第一話 虫と交換された少年
少年は虫を眺めていた。
目の前に立つ男性の手のひらを這う一匹の虫を、自分の前世の姿でも見るかのように凝視している。別に虫好きというわけでもなければ、その虫が人間に危害を加える害虫というわけでもない。ましてや、目を奪われるほど美しいわけでもない。むしろ、黒いコガネムシというべき風貌には嫌悪感すら抱く。そんな虫を見ているのには理由があった。
「これが、あのスカラビーですか……。そちらがよろしければ、彼とトレードということで」
右隣に立つ、金髪の男性が少年の肩に手を置いた。
「ありがとうございます」
手のひらの上で虫を這わせている銀髪の男性が礼を言う。
この瞬間、少年と虫がトレードされることが決まった。つまりは、この虫と少年は等価ということになる。
コイツと交換されるためにトレード会場に連れて来られたのかと思うと、少年は相手を見ずにはいられなかったのだ。この虫に一体どんな価値があるのか、人間一人よりも役に立つのかと、次々に疑問が浮かぶ。仮に納得のいく価値があったとしても、相手が虫だという時点で少年の胸中は複雑だった。
少年の名は永峰悟。眼光の鋭さが特徴的な黒づくめコーデの17歳だ。短めの黒髪、黒いTシャツに黒いズボンというのは、彼が小学校の頃から好んで着ている格好である。どちらかと言うと白黒ハッキリさせたがる傾向にある彼にとって、中途半端な色は避けたいところがあった。結果、いつも選ぶのは黒となっている。白を選ばないのは、似合わないと自覚しているからだ。
彼は一年前まで、他の世界で高校生をしていたユニットになる。この世界におけるユニットとは、ガチャによって召喚された者を指す。レアリティがレア以上にもなれば、召喚時に何らかの能力が付与されていた。
レアリティとは稀少価値を示す言葉だが、この世界ではユニットが持つ星印の数を意味している。星印は召喚時に右腕に浮かび上がるもので、召喚主であるマ国の住人が触れると、所有権が確定してユニット契約が結ばれる。ちなみに、悟のレアリティはレアであり、マ国とは彼が今いる国の名である。
レアリティと一緒に付与される能力には、スキルとアビリティという2つの種類があった。スキルは対象以外に影響力を持たない能力で、アビリティは発動すると特定の条件下にある者を巻き込む能力となっている。
「あの、こちらの『所持変更』もお願いします」
悟の召喚主である金髪男性のチェストミールが、近くにいた女性スタッフに声をかける。彼女には別のユニットの件で、『所持変更』を頼んだばかりだった。
「はい、かしこまりました」
女性スタッフが笑顔で振り返る。彼女は袖なしニットにタイトスカートの組み合わせで、腕にはイベントスタッフと書かれた腕章をしている。服の上からでもわかるナイスバディの持ち主だが、その場にいる男性陣は誰も興味を示していなかった。
チェストミールと悟はスカラビーと呼ばれる虫を見つめ、その虫の所有者である銀髪の男性は悟を見ていた。トレード対象にしか目がいかない、それがユニット交換会というものなのかもしれない。
チェストミールがスカラビーを指差すと、女性スタッフは前脚に触れてスキルを発動させた。4つの星印から赤みが失せる。
「次は彼を」
今度は悟が親指で指される。
女性スタッフが悟の星印に触れると、同じように赤みが失せていった。悟はユニット契約が破棄されて自由の身となったが、同時に周りで話す言葉がわからなくなった。それは『脳内変換』というアビリティが効かなくなるためだ。
このアビリティは知らない言葉で話している人の感情をくみ取って、自分の知っている言葉に頭の中で置き換えるもので、その効果対象はユニット契約を結んだ者、マ国の人間の2パターンに限られる。
だから、銀髪の男性が悟の星印に触れ、再びユニット契約が成立した時点で、言葉もわかるようになった。スカラビーの方も、チェストミールに星印を触れられて再契約している。
「交換成立、おめでとうございます」
軽く会釈して女性スタッフは去っていく。
「今日は、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ良いトレードをさせて頂きました」
銀髪男性の礼にチェストミールが笑顔で答える。
「また、機会がありましたら、宜しくお願い致します」
「勿論ですとも」
互いに頷くと、銀髪男性は腰を落として悟と目線を合わせた。身長差としては頭一つ分ほど悟の方が低かった。とはいえ、悟も身長が165cmはあるので、極端に背が低いというわけではない。
「これから、よろしく頼むよ」
「……はい」
新たな所有者に渋々返事をし、悟は銀髪の男性をまじまじと見た。
高身長でスマートな体型、長髪に青い目。白いマントを羽織り、その下にはタキシード風の服。飄々とした雰囲気には、ある種の余裕が感じられる。歳は自分より一回りは上といったところだろうか。
「さて、実は時間がないんだ。急いで戻らないと、間に合わないかもしれなくてだね」
「何に間に合わないんですか?」
「まぁ、詳しいことは移動しながら話すよ」
そう言うと、銀髪男性はトレード会場の出口に向けて足早に歩いていった。慌てて、悟も後を追う。
銀髪男性に追いついたのは、会場であるドーム型の白い建物を出た後だった。
「ここは人が多すぎるな……」
出入りする人々を見て言うと、銀髪男性は人気のない森の方へと向かった。立ち小便でもするのかと思いながら、悟は彼の後をついて行く。
「そうそう、私の名はミッキー・サージェントだ。この国には苗字は存在しないが、ユニット相手の時はフルネームで名乗ることにしている」
「俺は永峰悟、永峰の方が苗字です」
「やはり、君も苗字がある世界の人か。ナガミネ、でいいのかい? 『脳内変換』ってヤツは、名前でさえも変換してしまうからね。確認しておかないと」
悟は以前、永峰と名乗って“長く続く山の頂”と受け取られてことがあったので、名乗る時は発音に集中するようにしている。少しでも名前の由来や意味的なものを意識すると、感情をくみ取って変換されてしまうからだ。
「はい、永峰です。そちらはサージェントで?」
「ああ、そうだ。きちんと伝わったようで何よりだよ。巡査部長や軍曹なんて言葉に変換されて伝わることもあってね、お陰で会社じゃ部長呼ばわりさ……ン? この木がいいか」
大木を見つけると、ミッキーは木登りを始めた。木に絡まっている蔦を使い、うまい具合に登っていく。
「急いでるんじゃないんですか? 何で木登りなんか」
「必要だからだよ、君も登っておいで」
言われるがまま、悟は訳も分からずに木登りを始める。蔦を掴んだり、足場にしたりしながら、上を行くミッキーを追いかける。
しばらくすると、トレード会場の方から大きな声がした。何かトラブルでも起こっているのか、泣き叫ぶ人の声が幾つも聴こえる。
「なんだか騒がしいねぇ」
木のてっぺんに辿りついたミッキーが言う。
「バトルイベントでも、始まったんじゃないですか」
ミッキーのすぐ下まで登ってきた悟が憶測を述べる。確か、今日の交換会にはバトルイベントが予定されていたはずだ。
「そんな感じには見えないが……。まぁ、そんなことを気にしてる場合じゃない。移動するよ、サトル君」
「移動って、何処へ?」
「オルトドンティウムにある会社にさ。さぁ、行くよ」
次の瞬間、白い膜に囲まれたかと思うと、悟は草原に落ちて尻もちをついていた。
「痛っ……」
訳がわからないまま、悟は立ち上がって周りを見た。
傍にミッキーが立っているだけで、他には誰もいない。後ろを振り返ると、白いドーム状の建物が見えた。その近くに森があることから考えるに、一瞬にしてここまで移動したのだろう。
「続けていくよ」
ミッキーは言うや否や、次々と場所を変えていった。白い膜に包まれるたび、目に見える範囲内で、二人は瞬間移動し続けた。
「何なんですか、これは……」
「私のアビリティでね、『空間転移』と言う。自分を含めた周囲のものを、見える範囲の場所に移動させることができる。便利と言えば、便利なんだが……。近くに誰かいると巻き込むんでね、人気のない場所でないと使えないわけさ」
「それで、山の中に……」
「そう、理由を説明して避けてもらうのも難儀なんでね。木に登ったのは、人がいなそうな場所を見つけるのと、見える範囲を広げるためさ。理解してくれたかい?」
木登りの理由がわかったことで悟は大きく頷いたが、彼がアビリティを使ったことで、それ以上の大きな問題に気づいてしまった。
スキルやアビリティを使えるのは、ガチャで召喚されたユニットだけだ。マ国の人間は何の能力も持たない。ということは、ミッキーはユニットということになる。
しかし、彼は自分の星印に触れてユニット契約を成立させている。ユニット契約はマ国の人間が星印に触れて初めて成立するものだ。ここに大きな矛盾が存在する。
彼がユニットだというのなら、ユニット契約は成立しえない。ユニットでないとするなら、マ国の人間がアビリティを使用していることになる。能力が使えるマ国の人間など、聴いたこともない。
この国の常識からすると、このミッキー・サージェントという人物は異質過ぎた。
「あなたは、おかしい……」
悟は疑問を口にしていた。
「私がおかしい? ほほう、どうしてかね」
ミッキーは楽しそうに言いながらも『空間転移』を繰り返した。
「あなたは今、アビリティを使っている。能力が使えるということは、ユニットでなくてはいけない」
「そうだとも、私はユニットだ」
「なのに、あなたはユニット契約を交わしている。ユニットがユニットと契約できるハズがない。契約できるのはマ国の人間だけだ。あなたがユニットだというなら……」
「ユニットだというなら?」
「このユニット契約は、何かがおかしい!」
悟は赤みを帯びた星印をミッキーに向けた。それを横目で見ながら、ミッキーは『空間転移』を繰り返す。
「なるほど、それはおかしい。実に、おかしいねぇ……」
笑みを浮かべて言うと、ミッキーは袖をまくって見せた。そこには星印が6つある。ウルトラレアを進化させたレアリティ、レジェンドレアだ。だが、その稀少なレアリティよりも、悟は彼が星印を持っていること自体に驚いた。
「ユニットだ……」
「さっき言った通り、私はユニットだよ。でも、君とユニット契約を交わしている。さて、結論は出そうかい?」
ミッキーは『空間転移』をやめると、軽く手を開いて問いかけた。
「あなたは、おかしい……」
イレギュラーな存在を前に、同じ疑問を再び口にする。彼の異質さに対する答えなど、出そうにもなかった。




