第百九十五話 諦めの聖女
うー、体調が戻らない……( ;∀;)
「我が治世は二十五年を迎えた。皆には苦労もかけてきた。良いことばかりではなかっただろう。反省すべき点はいくつもある。だが、こうして無事にこの日を迎えられた。それは支えてくれた臣下たち、そしてついてきてくれた民たちがあればこそ! 今日という日は皆のための日だ! このような皇帝によくぞついてきてくれた! 帝国が存続し、栄え続けたことを祝い、喜び、そしてこれからの未来に希望を持って歩こう! 今日はそういう特別な日にしようではないか!!」
皇帝ヨハネスの演説により即位二十五周年を記念した式典の開会式が始まった。
それを観覧席から見ていたレティシアとレオは拍手をしながら民に視線を移す。
「皇帝陛下万歳!!」
「帝国万歳!」
「帝国よ永遠であれ!!」
熱狂ともいうべき雰囲気を見て、レティシアがふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「よい国ですね」
「そうですね。陛下は……いえ、父上は良い国を作られた。僕もあのようにあれたらといつも思っています」
「レオナルト皇子ならきっとなれます」
そう言ってレティシアは笑顔を浮かべた。
お世辞ではなかった。レオならばできるとなぜか自信をもって言えた。
「……そうであればいいのですが」
「自信がありませんか?」
「そうですね……僕は自信を持てることを何もしていませんから」
「ふふ、あなたにそれを言われては多くの人が立つ瀬がないでしょうね」
「謙遜ではありません……本当に僕は何もしていないんです。人は僕を英雄と呼ぶ。けれど、英雄と呼ばれるほどのことを僕はしていない。必死に皇族としての義務を果たし、周りが助けてくれただけです」
「人に助けられるのも王の素質だと思いますが?」
「そうかもしれません。幸運にも周りの人には恵まれています。ですけど、それが最も大切だとするなら……僕より優れた人がいる」
そう言ってレオは違う場所で皇帝の演説を見ているアルのほうに視線を移した。
そこではオリヒメとウェンディがおり、クリスタやフィーネもいた。
アルは全員と打ち解けた様子で会話をしている。
レティシアとすら満足に打ち解けることができない自分ではできない芸当だと思えた。
「たしかにアルノルト皇子は素晴らしい方だと思います。あの人はきっと人を味方にする才能があるのでしょうね。私も……あの人が弟なら楽しいだろうなと思います」
「お、弟ですか?」
「弟です。私のほうが年上ですから」
ひとしきり自分のほうが年上だということを強調したレティシアは、柔らかな笑みをレオに向けた。
その笑みを見て、レオは顔を赤くする。
「レオナルト皇子は悩まれているのですね。自分が皇帝になるべきなのか。アルノルト皇子のほうがふさわしいのではないかと」
「……はい」
「では断言しましょう。きっとあなたのほうが皇帝に向いています。アルノルト皇子は近しい人に興味を示しますが、そうでないならきっと興味を抱きません。今も傍にいる人たちに目を向けても、民には目を向けていませんから。一方、レオナルト皇子は国を家族と捉えることができます。民のために何ができるのか。そう考えられる人です。どちらが皇帝に向いているかははっきりしているかと」
「向いているですか……」
「はい。あなたは向いています。そして相応しいのもレオナルト皇子です。王とは国の象徴。王は決断し、国を導く存在です。そうである以上、王を目指し、国をよくしようと考える者が相応しい。アルノルト皇子は資質に恵まれていても、その意思に欠けます。なぜならあの人にはあなたがいるから。あなたがいる以上、アルノルト皇子は王を目指さないでしょう。誰よりもあなたを認めているからです」
まだ足りませんか? とレティシアが視線で問いかける。
それに対してレオは首を横に振った。
勢力が弱かった頃は必死だった。やらなければ死が後ろにあったからだ。
しかし勢力が大きくなり、皇帝の椅子というものがちらつき始めて、迷いが出てきた。自分でいいのかという迷いだ。
迷うほどには余裕ができたということだ。だがその迷いも払しょくされた。
迷うだけ無駄だったと気づけたからだ。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そうですか。それは良かったです」
レオがアルのほうが相応しいと感じたように、アルもレオのほうが相応しいと感じている。
そして向いているのは自分だというなら答えは決まっている。
皇帝になったからといって兄弟でなくなるわけではない。互いに信頼し、今までと同じように支え合っていけばいい。
その未来がレティシアの言葉で見えた。
目の前にあった霧が晴れたような気分だった。ずっと抱いていた迷いが消え去ったのだ。
感謝しつつ、レオはもう一度、アルのほうを見る。
アルはレオのほうを見ない。
それはきっとレオを信頼しているから。そしてそれは無言のメッセージでもあった。
レオとて馬鹿ではない。
ずっと傍にいたのだ。
レティシアが何か抱えていることは察していた。だが、それをどうするべきか扱いかねていた。
同じことをアルが気づき、相談してくるかもと思っていた。しかしアルは何も言ってこなかった。
気づかないはずはない。同じ双子なのだ。
ならば答えは一つ。
「僕に任せるってことか……」
「はい?」
「いえ……一つ答えにたどり着いただけです。レティシア」
さん付けもせず、ただ名前を呼び捨てにした。
今までにない呼ばれ方にレティシアは目を見開くが、レオはそのまま言葉をつづけた。
「あなたが僕の悩みを聞いてくれたように、僕もあなたの悩みを聞きたいと思っています。もしも信頼しているというなら――僕に話していただけませんか? あなたの悩みを」
レティシアの目を真っすぐ見つめてレオは告げる。
思いもよらなかった言葉にレティシアは言葉を失った。
「本当はずっと気づいていました。あなたが何かを抱えているのだと。けれど聞くのが怖かった。だから兄さんがその話を持ち掛けてくるまで待っていました。でも兄さんは何も言ってこなかった。きっとそれは僕に任せるということでしょう。だから聞きます。あなたが抱える悩みを僕に共有させていただけませんか?」
「レオナルト皇子……」
迷いのなくなったレオは真っすぐだった。
その真っすぐさにレティシアは最初こそ驚いたが、今はこれがこの双子の相違点なのだろうと分析していた。
アルはこんな風に真っすぐ聞くようなことはしない。回りくどいともいえる手を使い、聞き出そうとするだろう。一方、レオは一切寄り道もせずただ真っすぐに質問してきた。
どちらが自分にとって好ましいか。レティシアは考えるまでもなく後者だと思えた。
善意に対してレティシアは弱い。
そういう点でいってもレオはレティシアの説得に向いていた。
レティシアは困ったように笑ったあと、小さくため息を吐いた。
喋ってしまいたいと思ってしまったからだ。そう思わせる何かがレオにはあった。
喋れば巻き込むことになる。それは絶対に良いことではないとわかっていた。しかし、レティシアの口からこぼれたのはその思いとは裏腹な言葉だった。
「……国王陛下は老いられました。現在、政務の大半は第一王子殿下が取り仕切っています。そして……第一王子殿下は反帝国派と手を結びました。私を邪魔だと感じるようになったのでしょう。いずれ私は暗殺されると思います。王国はもはや私を必要としていないのですから」
「暗殺……? 王国のために尽くしたあなたを!?」
「もちろん味方してくれる方もいます。ですが……私はこの聖杖を手に取ったとき、王国にすべてをささげると決めました。王は国を導く者。そして次代の王が私の死を望むならば……私は受け入れます」
「そんな……そんなことって……」
「王国は変わりました。私が戦場に立ったとき、王国はひどく弱っていました。しかし今は違います。大陸三強と呼ばれるだけの力を取り戻しつつあります。そしてそれは民も同様です。民は自信を取り戻し、王国こそが大陸最強であると考え始めています。しかし現実的には王国は大陸三強の中では最も弱小と考えられており、そういう扱いを受けます。それが民の不満となりつつあるのです。そういう王国の雰囲気を感じ取ったからこそ、今までどちらの立場にもつかなかった第一王子も動いたのでしょう。私が考えを変え、帝国と事を構えることを容認すれば命は助かるでしょうが……私は帝国と戦うことが王国の未来につながるとは思えません。帝国は強い国です。戦うよりも手を取り、共に発展することのほうが王国のためになると思います」
「そのとおりです! レティシア、あなたは間違っていない! 僕が力になります!」
そうレオは語る。
聖女レティシアの人気は大陸規模だ。それを支持する勢力はかなりいるはず。それを帝国が後押しすれば、第一王子も考えを変えるだろう。
そうレオは思っていたが、それに対してレティシアは悲しく微笑む。
「この問題に帝国が関われば、王国と帝国の戦争につながります。最悪、王国を二分する内乱になりかねません。それを容認することはできません」
「ではただ殺されるのを待つのですか……?」
「帝国に迷惑はかけません。彼らはきっと帝国内で私を暗殺し、帝国との戦争の口実にする気でしょう。しかし、式典中に私を暗殺するのは至難の業です。近衛騎士が睨みを利かせてますからね。狙いはきっと帰路。しかし信頼できる者を連れてきています。私が暗殺可能になるのは王国領内に入ってからでしょう。ですから……この式典での時間が私の最後の時ということです。だからあなた方兄弟を指名しました。あなたたちならばきっと楽しい時間を過ごせると思ったから……」
帝国の近衛騎士団は大陸最強と言ってもいい。
その護衛を突破するのは非現実的だ。
しかし、いつまでも帝国にいるわけにもいかない。
「これが私の悩みです。そしてこれは私の問題です。レオナルト皇子が気に病むことではありませんから……どうかそんな悲しそうな顔をしないでください」
「……王が死ねと言えば……死ぬのですか?」
「……それが国というものです。私の聖杖は強力です。民たちが王国の力に自信を持つのは、この聖杖の力もあります。私が死ねば民の熱も落ち着くでしょう。そうなれば第一王子も方向転換がしやすくなります。戦争は悲惨です。しないで済むならしないほうがいい。私が王国領内で死ねば戦争は避けやすくなる……それが私にできる王国への最後の奉仕です」
そう言い切ったレティシアの顔に迷いはなかった。
聖杖は王国の奥深くに封印されていた。
国を救うためにその封印を解きに向かったときから、まともな死に方など望んではいなかった。
「私の最後の我儘です。どうか楽しい時間をください。レオナルト皇子」
そう言ってレティシアは笑う。
何を言えばレティシアの考えを変えられるのか。
レオにはそれがわからなかった。生きることをレティシアは諦めている。そんな人間に何をいえばいいのか。
そして結局、言葉は見つからないまま式典の開会式は終わり、帝都は祭りへと移行したのだった