第百三十六話 防波堤
セバスからの報告を受けてから数日後。
俺は父上から呼び出しをくらった。呼び出されたのは俺のみ。レオは呼ばれていない。
「アルノルト、今日はなぜ呼び出されたと思う?」
「さぁ、なぜですかね。俺は言いつけを守ってるつもりですが?」
品位を保てという指示を俺は破っていない。つまりそういうことに関する呼び出しではないということだ。
考えられるのはセバスが言っていた鴎の盟約関連、もっといえばヴァイトリング侯爵関連だろうな。
「そのことについてお前に何かいうことはない。今日呼び出したのはフィーネについてだ」
「フィーネについて? 何か問題でも?」
「帝都にいる多くの貴族がなぜフィーネに結婚を申し込まないかわかるか?」
「フィーネは父上のお気に入りですからね。そこらへんを気にしてるからじゃないですか?」
「それもあるだろうが、貴族同士で不可侵条約を結んでいたからだ。だが、先日それが崩壊した」
「すでに二十件を超える結婚の申し込みが入っています」
フランツの報告に俺は顔をしかめる。いきなり結婚を申し込む馬鹿が二十人以上いたということだからだ。
帝都の貴族はアホばかりなのか?
「フィーネを嫁にやる気はないと父上が言えば解決では?」
「たしかにフィーネはワシにとって娘同然だが、そこまで縛ることはできん」
「縛るもなにもフィーネが望んでいないなら断るのがフィーネのためかと」
「それはそうなのだがな……」
父上が少し言いづらそうにして、フランツを見る。
助けを求められたフランツは軽くため息を吐くと俺を真っすぐ見てくる。
「殿下の仰るとおり、すでに断りをいれています。そこで返ってきたのはフィーネ様の結婚をどう考えているのか、というものです。つまり皇子たちと結婚させる気なのかということです」
「本人に任せると返せばよいのでは?」
「蒼鴎姫は帝国の象徴の一つ。その象徴性が損なわれる相手との結婚は帝国にとって不利益になりかねないそうだ」
父上は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。関わる貴族が多いため、黙ってろというわけにもいかないんだろうな。
皇帝には臣下の声を聞く義務がある。帝国の利益に関わることなら特にだ。
「蒼鴎姫が出涸らし皇子と結婚するようなことがあれば大問題だと?」
「包まず言うとそういうことだな」
「はぁ……俺とフィーネはそういう関係ではありません」
「だがもっとも近い男ではある。レオナルトよりもお前のほうが親しいはずだ」
「一緒にいることが多いだけです」
「文句を言っている貴族どもはそれが気に食わんのだ」
「ではどうしろと?」
貴族が文句を言うからといって、俺たちの行動にまで干渉される筋合いはない。
文句を言ってる奴らがフィーネの代わりをしてくれるなら文句はないが、そいつらが合わさったところでフィーネの代わりは務まらない。
「殿下にはしばらくフィーネ様と一緒にいるのを控えていただきたいのです」
「……それで貴族が大人しく身を引くと? 本気で宰相は思っているのか?」
「……」
「フィーネの傍にいる男を排除したいだけですよ。そして邪魔者が消えれば、フィーネと接触を試みるに決まってる。フィーネがそれでも構わないなら距離を取りますが、性格的にそれはありえないでしょう」
「自分が防波堤だと?」
「邪魔者であることは間違いありませんね。フィーネのことを考えるなら、俺を傍に置いておいたほうがいいと思いますよ」
父上にそう進言すると父上はしばらく渋い顔を見せる。
即位二十五周年が近い今、貴族たちと揉めたくはないんだろうな。だが、ここで退けば状況は悪化する。
すぐに結婚を申し込む奴らだ。マナーを守って紳士的に接触してくる奴らとも思えない。
「それで……お前はよいのか?」
「どういう意味です?」
「そのままの意味だ。フィーネの傍に留まれば多くの貴族の恨みを買う。間違いなくお前が被害を被るぞ?」
「いつものことです」
「侮られるのと敵視されるのは違う。女が絡んだ問題は面倒だぞ?」
「それは父親としての忠告ですか?」
「ああ、そうだ。フィーネは帝国中の憧れといえる。今までお前が傍にいても誰も文句を言わなかった。お前とフィーネじゃ絶対に釣り合わないと思っていたからだ。だが、ワシがお前の格をあげてしまった。その弊害が出ている」
「そうですね。ほぼ父上のせいです」
「だからありがたい忠告をしておるだろうがっ。このままなら帝国中の独身貴族を敵に回すぞ? その中には有力な貴族も多い。敵に回すのは得策ではあるまい」
「お言葉ですが……品位を守れといったのは父上です。臣下からの突き上げが怖くて、向こうの思うとおりに行動していては侮られるだけです。それに……個人的に彼らの行動が好きじゃありません」
「ほう?」
意外そうに父上が目を細める。俺が面倒事に突き進むのは珍しい。だが、この問題では仕方ない。
退けば向こうの思う壺だ。敵視するならすればいい。俺が傍を離れればフィーネの日々は崩壊する。それは避けたい。
「ラインフェルト公爵を見たあとだと、フィーネを望む貴族たちの行動は幼稚に映ります。彼らはきっとフィーネを愛しているというでしょうが、俺からすればそれは愛じゃない。彼らに思うように愛を語らせるのはラインフェルト公爵への侮辱です」
「あれと比べれば大体そうだろうが……」
「欲しいならどんな手を使ってでも挑めばいい。出涸らし皇子すら排除できない者に蒼鴎姫を手に入れる資格がありますか?」
フィーネは蒼鴎姫。帝国の象徴の一人。
その相手はそれにふさわしくなければいけない。そういう意味では俺はいい相手だろう。俺ごときをどうにかできないなら資格なしと断じていい。
「そのようなことを言えば殿下に負担がかかりますが?」
「フィーネに負担がかかるよりはマシでしょう。貴族たちが俺を排除しようと動いてるうちはフィーネは穏やかでいられます」
「何をされるかわからんぞ?」
「行き過ぎたなら好都合では? 父上が処断する理由ができます」
「……あえてそれを誘うか?」
「処断されない程度のやり方で、俺を排除するならそれはそれでよいでしょう。それくらいできないならフィーネの相手は務まりません」
そういうバランス感覚を持っている奴は果たしてどれほどいるだろうか。
おそらくほとんどいないだろうし、いたとしてもフィーネが絡んだことで冷静さを失ってる可能性が高い。
「殿下の身が危なくなります」
「傍にはセバスがいるから平気だ」
「セバスが介入できない状態に持ち込まれたらどうされるおつもりですか?」
「そのときはそのときだ。やれるだけやるさ」
セバスが介入できない状態。いくつか方法は思いつく。それをやってくるなら受けて立つまでだ。
「……お前にしては妙にやる気だな?」
「やる気を出すのはおかしいですか?」
「いや、おかしくはないが……本当にフィーネを結婚相手とは考えてないのか?」
「考えてませんね。誰かと結婚できるほど立派な人間だと自惚れてはいませんよ。ただ……これまでフィーネは多くのことをもたらしてくれました。俺やレオはもちろん、帝国にもです。その働きを考えれば、俺以下の奴が傍にいることを容認する気もありません」
「相手が帝国中の独身貴族でもか?」
「望むところです。最初に日和って手を組んで、様子見を決め込んだ奴らに帝国の象徴を手に入れる資格があるのか……俺が判断してやりますよ」
そう言い切って俺は一礼してその場を後にする。
そんな俺の背からフランツがポツリとつぶやいた。
「鴎の盟約に加わっていた貴族たちはか弱き鳥と侮り、鷹に攻撃しようとしているのかもしれませんね」
その言葉に俺は苦笑する。
侮られていたほうがいいに決まってる。そのほうが動きやすいのだから。
だが、俺の秘密の共有者が関係しているとならば黙ってもいられない。
俺は俺の周りを壊す奴には容赦しない。
攻撃してくるなら攻撃してこい。全部返り討ちにしてやる。
そう決意して俺は新たな戦いへと向かうのだった。