第二百二話 黄金の鷲の一族
長かったなぁ(;^ω^)
「ふー……疲れましたね」
「え、ええ……」
夜。
パーティー会場を抜け出したレティシアとレオは城の外を歩いていた。
レティシアは楽しそうに歩いていたが、レオはそれどころではなかった。
バルコニーにおいて、アルにプロポーズの仕方がわからないと告げたレオだったが、アルには俺もわからんと返されてしまった。
「そりゃあ兄さんも経験ないかもしれないけどさ……」
弟の一生モノのピンチに対して、わからんとは何事かとレオはため息を吐いた。
子供の頃からレオにとってアルは相談役だった。困ったことがあれば相談し、その相談に対してアルはいつも為になる答えを返してくれた。
周りの大人たちとは違う視点で物事を捉えるアルは、そのときそのときで必要なことをわかっていた。だからレオはアルを頼ってきた。
しかし、今回は答えてくれなかった。答えられなかったわけじゃない。答えなかったのだとレオはわかっていた。自分で考えろということだ。
考えた結果、どうすればいいかわからないというのに、だ。会話の最後のほうにアドバイスらしきものをくれたが、詳しいアドバイスではなかった。レオは詳しいアドバイスが欲しかったのだ。
あんまりだと思いつつ、レオはレティシアの後を追っていく。
たどり着いたのは鷲獅子たちの小屋だった。
「ふふ……元気にしてましたか? ブラン」
そう言ってレティシアは自らが騎乗してきた白い鷲獅子の頭を撫でる。
その後ろから自分も撫でろとばかりに頭を出したのは、乗り手がいなかった黒い鷲獅子だった。
「はいはい。ノワールも元気でしたか?」
「あの……レティシア」
「はい? なんでしょうか?」
「その、あなたの騎乗する鷲獅子は白い鷲獅子ですよね? 黒い鷲獅子はどういう理由で連れてきたのですか?」
「この子は連れてきたのではなく、ついてきたんです」
そう言ってノワールと呼ばれた黒い鷲獅子の頭を撫でながら、レティシアは苦笑する。
ついてきたという言葉にレオは怪訝な表情を浮かべた。
鷲獅子はペルラン王国に住む幻獣種だ。人間から危害を加えないかぎりは人間を攻撃しないため、モンスターではなく貴重な動物として扱われている。
賢く、勇猛であり、誇り高い鷲獅子は滅多なことでは人を主とは認めない。鷲獅子騎士の数が少ない理由の一つだ。
その鷲獅子がついてきたとはどういうことなのか。
「私を最初に乗せてくれた鷲獅子はこの子たちの母だったのです。その子は病気で亡くなってしまいましたが、その後、私がこの子たちの母親代わりでした。そのせいか、どちらも私に懐いてしまって……特にノワールは私以外受け付けない子で、どこに行くにもついてくるんです」
「母親代わりですか……」
「ノワールは気性も荒いですし、あまり他国には連れてきたくはなかったので最初は置いてきたんです。しかし隙を見て脱走したようで……」
「なるほど……繋がっているんですね」
「ええ、この子はどこにいても私を見つけます。私の前ではとても良い子なんですが……」
そう言ってレティシアはノワールの顎を撫でる。するとノワールは気持ちよさそうに喉を鳴らした。
たしかに見ているかぎりでは大人しそうに見える。だからといって自分も触ろうとはレオにはとても思えなかった。ノワールがレオを見る目は確実に敵を見る目だったからだ。
ここではとてもプロポーズなどできない。したら最後、この鷲獅子に噛み殺されるのではないか。そんな想像をしてしまって、レオは場所を変えることを提案する。
「れ、レティシア。あの……絶景を見たくはありませんか?」
「絶景、ですか?」
「はい。帝都を一望できる場所が……」
言いかけてレオは自分の過ちに気づく。
空を駆ける鷲獅子の背に乗るレティシアは、綺麗な景色など見飽きているだろう。
城から帝都を一望できる場所は最高の眺めを約束してくれるが、果たしてレティシアはそこに感動を覚えるかどうか。
レオは途中で頭を抱えてしまった。
そんなレオの様子にレティシアはクスリと笑う。
「絶景もいいですが、もっと行きたいところがあります。連れていってくださいますか?」
「は、はい! 喜んで!」
「では行きましょう!」
そう言ってレティシアはレオの手を取って走り出した。
■■■
「わー! 本当に隠し部屋になっているんですね!」
そう言ってはしゃいだ様子を見せるレティシアがいるのは、城にある秘密の隠し部屋だった。
そこは一般的に知られていない隠し部屋であり、城の下層にある一室の隣に存在した。
入口は歴代皇帝の肖像画の後ろにあるスイッチを押すことで現れる仕組みで、普通ではまず見つからない隠し部屋だ。
「ここに来たかったんですか?」
「はい。覚えていますか? 五年前、私がミツバ様と話をしているときにアルノルト皇子と二人で、隠し部屋を見つけに行くと話をしていたの」
「そういえばあの時期ですね」
五年ほど前。
アルとレオは城の隠し部屋を見つけるという遊びにはまっていた。
帝剣城はその時代の皇帝によっていくつも手を加えられており、知られていない秘密の部屋や通路がたくさんあった。
皇帝ですら把握できていない隠し部屋を見つけ出す。それは少年の冒険心をくすぐる遊びだったのだ。
「二人の話を聞いて、私も行ってみたいと思ったのですが……さすがに立場的に言い出せず、ずっと気になっていたんです」
そう言ってレティシアは秘密の部屋を散策する。
かなり広いその部屋はシンプルだが高価な家具がそろえられており、中央には大き目のベッドが置いてあった。
「兄さんが調べたかぎりじゃ作ったのは五代前の皇帝だそうです。たぶん愛人との逢引に使っていたんじゃないかと」
「皇帝ならば側室に取るという手があったのでは?」
「詳しいところはわかりません。図書室で調べていて、兄さんが見つけたのは直筆の手紙ですから。文面から察するにその愛人にあてたものでしょう」
「手紙にはなんと?」
「短いものです。〝叶わぬ恋の人へ、秘密の部屋でお待ちください〟と。五代前の皇帝は生涯、側室を持たないことで知られた方だったので驚きましたよ」
「あまり褒められたことではありませんが……素敵だとも思います。こんな部屋まで作っても会いたかったんですね」
「きっと……すべてが許されるならその人と結婚したかったんでしょうね。けれど帝国のために皇帝として生きることを選んだ」
それは皇族としては褒められるべきだ。
側室を取らないことで、正室の一族とはより強い絆で結ばれる。当時の帝国にはそれが大切だったのだろうとレオは推察していた。
しかしそれとは別に諦めきれない恋心があったのだろう。だからこの部屋を作った。
皇帝とて人間だったということだ。
「なんだか悲しいですね……」
「そうですね……」
その話を聞いたとき、レオもそう思った。
しかしアルは違った。
笑ったのだ。五代前の皇帝を。馬鹿な皇帝だと。
「兄さんは言っていました。手紙が本に挟まれていたのは愛人からのアプローチだと」
「アプローチ?」
「皇帝からの秘密の手紙。本来なら即座に処分すべきところを、受け取った愛人は処分せずに本に挟んでいた。兄さんは関係が発覚することを愛人は望んでいたんだろうと」
「なんだか途端にドロドロですね……」
レティシアは困ったような表情を浮かべる。
同じような表情をレオも当時は浮かべた。
アルいわく、愛人は関係が発覚したあと、責任を取って側室に取るという皇帝の器に期待したのではないかということだった。
しかし、二人の関係は結局は表には出なかった。そのときに何があったかはともかく、アルはそんな五代前の皇帝を大馬鹿者と断じた。
「愛した人を守れずして帝国が守れるものか」
「アルノルト皇子の言葉ですか?」
「はい。兄さんは愛した人を側室にすらできなかった当時の皇帝を徹底的に罵倒しました。当時はそこまで言うかと思いましたが……今ならよくわかります。当時の皇帝は大馬鹿者です」
皇帝は帝国にすべてをささげる。帝国を第一に考える。それは当然のことだ。
しかし同時に皇帝も一人の人間。どんなに頑張っても無理が出る。
そんなときに支えてくれる人が必要となる。
その支えてくれる人を守るのも皇帝の仕事。度量の見せ所だ。
愛人がどんな立場だったかはわからない。もしかしたら他国の人間だったのかもしれない。もしかしたら複雑な立場の人間だったのかもしれない。
しかしそれをどうにかしてしまえるのが皇帝だ。
皇帝ならば愛したならば側室にと迎えるくらいの甲斐性を見せるべきだろう。こそこそ会うなど情けない。
秘密の部屋だけで囁く愛にどれほど価値があるのか。
レオはスッと顔をあげて真っすぐにレティシアを見つめた。
「レティシア。あなたに言っておきたいことがあるんです。聞いていただけますか?」
「はい? なんですか? 改まって」
レオは軽く深呼吸をした。
五代前の皇帝が大馬鹿者ならば、今の自分はそれ以下なのだろうとレオは思った。
秘密の部屋だけとはいえ、五代前の皇帝は愛を告げた。しかしレオはまだ自分の胸の中にしまっている。
自分の胸の中でささやく愛にどれほど価値があるのか。
言わないことで輝く愛だって世の中にはあるだろう。しかしレオのそれは違う。
言葉にしなければ伝わらない。
レオはアルとの会話を思い出す。
「わ、わからないって……兄さん、それはひどいよぉ……」
「お前のことだろうが。俺に聞くな」
「で、でも……断られるかもしれない……そしたら全部無駄になる……彼女を救えないし、両国の関係も、僕と彼女の関係も……壊れる……。僕は怖いよ……全部賭けて断られたら……」
立場があるゆえに背中に圧し掛かるものも重い。
平民が平民に結婚してくれと頼むのとはわけが違う。
だが、アルはいつもと変わらない雰囲気で告げた。
「やかましい。そういうのは全部賭けて言ってから考えろ。当たって砕けたら破片は拾ってやる」
「ひ、他人事だと思って……」
「俺たちは双子だが、これに関しちゃ他人事だ。当たり前だろ。お前の隣に一生立つ人のことなんだから」
「兄さん……」
「とはいえ、撃沈したら俺も面倒だ。だから一つだけアドバイスしておいてやる」
そう言ってアルは最後にアドバイスを残した。
そのアドバイスを胸にレオはスッと息を吸って――告げた。
「レティシア。僕の妻になってくれませんか?」
たったそれだけのことを言うのにレオはかつてないほど勇気を使った。
悪魔に挑むほうがよほど楽だったと思いつつ、レオは震える手を握り締める。
怖くて仕方なかった。断られれば多くの物を失う。
それでも言わないことのほうが多くを失う。
人と人との関係を前に進ませるというのは、今の関係を捨てるということでもある。大きく前に進もうとすればするほど、捨てる物も大きくなる。だから勇気がいる。捨てることを人は恐れるからだ。
でもとレオは心の中で呟く。
言ってから考えろとアルは言った。前に進んでから考えればいい。
時間があれば、少しずつ前に進む方法もあっただろう。だが、レオには時間がなかった。
留まるか進むか。二択しかない以上、レオの選択肢は決まっていたのだ。
しかし。
「……私を救うためですね。私が帝国の皇子と結婚すれば、たしかに帝国と王国は戦争にはならないでしょう。多くの問題はあるとはいえ、私という強い王国の象徴がいなくなるため、王国の戦争への機運は薄まります。それはきっと良い手なのでしょう……ですが」
「違います」
「違う……?」
レティシアが驚いたように目を見開く。
アルは最後にアドバイスをした。
それは問いかけだった。
救いたいからプロポーズするのか、愛しているからプロポーズするのか。そこははっきりしておけ。
そうアルは告げた。
その問いかけに対して、レオははっきりと答えを持っていた。持つことができていた。
「五年前……あなたと出会ったときから好きでした。一日たりともあなたを忘れたことなどなかった。そして……今日一日でよくわかりました。僕はあなたを愛している。十年、二十年、その先もずっと。傍にいてくれる人はあなたがいい。あなたじゃなきゃ駄目なんだ。あなたを失うなんて考えられない。誰かがあなたを奪うなら――僕があなたを奪う。どこの誰だろうと渡しはしない」
黄金の鷲の一族。
帝国の皇族、アードラー家はそう呼ばれることがある。
帝国の紋章である黄金の鷲が元々、このアードラー家が掲げた家紋だったため、そう呼ばれる。
その一族は時に優雅に空を舞い、時に爪を隠しながら大陸中央部に巨大な帝国を作り上げた。
その性質は狩猟者と同義と呼ばれる。アードラーの一族は狙った獲物を逃さない。天性の皇族として、彼らは獲物を前にすれば信じられない強引さを発揮してきた。
魔王が現れ、混乱した時代にあっても強国であり続け、自国の強化をしてきた彼らを揶揄して敵対者たちはこう呼ぶ。
略奪者と。