第百四十九話 影響力
「できれば……兄さんのままで終わらせたかったのですが。この場で決闘を申し込まれたとなれば演技をしている場合ではありませんね」
そう言って俺は着崩していた服を整える。
そして背筋を伸ばしてレオらしい笑みを浮かべて父上のほうへ向き直る。
「レオナルトが陛下に謝罪いたします。欺いたことをお許しください」
「まさかと思ったが……本当にレオナルトなのか?」
「はい。陛下を欺くことは大罪ではありますが、此度の一件は兄さんに全権が委ねられていました。その作戦のうちですので、お許しください」
「そこについて罪に問う気はない。しかし……いつから入れ替わっていた?」
「帝都を立つ準備を整えたときに入れ替わりました」
そう説明すると父上は納得したように何度か頷く。
それを見て俺はラウレンツのほうへ向き直る。
俺がレオのフリをしていることに驚いているようだが、いまだに敵意は消えない。
「父上がレオナルト殿下と入れ替わっている可能性について言及していたが……俺は騙されない。レオナルト殿下ならばあのような非道な行いはしないはずだ!」
「そう言われても困るのだけど……そもそも非道というのが何をさすのかな? ヴァイトリング侯爵」
「我々はアルノルト殿下の言葉に従い、アルノルト殿下の排除に動いた! 殿下が言ったのだ! どんな手を使ってでも排除してみせろと!」
「確かに兄さんはそう言った。それが諸君らが動いた根拠だというなら認めよう。だが、それがどうしたのかな? どんな手を使ってでも排除しようとして、返り討ちにあったのが今の状況では?」
「それが問題だ! 自分から挑発しておいて、陛下の威光を使ってだまし討ちをしてきた! これを非道と言わずなんと呼ぶ!?」
ラウレンツの言葉に白鴎連合の若手貴族たちは賛同の声をあげる。
なるほど、不満はそこか。
挑発を受けたから動いた。それだけだと。それなのに皇帝の威光を笠に着て、排除にかかってきた。それがあまりにも非道だと。
笑わせる。
「一つ質問がある。ヴァイトリング侯爵」
「なんでしょうか? 〝アルノルト殿下〟?」
意地でも俺をレオと認める気はないらしいな。
馬鹿なやつだ。ここが最後の引き際だっただろうに。
こうなったらもう俺の手には負えなくなるぞ。せっかく血を流さないように立ち回ってやってるってのに。
「兄さんはどんな手を使ってでも排除してみせろと君らを挑発した。だから君らはどんな手でも使った。言われたとおりにしただけだと。それで捕まり、非があるといわれるのは理不尽だと。それが君らの主張だね?」
「その通りです!」
「そうか……なら聞くが君らが〝どんな手〟でも使うなら兄さんが〝どんな手〟を使っても文句は言えないと思うけれど? その第一手が僕との入れ替わりだしね。まさかとは思うけれど、自分たちはどんな手でも使うけれど、兄さんは何もしてはいけないと主張する気はないよね? 兄さんの挑発の趣旨は〝自分すら排除できない者は認めない〟というものだ。そして君らは排除できずに負けた。その結果が今だと認識しているのだけど?」
結局のところ今回の騒動はそこに集約される。
出涸らし皇子がフィーネの傍にいるのは認められないというのが、白鴎連合の主張であり、それに対して俺の主張は文句があるなら排除してみせろというものだ。
そして排除に動き、見事に返り討ちにあった。
だから彼らは敗者として一方的な条件を突きつけられている。
「そ、そんなものは詭弁だ! 罠にかけておいて、罠にかかる者が悪いとでも!?」
「そう言っているのだけど伝わらなかったかな? 最初から正々堂々の決闘じゃない。これはいわば政治だった。そして政治の場では勝者が絶対だ。だから負けられない。まぁ……僕も最近学んだことだけどね」
「そんなのは暴論だ! やはり非道なあなたを認めることはできない! もしも本当にレオナルト殿下なのだとしても、そんな考えの皇子を皇帝にするわけにはいかない!」
「僕が非道に映るというなら、それは君が無知で甘いだけだよ。百歩譲って、僕が非道で皇帝候補として不適格だとしよう。それでこの状況をどう弁明するのかな? 皇帝陛下の前で皇子に決闘を申し込む。それは皇族への挑戦と取られても仕方ない行為だけど?」
じっとラウレンツを見据えると言葉につまる。
勢いで決闘まで持ち込む気だったんだろうな。
そんなものが通るわけないだろうに。
「こ、これは個人的な決闘です! ラウレンツがアルノルトという個人に申し込んでいる!」
「もうやめよ……見苦しい」
耐えきれないという様子でヴァイトリング翁がつぶやく。
そしてヴァイトリング翁は父上に向き直り、膝をついて頭を床に擦り付けた。
「もはやここまででございます。私と息子の首をお刎ねください。これ以上、息子の恥を見たくありません……」
「ち、父上!?」
ラウレンツは驚いたようにヴァイトリング翁を見る。
驚くことじゃないだろ。この場で決闘を申し込むっていうのは皇帝を蔑ろにしたようなもんだ。
「頭をあげろ。エトムント」
「できませぬ……」
「ふぅ……ヴァイトリング侯爵。ワシの認識ではお前を含めた白鴎連合は〝負けた〟と思っていたのだが、違うのか? 負けたからこのような場が設けられたのだと認識していたが?」
「へ、陛下! 我々は負けていません! アルノルト殿下は陛下の威を借りただけ! しかもそれを自らの力と過信し、横暴に振る舞っています! あまりにも不遜です!」
「不遜か……ではお前はどうだ? この場を設けた両公爵やお前の父。そしてワシや宰相。この場にいるすべての上位者の面子をつぶしたわけだが、侯爵にしては不遜では?」
「そ、それは……感情を抑えきれず非礼を働いたことは謝罪いたします……ですが、決闘を取り下げる気はありません!」
父上は聞き分けのない子供に辟易したような表情を浮かべ、横にいるフランツを見る。
フランツは心得たとばかりに頷く。
「ヴァイトリング侯爵。質問をよろしいですかな?」
「はい、宰相」
「負けを認めてないなら、なぜ和解を求めたのですか?」
「それは我々の本心ではありません。父上たちが動き、すでに流れを止められませんでした……」
「なるほど。しかし不利な立場だったことは事実ですね?」
「そ、それは……その通りです」
何か言い返そうとしたラウレンツだが、フランツにまっすぐ見据えられて言い返す気力が消えてしまったのだろう。小さな声で認める。
聞きたいことは聞いたとばかりにフランツは頷き、その場をまとめる。
「ではこの決闘は認められません。不利な状況にあった者が対等な立場で優位者に決闘を申し込むことはできないからです。まぁそれ以前に決闘は対等な者だけに適用されます。皇族と貴族では決闘は成立しませんし、そのような前例もありません」
「そんな!」
「どれだけ声を張り上げようと答えは変わりません。そして決闘が認められない以上、この場であるのはあなたの非礼をどうするかということです。殿下を敬えないというなら殿下と敵対すればいいだけのこと。今は帝位争い中ですからね。わざわざ皇帝陛下を蔑ろにしてまで決闘を申し込む必要はありませんでした。ご存じだと思いますが、皇子と皇帝では権威に大きな差があります。皇帝は帝国の絶対者だからです。それを蔑ろにするのはすべての罪に勝ります。当然、このような行為に賛同した者も同罪です」
フランツの視線がラウレンツの後ろにいる若手貴族たちに向く。
当然の巻き添えのはずだが、若手貴族たちの顔が青くなる。
そりゃあそうだろう。どんだけ思慮が足りないんだよ。
ラウレンツもラウレンツだ。最悪の結果にならないように、レオであることを明かしてやったのに。あの場でレオナルト殿下ならば話は違うと言っておけば、また違った結果もあっただろう。
「そうですか……宰相はアルノルト殿下側ということですね」
「どう受け取っても構いません。ただそういう感情的な受け取り方しかできないから、お父上はあなたを政治の場に近づけなかったというのを学ぶべきでしょう。次があるかはわかりませんが」
そう言ってフランツは父上を見る。
フランツが言っているのは斬首にするかどうかということだ。
この場でやらかしたことはそれに値する。それがわかっているから、ヴァイトリング翁はさっさと首を差し出した。周りに罪が波及しないように。
ラウレンツはヴァイトリング侯爵であり、白鴎連合の盟主。本人は個人として申し込んだといってるが、侯爵の地位にある以上は個人にはなれない。そして組織の主でもある。
今回の件はラウレンツを斬首にした程度では収まらない。やらかしすぎた。
白鴎連合の責任として参加した者たちの首も刎ねるか、もしくはヴァイトリング侯爵家の責任としてそこに連なる者の首を刎ねるか。
どちらにも問題がある。
前者となった場合、即位二十五周年前に多くの貴族の首を刎ねることになる。それは帝国が安定していないと示すようなもので、他国からの来賓も来なくなるだろうし、記念式典にも暗い影が落ちる。
後者となった場合、ヴァイトリング侯爵家の者は連座となる。それが何がまずいかというとそこには近衛騎士団長も含まれるという点だ。特例を認めれば皇帝の甘さが目立ち、かといってこんな問題で近衛騎士団長を失うのも馬鹿らしい。
ラウレンツが大馬鹿な点は自分の影響力を考慮していない点だ。好き勝手に動いているが、ヴァイトリング侯爵家というのはそんな簡単に動いていい家ではない。
「……此度の一件、あまりにも目に余る。不遜というならばヴァイトリング侯爵のほうだろう。臣下の身でありながら皇族を軽んじた。ヴァイトリング侯爵を斬首とし、白鴎連合の主要な貴族も同様に斬首とする」
評判よりも近衛騎士団長をとったか。まぁそうだろうな。
帝国の大事な戦力だ。失うにはあまりにも惜しい。
そんなことを思っていると玉座の間に女性の声が響いた。
「お待ちを、陛下」
その声を聞いたのは久々だった。
いやはや。本当に出てくるとは。
ややこしい状況にしてくれるよ、本当に。
こういう人物を引っ張り出せる点がヴァイトリング侯爵家の厄介な点だ。その当主には影響力を考慮して、慎重に立ち回ってもらいたかったんだがな。
内心でため息を吐きつつ、俺は現れた中年の女性に頭を下げた。
「お久しぶりでございます。皇后陛下」
皇帝の正妻にして後宮の主。
帝国の女性としては最高位の権力者。
皇后、ブリュンヒルト・レークス・アードラーがそこにいた。
誰が動かしたのかは言うまでもないだろう。
その後ろからテレーゼが姿を現した。
皇太子の妻であり、義理の娘の頼みで動いたんだろうが……。
厄介なことをしてくれる。
ちらりと俺は父上の顔を見る。
その顔には深い怒りが漂っていた。横のフランツも顔をしかめている。
およそ考えうる限り、最悪の状況が今、現実のものとなってしまったのだった。