第百七十七話 忘れていたこと
帝都に戻った俺を出迎えたのはセバスだった。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
いつものように銀の仮面を外し、黒いローブを脱いで服を着替える。
それが終わったあと、疲れたとばかりに椅子に崩れるように座って体重をかける。
「お疲れのご様子ですね」
「ああ、疲れた。そもそも霊亀戦で消費した魔力も大して回復してないし、それ以上に交渉というのは精神的に来る」
「交渉ですか?」
「ああ、ゴードンと交渉してソニアを解放した。人質となっていた彼女の家族もな。今はエゴール翁が護衛してる」
「それは朗報ですな。ゴードン皇子の陣営で警戒すべき人物が一人いなくなりました」
セバスの言葉に俺は一つ頷く。
霊亀戦の様子を見れば、ソニアがゴードンのために策を考えるとは思えないが、それでも人質がいれば何でもありえてしまう。
最悪、ソニアを人質にケヴィンが出てきた可能性だってある。そういう意味では、今回の一件はかなりでかい。
「エゴール翁にも貸しを作れたし、悪くない取引だった」
「心情的にも気がかりが一つ減りました。それも大きいのでは?」
セバスの言葉に俺は苦笑する。
やはりこの執事には隠し事はできないらしい。
「まぁ、そうだな。ソニアを助けれたのはデカいよ。心の重荷が一つ下ろせた気分だ」
「なかなか助けようにも機会がない人物でしたから、致し方ないでしょう。できれば陣営に迎えたいところでしたが」
「ソニアがゴードンの軍師だったことは広まってる。彼女が望んだとしてもすぐには迎え入れられない。周りが騒ぐ」
「それもそうですな。ヴィン殿もいますし」
「そうだな。ヴィンを軍師に迎え入れたことすら文句が出ているのに、ここで敵側の軍師まで引き入れたなんていったら勢力が二分しかねない。そんなことをしている暇はない」
これから父上の即位二十五周年の式典が始まる。
各国から参列者が集い、帝都では大きな祭りが開かれるだろう。
その時に、各国の要人の接待役は俺たち皇帝の子供たちに任される。
帝国は大陸三強と呼ばれる大国だが、一強ではない。残る二つの国がある。
一つは西にあるペルラン王国、もう一つは東にあるソーカル皇国。
国の規模や戦力という点では帝国が頭一つ抜けているという認識だが、片方と事を構えて長引けばもう片方に背を討たれるという立地上、帝国はバランスを取りながら動いてきた。
そんな二つの国の接待役。片方は間違いなくエリクで決まりだ。問題なのはもう片方。
式典が始まる頃には父上はゴードンを呼び戻すだろう。そこでゴードンを接待役に命じるのか、それともレオを命じるのか。それで今の帝位争いの順位ははっきりする。
順当にいけばレオが命じられるだろうが、不祥事が起きればそれも危うい。
ヘマをしなければほぼ間違いないからこそ、俺はゴードンの足を引っ張る情報と引き換えにソニアを助けた。
なにせ足を引っ張れば式典にゴードンは参加できない。それでは参加していないからレオが代役とみなされかねない。それではいけない。
「諸外国の要人にはレオがゴードンよりも上だと見せつけなきゃいけない。帝位争いの第二位までレオは駆けあがったのだと知らしめ、各国の要人と接点を持ついい機会だ」
「ようやくといったところですな」
「まだまだだ。目指すは頂点。皇帝の玉座だ。レオだって油断はしていないはずだ。なにせ最大の強敵がその前に君臨しているからな」
「たしかに、結局エリク皇子は無傷ですからな」
「無傷どころじゃない。ザンドラやゴードンの支持者が少しずつエリクに流れていってる。一度対立した俺たちよりもエリクのほうが逃げ込みやすいんだろう。俺たちがどんな争いをしようとエリクが最大勢力であることは揺るがない。エリクもそれがわかっているから動かなかった」
「動かないことが勢力の強化につながるということですか」
「ああ、それに父上の機嫌も損ねずに済むからな。ザンドラとゴードンは皇帝になりたがっていた。それが父上には透けてみえていて、二人に対しての当たりが強かった。だけどエリクは違う。皇帝の座への野心なんて見せない。自分がなるのは当然だと思っているからだ。その自信と皇帝の座についたあとのことを考えているエリクの視野の広さを父上は気に入ってる」
あくまで第一候補はエリクだ。他の二人が暴走気味だったのも、エリクが上にいるから無理をしないと皇帝にはなれないからだ。
とはいえ。
「セバス……あの三人は変わったと思うか?」
「皇太子殿下が生きていた時と比べての話ですかな?」
「ああ、そうだ」
「ええ、変わりました。とても」
「そうか……ソニアの養父から言われたよ。今回の帝位争いは何かおかしいと。お前もそう思うか?」
「……帝位争いは半世紀に一度は間違いなく起こります。歴代の皇帝たちが自分が老齢になる前に帝位争いを起こさせるからです」
「そうだな。あまりにも暴走が過ぎたときは皇帝が止めなきゃいけない」
「はい。そしてこれまでの争いの記録は多く残っていますし、私も前回の帝位争いのときの記憶はございます。そこから考えると今回は――おかしいかと」
セバスの言葉に俺は少し黙った。
これで三人。前回の帝位争いのとき、セバスは現役バリバリの暗殺者だ。当然、詳細に帝位争いの情報を得ていたはずだ。そのセバスが言う以上、少なくとも前回とはだいぶ違うんだろう。
「なにがおかしい?」
「帝国に被害が出るほどの行動は滅多にありません。完全に追い詰められているならまだしも、ザンドラ皇女にせよ、ゴードン皇子にせよ、勢力を維持している状況で内乱を起こしたり、関わろうとしました。そしてエリク皇子はそれを高みの見物です。皇帝になれば帝国は自分の物となります。国に被害を出すというのは自分の首を絞めるも同然。やはりおかしいかと」
「勢力を維持してさえいれば逆転はありえる。たしかに不自然だな」
馬鹿なだけというのはさすがに無理があるか。
その理論だといきなり馬鹿になったということになる。
少なくとも皇太子が生きていた頃はザンドラにせよ、ゴードンにせよ評価される皇族だった。
「……この問題は思った以上に根深いのかもしれないな」
「それでもやるべきことは変わりありません」
「その通りだ。三人におかしな変化があるとするなら、なおさら皇帝にさせるわけにはいかない。俺や俺の家族のためにもな」
「そこは帝国のためというべきでは?」
「それを考えるのはレオの役目だ」
そう返すとセバスは困ったような笑みを浮かべる。
そんな会話をしているとノックが聞こえてきた。
どうぞと言うとフィーネが部屋に入ってきた。後ろにはクリスタとリタもいた。
「失礼します」
「どうした? 今日は大人数だな」
「さきほどはお仕事中ということでお断りしましたからなぁ」
さらりとセバスがフォローをいれてくる。
なるほどと納得しつつ、俺は近寄ってきたクリスタの頭を撫でる。
「悪かったな、クリスタ。さっきは」
「ううん……兄様が忙しいからフィーネに遊んでもらった」
「そうか。すまなかったな、フィーネも」
「いえ、遊び相手をしていたのは私ではありませんから」
そう言ってフィーネが気の毒そうな視線をリタのほうに向ける。
そのリタの腕ではジークがぐったりとしていた。
どうやら遊び相手というより、遊び道具にされたみたいだな。
リンフィアと一緒にレオとは別で、早馬を使って帝都に戻ってきたばかりだろうに。可哀想なことだ。
「そうだ。兄さま、見てて」
そう言ってクリスタはリタの傍に近寄る。
不穏な気配がしたが、ジークは反応しない。どうやら放心状態らしい。
そんなジークの頭をクリスタが持ち、足をリタが持つ。
そしてゆっくりと引っ張り始めた。
「のびーる、のびーる……のびるよー……」
うわ言のようにジークが繰り返す。
ついに壊れたか。
しかし一定のところまで行くと意識が戻ったのか唐突に言葉を発した。
「伸びすぎぃぃ!? 痛いわ!!」
「すごいでしょ!? アル兄! ジークはすごい伸びるんだよ!!」
「ジーク……体柔らかい」
「変な遊びだな。どこで思い付いたんだ?」
「ジークが女の人のスカートを覗こうとして……リンフィアが止めたの。それでこういう遊びがあるって教えてくれたの」
「そうか、もっとやっていいぞ」
「いいわけあるか!? 引っ張りすぎなんだよ! はーなーせー!!」
子供二人の遊び道具になってたまるかと、ジークは体を必死に揺らす。
しかし上下に揺れるものの、二人の手から逃れられない。
あまりにも滑稽な姿に思わず笑ってしまうが、ジークはそれを見逃さずに激怒する。
「笑うんじゃねぇよ!!?? 坊主! お前さんの保護下の子供なんだからお前さんが何とかしろ!!」
「そうか。それはすまなかったな」
謝りながら俺は首輪を重くする。
いきなり重くなったジークを支えられず、クリスタとリタは手を放してしまった。
ドンっと音を立ててジークが床に倒れこむ。
「助けてやったぞ」
「もっとましな助け方はできねぇのか!!?? お前さんは忘れてるかもしれないが! これでもS級冒険者なんだぞ!!」
そう宣言したあと、ジークはなぜか少し固まる。
そして思い出したかのように手を叩く。
「そうだ。そういえば俺ってS級冒険者だったんだ……!」
忘れてたのか。
どんだけその姿に馴染んでるんだよ、こいつ。
「やい! 坊主! 俺を元の姿に戻すって話はどうなってやがる!!」
「忘れてた癖に偉そうにいうな。シルバーには機会を見て話してやる。それまで我慢しろ」
「ふざけんな! たしかにこの姿でいれば女の子にちやほやされるし、視線が下だから色々と楽しめるし、イイ事尽くめだけど!」
「ならいいだろ。しばらくそのままでいろ」
「でも女の子とイイ事できないだろ! そろそろ女の子とイイ事したい!!」
「イイ事?」
「世迷言だ。気にするな」
「ぎゃあああぁぁぁぁ!!?? 床に食い込むぅぅぅ!!!!」
子供の前でおかしなことを口走った罰として、首輪をかなり重くした。
クリスタとリタが心配そうにジークをつんつんと突くが、ジークはそれに対しても怒っていく。だけど二人に堪えた様子はないし、完全に遊び道具だな。
「紅茶が入りましたよー」
「俺も欲しいー!!!!」
フィーネのほうへ這って行こうとするため、俺は重さをさらに増す。
ほんとうにめげない奴だ。しばらく話題に出さなきゃ、また自分がS級冒険者だって忘れそうだな。
忘れるまで放っておくとしよう。
そんなことを考えながら俺は紅茶を飲むのだった。