第百五十九話 矛と盾
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なぜエルナがここに来たのか?
ぐるぐるとそれが頭の中を回る。人避けの結界に加えて、俺への面会は遮断されているはずだ。それくらいしないとオリヒメが俺の部屋に来れるわけがない。
だが、今はそんなことを考えるだけ無駄だろう。
まず俺が考えるべきなのは――どうやって生き残るかだろうな。
「アル……部屋に結界まで張って女の子とお楽しみ中ってことでいいかしら? いいご身分ね?」
「いや、落ち着け。これは違う」
「この状況でどう落ち着けってのよ!? なんか第二近衛騎士隊がうろちょろしてるから目を盗んで様子を見に来たら、どうなってるのよ!?」
あいつらのせいか!?
なんてことを! 守るどころか脅威を呼び寄せやがった!
くそっ! できればエルナにはオリヒメが仙姫であるということは明かしたくないんだが。
「エルナ、とりあえず落ち着け。お前は盛大な勘違いをしている」
「そうだぞ。曲者。早く去るがよい。妾とアルノルトは忙しい」
「!?」
思わず目を見開いてオリヒメを凝視してしまう。
なんて愚かな。動物の本能を捨ててしまったのか? この帝国一怒らせてはいけない女に対しても自由に振る舞うなんて。
やはり仙姫というべきか。
「曲者……? それはこっちのセリフよ! なにアルの上に乗ってるのよ! そんなんでも帝国の皇子なのよ! 降りなさい!」
「なぜ妾がそなたの指図を受けねばならん。妾がここにいるのは勝者の権利だ。満足するまでは降りん」
「なっ!? このっ! アル! どうなってるのよ!? 誰よ! この女!!」
「あー……説明すると長いんだが……」
「名を知りたければ自分から名乗ってみよ。まぁ名乗るほどの名があれば、だが」
そう言ってオリヒメはエルナに対して馬鹿にしたような笑みを向けた。
それに対して、エルナがブチキレた。
結界を壊すために抜いていた剣をオリヒメに向けて、エルナは激高しながら名乗りをあげる。
「上等よ! 私はエルナ・フォン・アムスベルグ! アムスベルグ勇爵家の次期当主よ! さぁ! あなたも名乗りなさい!!」
「いや、エルナ、こいつは大した身分じゃ」
「ほう? やはり勇爵家の者か! 妾の名はオリヒメ・クオン! 極東の国、ミヅホの仙姫である!」
そう言ってオリヒメは俺の言葉を遮りながら、どや顔で自分の名と地位を名乗った。名乗ってしまった。
帝国の勇爵家、ミヅホの仙狐族。勇者と仙姫。最強の矛と最硬の盾。
大陸の矛盾が互いの存在を知れば、面倒なことになるのは目に見えている。
これが公式な来訪ならまだ大丈夫だった。しかし、今は非公式だ。オリヒメが好き勝手動こうと問題にならないように、オリヒメに対する無礼もさほど問題にはならない。
そもそも表に出ないからだ。だから俺も素のままにオリヒメに接しているわけだが、エルナと俺じゃ仙姫に対する認識が違う。
俺からすれば他所の国のお偉いさんくらいだ。しかし、勇爵家は違う。
勇爵家は常に最強を自負してきた。大陸を救った勇者の末裔にして、最強の武器である聖剣を使える一族。
自らに並び立つ者たちに強烈なライバル心を勇爵家は向ける。それだけ自分たちの力に自信を持ち、実力を示し続けてきたからだ。
だからこそ、聖剣も止めるのではと噂される仙姫とは接触させたくなかった。
こういうときに大人の対応ができるほどエルナは大人しくない。
「仙姫ですって……? 帝国に来ているなんて聞いていないけれど?」
「極秘裏の訪問ゆえ仕方あるまい。帝国に勇爵家ありといわれても、重要なことは聞かされておらんようだな」
「へぇ……極東の小国からの来賓なんて勇爵家に伝えるまでもないのよ。勇爵家は暇じゃないの。どこかの誰かさんとは違って」
バチバチと二人の間で火花が飛び散る。
ライバル心を向けているのは勇爵家だけじゃないみたいだな。オリヒメもいつになく挑戦的だ。
というか、さっさと退いてくれないかなぁ……。
「ほう? そこまで忙しいようには見えないが? 妾は現在、公務中だがそなたは何用だ?」
「私も公務よ。あなたの下にいる皇子の護衛は私の仕事なの」
「おお、そうかそうか。では帰るがよい。護衛なら妾がいれば十分であろう。なにせ妾が結界を張ることに関しては天下一品だからな」
「そういうわけにはいかないわ。あんな軟弱な結界じゃ心配だもの」
「その軟弱な結界を破壊するのにずいぶんと手こずっておったようだが? 妾としては片手間に作ったものだったのだがなぁ」
「あら、偶然ね。私も周りへの迷惑を考えて静かに破壊していたの。本気でやるとあの程度の結界じゃ周囲への影響を防げないから」
互いに言葉で相手を煽りあう。
勇者と仙姫のやり取りにしては大人しいと言えなくもないが、こんなのはたぶん嵐の前の静けさだ。
どちらも余裕を崩さないように必死だが、頬が引きつっている。
そろそろ我慢の限界だろうな。
「このっ! これ以上の侮辱は許さん! 妾の結界は天下一品なのだ! 聖剣がなければ何もできない勇者などに負けはせん!」
「なによ! そっちだって伝説の道具を継承しているでしょう!? 知ってるわよ! それで国全体の結界を維持しているのよね!? もしかして強いのはその道具なのかしら!?」
「なにおう!? 最近は冒険者に名声を持っていかれている落ちぶれ勇者のくせに生意気な!」
「誰が落ちぶれよ!? 勇爵家の名声は落ちてなんかいないわよ! 田舎だから届いていないだけじゃないかしら!?」
「ミヅホは田舎ではない! 海上貿易の盛んな先進国家だ! どうやら勉強不足のようだな!」
「極東で栄えたところでたかが知れてるわよ! 勇爵家が守り、育ててきた帝国の二番煎じが関の山でしょうが!」
「なんと!? モンスターのいない安全地帯で大きくした程度で偉そうに! ただの人間相手に無双して最強面をするでない!」
「なんですって!?」
売り言葉に買い言葉。
互いにどんどんエスカレートしていく。
これはいよいよもってまずい。俺は今、世界で一番危険な場所にいるのかもしれない。
とりあえず寝そべっていては逃げるに逃げられないため、俺は体を起こして、オリヒメを上から退かす。
「何をする!?」
「はっ! 重かったんじゃないかしら?」
「ぐぬぬ!! 調子に乗るな! 妾が重いというならそれは胸の分だ! そなたのように貧相な胸をしていないのでな!」
「なっ!? 結局脂肪でしょ!?」
「母性の証だ! 剣を振り回すしか能のない女にはわかるまい!」
「きーっ!! もう許せないわ!」
なんて低レベルな言い合いだ。
エルナとオリヒメは互いに手が届くまで近づき、にらみ合う。
小柄なオリヒメをエルナがやや見下ろす形になるが、オリヒメはエルナの胸を見て冷笑し、エルナをより怒らせる。
これが大陸全土が期待し、噂していた勇者と仙姫のバトルだ。しょうもないにもほどがある。
「アル! 何とか言いなさいよ!」
「アルノルトに頼っても無駄だ! すでにアルノルトは妾の虜だからな!」
「なんですって!?」
「そなたより妾のほうが胸があるし、そもそも妾のほうが可愛い!」
「自画自賛してるだけでしょうが!」
オリヒメは胸を張って偉そうに勝ち誇る。
自分に対する自信の差が出始めたな。オリヒメはどこでも唯我独尊だ。言い合いでも決して譲らないし、根拠のない自信を他者に見せつける。
エルナにはそこまでの唯我独尊の自信はない。というか、そこまでの自信は認められていない。
勇爵家はあくまでも貴族であり、皇族を尊重する存在だ。一方、仙姫はミヅホの守り神に近い。王以上の人気を獲得しており、発言にも影響力を持つ。まぁそれも当然だ。ミヅホは仙姫に依存しているのだから。
それが二人の差といえるだろう。
優劣という問題ではないが、言い合いにおいてブレないオリヒメは強い。まぁ人の話を聞かないだけとも言えるが。
「妾が可愛いのは当然だし、男は可愛い女子を好むのも当然だ! というわけで去るがよい! この場に剣しか振れぬ女子はいらぬ!」
「ぐぬぬ!! なによ! アル! こんな子のどこがいいのよ!? 耳か!? 尻尾か!?」
エルナの標的が俺に変更された。
まずい。このタイミングでまさか俺に標的が変わるとは。
どうやって仲裁するべきか迷っていたんだが、そんなことを考えている場合じゃなくなった。
「いや、俺は……」
「耳だな! そんな気がする!」
「変態!」
「何も言ってないだろ……」
大きくため息を吐く。
さて、何を言っても罵倒される気がするが……放置するわけにもいかないだろうな。
このままだと最悪、力比べになりかねん。
なんて思っていると。
「殿下! 陛下がお呼びです! 猊下もご一緒にと!」
近衛第二騎士隊の騎士が部屋に入ってきてそう告げた。
父上からの呼び出しということは、計画が進んだのかもしれないな。
まぁそういうことなら別にいいだろう。
「わかった。すぐに行く。あと、エルナを連れて行くと伝えておいてくれ」
「え? いえ、殿下……陛下は」
「呼んでないのはわかってる。けど、いずれ呼ぶことになるんだし、別にいいだろう。もうオリヒメがいることに気づいたわけだし、隠しておいても仕方ないだろ」
このままエルナを放置して、あちこちに八つ当たりされても困るしな。
まぁ口には出さんけど。