第百九話 試す価値
アルたちが帝都に戻っている最中。
帝都では大臣や皇子、主要な貴族たちが皇帝によって呼び出されていた。
「南部はワシの捜査を断った」
集められた者たちの前で皇帝ヨハネスはそう短く告げる。
帝国において皇帝は絶対。その捜査を断るということは反乱以外の何物でもない。
誰もがついにという思いだった。
「クリューガー公爵を中心として、南部の貴族は南部連合を設立。これには南部の大半の貴族、都市が加わっています。そしてこちらに対して門を閉じ、抗戦の構えを見せています」
宰相であるフランツの報告に誰もが憤りの感情を見せた。
好き勝手やるということは、それだけ中央を軽んじているということ。
舐められているということだからだ。
「軍を向かわせるべきです!」
誰かがそう言ったのをキッカケに、多くの者が軍の出動を提案した。
それに対してフランツはあくまで冷静な意見を述べる。
「南部連合の目的はおそらく陛下の譲歩。許してもらえるならば、内乱には発展しないでしょう」
「そのような前例を作ればより反乱を招く!」
「そうだ! 毅然とした対応をせねば!」
フランツは軟弱だと非難に晒されるが、どこ吹く風という態度で参加者たちを観察する。
この会議の目的は効果的な対応の模索。軍を出すなどというありきたりな答えをフランツは求めていなかった。そしてそれは皇帝もそうだった。
「最終的に軍を出すことになるやもしれん。だが、その前にできることがあるだろうか? 皆の意見を聞かせてほしい」
「陛下! お言葉ですが、もはやその時期は過ぎました! 向こうが武器を構えたのです! こちらも構えねば!」
そうだ、その通りだという声が続く。
皇帝は小さくため息を吐く。貴族や大臣たちに影響力を持つエリクは今回の会議には参加していない。外務大臣として他国を牽制しに行っているからだ。そのせいか、貴族や大臣たちの意見は片方に寄っていた。
「皇帝陛下」
参加者たちがヒートアップする中で、ゴードンが声を発する。
そしてゴードンはヨハネスの前に進み出ると威風堂々とした様子でヨハネスを真っすぐ見た。
「なんだ? ゴードン」
「中央軍を俺にお与えください。南部の反乱などすぐに打ち破ってみせます」
その言葉に貴族や大臣たちが歓喜した。
ゴードンはリーゼほどではないが、戦場にて武功をあげ続けた将軍だ。国境での守備を嫌い、ここ最近は戦場に出る機会はなかったが、帝都にいる将軍の中では頭一つ抜けた存在であるといえる。
そのゴードンが軍を率いれば、その言葉通り、南部の反乱はすぐに打ち破られることになるだろう。
だが、もちろんそれに反対する者もいた。
「お待ちを。ゴードン殿下。財務大臣として賛成はできませぬ」
長く財務大臣を務める老人がそう待ったをかけた。
その老大臣をゴードンは睨みつける。
「なんだと?」
「現在、帝国の財政は良いとは言えませぬ。モンスターの大量発生に始まり、前回の南部での異変。物流は滞り、民は苦しんでいるのです。そこに大規模な内戦などしようものなら帝国は経済に打撃を受けます」
「すぐに終わらせる。長引くことはない」
「断じて賛成はできませぬ。早く終わるからという問題ではないのです」
老大臣の言葉を聞き、ゴードンは怒りを露わにして一歩詰めよるが、そこに至って今まで黙っていたレオが言葉を発した。
「皇帝陛下」
その場の全員がレオに視線を集中させる。
レオはゴードンの隣に並ぶと膝をついて一言告げた。
「南部の反乱は僕の失態です。挽回のチャンスをいただけないでしょうか」
「挽回のチャンス? 将軍として出陣したいというのか?」
レオの発言に期待した一部の大臣たちは一瞬、落胆の表情を浮かべたが、レオは頭を振って答える。
「いえ、策があります」
「ほう? この状況をどうにかする策があるのか?」
「あります」
「では聞かせてもらおう」
「はい。僕をクリューガー公爵に対する使者に任じてください。彼の本拠地に使者として入り込み、そこで奇襲を仕掛けます。戦争が始まる前に彼を捕らえるか、討つことができれば南部連合は瓦解します」
その策にヨハネスは身を乗り出す。
軍を動員しての強硬手段しか出てこなかった中で、レオの策はとても魅力的に映ったのだ。
「自ら言い出したということは、その危険も重々承知の上か?」
「はい。自らの失態は自らの手で償います」
そう答えたレオは横にいるゴードンをチラリと窺う。
すると鋭く睨みつけるゴードンと目が合った。それに対してレオは軽い笑みを向けた。
ゴードンとの約束は戦争中は邪魔はしないということ。皇帝がいまだ戦争を決断していない以上は、今は戦争中とは言えない。また使者として赴くこと自体も表向きは戦争中ではない。
あくまで交渉のための使者だ。それもゴードンとの約束を破ったことにはならない。
それはゴードンもわかっているのだろう。忌々しいと言わんばかりの視線をレオにぶつけるが、レオは気にした素振りを見せない。
しかし、そんなレオの余裕は意外な人物によってかき消された。
「なかなか良い策と思うが? どう思う、フランツ」
「良い策であることは間違いありませんが……私は反対です」
「宰相? なぜですか?」
「レオナルト皇子は文武に優れ、民の評判も素晴らしいものです。使者として申し分ありませんが……同時に南部の異変を解決した英雄。クリューガー公爵の警戒はおそらく解けないでしょう」
「ではレオナルト以外ならばどうだ?」
「ゴードン殿下では武が勝ちすぎます。皇子の中で最も油断させられるのはアルノルト殿下でしょうが、使者として潜入したあとに難がありますし、この大任を任せてしまうこと自体が警戒を呼びます」
フランツの言葉にヨハネスはふむと考え込む。
策自体はいいが、それを行う人間に少し問題がある。
何か一工夫でよりよくなる予感がして、ヨハネスはフランツに訊ねる。
「適任者はいるか?」
「使者にはそれなりの格が求められます。皇帝陛下の名代を務められるだけの格です。皇族の方々が望ましいですが、それに匹敵する人物でも問題はありません」
「だから誰だ?」
「あまり言いたくはありませんな」
そう言ってフランツは言葉を濁す。
それにヨハネスは顔をしかめるが、フランツは気にせず口を閉じる。
そんな中で玉座の間に新たな人物が入ってきた。
全員の視線が集まる。
「失礼いたします。皇帝陛下」
「フィーネ……どうした? 何かあったのか?」
「何か手伝えることがあるかと思い、この場に足を運びました。そしてそれは間違ってはいなかったようですね」
そう言ってフィーネは笑みを浮かべてフランツを見た。
フランツは微かに視線を伏せる。
それだけでヨハネスはフランツが言葉を濁した理由を察した。
「フランツ……まさかフィーネを使者に立てるというのか!?」
「適任ではあります。レオナルト殿下が助言者という形を取れば、今回の策はおそらく上手くいきます。クリューガー公爵もまさか陛下が蒼鴎姫を危険に晒すとは思いますまい」
「当たり前だ! フィーネは軍人でもなければ騎士でもない! 国の役職についているわけでもない! クライネルト公爵領の問題ならいざ知らず、南部の問題に命を賭けさせるというのか!?」
「髪飾りを贈られたその時から、ある意味役職についているのと変わりはありません」
「屁理屈を言うな! 戦う術を持たぬ少女を敵地に送り込めと!? 万が一にでも失敗したらどうする!?」
「失敗の場合、危険に晒されるのはレオナルト殿下も同じです」
「レオナルトは皇子だ! 南部の問題には巡察使としてかかわっている! フィーネとは比べ物にならん責任がある!」
ヨハネスはフランツを強く睨みつけると、今度はフィーネのほうへ視線を向けた。
そして。
「下がれ、フィーネ。別の手を考える」
「いえ、陛下。どうかお任せください」
「ならん!」
「……陛下。貴族の起こした問題で民が苦しんでおります。領地が違えど、貴族が負うべき責任に変わりはないはずです。帝国の民を守るのが貴族の役目。内乱を起こさせないことで、多くの民が救われます。南部の民が死ぬこともなく、ほかの場所にいる民が飢えに苦しむこともありません。私はフィーネ・フォン・クライネルト。公爵の娘です。危険を冒す理由はそれだけで十分です。民の危機に立ち上がれないならば、貴族などいる価値はないのですから」
ここにフィーネが来たのは偶然であり、必然だった。
誰もが必死に動いている中で、自分にできることはなにか。そう真剣に考えてフィーネはこの場にやってきた。
アルやレオに何か言われたわけではない。二人はフィーネを計算には入れていなかったからだ。
だが、フィーネはフィーネなりに自分の強みを理解していた。
皇帝に髪飾りを贈られたこと。皇帝に大切にされていること。
この二点は相手を油断させる最大の武器になる。
それをフィーネはよく理解していた。
「フィーネ……」
「行かせてください、陛下。南部の貴族たちは一枚岩ではありません。きっと仕方なく従っている方々も大勢います。貴族に仕える騎士や兵士たちなら猶更でしょう。しかし、一度刃を交えれば憎しみが生まれます。それはやがて帝国の災禍となりかねません。それを止めるお手伝いがしたいのです」
「……」
「陛下。国のためです」
「……近衛騎士たちを連れていけ」
ヨハネスは苦渋に満ちた表情で告げる。
だが、それをフィーネは断る。
「近衛騎士たちがついてくれば敵の警戒が強まります。それでは意味がありません」
そう言ってフィーネは微笑む。
アルとエルナがネルベ・リッターの説得に向かった時点で、フィーネは失敗することなど欠片も考えていなかった。
名乗り出ることに恐怖を感じないのも、アルへの信頼からだった。
アルが達成できると選んだ部隊が護衛につく。それならば何の問題もない。
唯一心配なのは勝手なことをして、アルに怒られてしまわないかどうか。
そんな小さな心配をフィーネはしていた。
敵の本拠地に乗り込む役目に立候補したわりには悠長なものだった。
「近衛騎士以外には任せられん!」
「しかし陛下。近衛騎士が警戒を強めるというのは事実です」
「ではどうする!?」
皇帝の怒号が玉座の間に響き渡る。
そして残ったのは静寂だった。
誰もが言葉を失う。
そのタイミングでひょっこりと顔を出す皇子がいた。
「あの~……父上」
「……アルノルト……お前はこの一大事にどこに行っていた!?」
「いや、ちょっと用事がありまして」
叱られたアルは顔をしかめながら玉座の間に入る。
一瞬、フィーネと視線が合う。申し訳なさそうなフィーネを見て、アルは仕方ないなと言わんばかりの笑みを浮かべる。
そして次の言葉が飛んでくる前に素早く用事を済ませることにした。
「護衛部隊についてですが、推薦したい部隊があります」
「なに?」
「入ってくれ」
そうアルが言うと軍服姿のラースが玉座の間に入る。
その胸にはネルベ・リッターの団章がつけられていた。
「ラース・ヴァイグル……どうしてここに?」
「アルノルト皇子に詳細を伺いました。ネルベ・リッターは今回の作戦に志願いたします」
そう言ってラースは敬礼する。
それはあり得ない光景だった。
ネルベ・リッターはこれまで何度も任務についてきた。しかし、そのどれもが命令されたからであり、自発的に何かすることはなかった。
そのネルベ・リッターが志願する。
異常事態に一人の貴族が声を発した。
「ま、待て! 貴様らにレオナルト皇子とフィーネ嬢を任せろというのか!?」
「ご安心を。必ず守り抜きます」
「ふざけるな! 主君を裏切った者たちに任せられるか!」
「……我々はたしかに主を裏切りました。主の不正を見過ごせませんでした。しかし、ご安心を。そんな我々ですから不正を行った南部貴族に寝返ることはありません。我々は傷跡の騎士。不正は我々の敵です」
ラースの言葉に貴族は押し黙る。
経緯を考えれば、ラースの言うことはもっともだったからだ。
しかし、その場にいる者たちの表情は芳しくない。
だが、最も奥に座るヨハネスがラースに質問する。
「これまで幾度もそういう機会はあったはずだ。しかし、お前たちは動かなかった。なのになぜ今立ち上がる?」
「……弟を守ってほしいと大声で頼まれました。あれに応じないのは……僅かに残った騎士の誇りに背くことになります」
そう言ってラースはアルを見る。
ヨハネスもアルを見て、その手に包帯が巻かれていることに気づく。
何をしたのか大体察しがついたヨハネスは深くため息を吐いて、命令を下した。
「ネルベ・リッターにレオナルトとフィーネの護衛を任せる。この一件はレオナルトに一任する。詳細は各々で詰めろ」
「陛下。そのような不確かな手を使わず、俺と軍にお任せを!」
「不確かな手ではあるが、試す価値はある。だが、お前も準備はしておけ。軍の集結は許す。しかし手を出すことは認めん」
「……わかりました」
そう言ってゴードンは引き下がる。
その目に暗い光を宿しながら。