第百五十一話 幕引き
「誤って殺してしまった場合も罪には問わぬ。だが、できるかぎり流血は控えよ」
そんな難しいことを父上がさらりと要求してくる。
そして騎士たちから鞘に入った剣が手渡された。
貧弱な俺には重すぎる剣だ。
そんな俺がレオのフリして戦うというのは無理がある。しかも父上は俺がレオだと思って要求している。
対するラウレンツは体の震えが止まらないのか、剣を受け取るのもぎこちない。
決闘を申し込んだということはそれなりに自信があったんだろう。だが、負けたときの代償に目が行き過ぎている。もはや戦える状態ではない。
帝毒酒は伝説になるほど有名な毒だ。それをチラつかされただけで暗殺者が雇い主を売るとまで言われており、そのほか帝毒酒にまつわる逸話は探せばきりがない。
そんな毒を飲む可能性がある。そう思っただけで体が震えるのはわかる。そもそも決闘もアルノルトだと思って挑んでいるわけだしな。
母上がレオナルトといった時点でこの場にいる全員が俺をレオだと信じている。
レオの武勇はここ最近の活躍から見ても明らか。幼い頃から剣術の試合でも負け知らずだ。一介の貴族じゃ勝ち目はない。
だから下手な姿は見せられない。
「では両者、準備せよ」
父上の言葉を受けて俺は鞘から剣を引き抜く。
ラウレンツも剣を引き抜き、剣を構えてきた。基本に忠実な構えだ。最低限の心得はあるんだろう。きっと普段の俺が戦えば勝ち目はない。
まったく……使いたくない手をどんどん使わされるな。
本当なら決闘にもつれ込む展開になるはずじゃなかった。
レオだかアルだかわからないという状況の中で、和解が成立するはずだった。
それをラウレンツがぶち壊した。自分の影響力やその場の雰囲気を考えずに動いたせいで、状況はややこしくなり、誰かが犠牲にならなきゃいけない状況になってしまった。
そうなればフィーネが悲しむ。それを避けたくて手を尽くしてきたのに……目の前の馬鹿が余計な人間たちを巻き込んだせいで俺の手から状況が離れてしまった。
もはや俺にはレオのフリを貫き、レオの評判を上げるしか手はない。
こいつが勝手な行動で死ぬのは勝手だが、フィーネが悲しまない選択肢を俺から奪ったのは許せない。
フィーネには泣くようなことはないと言った。その言葉はきっと嘘になるだろう。
彼らの死にフィーネは責任を感じる。どれだけ俺が言葉を重ねても、フィーネは自分を責めるだろう。
その未来を避けるために俺ができることは……ここで実はレオじゃなくてアルでしたと正体を明かすこと。
そうすればだれも犠牲にはならない。いつもどおり俺がすべてを被って、馬鹿にされて終わる。ただいつもと違うのはそれをしてしまうと、俺はフィーネの傍を離れなくちゃいけなくなる。
皇族の立場に未練なんてない。どうせ皇族じゃなくなっても、レオは助けられるしな。
だが、皇族でなければフィーネの傍にはいられない。
俺は今を気に入ってる。フィーネが傍にいる今を気に入っているんだ。
これはきっとわがままで最低な行為だ。
フィーネの気持ちを考えなかったこいつらと同じだろう。俺はフィーネがたとえ悲しんでも――傍にいてほしい。
俺は自分勝手な理由でフィーネを傍に置きたい。彼女にはずっと俺の秘密の共有者であってほしい。
心に区切りをつけて俺は剣を顔の前まで持ってくる。
決闘前の騎士の儀礼だ。レオらしく律儀にそれをすると、その間に俺は一つの古代魔法を発動させた。
俺の中で禁じ手としている魔法。
その魔法の名は〝エピゴーネン〟。
記憶の中にある対象の人物を完璧に模倣できる魔法だ。その身体能力から戦闘技術までも模倣できる。
便利で有用な魔法だが、そういう魔法には激しいデメリットがある。そのデメリットのせいで禁じ手としていたんだが、今はそれを使うしかない。
体に力がみなぎる。視野が広がり、ラウレンツの微妙な動きすらしっかりと読み取れる。
それは俺の記憶にあるレオの視界だ。
今、この瞬間。俺は完全にレオになっていた。
「はじめっ!!」
「うぉぉぉぉ!!」
ラウレンツはヤケクソ気味に突っ込んでくる。
技量はないが、勢いのある突進。
初動の奇襲。おそらく唯一の勝ち筋と思ったんだろう。
負ければ死ぬ以上、勝ちにいくしかない。吹っ切れた強さがラウレンツにはあった。
だがそんなものでどうにかなる実力差じゃない。
クルリと一回転して突進をいなす。
回避されたラウレンツは止まりきれず、無様に床に這いつくばった。そして痛みでうずくまるが、すぐに自分が真剣勝負中だと思い出して、剣を拾ってこちらに振り向く。
隙だらけの間、俺は動かなかった。
レオならそんなことはしないからだ。ただの戦闘ならまだしも、今は決闘中。正々堂々と戦うべきだろう。
「はぁはぁ……う、う、うわぁぁぁぁ!!」
息が詰まる緊張感に耐え切れず、再度ラウレンツが突っ込んでくる。だが先ほどよけられたせいか、勢いはそこまでじゃない。
技量もなく勢いもない攻撃などレオには通用しない。
突き出された剣を巻き込むようにして、俺は自分の剣で上にすくい上げる。
するとラウレンツの手から剣はスルリと抜けていき、上に舞い上がる。
その瞬間、ラウレンツの顔に絶望が浮かぶ。
上に上がった剣を見ながら、ラウレンツはゆっくり両膝をつく。
剣はまっすぐラウレンツに向かって落ちていき、それを見てラウレンツは歓喜の表情を浮かべる。だが、俺は落ちてくるラウレンツの剣をつかむと両手に剣を持ってラウレンツの首に切っ先を向ける。
ラウレンツの首に切っ先を向ける。
「まだやるかい?」
「あっ……で、殿下……ど、どうかお許しを……俺は、いえ、私は……ただフィーネ嬢を想っていただけなのです……」
「想っていただけならこうはならなかった。君は行動に移してしまった。皇帝陛下や皇后陛下も巻き込んだ今回の一件、だれかの犠牲がなければ収まらない。帝国貴族の誇りがあるなら皇族の権威を守るために……犠牲になってほしい」
「い、嫌だ……嫌だ! 毒を飲むくらいならここで!!」
そう言ってラウレンツは俺が持つ剣に向かって突っ込んでくる。
だが、そのラウレンツの行動を予期していた俺は数歩下がって、ラウレンツの自殺を阻止した。
「そこまで! 捕らえよ!」
「陛下! お許しください! 陛下! 父上!! 父上!! お助けください!!」
ラウレンツは半狂乱で父上とヴァイトリング翁にすがる。
そんなラウレンツを見て、父上は不快そうに顔をゆがめる。
「育て方を間違えたな、エトムント」
「お許しください……こうなっては私は生きてはおれません。どうか私にも帝毒酒を」
そう言ってヴァイトリング翁は自ら毒を望んだ。
どうしてこの人の息子がこんなことになったんだろうか。
育て方が下手なわけじゃないはずだ。長女は皇太子妃となり、次女は近衛騎士団長にまで上り詰めた。
親だけの責任にするのは酷というものだろうな。
そんなことを思っていると父上は首を横に振った。
「ならん。此度の責任を取って、次のヴァイトリング侯爵をしっかりと育てよ。それまでお前の命はワシが預かる」
「陛下……」
「皆、下がれ。此度の一件はこれにて終わりとする。こやつらは捕らえておけ。よいか? 絶対に自殺は許すな」
そう言うと父上は玉座から立ち上がって退室していく。
後に残ったフランツがテキパキと後始末を開始し、指示を出していく。
その間に皇后は立ち去り、母上も去っていく。
残ったのは俺とテレーゼとヴァイトリング翁だった。
「……あなたを恨むのは筋違いね。レオナルト」
「恨んでくれてもかまいません」
「いいえ……チャンスをくれただけでもありがたいわ……。あなたこそ私を責める? 愚かな弟を助けるために動いた私を……」
「責めるなんてしません。誰かを助けたいと思うのはきっと尊いことですから。ただ……義姉上はやり方を間違えました。あのやり方では……彼らは救えませんでした」
テレーゼはずっと東宮に閉じこもっていた。
周りの情報なんてない中で頼れたのは皇后だけだったんだろう。
仕方ないことなのかもしれない。この人は皇太子を失ったときに世捨て人になった。
ただそんな世捨て人も身内は見捨てられなかったんだろう。
「ヴァイトリング翁。立てますか?」
「……しばらくはこのままにしていただきたい……愚かではありました、恥も晒しました……それでもあれは私の息子だったのです……」
「……わかりました。義姉上。ヴァイトリング翁をよろしくお願いします」
そう言って俺はテレーゼに後を任せて、玉座の間を後にする。
何かあってからでは問題だし、セバスに視線で警戒するように指示を出すと、セバスは心得たとばかりにその場から姿を消す。これで二人が血迷ってもセバスが止めるだろう。
その後、俺は自分の部屋へと戻った。
きっとそこにはフィーネがいるだろうなと思いながら。
「……」
「お帰りなさいませ。アル様」
そう言ってフィーネが俺を迎え入れた。
そんなフィーネに俺は何もいえずに立ち尽くす。
「アル様?」
「……すまない」
「どうしてアル様が謝るんですか?」
「……結局、ラウレンツたちは死ぬことになった。助ける方法はあった。だけど……君が悲しむだろうとわかっていたのに俺はそれを選べなかった」
そう言って俺は一歩前に出る。
だが、その瞬間。模倣の魔法が解けた。
そして背伸びをした模倣者にデメリットが襲ってくる。
「ぐっ……」
「アル様!?」
頭を押さえて、俺はその場で膝をつく。
激しい頭痛がして、視界がゆがむ。体の感覚もあやふやだ。
これがデメリット。本来、行えないはずの動きをした代償として、脳に負荷がかかり、強烈な頭痛が起こる。そして他者に成り切ったせいで、体の感覚もくるってしまう。
手を動かそうとしているのに、上手く動かない。レオの感覚と俺の感覚。二つがごちゃ混ぜになって体が混乱しているのだ。
立ち上がることができない俺は、フィーネに支えられて、なんとかソファーにたどり着いて、その場で倒れこむ。
勢いでフィーネにもたれ掛かるような形になるが満足に動けず、体勢を直すこともできない。
「はぁはぁ……だから使いたくなかったんだけどな……」
「魔法の後遺症ですか……?」
「ああ……頭痛は二日は続くし……感覚のずれはもっと続く。数分間のメリットのわりにデメリットがデカすぎるから禁じ手にしていた……」
「そんな……」
「仕方なかった……レオのフリを貫くしかなかったし……負ければ〝今〟を失う」
そう言って俺は頭痛に顔をしかめる。
見かねたフィーネが俺をソファーに寝かせる。ちょうどフィーネの膝を枕にする形になり、少しだけ頭痛が落ち着く。
ゆっくりと目を開くと心配そうなフィーネの顔があった。
「泣いて……ないんだな……?」
「ミツバ様が……泣いてはいけないと」
「母上が……?」
「頑張った男を出迎えるとき、女は泣いてはいけないと……笑顔で出迎えるのが礼儀だと教わりました……」
そう言ってフィーネは少し潤んだ瞳を見せながら、にっこりと俺に向かって微笑んだ。
さすがは我が母上だ。良いことを言ってくれる。
そうだ。泣き顔よりは笑顔を見たい。
「……許してほしい。俺はわがままを通した。君を悲しませず、そのうえでいろいろなことに折り合いをつける自信はあったが……ただ君の傍を離れることだけは……受け入れられなかった」
「そうですか……安心してください。私があなたの傍を離れることはありません。どこかに行ってもついていきます。私は望んでここにいます。誰になんと言われようとあなたの傍が私の居場所です」
「そうか……それはよかった。それなら安心だ……嫌われたらどうしようかとちょっと心配だった……」
そう言って俺は苦笑しつつ、瞼を閉じる。
体が眠りを欲している。頭痛もきついし、このまま寝てしまいたい。
「フィーネ……」
「はい?」
「レオのフリをしているから……あいつが戻ってくるまではレオとして扱ってくれ……」
「わかりました。ではお眠りください。レオ様。あとは私に任せて」
そう言ってフィーネが俺の頭を優しくなでる。それをされるたびに頭痛が和らいでいく。
安心して俺は眠りに落ちていく。
俺の居場所もきっとここなのだと思いながら。
やっと終わった……
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