02 取材
取材日である日曜日。午後ではあるが人はいない。昼食の時間だからだろう。住宅街の一角にある神田と書かれた表札の前に立ち緊張した面持ちでSは家の前のチャイムを押した。少しするとインターホンから優しそうな声が聞こえてきた。
「はい。神田です」
「こんにちは。身近な不思議の発見というブログで取材をお願いしていたAです。今から取材させてもらっても大丈夫でしょうか」
「はい。大丈夫ですよ。今あけます」
インターホンが切れてしばらくすると玄関の扉が開いた。そこから、三十代くらいの若白髪が目立っている男性が顔をのぞかせた。
「こんにちは。私は神田正樹です。今日のことは電話で聞いているよ。B君とはネットの友達でね。私の親父がよくしていた話なんだ。今は一人しかいないし玄関で長話をするのもなんだしどうぞ中に」
「分かりました。それじゃあお邪魔します」
そういわれて神田さんのお宅の居間に案内された。
「そこの椅子に掛けてもらって待っててもらえるかな。お茶とお菓子用意するから少し待ってね」
そう言って神田さんはお茶とお菓子を取りに行ったので、鞄からペンとメモ帳、Bに渡されたボイスレコーダーと自身のメモ帳、ボールペンを準備する。しばらくしてお茶とお菓子を乗せたお盆を持って神田さんが戻ってきた。
「お待たせ。お茶とお菓子です。どうぞ」
お茶と和菓子を渡して神田さんもイスに座る
「ありがとうございます。こちらも準備させてもらったのでそこまで待ってませんよ」
そういって貰った麦茶で喉を潤して本題に入った。
「それで今日は神田さんの不思議なお話を聞かせてもらえるということなんですがボイスレコーダーを入れるのでよろしくお願いします」
「はい。分かりました。亡くなった父から聞いた話なので拙い部分もありますがこちらこそよろしくお願いします」
そして、Sはボイスレコーダーの電源を入れた。
それは、ある日の夕方のことだった。月に一回の亡くなった妻の墓参り。その帰りで屋根のついたバス停で座って待っていた時だ。時計を見て次のバスが来るのは四十分後だということを確認して私はいつものように小説を読んでバスを待っていた。少したって突然雨が降り始めている音がした。小説を読むことを一度止めて、バス停の外を見ると夕立なのか勢いよく雨が降っていた。
ふと何を思ったのか横を見ると中学生くらいの可愛らしい少女が隣で私の本を読んでいる姿を微笑んで見ていた。一目見た瞬間にその子は亡くなった妻にどことなく雰囲気が似ていた。隣にいたのに全く不快感はなく何故かいつも隣にいるような安心感だった。そんな思いからか私は自然と彼女に声をかけた。
「こんにちは。私に用があるのかい?」
私が声をかけたことが嬉しいのか機嫌のよさそうな声であいさつが返ってくる。
「こんにちは。いいえ、用があるわけではなくて私の知人によく似ているなと思いまして」
「そうなのかい。こっちも君が亡くなった妻に似ていて思わず、声をかけてしまったよ。私は神田樹(かんだいつき)という。よろしく」
私はこう言って手を差し出す。
「こちらこそ読書のお邪魔してしまって何と言ったらいいのか。私の名前は河原頼子(かわはらよりこ)と申します。よろしくお願いします」
苗字は違うが、奇しくも彼女の名前は妻と同じだった。こういう偶然もあるだろうと思いながらも河原さんと私は握手をした。
その後、他愛のない話は弾んだ。彼女は聞き上手なのかとても話しやすかった。趣味や好きな本からあまり好きではない本から始まって食べ物や嫌いな食べ物、年齢まで。
そして、気が付いたら妻の話をしていた。しぐさや相槌の仕方、話の仕方が似ているということ。果てには若い頃の妻との出会いやデートで彼女を怒らせてしまったことや安いアパートで二人暮らしを始めた時の出来事、結婚して子供ができた時には二人して喜びを分かち合った話などの苦楽を共にしたときの話。
最後に、妻が病気で亡くなったこと。妻の死に目立ち会えなかったことまでたくさんのことを話した。何故ここまで話したのかは分からない。だが今ここで話さなければならない気がした。ここで話さなければ一生後悔するぞと頭の中で警鐘を鳴らしていた。自然と胸の中にある亡くなった妻への秘していた思いが口から出ていた。
「妻の亡くなる瞬間に居合わせることができなかった。もしかしたら、最後の言葉を聞いてやれるかもしれなかった。最後に『ありがとう、私はお前と共に居れて幸せだったよ』って言ってやりたかった。自己満足かもしれない。それでも、この想いだけは伝えたかったんだ」
話し切った後に、私は中学生の女の子相手に何を言っているんだ、と思い返して彼女に謝罪の言葉を言った。
「すまないね。あまりにも妻に似ていて、つい一人で盛り上がってしまっていたようだ。君と妻は別人のはずなのにな」
そう言うと河原さんは突然に椅子から立って私の前に来て少し寂しげな顔を見せて言った。
「私は神田頼子さんではないので、彼女が何を思っていたかは分かりません。ですが、一つだけ言えることがあります。あなたは彼女のことを愛している。それと同じくらい彼女もあなたを愛していたんだと思いますよ」
その言葉は何故か心にしみた。妻の言葉ではないはずなのに。見ず知らずの女の子であるはずなのに。
ふと気が付くと雨は止んでいた。バスが近づいてきているのか音が近づいてくるのが分かる。このバスに乗らないと次は一時間後だ。いつの間にかバスが来るほどの時間がたっていたのかと思い彼女の顔を見て言った。
「ありがとう」
バスはもう着いていた。私はばつの悪い顔を見られたくなかったため早足で彼女とすれ違う。すれ違いざまに彼女はにこやかに言った。
「どういたしまして。私の――」
私は彼女が何を言おうとしたのか気になり振り返る。しかしそこには屋根のついたバス停とベンチしかなかった。
「というのが私の父から聞いた話です」
Sはボイスレコーダーの電源を切った。メモもきちんと取ってはいるがこの話を聞いて本当に小説やブログに使っていいものなのかという疑問をSは感じていた。困惑気味の顔のSは言った。
「あの、これは本当にこちらで使ってもいいものなんですか」
神田さんはSの発言に
「確かにこの話は身内の中だけの話にとどめておいた方が良い話なのかもしれません。ですが、父はまるで残してほしいかのように何度も私に同じ話を語ったんです。そんな話だからこそどんな形でもいいから残してほしかったんですよ。気にせずに使ってください。それが供養になると思いますので。むしろこちらこそよろしくお願いします」
と言ってのける。その言葉に責任重大だとSは思いながらも神田さんに頭を下げる。
「そうおっしゃるなら…。こちらこそこのような話を提供して下さって今日はありがとうございました」
Sは再度感謝の言葉を述べて神田さんの宅を後にした。その帰り道を歩きながら録音ができているかを確認した。しっかり物語を書き上げないと。そう思いSはやる気に満ち溢れていた。