x3-10.『おねがいする』
「大変だ!東の森からゴブリンの群れがやって来るぞ!」
大きな音を立てて開かれた扉に皆の視線が向くと同時に、その原因となった人物が叫びとも言えるような大声で、魔物の襲来を告げました。直後、その報告者の仲間と思われる者達が三人ほどなだれ込み、次々と報告をしていきます。
「数は目視できただけでも三百以上!」
「視界の悪い森の中でそれだけ見えたんだ、実際はその数倍はいると思われる!」
「時間はあまりないぜ、恐らく、五時間以内には王都へ到着するだろう」
先程まで静寂に包まれていたギルド内は一転し、蜂の巣をつついたような騒ぎになります。なにせ、相手は比較的弱い魔物であるゴブリン――ある程度経験を積んだ冒険者であれば、一対一で勝てる程度の強さ――であるといっても、数百体という数は十分に脅威たり得ます。状況を鑑みるに、恐らくは千を超える数を相手にしなければならないでしょう。森の中という、見通しの悪い場所でそれだけの数を視認できたのですから、五倍くらいの数を想定したとして、過剰とは言いきれないでしょうから。
今この場にいる冒険者の数は、ざっと見て二百に満たないくらいでしょうか。たとえ冒険者達の個々の力が相手よりも勝っていたとしても、数の有利というものは侮れません。仮に、この場にいる冒険者達全員がベテランの冒険者だと見積もったとして、なんとかなるのは恐らく千体くらいまででしょう。相手の正確な数がわからない現時点では、それ以下であることを祈るしかありません。あとは、この場にいない冒険者をどれだけ招集できるかにかかってくるでしょうか。
本来であれば、国の兵士を動員すればなんとかなりそうな案件ではあるのですが、勇者召喚やら王の崩御――あの王に対してこの言葉が適当なのかは疑問ではありますが――やらのゴタゴタがあったため、国の兵力の初動がかなり遅れる可能性は否めないのですよね。それでも、動きさえすれば最悪は免れるであろうという安心感はありますけれど。あの王は軍事には力を入れていたので、この国の兵力はなかなかに高いですからね。まあ、ユーノンという存在を目の当たりにしてしまった今としては、大したことのないもののようにも思えてしまいますけれど。
いつの間にか喧騒が収まっていたので周囲の様子を確認してみると、どうやらギルドマスターがやって来たらしく、方針が決定されたようです。
王城へ魔物の襲来を報告し、動員できるだけの冒険者で、国の兵士と連携し、迎撃に当たる。という、実に妥当な案でした。まあ、相手の数が不明なため、最大限の戦力を用意するのは当然のことですよね。戦力を出し渋り、万が一王都に何かがあれば、自分達の生活の基盤が揺るがされることになるわけですから。
そして早速、ギルド職員が王城へと報告に出ようとしたところ、またもや問題発生です。
冒険者ギルドの扉が「バンッ」という大きな音を立てて開きました。
……これと同じものをつい先程も見ましたね。
「大変だ!南の草原から魔物の群れがやって来る!」
「ゴブリンにオーク、グレイウルフなんかもいたぞ!」
これは……少し雲行きが怪しくなってきましたね。
オークは力が強く頑丈なのが厄介で、グレイウルフは動きが素早いのが厄介な魔物ということで有名です。因みに、具体的にどこがどうなって厄介なのかは私にはわかりませんので悪しからず。しょせん私は、本や過去の魔物討伐の記録等の、書物から得た知識しか持ち合わせておりませんので。
そして騒ぎ出す暇もなく、またもや冒険者ギルドの扉が「バンッ」という大きな音を立てて開きました。
……なんか私、この後の展開が読めました。
「北の空から何かが来てるぞ!」
「確証はないが、多分あれはワイバーンだと思う」
あ、これは詰みましたね。明らかに王都の防衛戦力を超えています。この状況にワイバーンは流石に無理です。一匹なのか群れなのかはわかりませんが、たとえ一匹だったとしても、他にも魔物の襲撃が重なっている現状、対処することはできないでしょう。
しかしなぜ、こうも魔物の襲来が重なるのでしょうか?魔物が大量に押し寄せてくる、なんてことは今までにも幾度かはあったようですが、複数の方角から同時に、なんて記録は私は見たことがありません。まあ、実際にそんな事態になってしまったのであれば、その国は滅んでしまい『記録自体が残っていない』なんてこともありえない話ではないのでしょうけれど。
「あー、なるほど。死んでなお迷惑をかけるのか」
私がこの国の行く末に思いを馳せていると、ユーノンのそんな呟きが耳に入りました。
ちらりとユーノンの方へと視線を向けてみると、ユーノンが手招きをしています。それを見た私は、いえ、勇者達もですね、ユーノンの下へと集まりました。
「この魔物の同時襲撃の原因ね、あの愚王みたい」
ユーノンの説明してくれた内容は、こういうものでした。
勇者召喚の儀式には大量の魔力が必要です。それは当然でしょう。あれだけ多くの者が、必要な魔力を担うために集められたのですから。ここまでは特に問題はなかったようです。
問題は、この勇者召喚の儀式が、不完全な術式によって成り立っていたということなのです。
本来、魔法を行使するために使用された魔力は、魔法の消失と共に霧散するため、余程のことがない限り、その場に魔力が留まり続けるということはないそうです。しかし、不完全な召喚の術式により、魔法へと使用される前の魔力が、大量に拡散してしまっているという事象が発生したとのこと。そのため、本来勇者召喚に必要な魔力以上の魔力が、あの儀式には必要になったということらしいです。これに関しては、私は本来の術式というものを知りませんので『勇者召喚という異質な儀式に大量の魔力を消費する』ということに何の疑問も持たず、納得していました。
そしてその結果、大量の魔力が周囲にばらまかれてしまったということが、今回の原因となったということらしいのです。
魔物という生き物は、本能として、魔力を求めてしまうものなのです。それは当然、多ければ多いほど抗えないものとなります。
その魔物達の下へ、大量の魔力が流れてきました。流れてきた方向を確認すれば、王都方面。流れてきた分だけでも大量なのです、その源泉には一体どれほどの大量の魔力が湧き出ているものか。魔物達には、さぞやこの王都が楽園に見えたことでしょう。実際には、魔力が湧き出ているわけでもなく、一回限りの大盤振る舞いだったわけなのですが、事情を知らないものにはそんなことは関係ありません。この大量の魔力の源泉を求め、魔物達が大移動を開始したというのが、事の顛末だということらしいです。
本当にあの王は……やることなすこと迷惑をかけることしかできないのでしょうか。
そんな今は亡き王に憤りを感じていると、私達に話しかけてくるものがいました。いえ、これは話しかけていると言うのでしょうか?どちらかと言うと、伝達と言ったほうが正しいのかもしれません。
「貴方達は東の森のゴブリンの対処に出てください」
話しかけてきたのは、どうやらユーノンに応対していたギルド員でした。
しかし、その言葉の意味を、私は一瞬、理解できませんでした。そして私が言葉の意味を理解するよりも早く、ユーノンが返答します。
「は?なんで?」
「なんでって、今は王都の危機なのです、冒険者総出で事に当たるのは当然でしょう!」
この人は一体何なのでしょうか?
「だからさぁ、私まだ登録してないんだけど?」
「登録がまだだったとして、冒険者になるんでしょう?だったら、王都の危機に立ち向かわずして何が冒険者だというのですか!」
あれほど私達のことをないがしろにしておいて、よくこんなセリフが言えますね。厚かましいにも程があります。
「あ、それね、他のみんなは知らないけど、私は登録しないから。無能の集団の仲間入りするなんてごめんだね」
「なっ!」
「ってことで、うっとうしいから私の前から消えてくれない?」
ユーノンはそう言い放ちますが、ギルド職員は呆然とし、次第に憤怒の表情に変わっていきます。そしてユーノンに掴みかかろうとしたところで、ユーノンの魔力に飲まれ、一歩も動けなくなりました。この人は、先程まで見ていたはずの光景を忘れてしまったのでしょうか?冒険者というものは、ギルド職員まで含めて、学習能力というものが欠如しているのですかね?まあ、気絶まではしていないところを見ると、ユーノンも手加減してあげているようです。この状況においては気絶できたほうが幸せだったような気がしないでもありませんけれど。
ユーノンは冒険者ギルドを見限ったようです。まあ、これだけのことをされて見限らないわけはないのでしょうけれど。しかし、そうなると少し困ったことになってしまいます。
恐らく、この王都は陥落するでしょう。万全の状態であれば、二方向からの魔物の群れにはなんとか対応できるかもしれません。あくまでも可能性ではありますが。
しかし、現状では国軍は万全とは言えませんし、少なくとも三方向から魔物がやって来ることが確認されています。最悪の場合、更に相手が増える可能性だってあるのです。
あの王が治めていた国とはいえ、そこに住む民までもがどうなっても良いというわけではありません。非常に不本意ではありますが、私の親が引き起こした災害です。私には関係のないことだと、開き直ることなどはできません。ここで何もしないなんてことは、流石に心苦しくてできそうもありません。かと言って、私にできることなど、何もないのですけれど。この状況を何とかできるのだとしたら……。
「ユーノンにお願いがあります。どうかこの王都を、助けてはいただけませんか」
「うん、おっけー」
意を決してユーノンにお願いしてみれば、思いの外あっさりと聞き入れていただけました。あまりの呆気なさに、少し放心してしまったほどです。しかし、何故でしょうか?いえ、お願いを聞いていただけたのはありがたいのですが、それでも疑問には思ってしまうのです。
「先程ギルドの方がお話をされていた時、嫌そうな顔をしていましたけれど……」
「ああ、それね。無能に命令されたところで聞いてやる義理はないけど、仲間にお願いされたら聞いてあげない理由はないよね」
ああ、やはりユーノンは優しい少女です。ほんの少し前に出会っただけの私を、しかも迷惑しかかけることのできなかった私を、挙句、今現在も迷惑をかけ続けている私を、それでも仲間だと言ってくださる。やはり、ユーノン達と出会えたことは、私にとってこの上ない幸運だったのでしょう。
「それにね、ここに住んでいるだけの人たちが、魔物に蹂躙されるところをただ黙って見ているなんてのは、私の中の道理に反するからね。私に任せときなさーい」
ああ、何と頼もしいことでしょうか。これで少なくとも、一方向からの魔物の対処は問題なくなりました。
残り二方向を、冒険者達と国の兵士達とで対処できれば良いのですが……。これはかなり厳しい状況ですよね……。




