第百話 ソニアの正体
「罠の可能性は?」
「十分ありえるな」
ジークの質問に俺はそう答える。
その答えを聞いてジークとセバスは渋い顔を浮かべたが、俺に呼ばれてきていたレオはそうでもなかった。
「その子は……兄さんから見て信用できるの?」
「個人としては、な」
どれだけ個人として信用できても、立場によって敵味方に分かれることがある。
ユルゲンだってついこないだまでエリクと協力関係にあった。どれだけ良い人でも勢力が違えば敵となる。
だが、ソニアはレベッカと一緒にいる。あの言葉に嘘は感じなかったし、あえて嘘をつくメリットも感じない。俺とレオを誘い出したところで、どの勢力にもメリットはない。襲撃なんてできないし、今レオに手を出せば間違いなく父上の反感を買う。
そうなるとソニアがレベッカと一緒にいることは疑わなくてもいいと思う。
「レベッカの味方であることは間違いない。そうであるならレベッカを俺たちに託すと判断したのはわからんでもない。逃げるにしても限界があるし、もっとも丁寧に迎え入れるのは俺たちだろうからな」
「兄さんとの接触は意図的だったのかな?」
「偶然だろうな。信用されたとみたいところだがな」
さすがにソニアの真意まではわからない。
そこを探るためにも指定された場所に行くしかない。
「今日の目撃情報からは位置を特定できない。行くしかないだろ」
俺は机に広げられた地図を見る。
ここ数日の目撃情報が印をつけられている。適当に点在しているように見えるが、どうもこれを見ていると何らかのヒントというか、法則性のものがあるような気がする。
だが、それが何なのかわからない。今は明確な手がかりであるソニアの言葉を信じるべきだろう。
「わかった。じゃあついていくよ」
「そうと決まれば動くとするか」
「兄弟そろって怖い者知らずだな? 間違いなくお前さんらには監視がついてる。二人で出れば妨害を受けるぞ?」
「わかっているが、行かない手はない」
ザンドラと組織の追手たちはレベッカを必死で探している。
間違いなく俺たちにも監視をつけている。俺たちが出れば妨害されるのは確定と言ってもいい。
夜に動かせる戦力というか、暗殺者たちを相手に戦えるのは今のところジークとセバスのみ。下手に兵士をつれていっても死体を増やすだけだ。
危険なのは間違いない。だが、今は大事な時期だ。ここでレベッカを手に入れるのと入れないとでは雲泥の差がある。
それに行かなきゃソニアは奥の手を使うといっていた。何のことだかわからないが、使いたがってはいなかった。せっかく得たソニアからの信用を捨てることにもつながる。
「伏兵はおかない。場所がバレるし、警戒される。それと出る時間もギリギリだ。進行方向で読まれても困るし、外でずっと待っているわけにもいかない」
「時間に間に合わない可能性もあるよ? 早めに出ておくべきじゃない?」
「俺たちだけのことを考えるならな。だが、早めにつけば最悪、敵を引き連れていくことになりかねない。俺たちは目印みたいなもんだからな。最悪、遅れればレベッカたちも逃げるだろうし、それならそれでいい。時計塔に近づく時間は極力短くするぞ」
「了解。じゃあ準備しようか」
「そうだな。二人は護衛を頼むぞ?」
そう言って俺とレオは動き出す。
ジークとセバスは同時にため息を吐いて後に続くのだった。
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「ちっ!」
舌打ちをしながら俺は走る。
時計塔まであと少し。予想以上に敵が多い。なんだ、この多さは?
ジークとセバスが敵を倒し、レオが俺の周りをカバーしてくれている。だが、時間がない。
もう十二時は過ぎている。残りは数分。
走って間に合うかどうか。
そんな中、敵がまた現れた。断続的に増援がやってくるため、そのたびに足を止められる。
「兄さん! 先に行って!」
「お前を連れてこいって話だぞ!?」
「なんとか引き留めておいて!」
そう言ってレオは俺の背を押す。それと同時に暗殺者がレオに襲い掛かるが、レオは剣を抜いて撃退する。
セバスもジークもいるし大丈夫か。
少し心配しつつ、俺はさっさとその場を離脱して時計塔を目指す。
近くに来たとき、時計塔の針は十二時五分を過ぎていた。
「はぁはぁ……」
息を切らしながら周囲を見渡す。
まさか時計塔の上とか言わないよな?
そんなことを思っていると物陰からソニアが現れた。
「ソニア……!」
「やっと来たね」
そう言ってソニアの後ろからオレンジに近い茶髪の少女が姿を現す。
似顔絵と似ている。おそらく彼女がレベッカだろうな。
レベッカは俺を不審げに見ながら、ソニアに問いかける。
「この人がアルノルト皇子?」
「うん。一人で来たってことはないよね?」
「レオは足止めを喰らってる。そのうち来るから待っててくれ」
「そうしたいところだけど、こっちも時間がないんだよ」
そう言ってソニアはこちらに近づいてくる。
そしてジッと俺の目を見てきた。
その赤紫色の瞳は俺の心を覗こうとしているかのように、ずっと俺を見つめ続けた。
やがてソニアはニッコリと笑って視線を逸らす。
「伏兵とかもいない。やっぱりアル君は優しいね」
「あらかじめ兵を配置したりすれば、ほかの勢力にバレる。君らを危険に晒すわけにはいかないからな」
そう説明するとソニアは何度も頷く。
まだレベッカは警戒しているらしいが、それもレオが来ればどうにかなるはずだ。人に信用されるという点でレオは非常に秀でている。
どうにかレベッカを信用させることができれば、俺たちの勝ちだ。
そう思った。
その瞬間、ソニアが背筋が凍るような一言を発した。
「勝ってもいないのに……勝ったなんて思っちゃ駄目だよ。アル君」
「なに……?」
そう言うとソニアはレベッカの背を押して、俺のほうに突き飛ばしてきた。
慌てて俺はレベッカを受け止める。レベッカはレベッカで、突然のソニアの行動に驚いているようだ。
「ソニア!? どういうつもり!?」
「ごめんね。レベッカの身の安全を守るためにはこれしかないんだ。アル君……時間切れだよ。これがボクの奥の手」
そう言った瞬間、統一された黒い服に身を包んだ男たちがわらわらと現れた。
驚いたことに、そいつらは軍で採用されたばかりの最新鋭の弩弓を装備していた。
こいつらは……。
「ゴードン配下の隠密部隊か……」
「うん、そうだよ。少佐、動かないでね。交渉はボクがするから」
「……了解した」
ソニアに少佐と呼ばれたリーダー格の男が手をあげると、ほかの隊員たちが俺とレベッカから距離を取った。
そしてソニアは一枚の手紙を取り出す。
それを見てレベッカは慌てて自分のポケットから手紙を取り出した。
寸分変わらず同じものだ。
「それは偽物だよ。レベッカ」
「嘘……裏切ったの!?」
「裏切ってないよ。ボクは元々こちら側だもん。本当は少佐たちが来る前にレベッカを引き渡したかった。手紙も一緒にね。だけど、少佐たちが来た以上は手土産が必要になる。残念だけどね……」
そう言ってソニアは視線を落とした。
その顔は本当に残念そうだった。あれはおそらく演技じゃない。
たぶんソニアは自分のできる範囲で、レベッカの望みを叶えようとした。その上で出された時間が五分。その五分を俺たちが活かせなかった。
そういうことだ。
少し遅れてセバスとジーク、そしてレオが現れた。
状況がわからない三人は身構えるが、それを俺は手で制す。
向こうに攻撃する意図はない。そもそもここで争うなんて馬鹿な真似をソニアがするとも思えない。
それなら今は情報を手に入れるのが先決だ。
「ソニア……君は一体何者なんだ?」
「……ボクはソニア・ラスペード。ゴードン・レークス・アードラー皇子に軍師として招聘されたハーフエルフだよ」
「ゴードンの軍師……?」
「うん。ただ今まではその立場に縛られてなかった。だからレベッカの味方をしたんだ。けど、少佐たちがこの場に現れた以上は違う。ちゃんと言ったよ? 五分だけだって。少佐たちがここに来るまでのタイムラグ。それがボクがアル君に与えられる最後のチャンスだったんだよ」
悲し気にソニアは俺を見つめる。
後悔がある。ああすればよかった、こうすればよかった。いくらでも後悔は出てくる。
だが、今は申し訳なさのほうでいっぱいだった。
おそらくソニアがすぐにゴードンへレベッカを引き渡さなかったのは、レベッカの扱いが良いとは思えなかったからだろう。
ソニアはあくまでレベッカを第一に考えて動いていた。そうでなければこんな手の込んだことはしない。
ゴードンの隠密部隊を呼んだのもソニアだ。いつまでも逃げられない以上は助けがいる。同時に偶然出会った俺も使い、レオたちを呼んだ。最低でもレベッカだけは俺たちに渡すためだ。
転移を使えばよかったか。それとも魔法で吹き飛ばせばよかったか。答えは出てこない。
ただ言えるのはもうどうにもならないということだ。
「ボクとしては手紙をそっちに渡してもいいけど……ゴードン殿下は納得しないだろうし、なによりザンドラ殿下たちが君たちを狙い続ける。手紙とレベッカ。双方の安全を考えるなら二手にわかれるべきだと思うけど?」
力づくで奪っても構わないが、損をするぞ。
そう言われたようなもんだ。そしてそれには同意だ。
夜の帝都には今、ザンドラ配下の暗殺者と組織の追手で埋め尽くされている。ここで戦っている間に奴らがかけつければ、俺たちは共倒れの危機に直面する。
それならば二手に分かれて撤退するほうがまだマシだ。
俺たちが遭遇し、何事もなく撤退したとすれば向こうもソニアたちに追手を差し向ける。俺たちの間になんらかの交渉があったことは明らかだからだ。
「……要求は?」
「それはまたいずれ。こちらから交渉を申し込むと思うよ。安心して。悪いようにはしないから」
その言葉は慰めにもならない。
俺たちに対して直接害がないにしても、ゴードンが主導権を握ってしまえば碌なことにならんことは目に見えてる。
しかし鍵は向こうが手に入れた。レベッカだけでは証拠としては不十分。
ゴードンとの交渉に俺たちは臨まざるをえなくなった。
ソニアは自らの能力を示し、望む結果を手に入れた。レベッカを最善の場所で保護し、かつ自陣営に成果をもたらしたのだから。
「手の平で転がされたってわけか……」
「ごめんね。これが最善だと思ったから……じゃあね。アル君。レベッカをよろしくね……これからボクは君の敵だから」
そう言ってソニアは踵を返す。
そして隠密部隊と共に闇へと消えていった。
その背中はどこか悲し気に見えた。だが、どうすることもできない。せっかくのお膳立てを台無しにしたのだから。
「アルノルト様……我々も離脱しましょう」
「……そうだな」
セバスの言葉に答えながら俺たちも離脱する。
この日、俺たちは帝位争いに参加して初めて明確な敗北をした。
それを描いた軍師がゴードンの下へ向かった。そして手紙もゴードンの手に渡り、今後の主導権はゴードンのモノになった。
こうして帝位争いの勢力図は一変したのだった。