
完全に自分の行動に酔っている。
皇旗から紐が伸びて、トラウ兄さんの血を吸い上げていく。
近衛騎士たちがトラウ兄さんの傍に寄ったときには時すでに遅しだった。
皇旗が発動して、玉座の間の結界ごとすべての魔法を無効化した。
レティシアの遺体と思われた物の幻術は無効化され、護衛隊長の遺体が現れた。だが、その遺体は明らかに死後数日といった様子だった。
ずいぶんと前から入れ替わっていたのかと、俺はエルフたちを見る。
すると、俺の目にはクリスタを俺のほうに押すウェンディの姿が見えた。
「逃げて!!」
ウェンディが叫ぶ。
その周りを固めるエルフたちの様子は一変していた。
なにせ肌が黒い。
かつてエルフという種族の中で、魔王に与して悪魔の力を浴びた悪しきエルフ。
ダークエルフたちがそこにはいた。
そのダークエルフたちは隠し持っていた短剣をウェンディに向ける。
脅されているのではと思ったが、想像以上の展開だ。
咄嗟にクリスタの保護に動くが、ウェンディは間に合わない。
そう思ったとき、皇旗が短剣を向けていたエルフに直撃した。
「ロリフに何をしておるかぁぁ!!」
当然ながら皇旗を投げたのはトラウ兄さんだった。
血を大量に捧げ、フラフラになりながら速攻で行動したのはさすがとしか言えない。行動理由があれだが。
「ここは帝国! 好き勝手はさせないでありますよ!」
「好き勝手しておるのはお前のほうであろう!!?? この場で発動させる奴があるか! 大馬鹿者め!!」
「あれぇぇぇ!!?? なぜ自分が怒られているので!?」
そんな緊張感のない親子の会話がなされている間に、ダークエルフと近衛騎士の戦闘が開始されたのだった。
とはいえ、戦闘とよべるものにはならんだろう。
なにせこの場じゃ魔法は使えん。ダークエルフにとっては最悪の状況なのだから。