第二百五話 顔をあげろ
レオの部屋に行くとレオは椅子に座ってジッとしていた。
それをエルナが悲し気に見つめていた。
「アル……」
「どうだ? 様子は?」
「気づいてからずっとあの調子よ」
完全に覇気を失い、魂が抜けたような様子だ。
きっちりしているレオは背を丸めることはない。しかし、今は背を丸め、小さく椅子に座っている。その視線はどこを見ているのかわからない。
「レオ……アルが来たわよ?」
「……」
エルナの言葉にレオは反応しない。
そんなレオの様子を見て、俺はため息を吐いた。完全に意気消沈だな。
仕方ないことだろう。レオはレティシアにプロポーズした。その返事がどうであれ、その時点でレオにとってレティシアは世界でもっとも大切な人だった。
なにがあっても守ると心に誓ったはずだ。その決意を、覚悟を。すべて粉々に砕かれた。
仕方ない。しょうがない。
普通ならそういうことになるんだろう。
だが、それが許される奴と許されない奴がいる。レオは後者だ。
「いい加減にしろ。腑抜けている暇がどこにある? 戦いはまだまだこれからだぞ。お前は帝位を争っているんだからな」
「……帝位なんて……どうでもいい……」
「そうか」
こちらに視線をよこさず、レオがそう呟いた。
すべてどうでもいい。そんな態度だ。
だから俺は右拳を握って、思いっきりレオの顔を殴った。
「アル!?」
レオが椅子から落ちて机にぶつかる。机にあるモノが落ちて、部屋中にいろんな音が響いた。
俺は右拳から来る痛みに顔をしかめる。久々に魔法も使わず、思いっきり殴ったな。たぶんヒビくらいは入ったかな。
でもそんなことはそれこそどうでもいい。
「同じことをお前のために死んだ奴らの前でもいえるか? お前ならよりよい帝国にできると信じて命を落とした者が何人いると思っている?」
愛した人が死んだからしょうがない。
大切な人が死んだからしょうがない。
そうやって許される奴と許されない奴がいる。
皇族は後者だ。とくに帝位を争う者は何があっても止まってはいけない。どれだけ絶望を感じてもそれを振り切って、這い上がらなければいけない。
だが、レオは倒れたまま動かない。
「やめてよ……僕は……兄さんみたいに強くないんだ……」
「俺が強い? 勘違いだな。お前が弱いんだ」
「……大事な人が死んで……悲しむのが弱いことなの……?」
「悲しむことは弱いことじゃない。立ち止まることが弱いんだ。下向いたって何の解決にもならない。皇帝を目指す者ならどんなことがあっても〝それでも〟と言って立ち上がれ」
「……帝位なんて……興味はないんだ……僕がなるしかなくて……ならなきゃ周りを守れないから目指してただけなんだ……でも……一番守りたいと願った人が死んだ……なのに僕は〝それでも〟と周りを守ろうとしなくちゃいけないの……?」
心が折れた覇気のない声が耳に届いてくる。
きっと今、レティシアが生きていると伝えても、レオは立ち上がれない。
わかってる。レオは優しいから。
立ち上がって、また誰かを失うのを怖がっている。
守ろうと執着すればするほど、失ったときの絶望は大きい。
しかし、立ち上がらなきゃ誰も守れない。
「失うのが怖くて……もう悲しみたくなくて……その場で蹲るのは人に備わる防衛本能だ。心が耐え切れないから。でもな、そのままじゃ誰も守れないぞ? 失っていくのを見ているだけだぞ? どれだけ自分には何も残っていないのだと言い聞かせたって……人は一人じゃない」
十三歳の頃。
母の病を知った。どの医者も匙を投げるほどのモノだと。
治すために様々な書物を読み耽った。その過程で古代魔法に傾倒した曾祖父のことを知り、曾祖父を中心に調べていくうちに、古代魔法の適性がある者しか開けない秘密の部屋の存在を知った。
その秘密の部屋を探し出し、そこで本に封印された曾祖父を解放し、俺は古代魔法を会得した。
過去、これほど頑張った期間があっただろうかというほど努力した。
二年近く掛けて、ある程度の古代魔法を会得し、その治癒結界で母を治療しようとした。
けれど、効果はなかった。母の病に古代魔法は無力だった。
母の部屋には体調を悪化させる結界が張ってあった。それを壊すことはできたが、それはそもそも体に巣くう病魔を加速させるだけ。
母は元から病人であり、それを取り除く方法を俺は持っていなかった。
死にたくなった。ろくでなしな俺でも認めてくれる母を助けるために、生涯でもっとも集中した期間だった。それが無意味だと突きつけられて、死にたくなった。
もう何もかもどうでもよくなった。自分の努力が無価値だと思えた。それ以上にそこまでしても母を救えぬことに絶望した。
母さえ救えればそれでよかった。いつまでも見守っていてほしかった。
部屋に閉じこもって、泣いて、自らの無力を呪った。母を救えぬ力に何の意味があるのか。
とても前を向ける気分ではなかった。
それでも……俺にはレオがいた。
理由も聞かず、部屋に閉じこもった俺に食事を運んできた。他愛のない話を扉ごしに続けた。
弟にそこまでさせて――諦めてはいけないと思えた。顔をあげなければと思えた。
ここで立ち止まり続ければ、大事な家族が消えていくのを見ていることしかできないと気づけた。
それから大陸中に伝わる伝説の薬を調べた。どれもこれもあるのかないのかすら判断できない物ばかりで、正攻法じゃ絶対に手に入らない物だ。皇帝になってもきっと手に入らない。
ただ一つ可能性がある存在がいた。
その職業柄ゆえ、未知と遭遇する可能性が高い冒険者だ。その最高位であればもしかしたらと思った。
伝説やら幻と呼ばれるモンスターはその希少性ゆえ、薬の材料に記載されていることも多い。
それらを討伐するだけの力が必要だったが、幸いなことにその力は得ていた。
本当はあちこちを飛び回れば効率がよかったが、当時の帝国は皇太子を失ったばかりで暗雲に包まれていた。
レオはそれを憂いていた。犯罪率もあがり、どうにかするのが皇族の役目だと言っていた。
だから俺はシルバーとして仮面を被り、SS級冒険者となった。帝都に君臨し、帝国を守りながら、微かな希望を探し続けた。
諦めては意味がない。顔をあげれば色んなものが見えてくる。
もしかしたらという可能性の光が見えてくる。自分は一人じゃないこともわかる。守りたい、救いたい人の大事なものも見えてくる。それを守り、救うのもその人たちのためだと気づける。
母が愛し、弟が救いたいと願う帝国を守ろうと思えた。
価値のない物に思えた古代魔法が輝いて見えた。どうでもいいと思っていたすべてが色づいて見えた。
「顔をあげろ。すべてを失ったように思えてもお前は一人じゃない。大事な物を守るために皇帝になろうと決めたんだろ? 民のことを考えれる皇帝になりたかったんだろう? 帝国で起きるすべての悲劇を否定したかったんだろう?」
「……僕は……愛していると言った人すら守れない男なんだ……そんな僕が帝国なんて守れない……僕なんかが皇帝になっちゃいけないんだ……!! 僕は皇帝に相応しくなんてない!」
「なら、これから相応しくなればいい。失うのが怖くて、泣きたくないならすべてを守るしかない。どうにでもなれと思って、絶望の底に落ちた奴は強い。もうそこに戻りたくないと思うから。きっと歴代の皇帝はそうやって強くなっていった。悲しくて、どうにもならないことも乗り越えて、もう悲しまなくていいようにすべてを守ってきたんだ」
「……僕は……!!」
「お前がなんと言おうと俺は何度も言うぞ? 顔をあげろ。俺を見ろ。お前は一人じゃない。俺たちは双子だ。生まれたときから一緒だった。お前が守れないモノは俺が守ってやる。その代わり、お前は俺の守れないモノを守れ。欠けている部分を補って、これからも進んでいくんだ。お前が立ち止まってちゃ俺も前には進めない」
「兄さん……」
ゆっくりとレオが顔をあげた。
涙で濡れた顔はきっとあの日の俺と同じ顔だ。
痛む右手を俺はレオに差し出した。
その手にレオが手を伸ばした。しかし、途中でレオの手が止まる。だが、意を決したような表情でレオは俺の手を強くつかんだ。
「レティシアが言っていた……僕は皇帝に向いているって……彼女のためにも……僕は皇帝になるよ……それがきっと……」
「さすがレティシアだ。良いことを言う。じゃあその言葉のお礼を言ってこい」
言いながら俺はレオを引っ張って起こす。
俺の言葉にレオが目を見開く。
「え……?」
「彼女は生きている。彼女の部屋にあった死体は彼女に偽装した偽物だ。これは殺人に見せかけた拉致だ」
「嘘……だって……」
「よく見ればお前も気づけたと思うけどな。まぁ、お前に気づけないことは俺が気づいてやるよ」
そう言って俺はニヤリと笑う。
だが、そんな俺の耳を横から強く引っ張る奴がいた。
「アル~? それってどういうこと~?」
「痛い痛い!? やめろ! エルナ!」
「聖女レティシアが生きてるって知ってたの!? 知ってて、今のやり取りしたの!? 返して! 兄弟愛に涙した私の感動を返して!!」
「いや! あくまで推測だし! そもそもレオが意気消沈してる状態で言っても意味ないだろ!?」
「真っ先に言いなさいよ! そっちのほうが立ち直りが早いに決まってるでしょ!? 性格悪いわよ!?」
「俺なりに配慮してだな……!」
「うるさい! 回りくどいのよ!」
そう言ってエルナは俺の耳をどんどん引っ張る。
このままじゃ千切れると思ったとき、レオがつぶやいた。
「そっか……彼女は生きてるんだね……」
「俺の推測が正しければ、だけどな。しかもそれでも安心とはいえない。犯罪組織に身柄が渡っているだろうし、現在進行形で大ピンチだ」
「でも生きてる……なら助ければいい。そうだよね?」
「そのとおり。とりあえずこの推測を父上に認めさせないといけない。そのためにお前の力をだな」
「ごめん、そっちは任せていい? 僕は彼女のところに行くよ」
そう言ってレオは自分の剣を持って部屋を飛び出してしまった。
俺とエルナは茫然としてレオを見送ってしまった。
「え? おかしくなっちゃったの?」
「さぁな……まぁ見つけるアテがあるんだろ」
「どうやって? 愛の力とか言い出さないわよね?」
「まぁそれで見つかるならそれでもいいけどな」
「けど、もしもレオが聖女レティシアの後を追えるとして、平気なの? 必要だったんじゃないの?」
「まぁそれならそれで何とかするさ。お前の力も借りることになると思うけどな」
「当たり前よ。城の中でいいようにやられたなんて、近衛騎士の恥だわ。なにより……私の幼馴染を苦しめた。万死に値するわ。どこに行こうと八つ裂きにしてやるわ!」
怖い怖い。
今回の犯人側のやつらはレオだけじゃなくて、エルナの逆鱗に触れたな。
まぁ怒っているのは二人だけじゃないが。
人の弟の想い人に危害を加えたんだ。
それ相応の覚悟はしておいてもらおう。
「よし、じゃあとりあえず追うぞ」
「そうね。妄想だったら連れ戻さなきゃだし」
そう言って俺はエルナと共にレオを追ったのだった。