エピソード2:名杙統治のお見合い大作戦③
翌日、水曜日の午前9時30分過ぎ。
ユカは政宗が運転する車の助手席に乗り、聖人のところへ向かっていた。
彼に協力すると決めてから、2週間に1度、1時間程度の面談(という名目の雑談)をするため、聖人のもとを尋ねるようにしている。彼が拠点にしている利府へは仙台の中心部から電車でも行くことも出来るが、まだ土地勘のないユカには厳しい道のりになることが予想されるため、政宗か統治が送迎して、ついでに一緒に雑談をして戻る……というのが、お決まりのパターンになっていた。
本日の送迎係・政宗は、普段通りの仕事用スーツ姿。ジャケットは脱いでカバンと一緒に後部座席に置いているため、今はワイシャツとネクタイにズボン、という出で立ちで、目的地を目指す。
長袖Tシャツにジーンズ、という飾り気など皆無の格好で助手席に座るユカは、信号待ちで前を見ている政宗へ、統治のことを尋ねてみることにした。
「政宗、統治がお見合いするって……知っとる?」
彼はチラリとユカの方を見た後、すぐに視線を前へ戻し、苦笑いでこう言った。
「お見合い? 久しぶりだな、次の相手は誰になることやら」
どうやら彼の元へは情報が届いていないらしい。ユカは言って良いのか一瞬躊躇ったが……既に分町ママへも話をしてしまったし、いずれ耳に入ることだと自分に言い聞かせて、話を続けることにした。
「統治から聞いとらんと? 透名って家の櫻子さんって女性だって」
刹那、運転中のためユカの位置からは横顔の政宗が、口元にニヤリと笑みを浮かべる。やはり、彼も知っている人物のようだ。
「おぉ、遂に本命が来たのか。これは……統治も年貢の納め時かな」
「本命?」
「そうか、ケッカは知らないだろうけど、透名さんの家は、名杙とちょっとした因縁があってだな……」
「昨日、分町ママから何となく聞いたよ。彼女の実家の病院で、名杙がお世話になっとるって」
「何だよ。まぁ、聞いてるなら話が早いな。透名は名杙にとって恩人だ。既に病院の跡取りは彼女のお兄さんが内定しているし、彼女自身も容姿端麗で聡明な女性だから、名杙にとっても不足なしってことだな。まぁ、完全に『縁故』ではない第三者ってことで反発もあるとは思うが、個人的にも、いつ来るのかとニヤニヤしながら待っていたところだ」
信号が変わったため、車が動き始める。
再び揺れる車内で、ユカはシートの背もたれに体を預け……政宗の言葉を繰り返した。
「容姿端麗で、聡明……」
ちなみに、昨日の仕事が終わってから、分町ママにも同じ話をしたのだが……。
「えぇ? あの櫻子ちゃんが、本当にそんなこと言ってたの? うーん……そんなことを言うようなタイプじゃないと思うんだけどねぇ……うーん……とりあえず飲んでから考えようかしら」
と、首をひねってビールを取り出しただけで、話が先に進まなかったのだ。
1人で考え込むユカを、政宗が視界の端にとらえる。
「何だよケッカ、疑うような口ぶりで……お前、透名さんに会ったことがあるのか?」
「ううん、あたしは当然ないっちゃけど……」
ユカは首を横にふり、昨日の統治との会話をかいつまんで説明した。
「彼女が、そんなことを……?」
訝しげな表情で首を傾げる……政宗もまた、分町ママと同じ反応を示した。
「政宗もその人と会ったことがあるっちゃろ? そげなことを言って、挑発するような女性なん?」
「いや……とはいえ、俺も2、3回しか会ったことはないけど、そんなことを言うようなタイプには思えなかったぞ。伊達先生にも聞いてみるか……」
「そういえば、伊達先生もそこの病院で働きよるっちゃんね」
「そうだ。俺よりずっと彼女のことは知っているはずだし……あー、何となく、嫌な予感もするな」
横顔をしかめる政宗は、そう言ってため息ひとつ。
「まぁとにかく、人の『縁』はどこでどう繋がるのか分からないからな。俺達は友人の選択を黙って見守るのみ、だ」
「分かっとるよ。そういう政宗は、お見合いとか、素敵な出会いはなかと?」
刹那、政宗は一瞬言葉に詰まり……再度、色々な感情が混ざりあった溜息をついた。
「……素敵な出会いがあれば、こんなに仕事詰め込んだ青春を過ごしてねぇよ」
「何それ。仕事が多いけんが出会いがないってこと? 出会いのなさを責任転嫁して、仕事が罰ゲームみたいな言い方せんでもよかやんねー」
そう言って頬を膨らませるユカは……「罰ゲーム」という言葉で、ふと、思い出したことがある。
それは、あの研修の序盤。その日1日のスケジュールが終わり、大人が次に向けた会議を開いている間、ユカ・政宗・統治の3人で時間を潰していたときのことだ。
まだ輪に馴染むつもりのない統治は、1人で本を読んでいることが多く……誘いを断られるユカと政宗は、二人して建物内を散策したり、ゲームをしたりしていたのだ。
あの時は確か、1階と2階繋ぐ階段のところで、じゃんけんをして勝ったほうが上に登り、先に2階へたどり着いた方が勝ち……というゲームをしていた。そこで連続勝利したユカは、数段下で悔しそうな表情を向ける政宗に、上からこんなことを言ってのけたのだ。
「じゃあ罰ゲームとして、そのうち……疲れた時は佐藤さんにおんぶでもしてもらって、連れて行ってもらおうっと」
結局その後程なくして統治が2人から懐柔され、3人で遊ぶようになり……その罰ゲームは実行されないまま、あの事件が発生してしまった。
ユカも今までスッパリと抜けていた懐かしい思い出。こうして政宗と2人で話をしたことで、フッと思い出してしまったようだ。
「ケッカ?」
再び信号待ちになったところで、政宗がユカに声をかける。懐かしい回想から戻ってきたユカは気持ちを切り替えて、先程の話の続きをすることにした。
こんな過去の、特に何でもない瞬間の断片的な思い出なんて……政宗もきっと、覚えていないだろうから。
「そげん仕事で疲れとるなら、少しくらい休んでくれて大いに結構ですけどー?」
「少しくらいって、具体的にどれくらいだよ」
「んー……2日くらい? さすがにそれ以上は無理だよねー責任者やし」
「短っ!! っていうか土日と同じ日数じゃねぇか!!」
は~……と、これみよがしな息をつく政宗に、折角なので、ユカは心の中に残った疑問を素直にぶつけてみることにする。
「というか、政宗って結婚したいと?」
気になる女性から飛んできたド直球のクエッションに、政宗は一瞬口ごもり……。
「……いずれはしたいぞ。出来るかどうかは別問題だ」
頑張って本心を絞り出してみた。
「そうなの!?」
結果、凄く驚く。
「何だよその反応……別にいいだろ。俺だって幸せになりたいんだよ」
そう言って口をつぐむ政宗。コレだけ言うのが精一杯で、余計な一言を――俺だって「ユカと」幸せになりたいんだよ――付け加えることなんか出来るはずもない。
そして、そこまで言葉にしたってちゃんと伝わるかどうかも分からないユカは、フロントガラスの先に見える景色を見つめ……シミジミと呟くのだ。
「そっか……政宗にも良い御縁があるとよかねぇ」
「……」
当然ながら他人事のように語るユカに、政宗はこれ以上何も言えず……安全運転に務めるのだった。
そんな会話から、約15分後。
聖人の部屋にたどり着き、いつものごとくリビングで向かい合わせに腰を下ろす。
今日の聖人はくせ毛を輪ゴムで1つにまとめ、剃り忘れあような無精髭にいつもの眼鏡。よれた白衣に外国語のTシャーツ、ジャージのズボン、という、来客を出迎えるのとは程遠い格好で、2人をいつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
一方、髪の毛を1つにまとめあげ、白衣の下にワイシャツとタイトスカート、30デニールのストッキングという、いつも通りパリッとした格好の助手の彩衣は、3人分のコーヒーを用意してそれぞれの前に置き、再び自分の作業へ戻ろうとしたのだが……。
「おっと彩衣さん、今日は自分たちと楽しくお喋りしない?」
その背中を聖人が引き止める。彩衣はチラリと振り返り、考える素振りも見せずに返答した。
「……いいえ結構です。データの打ち込みと整理がありますので」
「それは今日中じゃなくても大丈夫だよ。ケッカちゃんの身体状況について、聞いておきたいことがあるんじゃなかったっけ?」
刹那、「仕事を増やすんじゃねぇ」と、彼女の眉がピクリと動いた、ような気がした。
「……それは、紙にまとめてお願いしたはずですよね?」
「やっぱり自分で聞いてみるのが一番だよ。と、いうわけで……さぁさぁコチラへ」
遠慮なく自分の隣を手で指し示す聖人を、彩衣は数秒見つめた後……小さく溜息をつき、自席に置いていたマグカップを手に取ると、3人のもとへ戻ってくる。そして、いつものように表情を変えること無く、聖人の隣に腰を下ろした。
思いのほか素直に従った彩衣に、ユカは内心驚きつつ……。
「彩衣さんがあたしに、聞きたいこと……?」
思わず身構えるユカに、彩衣は「健康に関することです」と前置きして、手に持っていたノートを広げ、ボールペンを握る。
「山本さんが仙台で生活をするようになってからのことを、少し、お尋ねしたいんです」
「仙台で……ってことは、ココ1ヶ月間、ってこと?」
「そうです。福岡とは気候も環境も全てが違いますので、これまでのデータによる解析では誤差が生じる可能性も考えられます。可能であれば……後から、身体測定もお願いできると助かります」
「身体測定!? ひ、必要とあれば……ケッカちゃん、脱ぎます!!」
「助かります。では、早速ですが……」
「……ねー政宗、彩衣さんの反応がクール過ぎて、ケッカちゃん凄まじく恥ずかしいっちゃけど……」
「彩衣さんの性格を読み切れなかったケッカが悪い。諦めろ」
机上に突っ伏すユカを横目にコーヒーをすする政宗は、その視線を聖人の方へうつす。
「そういえば伊達先生……透名櫻子さんに、『また』、変な実用書を渡しませんでしたか?」
また、を強調する政宗に、聖人は表情を変えること無く首を傾げた。
「ん? 何のことかな政宗君」
「先日、彼女が統治に対して妙に強気だったというか……とにかく、普段の彼女からはちょっと考えられない言動だったと聞きました。彼女は本の虫というか、アナログの情報を盲信していることは知っていますよね? 伊達先生は最近も統治とよく接触していますので、病院勤務の際に相談でも受けて、凄まじく適当に何か渡したんじゃないですか?」
政宗の妙に具体的な指摘に対し、聖人はコーヒーを一口すすってから、いけしゃあしゃあと返答する。
「そうだねぇ……確かに5月の連休前、櫻子ちゃんから相談があるからってコーヒーおごってもらって、コーヒー代代わりに本を渡したよ。彼女がそれをどう活用したのかは、ちゃんと聞いていないけどね」
「そうですか……後で統治に説明してやらねーとなぁ……」
はぁ、と重たい溜息をつく政宗に、聖人は白衣のポケットから飴玉(賞味期限切れ)を取り出してスススと押し付ける。それを政宗がジト目で押し戻す。
男性陣がそんなどーでもいい攻防を繰り広げる横で、彩衣はボールペンをくるりと回し、ユカに改めて質問を投げた。
「……では改めて。仙台で生活をするようになってから、何か体の不調を感じたことはありますか?」
「いいえ、特には」
「では……身長が伸びたと感じるようなことは?」
「いいえ、特には」
「では……夜に眠れなかったり、昔のことをよく思い出したり、急に不安に襲われたりすることはありませんか?」
「いいえ、特には」
「では……最後に。仙台に来て、何か不満や要望はありますか?」
「いいえ、特には……と、言いたいところやけど、人数が少ないせいもあるけん、あたしも含めてそれぞれがちょっと忙しい過ぎるかなーとは思うかな。心愛ちゃんがもうちょっと強くなってくれると、今回の問題でも頼りになるっちゃろうけど……」
「……だ、そうですよ、佐藤さん」
ペンを止めた彩衣がチラリと政宗を見やる。飴玉をスーツをポケットにねじ込んだ彼は、明後日の方向を見つめながら返答した。
「ヘイヘイ、トップとして鋭意検討させていただきますよー」
そんな政宗を肘で小突いて「頼むけんね」と念を押すユカに、優雅にコーヒーを飲んでいた聖人が割り込んでくる。
「今回の問題? 統治君のお見合いってこと?」
「ううん、それとはまた別のことで……」
ユカがかいつまんで心愛の事情を説明すると、聖人は楽しそうに喉の奥で笑った。
「なるほどなるほど……心愛ちゃん、相変わらずやることが若いねぇ」
「伊達先生には他人事かもしれんけど、付き合うしかないコッチの身にもなってよね……」
「いやいや、勿論出来ることは協力を検討したいと思っているよ。自分に何か出来ることがあれば、いつでもお手軽ご気楽に相談してくれていいからね」
「ハイハイ、頼もしい申し出に感謝いたします、っと……」
相変わらずどこまでも胡散臭い聖人の微笑みに、ユカはジト目を向けたままコーヒーを飲みつつ……今後の展開に1人、改めて頭を抱えるのだった。
ユカは政宗に関心がないわけではないのです。興味がないだけなんです!!(その違いとは)
ここで政宗が、「ユカの問題は俺が責任を持って解決するから……全部終わったら、俺との未来も考えてくれるか?」なんて言えるようなキャラだったら、エンコサイヨウは3行で終わってしまいます。政宗はここで口ごもったりするくらいで丁度よいのかもしれません。
そして、伊達先生(と彩衣)は、第2幕でも相変わらずです。変わらないって大事!!