第百七十六話 天才軍師の見解
エゴールの下に戻った俺はすぐにエゴールとソニアを連れて転移した。
もたもたしているとゴードンの手下に連絡がいきかねないからだ。
最初にゴードンが記した場所にはソニアの育ての親の両親、ソニアにとっては義理の祖父母がいた。
人里離れた小さな家に囚われていた祖父母だが、扱いはそこそこだったんだろう。目に見えた怪我もなく、体調を崩したりはしてなかった。
もちろん護衛はいたが、エゴールがすべて無力化した。
そしてその流れでソニアの育ての親である天才軍師の下へと転移する。
同じように人里離れた小さな家がそこにはあり、エゴールがすぐに十名前後の護衛を無力化した。
「これでおしまいじゃな」
それを聞いたソニアはいち早く家の中へと走っていく。
そのあとを俺はついていく。
「お父さん!!」
椅子に座る眼鏡をかけた男を見つけるとソニアはたまらずに駆け寄り、抱きついた。
そんなソニアを見て、眼鏡の男は苦笑しながらソニアの頭を撫でる。
「やぁ、ソニア。元気にしてたかい?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「何を謝っているんだい? 元々は私のせいだ。君を身代わりにしてしまったのは私のほうだよ。すまなかったね」
穏やかな口調でそう告げるとソニアの養父は俺に視線を向けてきた。
優男だ。しかも不健康そう。
どう見ても強くは見えない。しかし独特の雰囲気を持っている。
これがかつて天才軍師と評された男か。
「娘がお世話になったようだね。その恰好を見れば田舎者の私でもわかるよ。会えて光栄だ。SS級冒険者のシルバー」
「世話をしたのは俺のほうではない」
そう言って俺はゆっくりと家に入ってきたエゴールを示す。
さすがにエゴールの正体まではわからないようだが、只者ではないことは察したのだろう。
ソニアの養父は静かに頭を下げて自己紹介をした。
「ソニアの養父、ケヴィン・ラスペードと申します。娘がお世話になりました」
「いやいや、わしは何もしとらんよ。ここまでのお膳立てはシルバーがしてくれた。わしがするのはこれからじゃ。二度と政争に巻き込まれぬようにわしが皆の安全を保障する。安心せよ。これでもわしもSS級冒険者だからのぉ。わしの名はエゴール。迷子の剣聖といったほうがわかりやすいかのぉ」
エゴールが自らの身分を明かすとケヴィンは少し驚いたように目を見開いた。
ドワーフの強者ということで予想の中にはあった人物だろうが、それでもSS級冒険者が二人もソニアに協力しているというのは驚きだったんだろう。
自分に抱きついたまま泣き続けるソニアに視線を落とし、ケヴィンはつぶやく。
「とびきりの援軍を連れてきてくれたようだね。いろいろと考えていたけれど、これなら必要なさそうだ」
「ただの……偶然だよ……ボクは混乱を大きくしただけなんだ」
「君の責任は私の責任だ。そこまで気に病むことはない。それとね。偶然でSS級冒険者が二人も助けてくれるなんてことはありえない。大陸で五人しかいないのだからね」
「そうじゃな。娘さんは助けるに足る価値を示した。だからわしはシルバーに協力を仰いだのじゃ。シルバーがどんな理由で動いたかはしらんがの」
エゴールはちらりと俺を見てくる。
どうやらエゴールは俺が素直にエゴールに協力したのを怪しんでいるようだ。
「エゴール翁に貸しを作れるなら安いものだ」
「それだけで動くわけあるまい」
止まらない追及に俺はため息を吐く。
裏があるとエゴールは確信しており、実際、俺には裏がある。
まぁそれを話して何かが変わるわけじゃないか。
「俺とて自分の都合だけで動いているわけじゃないのでな」
「協力者の意向かの?」
「そうだな。助けられなかったことを悔やんでいたから、代わりに俺が助けただけだ」
すぐにでも助ける手段はあった。
ただそれはあまりにもメリットがなかったからしなかっただけだ。
ソニアが人質を取られていると分かった時点で、人質を探して救出することは不可能ではなかった。ただそこにかける時間と労力に見合わないというだけで。
そんな打算的な考えの下、俺はソニアを一時見捨てた。
レオならば助けようとしただろう。それがレオの長所であり、短所でもある。
俺はそれを補うためにいる。だからこそ、レオのようには動けない。
「父親としてその協力者の名前を聞きたいのだけど、いいかな? シルバー」
「……ソニア・ラスペード。心当たりはあるか?」
「……あなたの協力者でボクを助けられないことを悔やんでいた人……? もしかしてレオナルト皇子?」
「惜しいな。その兄だ」
「う、そ……アル君……?」
ソニアは信じられないというような表情を浮かべ、口を両手で押さえている。
その目にはうっすらとまた涙が浮かんでいた。
「第七皇子、アルノルト・レークス・アードラー。それが協力者の名前であり、君を助けられなかったと悔やんでいた男の名前だ」
「友人になったのかい?」
ケヴィンの質問にソニアはふるふると首を横に振る。
「友人なんかじゃない……ボクは彼を……騙して……」
「向こうはそうは思っていないんだろう。彼は君を心配していた。だから俺は君を助けた。人の縁は巡るということだな」
「縁って……ボクはアル君に何も……」
「双子ということだろうな。関わった人間を見捨てられない甘さも似たのだろうさ」
そう言って俺は背中を向ける。
あとはエゴールに任せていいだろう。
ソニアがエゴールの傍にいるというならそれはそれでいい。安全だし、エゴールの方向音痴も少しは改善されるだろうしな。
そうでなくても家族と過ごす権利がソニアにはある。
どれだけ軍略を身に着けていても、ソニアは一般人だ。帝位争いに巻き込まれた被害者。ゴードンに従うしかソニアは手がなかったのだから。
穏やかな日々を満喫しても誰も文句はいわないだろう。エゴールならばそれができる場所を知っているはずだ。
「では失礼する。その甘い双子の皇子を助けてやらねばならないのでな。そうでなければ第三皇子のような輩が皇帝になりかねん」
俺はそういうと一歩踏み出す。
だが、ケヴィンが唐突に俺を呼び留めた。
「シルバー。少し待ってほしい」
「なにか? 双子の皇子の軍師になるというなら紹介するが?」
「残念ながら私には帝位争いに飛び込む度胸はないよ。ただ皇子たちに伝えてほしい。〝此度の帝位争いは何か変だ〟と」
「……どういう意味かな?」
その言葉はどこかで聞いたことがあった。
少し考えたあとにエルナとの会話で出てきた言葉だと思い出した。
エルナの言葉ではなく、エルナの父である勇爵の言葉だったはずだ。
同じ意見の者がここにもいたか。しかも天才軍師と評された傑物だ。
「……過去に起きた帝位争いで凄惨を極めたことなどいくらでもあった。身内同士の殺し合い。それが帝位争いだからだ」
「そうだ。俺には聞いていた通りに思えるが? あなたには何が見えている?」
「過去に帝位争いの過程で変わった皇族は少なからずいたそうだ。凄惨な争いの果てに人格が変わることもあるだろう。だが今回はそれが顕著すぎる」
「顕著?」
「三年前に皇太子が亡くなり、帝位争いの火ぶたは切られた。そして帝位候補者の三人は変わった。ザンドラ皇女はより残虐に、ゴードン皇子はより暴虐に、エリク皇子はより冷徹に」
「帝位争いと皇帝の椅子の魅力が三人の本性をさらけ出し、肥大化させたと見ているが?」
「人はそこまで劇的に変わらない。少なくとも過去に得た教訓まで捨て去ったりしない」
「どういう意味だ?」
俺の言葉にケヴィンは真っすぐな視線を向けてきた。
これからの言葉に嘘はない。そう思わせる真摯さがケヴィンの目にはあった。
「信じられないかもしれないが……私が知る限りのゴードン皇子。初陣から数年間のゴードン皇子は他者の意見を聞く将だった。少なくとも私の旧友たちは幾度もゴードン皇子に助言して、その助言を取り入れられている。ゴードン皇子は初陣にて私の助言を聞かずに武功を狙い、突撃した。そして武功と引き換えに多くの犠牲を出してしまった。彼はそこで変わったんだ」
「それは事実か? あの第三皇子が?」
「そう。あの後、ゴードン皇子は変わった。傲慢であることには変わりはなかったが、自らには助言者が必要だと理解し、参謀たちの声に耳を傾けるようになった。彼は初陣での教訓を得て変わった。そしてその後、武功を重ねて将軍になった。猪突猛進するだけの猪のような息子を将軍にするほど、皇帝陛下は甘くはない。そんな彼がソニアの提案をすべて却下した。私のところには手紙が頻繁に来たよ。娘が使えないから代わりに来いとね。私には彼の変化が信じられない」
近しいから気づかなかった。
そんな変化がゴードンにあったのか。昔から傲慢であったし、力で物事を解決しようとする傾向があった。
だから今のゴードンの姿には納得がいっていた。
しかし、過去に教訓として変化があったというなら――確かにおかしいかもしれない。
失敗後の教訓であり、その変化でゴードンは成功を手にした。
その成功体験がありながら教訓を捨て去るだろうか?
「帝位争いに関わったからという理由で片付けるには不可解だと?」
「そうだ。理由はわからない。何か私の知らない出来事があったのかもしれない。だが……彼は初陣後の惨状を見て、自らの軽率さを後悔していた。それに私が助言したときの彼は……思慮深くはなかったけれど、帝国を守ることに熱意を燃やす皇子だった」
「歳月は人を変える……ましてや権力争いに浸かり、ライバルを出し抜くことばかりを考えていればなおさらだ。しかしそれくらいは承知の上だろう、あなたならば」
「そうだね……私はゴードン皇子の変化に歳月や環境以外の何かを感じるよ」
そうケヴィンは断言した。
勇爵に引き続き、天才軍師までおかしいという。
しかもケヴィンの意見は帝位争いを遠いところから見たうえでの意見だ。
「かつてヴィルヘルム皇子が皇太子になったとき、周りの者はこれからの帝国に期待する一方、それ以外の皇帝の子に同情した。エリク皇子、ゴードン皇子、ザンドラ皇女は時代が違えば皇帝になるチャンスがあっただろうにと。そう言われるだけあって、彼らは多くの者に評価されていた。今の彼らは見る影もないがな。それがおかしいというなら……その通りだろう。承知した。伝えておこう」
「よろしく頼むよ。そして気を付けて。SS級冒険者とはいえ帝位争いは危険だ。深入りすれば引き込まれ、戻ってこれなくなる」
「心配には及ばない。そこらへんは心得ている」
そう言って俺は次こそ転移門に入ろうとするが、そんな俺にソニアが声をかける。
「シルバー! あの! アル君に……ありがとうと伝えて……それとごめんなさいって……」
「承知した。感謝だけは伝えておこう。それ以外は彼は求めていないだろうからな」
そう言って俺は転移門の中へと入って、帝都へと戻ったのだった。