第六話 事件の余波
翌朝、悟が自室を出ると、大きなテーブルに一枚の紙が置かれていた。紙にはマ国の文字の他に、『形態投影』という見た物をそのまま紙に写すスキルを使った画像もある。画像は昨日いたトレード会場のものだった。
「アンフィテアトルムで進化したユニットが暴走、進化禁止法の否決に疑問の声」
「あんた、この国の字を読めんの?」
悟が見出しを読むと、先に起きていたネココが訊いてきた。ネココは玄関近くにある長机に足を載せ、椅子を斜めにした状態で座っている。
「少しは……。前に習ったんだ、ユニット向けのマ国語学校で」
「そんなのあるんだ」
「あるんだよ、ネココ君。君も通うかい?」
自室から出てきたミッキーが会話に加わる。
「あたしはいい、そういう面倒そうなのは」
「面倒ねぇ……。言語としては簡単な部類なんだが」
悟はテーブルに置かれた紙に目をやった。くさび形文字に近い字が横に並んでいる。幾つかの文字を覚えれば、何となく読めるようになる言語だ。文字の組み合わせで単語ができるので、平仮名・カタカナ・漢字を覚えなくてはいけない日本語に比べれば、簡単な部類だと云える。
「簡単なら、部長が教えてよ。学校に行ったら、お金がかかるんでしょ?」
「かからないよ、ネココ君。ユニット向けのマ国語学校は無償で学べる国営の教育機関なんだ。マ国語を読めないと、こなせない仕事もあるからね。そういった需要に応えられる人材の育成にも力を入れてるんだよ、この国は」
「ふぅ~ん……」
タダと知ってもなお、ネココはあまり乗り気ではなかった。字が読めるようになったら、そういう仕事も振られるのではないか、それは厄介だなという考えが働いたからだ。
「サトル君は、何処で学校のことを知ったんだい? 結構、知らない人もいるんだが」
「召喚主のチェストミールさんからです」
「ああ、あの人はそういうの熱心だからね。昔から、らしいけど……」
「古い知り合いなんですか?」
「私の所有者が、ね」
ミッキーはテーブルの前に来ると、文字の書かれた紙を手に取った。
「それって何なんですか?」
「これかい? これは新聞だよ。毎朝、玄関のドア下から入れられているんだ。それを早起きのコブ君が読んで、こうしてテーブルの上に……」
「彼は?」
「ジョギング」
椅子の上に胡坐をかいて座ったネココが答える。
「チェストミールさんは新聞、取ってなかったのかい?」
「取っているって聴きましたけど、ユニットは見ない方がいいって……」
「まぁ、マ国の人間向けに書かれてるからね。ユニットが読んだら、不快になる内容も少なくない。その辺のことを懸念されたんだろう」
ミッキーは椅子に腰かけると、新聞を一読して口をへの字に曲げた。
「あれま……」
「昨日いたトレード会場で、何があったんですか?」
「見出し通り、進化したユニットが暴走したのさ。進化によって能力が強化されたユニットが、所有者への恨みから会場全体に酸の雨を降らした。当の本人は、能力効果と物理ダメージを無効化するスキルを発動して平気……」
「それじゃ、止めようがないじゃないですか」
「いや、止めたらしいよ。一人のユニットが……。そのユニットのレアリティは、レアだったそうだよ」
レアと言えば、悟やネココと同じ比較的よく出るレアリティだ。そんなレアリティのユニットが、どうやって“能力効果と物理ダメージを無効化する”相手を止めたのかが気になった。それはミッキーも同じだった。
「知りたいのは、どうやって止めたかなんだけどねぇ……。書いてないなぁ~。まぁ、ユニット兵部隊にも同じ能力者がいるから、それを書いて攻略法を知られるとマズいか」
彼の言うユニット兵部隊とは、高レアリティのユニットだけで構成された部隊である。ガチャの台座がある神殿には、銅貨でまわすノーマルガチャ、銀貨でまわすレアガチャ、金貨でまわすプレミアムガチャがあるが、ユニット兵部隊は政府専用のガチャであるレジェンドガチャから出た者しかいない。
ユニット兵部隊は、ユニットによる暴動を抑える切り札だと、悟はチェストミールから聴かされていた。
「それで、暴走したユニットはどうなったんですか?」
「強化素材にされて、“いなくなった”そうだよ」
進化であれ強化であれ、素材にされたユニットは“いなくなる”。この進化や強化をマ国の人間が行えるので、ユニットたちは素材になる恐怖を抱えながら生きている。逆に、何の能力も持たないマ国の人間にすれば、ユニットが能力を使って危害を加えないよう、牽制する為の進化や強化だという見方もできる。
「さてさて、困ったなぁ……ん~」
あまり困っているようには見えないが、ミッキーは背筋を伸ばしながら唸った。
「何か、困ることでも?」
「まず、この事件のあったアンフィテアトルムという私営の闘技場なんだけど、我らが所有者様も出資してるんだよ。おまけに、ユニット交換会は我らが所有者様の名義で開催されている。事件の影響が少ないことを祈るばかりさ」
「そうだったんですか……」
まだ名前すら知らないが、ミッキーの所有者ということは、悟の所有者でもある。所有者が苦境に立たされれば、その影響はユニットにも及ぶ。悟はトレードによってツキに見放された気分だった。
「ただ、悪いことばかりでは、ないのかもしれないよ、サトル君」
「何か良いことでも?」
「この事件を受けて、進化禁止法の否決に疑問の声があがっているとある。進化禁止法というのはね、平たく言えば進化は手に余るユニットを生みかねないから、法で禁止すべきだというものなんだ。この法が施行されれば、ユニットが素材にされる理由がひとつ減るわけだ」
「そうなれば、確かにユニットとしては良いことですね。否決に疑問の声というのは、採決の見直しに繋がるってことですか?」
「そこまでにはならないだろう。むしろ、私が注目しているのは、進化禁止法を否決させた側だよ。反対派の主力は、首都選出の第一院議員で、オルトドンティウム地域長のディオニシオ。人気取りのためには手段を選ばないと噂の男さ。今回、反対にまわったことで、法案が可決してれば事件も防げたとか言われて、批判に晒されるとなれば、人気取りの為に動くぞ……と」
「それが良いこと?」
色々と考えてみたが、悟の頭の中はクエスチョンマークだらけになった。進化禁止法の否決、反対派の主力議員、どちらも社畜病の調査会社には無縁に思える。
「ああ、今は点と点だよ。進化禁止法の否決とウチの仕事は。でも、そのうち線で繋がるかもって話さ」
「そういうもんですか」
「そういうもんさ」
ガチャッと玄関のドアが開き、コブが入ってくる。
「ふぅ~、ただいま戻りました」
「お帰り~」
昆布がジョギングしたところで、何になるのだろうという疑問はさておき、コブは今日のコースと見かけたものについて話し始めた。それをネココがボーッとした顔で聴いている。
そんな二人を眺めていると、自室からモアが出てくる。まだ目が開けきらない状態で、ゾンビのようにのそのそ歩くと、椅子を抱きかかえるようにして座った。
「みんな集まったようだから、今日の予定を話そうか」
席を立って言うと、ミッキーはそれぞれと目を合わせてから続けた。
「まず最初に、この街に住む社畜病患者の家に行き、サトル君に例のアビリティを使ってもらう。これは証拠集めの一環だ。モア君は例の依頼記録を、コブ君は『形態投影』に使う紙を忘れずに持つように。それが終わったら闘技場でバトルだ。2時間後くらいに出発するから、それまでに準備しておいて。以上」
話が終わったところで、悟は違和感のようなものを覚えた。それは前の会社との差異から来るものだった。
「あの、仕事チケットは無いんですか?」
「何、それ」
ネココは悟の質問にキョトンとしている。