x3-11.『けんがくする』
「それじゃ、行ってくるね」
何の気負いもなしにユーノンがそう言い、外へ出ていこうとします。それはとてもありがたいことではあるのですが、その前に確認しておかなくてはならないことがあります。
「待ってくださいユーノン」
「ん?なに?」
「えーと、ユーノンにはどの方角の魔物を対処していただけるのでしょうか?」
「え?」
「……え?」
あの職員に言われた通りに東の魔物を対処するのでしょうか。できればワイバーンを対処していただけると非常に助かるのですが。
……なんてことを考えながらもユーノンに確認をとってみると、まさかの疑問の声が返ってきました。その声を聞いて、私も思わず疑問の声が口から出てしまいます。
「……ああ、なるほど。つまりミーナは、私が一箇所の魔物を対処するので手一杯になると思ったのか」
「え?……違うのですか?」
「うん、違うよ。大丈夫、ちゃんと魔物は全部やっつけてくるから」
「え?全部?……え?三箇所とも……ですか?」
「ううん、違うよ。全部」
え?違う?全部?
『三箇所とも』が違う?なのに全部?
……つまり、他にも魔物が?……確かに、可能性はあるとは思っていましたが、実際にそれを事実として突きつけられると、思いの外動揺してしまいますね。本当に、この場にユーノンがいて良かったと、心から思います。
しかし、ユーノンは全ての魔物を倒すと言っておりますが、本当にそんなことが可能なのでしょうか?いえ、ユーノンの実力を信じていないというわけではないのですが、それでもやはり多数の方角の、それもかなりの数の魔物を一人で相手にするということについては、かなりの無茶だと思ってしまうのです。ユーノンがいくら規格外の実力の持ち主だと言っても、身体は一つしかないのです。同時に相手できる数には限界があるはずです。
「まあ、私にとっては大したことじゃないから、ミーナは安心して待ってるといいよ。じゃ、今度こそ行ってきます!」
私の不安を読み取ったのか、ユーノンはそう言ってから外へと向かって歩き出します。もとより不安というほどの不安ではなかったのですが、ユーノンがそう言うのであれば、何も問題はないのでしょう。どうやって数多の魔物に対処するのかということについては未だ疑問は残りますが、ユーノンを信じて待つことにします。そう思い、ユーノンが外へ出て行くのを見守ろうとしたのですが、しかし、ユーノンはまたもやその足を止めることになりました。
「待ちなさい、ナハブ」
「えぇー……なに?きぃちゃん……」
そう、ユーノンの保護者である、メイさんの静止の声によって。
心なしか、ユーノンがメイさんの言葉を恐れているような気がします。……気のせいですよね?レベル四百超えの魔王様が恐れるようなことなど、あり得るはずがないですよね?
しかし、その魔王様の『保護者』という肩書きが、私のその考えを『もしかすると』と思わせてしまうのです。そしてその考えは、次に発せられたメイさんの言葉で、正しかったのだと思い知らされます。
「アナタがここを出ていく前に、言っておくことがあります」
その言葉を聞いた瞬間、ユーノンの顔が引きつったのを、私は見逃しませんでした。
「え、まさかきぃちゃん、魔法禁止とか……言わないよね?……さすがに私も、これだけの量の魔物を魔法なしで相手するのは、ちょっとつらいなぁー……なんて……」
えぇ?流石に大量の魔物を相手に、それはないですよね?……ないですよね?
ユーノンの魔法は何度かこの目で見させていただいておりますので、百や二百程度の魔物が向かってきたところで、ユーノンの相手にはならないことなど理解しておりますが、あの小さな身体一つで魔法もなしに多数の魔物に向かっていくというのは流石にちょっと……。しかし、このユーノンの態度からすると、メイさんがそういった言葉を、今この場で口にする可能性がないわけではないのですね……。ユーノンは、普段からそのような無茶を強いられているのでしょうか?もしそうであるのならば、ユーノンがメイさんの言葉を恐れる気持ちも理解できます。
ただ、それよりも驚愕なのは、ユーノンが魔法なしでもこの状況を何とかできるという可能性があること。だってユーノンは、魔法なしでは「つらい」とは言いましたが「出来ない」とは言っていないのですから。
「いいえ、違います。むしろ逆です。思いっきり派手にやりなさい」
ユーノンは、メイさんの「違う」という言葉に明らかにホッとした表情を見せた後、続いた言葉を聞き、驚きの表情に変化しました。
「え……きぃちゃん、どういう風の吹き回し?」
それ程までに、今のメイさんの言葉は意外だったのでしょうか?先程のメイさんの言葉に対して、今のユーノンの言葉が出てくるということは、ユーノンにとって、余程予想外な言葉だったということですよね?メイさんの口からは、日常的に無理難題が飛び出しているのでしょうか……?
「この場にいる愚か者共に、どのような存在を相手に舐めた態度を取ったのかを、理解させてあげるのです」
メイさんの声はそれほど大きなものではありませんでしたが、その言葉は、この室内に、とても良く通りました。
何人もの視線が、メイさんに集まっています。
「おー、おっけーおっけー。実はきぃちゃん、結構ムカついてた?」
「もちろんですとも。ナハブが舐められているのです。不愉快に決まっています」
「おーし、んじゃー今度こそ、本当に行ってくるね」
そう言って、ユーノンは今度こそ、誰にも邪魔されることなく外へと出て行きました。メイさんは、きっとこの会話をこの場にいる者達に聞かせたかったのでしょう。ユーノンを侮った者達に、ユーノンへの態度を後悔させるきっかけを与えたかったのだと思われます。あまり口を開くことのないメイさんが、わざわざ皆に聞かせるように会話をしていたことから察するに、余程腹に据えかねていたのでしょうから。
その後しばらくは、メイさんをにらみつける者、大口を叩いた世間知らずとして私達を嘲笑する者、愚かにも死にに行ったユーノンを憐れむ者等、様々な視線にさらされましたが、やがて冒険者達は本題へと戻っていきます。そう、大量にやって来るはずの魔物をどうするのかという話題へ。まあ、その話題はユーノンが出ていった時点で無駄となるのでしょうけれど。
ユーノンが出ていってから数分ほどでしょうか、にわかに外が騒がしくなります。それに気付いた冒険者が外の様子を確認すると、驚愕に顔を染めました。
「な、なん、だ……あれ、は……?」
その冒険者の絞り出すような声を聞いた者達は、一斉に外の様子を伺いに行きました。私もそれに便乗し、外へ出ます。一体、何があったのでしょうか?
それを確認した時、私は、恐らく周りの人達と同じ表情をしていたことでしょう。
あれは一体、何なのでしょうか。……いえ、何なのかはわかります。わかるのですが、それは私の知るものと比べ、圧倒的に非常識でした。
私が外に出ると、皆が空を見上げていました。それに習い、私も空を見上げると、それが目に入ったのです。
『魔法陣』が。
魔法陣など、別に珍しいものではありません。魔法陣を描いて起動するような魔法だってありますし、魔道具の中には、魔法陣が回路として組み込まれている物も存在します。恐らく、生まれてから一度も魔法陣を見たことがないなどという人間は、ほとんどいないでしょう。それが例え、魔法とはあまり縁のない一般人であったとしても。
しかし、これは見たことがありません。
魔法陣自体は、私の知るものとさほど違いはないようです。いえ、実際には距離がかなり遠く、一定の速さで回転しているため、一つ一つの魔法陣が正確には確認できませんので、断言は出来ませんけれど。
問題はその数なのです。千や二千なんてものではありません。あまりにも数が多すぎて、数を数えることすら考える気もなくすほどの数の魔法陣が、上空に浮かんでいるのです。十万と言われたとして、納得すらしてしまうほどの数です。あれだけの数の魔法陣を、ユーノンがたった一人で操っているというのでしょうか?しかも、私がそんなことを考えている間にも、更に魔法陣の数は増えていきます。
しばしの後、魔法陣の増加が終わったかと思えば、今度は魔法陣が発光し始めました。当然、全ての魔法陣が、です。その無数の魔法陣の発光により、空が異常な明るさになります。時間と共に明るさが増していき、空を見上げることも難しくなってきた頃、遂にユーノンの魔法が発動しました。
なんと美しい光景なのでしょう。
その魔法を見た私は、まず最初にそう思いました。
魔法陣が光の矢となり、四方八方へと散らばり、地面へと降り注ぎます。それはさながら流星雨の如く。
しかし、この魔法はそんな物を遥かに凌駕しています。それは当然でしょう。実際の流星雨など、遥か遠くの出来事を眺めているだけに過ぎず、この魔法は、今この目の前で起こっているのですから。迫力が圧倒的に違うのです。
そして、美しく思うと同時に、恐ろしくも感じました。
あの光の矢一つ一つが、魔物数体を殺し尽くしても余りある威力を持っていることが理解できます。あの光の矢を遠目に見ただけで、それだけの魔力が込められていることを理解させられてしまうのです。恐らく、魔力の流れを感じるのが苦手な者達ですら、本能的に恐怖を感じることができてしまう程だと思われます。あの魔法を王都へと向けられでもしたら、間違いなく王都は一瞬で壊滅してしまうことでしょう。
あの愚王が、どれだけ危ない橋を渡っていたのかがとても良くわかります。万が一にもユーノンが、強制的に召喚されたことに怒り、その怒りが王都に向けられていたとしたら、一体どうするつもりだったんでしょうね?まぁ、あの愚王はそんなことは微塵も考えていなかったのでしょうけれど。
そこまで考え、ふと気付いてしまいました。ユーノンの使う魔法なのです。きっとものすごい威力なのだと思われます。実際に、あの光の矢に込められた魔力が尋常なものでないことは、たった今、嫌というほど思い知らされました。そんな物が地面へと降り注ぐのです。光の矢はかなり遠くの方へと飛んでいきましたが、恐らくその魔法の余波は、間違いなくここまでやって来ることでしょう。私はとっさに衝撃に備え、身を守ります。……しかし、いくら待っても衝撃は来ませんでした。守りの態勢をとき、上空を見上げれば、魔法陣は全てなくなっていました。
私が呆然と空を見上げていると、何かが落ちてくるのに気付きます。いえ、落ちているのではありません。降りてきているのです。ユーノンがものすごい勢いで落下し、私の目の前に何事もなく着地しました。
「やほー、終わったよー」
それは、あれだけの魔法を使用したとは思えないほどの、とても軽い報告でした。




