第百三十二話 リンフィアの悩み・下
「仕事ですか?」
「ああ、君にしか頼めないんだ。ちょっと付き合ってくれないか?」
「アルノルト殿下がそうおっしゃるなら否やはありません。ただレオナルト殿下にもお伝えしないと」
「もう言ってある。君の返事待ちだ。ちょっと面倒だから特別報酬も出すし、どうだろう?」
「そういうことでしたら承知致しました。お供させていただきます」
いつもどおり表情を変えないままリンフィアはそう返事をした。
これで第一関門は突破だな。
「じゃあ行くか」
「どちらへ? 何をなさるおつもりですか?」
「冒険者ギルド帝都支部にいく。冒険者の仕事をちょっとやってみようかと思ってね」
「殿下が冒険者の仕事を? なぜですか?」
「父上から品位を保てと言われてる。少しはいつもと変わった動きをして、評価をあげておこうと思ってね。冒険者ギルドにはモンスター討伐以外にも細々とした依頼も来るんだろ? それを解決しようと思う」
「ご立派だと思いますが……殿下に向いているとは思えません」
リンフィアらしいストレートな物言いだ。
その物言いに苦笑しながら、俺はわかってると答えて部屋を出たのだった。
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「お待ちしておりました。アルノルト殿下。今日は冒険者の仕事をご体験したいということでよろしいでしょうか?」
馴染みのある受付嬢がそう俺を迎え入れた。
城のほうから連絡がいったんだろう。なかなか丁寧な対応だ。しかし、ギルドで酒を飲んでいた冒険者たちは微かに驚きをもって見ている。
「おい、出涸らし皇子だぞ?」
「冒険者の体験? どういう風の吹き回しだ?」
彼らの疑問はもっともだが、わざわざ説明する義理もない。
無視して俺は受付嬢に軽くうなずく。すると受付嬢は俺を依頼の書かれた紙が貼られた掲示板へと連れていく。
「ここに張られている依頼から好きなものを選び、解決するというのが一般的な流れです」
「何でもいいのか?」
「適正ランクがあり、あまりにもそこから離れたランクの冒険者の受注はギルドのほうで止めさせていただいています」
「なるほど。一番簡単な依頼は?」
「簡単な依頼というのがどういうものかによりますが……基本的にはモンスター討伐以外の依頼は簡単な分類に入るかと」
受付嬢は何枚かを手に取って俺に見せてくる。
迷子のペットの捜索や諍いの仲介。そういう市民の悩み事が並んでいた。
小さい事柄なため、当然報酬もそれに見合ったものだ。
こういう依頼は帝都の治安維持を司る警邏隊や帝都守備隊あたりの管轄な気もするが、彼らの対応を待ってられないという感じか。
「それじゃあこれとこれ、あとこれも受注してくれ」
「全部で三つですね。かしこまりました。すべて期限は今日までですがよろしいですか?」
「ああ、今日中に終わらせる」
「では手続きを致します。あと、達成できた場合でも達成できなかった場合でもギルドまでご報告ください」
「大丈夫だ。一応、A級冒険者がフォローしてくれるしな」
そう言って俺はリンフィアを見る。だがリンフィアの顔はやや渋い。今回のことが良策とは思えないんだろう。
そりゃあそうだ。品位を保つといいながら、やっているのは冒険者ギルドにいる冒険者でもなかなか手を出さない地味な仕事。やったところで俺の評判は上がらない。
だがそれでいい。
「不満顔だな?」
「今からでも遅くありません。別のことに切り替えては?」
「いいんだよ、こんなもんで。冒険者ギルドで冒険者の体験をしたという事実があれば、父上も文句は言わない。内容はどうでもいいんだ」
「殿下。殿下が考えているほどあの依頼は甘くはありません。地味で報酬も低いうえに、いろいろと厄介なので誰も受けないんです」
「かもな。でもそのために君がいる。頼りにしてるよ」
俺はお気楽な感じでリンフィアに声をかける。
一方、リンフィアのほうは小さくため息を吐いている。これは呆れているな。でもまぁそれでいい。
そっちのほうが都合がいい。
「殿下。準備が整いました。まずはとある伯爵の家で部屋の掃除です」
「了解した」
そう返事をして俺はギルドを意気揚々と出発するのだった。
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「最初は楽勝だな」
「貴族関連はあまり甘くみないほうがよろしいかと」
「いや楽勝だよ。行けばわかる」
そう言って俺はとある伯爵の屋敷へ向かう。
そこは前も来たことのある屋敷だった。
「ここは確か……」
「現工務大臣、ベルツ伯爵の屋敷だな」
そう言って俺は許可も待たずに屋敷へ入る。
すると俺の姿を見た執事が慌てて主人を呼んできた。
「で、殿下!? 此度は何の御用でしょうか!?」
「ああ、久しいな。ベルツ伯爵。実は今、冒険者ギルドで冒険者体験ということをやっててな。あなたの依頼があったので受けにきた」
「わ、私の依頼を殿下が!? け、け、結構です! 申し訳ありません! すぐに依頼を取り消しますので!」
「どうせ元妻の部屋を片付けてほしいって話だろ? いいさ。案内してくれ」
「そ、そのとおりですが……よろしいのですか?」
「よろしいから来たんだ。さぁ案内してくれ」
「はい……ではこちらです」
ベルツ伯爵は恐縮した様子で俺を元妻の部屋へ案内していく。
案内された部屋は広かった。しかも無駄に装飾が凝っている。
さらにはあちこちに美術品や装飾品が転がっている。まるで獣が暴れた後みたいだ。
「ひどい有様だな」
「元妻が出ていく際に暴れたままでして……そのときに部屋の物に触れたら呪うと言い残していまして……家の者たちも近づきたがらないのです」
「なるほど。だから冒険者ギルドに依頼したのか。さて、じゃあさっさと片付けるか」
「お願いいたします。ここにある物はすべて売ってしまおうと思っていますので」
「わかった。一か所にまとめておこう」
「ありがとうございます」
そう言ってベルツ伯爵は頭を下げる。相変わらず腰の低い人だ。工務大臣になったというのにいっこうに変わらないな。
そんなことを思いつつ、俺は部屋を見渡す。比喩でもなんでもなく黒い靄があちこちから漏れている。
間違いなくここにある物には呪いがかけられている。元妻はやはり性格が悪いな。わざと物を残して、触った者を呪うつもりか。
とはいえ、ここで気づいては不自然だ。俺は躊躇せずに美術品に手を伸ばす。だがすぐにリンフィアがそれを鞘に入った剣で防いだ。
「どうした?」
「お待ちを」
そう言ってリンフィアは剣を抜くと美術品に軽く触れさせる。すると、リンフィアの魔剣に反応して美術品がバチッと小さな火花を散らした。
それを見てベルツ伯爵が目を見開く。
「こ、これは……!?」
「触れた者に軽度の電撃を食らわせる魔法ですね。一般的には呪いと言われる類の魔法です」
「あ、あの女……! そこまで!?」
「あ、危なかったな……ありがとう。リンフィア」
「いえ……殿下。これが冒険者がこの手の依頼を受けたがらない理由です。依頼者が気づかずに低額低ランクで出した依頼に行ってみたら、実は高ランクだったということがあるからです。伯爵、冒険者ギルドに詳細を説明してください。そうすれば改めて魔法の知識がある冒険者が来るはずです」
「あ、ああ。申し訳ない。そうしよう。殿下も申し訳ありません……」
「いや、伯爵のせいじゃない。女の恨みというのは怖いな……」
伯爵に気にするなと言いつつ、俺は部屋を出る。
リンフィアならおそらく美術品も処理できるだろうが、傷もつけずに呪いだけ解くとなれば魔導師が必要だ。
依頼内容の見直しが妥当だろうな。偶然ではあるが、俺が来てよかったな。使用人たちが怖がらずに触っていたら怪我人が出ていた。
「殿下、これでお分かりでしょう? 冒険者の仕事に簡単なものはありません」
「ああ、俺が甘かったな。けど、受けた以上はやるしかない。申し訳ないんだが付き合ってもらえるか?」
「それは構いませんが、迂闊に手は出さないでください。何にもです。いいですね?」
リンフィアの忠告に俺は何度も頷く。
その後、ベルツ伯爵の屋敷を後にした俺とリンフィアは大通りのとある店に行き、隣接する店の店主同士の諍いを仲介することになった。
互いに向こうが自分の店の客を奪っており、売上が落ちたと主張し、俺の言うことなんてまったく聞かない状態だったが、リンフィアがすぐに互いの店の特徴を分析して互いの客層が被っていないことを冷静に、そして丁寧に説明すると、怒り狂ったモンスターみたいだった店主たちはペットのように大人しくなってしまった。
結局、売上が落ちたのは最近の混乱で旅行客が減ったからだという結論になり、そろそろ即位二十五周年が近いから売上は戻るはずだとリンフィアが説明すると店主たちは驚くほど素直に納得して和解した。
そこが終わると今度は貴族の家にいる犬の面倒を見ることになった。しかし、犬は手が付けられないくらい我儘でまったく言うことを聞かなかった。
だが、リンフィアは冷ややかな表情で魔剣を抜き、槍へと変化させて眠りの効果で眠らせてしまった。
結局、犬は主人が戻ってくるまで眠りっぱなしだった。
「これで終わりか……疲れた」
「三つの依頼を終えましたが、報酬は微々たるものです。モンスター討伐のほうが優先されるのはそこが一番の要因です。苦労に見合わないなら誰も受けたくありませんからね」
「よくわかる。精神的に疲れた。これはもっと貰わないと割に合わない」
そんな話をしながら俺とリンフィアは帝都支部に戻って今日の報告をした。
たぶんずっと溜まっていた依頼だったんだろう。三つのうち二つが解決され、一つは依頼内容が改められて高額依頼へと変わった。
受付嬢は終始ご機嫌だった。上手く使われたな。これが俺だけならそんな無茶はしないんだろうが、A級冒険者であるリンフィアがフォローにつく以上、格安でA級冒険者を使えるようなもんだ。
まぁそれぐらいできなきゃギルドの受付嬢なんてできないか。
「これで依頼は完了です。これが今回の報酬となります」
そう言って受付嬢は微々たる報酬を渡してくる。一日かかってこれではかなり辛い。
ある意味人間的には成長できるかもしれないが、冒険者として強くなるわけじゃないし。そりゃあ誰もやりたがらないわな。
納得しながら俺は報酬を受け取り、そのままリンフィアと共に帝都支部を後にする。
そして二人で馬車に乗って城へと向かうこととなった。
「今日はすまなかった。迷惑ばかりかけた」
「いえ、それが私の仕事ですから」
いつもどおり表情を変えずにリンフィアは淡々と呟く。そんなリンフィアに苦笑しつつ、俺は懐から用意していた袋を取り出してリンフィアに渡す。
「これは?」
「今日の特別報酬だ。なんだかんだ冒険者の体験は成功できた。父上もこれで俺に文句は言わないだろう。評判をあげようとする姿勢さえ見せれればそれで問題はないからな」
「それならもっと簡単な方法があったと思いますが……」
そう言いながらリンフィアは思った以上に重たい袋を疑問に思い、その袋を開く。
そしてそこに入っていた金額に目を見開く。
「金貨をこんなに!? いただけません!」
「依頼をこなしたのはリンフィアだし、俺の護衛も完璧だった。迷惑もかけたし、妥当だと思うぞ」
「それでもいただけません! すでに十分頂いています!」
「だから特別報酬さ。無理を言ったし、貰ってくれ」
そう言って俺はリンフィアに袋を押し付ける。
リンフィアは困惑した表情を浮かべたあと、微かに躊躇いながら口を開く。
「わざと……ですか?」
「なにがだ?」
「私に特別報酬を与えるためにわざと面倒な冒険者体験をなさったのですか? 私の悩みを知っていたから」
「考えすぎだ。そんなことしないさ」
「殿下ならやりかねません」
鋭いなぁ。簡単には騙されてはくれない。
そういうことならなおのこと受け取れません、という姿勢を見せるリンフィアにため息を吐き、俺は呟く。
「まだまだ幼い頃にクリスタは母親を失った。そんなクリスタを育てたのは俺の母で、俺とレオもクリスタを可愛がった。だが、やっぱり実の姉であるリーゼ姉上には傍にいてほしかったんだろう。ときおり寂しそうにしていた。そんなクリスタの誕生日にリーゼ姉上は毎年プレゼントを送っていた。正直、いつもセンスに欠けているプレゼントだったけど、クリスタは嬉しそうだった。姉からプレゼントが来るのが嬉しかったんだ。姉との絆を感じられるから。だからそのお金でプレゼントを送ってあげてほしい。これはお詫びなんだ。君を妹から引き離してしまってるのは俺たちだからな」
「お詫びなんて……殿下は妹を助けてくださいました。助ける義理のない私に最大限の支援をしていただき、今も働きに見合わない報酬を頂いています。私はその恩に報いるためにここにいます。殿下が詫びることなど何もありはしません」
「君の妹を助けたのはレオたちだ。俺は後ろで金を出しただけ。正直、役に立てたという実感はない。けど、それしかできないんだ。今もそうだ。君を国境に行かせることはできない。君の代わりはいないからだ。だからせめて、そのぐらいの支援はさせてほしい」
「ですが……」
「じゃあこうしよう。それは未来への投資だ。君はいずれ俺も驚く活躍をしてくれると信じてる。そんな君に俺は投資しよう。いつか働きで返してくれ」
そう言うとリンフィアはしばし考えたあと、静かに頭を下げた。
「――わかりました。アルノルト殿下、このお金は預からせていただきます。必ず働きでもってお返しいたします」
「今でも十分すぎるほどの働きだけどな。でも期待するとしよう」
そう言うとリンフィアは申し訳なさそうな表情を浮かべる。リンフィアの自己評価はそこまで高くない。こちらは相当高くリンフィアを評価してるんだがな。
まぁそこらへんがリンフィアのいい点だ。驕らないから油断しない。油断しないから取りこぼしがない。
これくらいはやってくれるだろうという仕事を必ずやってくれる。勢力に欠かせない逸材だ。
そう考えたとき、俺は軽く苦笑する。
「そういえば、いつまでアルノルト殿下なんだい?」
「いつまでというのは?」
「南部に行く前に呼び方を変えるって言ってただろ?」
「あ……」
リンフィアにしては珍しい。忘れていたんだろうな。
勢力に必要な人材と距離があるのはいただけない。俺は笑いながら告げる。
「そろそろ殿下ってのはやめてくれないか? なんなら様もいらないんだが」
「そ、それは私にはできません……」
慌てた様子のリンフィアを見ながら俺は苦笑する。
リンフィアの性格的に俺を呼び捨てにするのは確かに難しいだろうな。
リンフィアはしばらく考え込んだあと、小さく呟く。
「で、では……これからはアルノルト様と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
「アル様じゃないのか?」
「そ、そのような呼び方はできません……」
「それは残念だ。まぁ、殿下から卒業しただけ良しとしようか。あんまり好きじゃないんだ。殿下って言われるのは。そんな柄じゃないしな」
そう言ったあと俺は右手をリンフィアに差し出す。
そして。
「改めてこれからもよろしく。リンフィア」
「……はい。アルノルト様」
そう言ってリンフィアは柔らかく微笑んで俺の右手を握ったのだった。