第二百六話 ノワール
レオを追って俺とエルナは馬小屋の近くまできた。
そこではペルラン王国の鷲獅子がいた。
鷲獅子たちがいる小屋の周りでは鷲獅子騎士たちが涙に暮れていた。そんな彼らとは打って変わって、小屋の中で異様に暴れている黒い鷲獅子がいた。
「ノワール……」
特殊な結界で覆われた小屋は鷲獅子とて壊せない。だが、今にも壊れてしまうのではないだろうかというくらい黒い鷲獅子は暴れていた。
「主人を失い……その子も悲しんでいるんです……」
近くにいた鷲獅子騎士が沈んだ表情で告げた。
自分たちと同じだと言いたげな表情だが、レオはその鷲獅子騎士の言葉を否定した。
「違う……そうだよね? ノワール」
「クウェェェェ!!!!」
レオの言葉に同意するように前足をあげ、小屋の扉を蹴る。
激しいその行動は失意の行動というよりは怒りに近いように思えた。
ほかの鷲獅子たちは多少動揺しているようだが、この鷲獅子だけは明確に何か意思を持って暴れているように思えた。
「レオ。探せるのか?」
「わからない。けど、この子は置いていかれたのにレティシアの下まで来てしまったらしいんだ。彼女がもしも生きているなら……このノワールなら追えるはずだ」
「追えるはずって……鷲獅子に追いつける馬なんていないぞ?」
鷲獅子は飛竜よりもなお希少。人が騎乗する生き物の中では最上位に位置する。
その空を駆ける速度は飛竜をも凌駕する。
レティシアを追えるといっても、その鷲獅子をレオが追えないなら意味がない。
だが。
「大丈夫。僕が乗る」
「は?」
「駄目だわ……やっぱり頭が……」
エルナが頭を押さえて呟く。
まぁ言いたいことはわかる。鷲獅子に乗る鷲獅子騎士は王国ですら希少。乗り手に選ばれるにはその鷲獅子に認められなければいけない。
「なぁ、レオ。俺にはその鷲獅子が温厚そうには思えないんだが?」
「レティシア以外に懐いてないらしいよ」
「そうか……」
思わず遠い目をしてしまう。
記憶が正しいならレティシアは白い鷲獅子に乗っていた。懐かれているレティシアですら乗らないところを見れば、どれほど扱いにくいのかわかる。
騎乗者がいて、その背に跨るならわかる。まぁそれでも騎乗者のいる鷲獅子といない鷲獅子では速度に差が出る。しかもコントロールされていない鷲獅子はどんなルートを通るかわからない。
だから乗ってコントロールするというのは良い手だろう。問題なのは言うほど簡単じゃないということだ。
「ほかの鷲獅子騎士に任せたらどうだ?」
「ほかの鷲獅子に跨る騎士をこの子はきっと認めない。それにね……馬鹿だと言われるかもしれない。愚か者と言われるかもしれない。こんな状況で不謹慎だと言われるかもしれない。身勝手で、傲慢で、僕のことをエゴイストと呼ぶ人だっているかもしれない。それでも――レティシアのところに真っ先に行くのは僕でありたい。彼女にもう大丈夫だと言うのは僕でありたい……おかしいかな?」
「だいぶ変だな。そんな理由で鷲獅子に乗ろうとするのはお前くらいだろうさ。ま、たまにはいいんじゃないか。馬鹿になるのもな」
真面目なレオらしくない言い分だった。
レオは自分より他者を優先してきた。帝国のため、民のため。今もレティシアのためかもしれないが、その中で自分のエゴを出した。
それを良くないことだという奴もいるだろう。だけど、俺はそれでもいいと思う。
多少は欲物であったほうが人間味がある。ましてや惚れた相手のことだ。
我儘も許されてもいいはずだ。
「問題はそんな馬鹿を背中に乗せてくれるかだけどな」
「蹴られて終わると思うのだけど……」
「どうかな。時には馬鹿のほうが強いときもある」
俺がそう言うとレオはニコリと笑い、小屋の扉を開けて黒い鷲獅子の下へ向かった。
「クウェェェェェ!!!!」
黒い鷲獅子はレオを見た瞬間、目を光らせて前足を高くあげてレオを蹴り飛ばそうとする。レオなら避けようと思えば避けられただろう。ただその場合、小屋からでなくちゃいけない。
それを嫌い、レオはその攻撃を剣の鞘で真正面から受け止めた。
「怒りはわかるよ……君の大好きな主がいなくなったんだ……当然だよね」
ジリジリとレオの体が押されていく。
体重が違う。元々のパワーが違う。単純な力比べじゃ勝ち目はないだろう。
それでもレオは一歩も退かない。
「僕は守れなかった……すべて僕の責任だ……それでもまだ間に合うかもしれない……だから君の力を貸してもらう……」
「クウェェェェ!!」
「君にとっても悪い話じゃないはずだ……レティシアを助けにいくんだ……」
どんどんレオが押されていく。
エルナがたまらず剣に手をかけるが、それを俺は止めた。
誰かの助けを借りてちゃ鷲獅子はレオを認めない。これはレオと鷲獅子の問題だ。
「アル……」
「大丈夫だ。あいつは――俺の自慢の弟だ」
黒い鷲獅子は埒が明かないとみて、一度退く。
そして少しだけ距離をとって、レオに向かって突撃した。
小屋から吹き飛ばそうとしたのだ。
それすらレオは受け止めた。そして歯を食いしばって、踏ん張り、耐えきって叫んだ。
「僕の愛した人を助けにいくんだ……! 力を貸せ! ノワール!!」
そう言ってレオは思いっきり黒い鷲獅子の頭に頭突きをかました。
まさか頭突きとは。レオらしからぬ野蛮な攻撃だ。とはいえ、効果はあったようだ。
黒い鷲獅子はフラフラと数歩下がる。そしてレオを睨みつけた。
だが、レオはそんな黒い鷲獅子の目を真っ向から受け止めて跳ね返した。
それは逆らうことを許さない王者の視線だった。有無すら言わせぬ眼光を見て、黒い鷲獅子はゆっくりと頭を垂れた。
「嘘だろ……あのノワールが……頭を下げた……?」
「誰も認めなかったのに……」
周りにいた鷲獅子騎士たちが驚きの声をあげる。
そんな騎士たちをよそに、レオはノワールを外に出してその背に跨った。
そして。
「騎士たちよ! 準備しろ! 君らの主君を助けにいく!」
「さっきから話が見えません! レティシア様は!」
「彼女は生きている! このノワールの様子が答えだ!」
「で、ですけど……」
「わずかな可能性にかけて僕についてくるか、ここで絶望を感じてうずくまるか。二択だ! 今、決めろ! 迷っている時間はない!」
一瞬、誰もが押し黙った。
黒い鷲獅子の背に跨ってみせたレオには雰囲気があった。実力的な意味じゃない。
何かやってくれるんじゃないか。この人についていけば間違いないんじゃないか。
そんな頼もしさが今のレオには漂っていた。
「……お供します」
一人の鷲獅子騎士がそう呟き、すぐに自分の相棒である鷲獅子の下へ走って、準備を始めた。
それを見てその場にいた鷲獅子騎士たちが全員、動き出した。
彼らは詳しいことは何も知らない。それでも動いたのはレオの言葉にそれだけの価値があったからだ。
「兄さん……」
「行ってこい。彼女は多くの人を救ってきた聖女だ。けれど、彼女を救う人はいない。救えるだけの力を持つ者が少ないからだ。強いから大丈夫、偉いから大丈夫。そんなのは幻想だ。助けてもらえるなら誰だって助けてもらいたいさ。だから行ってこい。そして帝国の英雄ではなく、彼女だけの英雄になってこい。できるな?」
「もちろん!」
そうレオが言った瞬間。
俺たちの後ろから大勢の足音が聞こえてきた。
バレたか。
現在、城は封鎖中。それは皇帝の絶対命令だ。そこから抜け出すのは皇帝の命令に逆らうということだ。
たとえ皇子といえど許されることではない。
「行け。こっちの面倒事は俺が引き受ける」
「……ごめん。いつも迷惑ばかりかけて」
「いいさ。兄貴は弟に面倒をかけられるためにいるんだからな」
「うん。ありがとう。行ってくるよ」
そう言ってレオは鷲獅子騎士たちと共に飛び上がった。
それを見て、近寄ってきた近衛騎士たちが声をあげる。
「お待ちを! レオナルト皇子!」
「皇帝陛下のご命令に反します!」
「エルナ……一緒に怒られてくれるか?」
「まったく……困った兄弟よね。あなたたちって」
「悪いな。厄介な幼馴染で」
「そうね。厄介で世話が焼ける。でも……二人の無茶は嫌いじゃないわ」
「なら悪いんだが、彼女を止めてくれ」
「――お任せを」
そう言ってエルナは一瞬で姿を消した。
そしてレオを追おうとした一人の近衛騎士の前に立ちはだかった。
「……私の前に立ちはだかるというのがどういう意味を持つのかわかっていますか? エルナ」
「もちろんです。ヴァイトリング騎士団長」
そう言ってエルナは真っすぐと蜂蜜色の長い髪を持った美女と視線を交わした。
その女性の名はアリーダ・フォン・ヴァイトリング。
ラウレンツの姉にして、テレーゼ姉上の妹。
帝国最強を誇る近衛騎士団を率いる近衛騎士団長兼第一騎士隊隊長。
「許せ、騎士団長。責任は俺にある」
「あなただけで責任を取れる問題ではありません。アルノルト殿下。これは皇帝陛下への反抗です」
「かもな。まぁここはひとまず俺を拘束しておいてくれ。今から追うにしても一苦労だろ?」
「……覚悟の上ですか」
「もちろん」
そう言った瞬間。俺の横に近衛騎士がいた。
エルナの傍にもいる。
抵抗はしない。どうせ弁明のために父上のところに連れていかれる。
むしろ好都合だ。あとは信じてもらえるかどうかだが、そこは俺の言葉次第だろう。
さて、俺は俺の闘いを始めるとしよう。