現実逃避
人間というものは、意志の《強い》人間と
意志の“弱い”人間が、存在する。
その人間の見極め方は、《挫折》をしても乗り越えられるか、乗り越えられないか、ということだ。
《挫折》をして、自分ではどうにもならないと言って諦める人間は、意志の“弱い”人間だ。
そして、《挫折》をしても尚、諦めずに努力をし続けて乗り越えた人間は、意志の《強い》人間だ。
ほとんどは、意志の“弱い”人間が多い。
意志の《強い》人間は一体、どれほど居るんだろうね。
《意志堅固》な人間なんて一体、この世の中にはどれくらい居るんだろうね~。
ほとんどの人間が《意志堅固》“ではない”んじゃないかなぁ。
《意志堅固》な人間って相当、意志が強くてちょっとやそっとでは靡かない。
居るとするならば、実際にお目にかかりたいね。
ま、そんな話はさておき。
我々、人間の“現実世界”には、有り難いことに《現実逃避》という言葉がある。
ちょっと嫌なことや、日々の日常がつまらないと感じる時などに《現実逃避》する、なんて言葉がよく出る。
人間は、この自分の置かれている“状況”や“現実”から逃れるように、“現実”とは真逆の世界へと逃げ込む──
まさに、《現実逃避》だね。
自分の好きなものや、そのことにどっぷりと浸かって、その嫌なことやつまらないことから目を背ける。
ああ、簡単な例えを述べると……
宿題や勉強から《現実逃避》してネットをしている、かな。
宿題や勉強という名の立ちはだかる壁に嫌気が差して来て、早々に諦めてネットをし始める。
別にネットじゃなくても構わないんだけど、何か時間をも忘れる程、何かに没頭するものに夢中になる。
その間は楽しくて、嫌なことなんて忘れるから良いんだけど、結局、時間があっという間に過ぎ去った時には“現実世界”が待っている。
さっさとやってしまえば良いものを、後回しにしているとその罰が、そのツケが回って来る。
無理やりにでも、“現実世界”へ引き戻されてしまう。
善遇神 颯斗くんや公家 嗣良くん、立花 香里さんなんかの《現実逃避チーム》も《非日常》の世界へと足を踏み入れているけれど、結局は【学校】という名の“現実世界”へと、引き戻されてしまう。
俺や蓮たんこと、平穏田 蓮利もその中の一人。
しかし、何時までも《現実逃避》する訳にはいかない。
何歳でも、夢は抱いていても良い。
確かに、その通りだ。
夢を見たり、目標を持つのは何歳であろうと関係ない。
寧ろ、幾つになっても夢や目標を持っている人間が居ること自体、素晴らしいと思う。
褒め称えよう!
夢や目標を持つのは悪くは無い。
が、しかし、夢や目標によっては、諦めなくてはならない場合もある。
趣味程度に留めておいた方が良い場合も、あるかも知れない。
それは、場合によっては《現実逃避》している、と見なされるし、何時までも《現実逃避》しているのは、痛いからね。
しかし、《現実逃避》ってマイナスイメージだよね?
でも、俺は“現実世界”も好きじゃない。
やっぱり、俺は《非日常》が好きだなぁ。
“現実世界”と、“日常”とかけ離れている方がゾクゾクするじゃない。
“現実世界”では有り得ないことが《現実逃避》した世界では有り得るのだから。
《現実逃避》の世界、万歳!!
な~んてこと、する訳ないじゃない。
俺は《非日常》を好むけど、“現実世界”も好むんだよね~。
だって“現実世界”は──
“シンジツヲツキツケル、ダイジナセカイ”だから──
何時までも逃げていては、何も解決しない。
何時までも目を背けていては、真実は見られない。
“現実世界”は時に幸福で、時に残酷なものを映し出す。
しかし、どんな時も目を背けてはならない。
それが、どんな結果になろうとも。
決して、逃げてはならない──
俺も、アノ事件が起きてから“現実世界”を憎むようになった。
しかし、“現実世界”を受け入れてみると……
なかなか、面白いじゃない。
サイコロの駒が、一体どんな風に転がって
何マス進めば、俺は《幸せ》になれるのだろう。
もう、俺には《幸せ》なんざ、現れないのでは無いか?
ああ。俺は一生、【不幸】の世界で生き続けなければならないのか。
なんて、ことを考える時もある。
そうやって、人間を思いやる気持ちや小さいこと、あれこれ考えるような心……もう、とっくの昔に捨てた筈なのに。
ああ、早く俺をもっと楽しませておくれ。
仕事が手につかなくなるくらいに。
もっともっと、俺を《非日常》という名の世界へ、連れて行っておくれ──
何せ俺は、この世界の“dealer”なのだから──




