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こんな異世界の隅っこ

こんな異世界の隅っこ

作者: いちい千冬

毎度まとまりない文章で申し訳ありません。

よければ読んでやってください。



フローライド王国は、お隣のサヴィア王国に占領された。



 それが、わずかひと月前のこと。



 黒々としてツヤツヤと輝く石畳をがつがつと無骨な軍靴が闊歩する。

 石畳の黒は、世界屈指の魔法使いにして超のつくほど自分勝手で我儘だった元・国王様がその日の気分で変えたものだ。たしかその前は黄色、その前が紫だったと思う。国王様が倒された日が黒の日で良かった。あるいは喪に服すときにも使われるこの色にしたのは、これから自分の身に起こる何事かを感じ取っていたのかも知れない。


 ともかく、これがフローライド王都の現在の日常だった。

 晴れた日には熱を吸収し目玉焼きが作れるほどに熱くなるその石畳にも、その上を行きかう隣国の兵士たちの物々しい足音や堂々たる姿に怯えたり眉をひそめたりする者も、誰もいない。

 自国とは違う制服の武装集団に違和感がないわけではない。

 しかし少し前まで我が物顔でうろついていた自国の兵隊たちのほうがよほど礼儀知らずで横暴で乱暴だったので、むしろ彼らはここで好意的に受け入れられていた。


 この国の国王様、いや元・国王様は、世界でも屈指の実力を持つ魔法使いとして国内外に知られていた。

 しかし、魔法の才能はあっても国を治める才能にはまったく恵まれなかったらしい。

小さな頃から周囲にちやほやされ甘やかされて育ったこの人は、自らの溢れる魔法力のように金遣いも人使いも荒れ放題、使い倒した。

 そんな国王様のもとに集まる人材も、国王様が重用した人材も、似たような者たちだ。

 そして、耐えかねた良識ある臣下が隣国のサヴィアに助けを求め、反乱を起こしたのだった。

 現在、フローライドはサヴィアによって占領され、暫定政府が置かれ統治されている。


 そんな、後世の歴史書に間違いなく記されるであろう出来事を目の当たりにしつつ。

 けれども激動というにはどうにも拍子抜けな穏やかさを保つ異世界の片隅で。


「はい、ほかほかのカナッツお待ちどうさまー」


「ありがとうーおばさん」


 宮瀬(みやせ)木乃香(このか)は、生きていた。




 露店で揚げ菓子を受け取り、思わずにんまりと笑みがこぼれる。

 このドーナツによく似たカナッツという揚げ菓子が、木乃香は大好きだった。

 甘い蜜をからめた表面はかりっと香ばしく、中はもっちりと食べ応えがあって、食事代わりにもなる。ハーブやドライフルーツ、チーズなどを生地に練り込んだものも美味しいが、彼女は雪の結晶のような砂糖をまぶしただけの素朴な味のものがいちばん好きだった。この国では白い砂糖が手に入りにくく高価だったので、「素朴」とか言えば目の前のおばさんに目を吊り上げて怒られそうだが。

 おばさんの少し、いやかなりふっくらとした体型を見ると糖分と油分たっぷりの揚げ菓子は控えなければと、ちらりと思う。だがそれは一瞬。仕事のストレス解消に甘いものを求めて何が悪い、と開き直る。

 それに、少し前まで材料となる小麦や砂糖に不当な関税をかけられたり、さらに誰かが買い占めて値を釣り上げたりということが横行していたので、ふたたび露店でこのカナッツが手に入るようになったのはほんとうに最近なのだ。

 袋の膨れ具合をみると、おばさんは少しオマケしてくれたらしかった。

 おばさんに硬貨を渡しながら、木乃香はふと思う。


 他国に攻め込まれた後って、こんなに平和でいいのか。


 木乃香はもといた世界でもこちらの世界でも、戦争の何たるかを語れるほど戦争を知らない。が、つい首をかしげてしまう。

 攻めてきたサヴィア王国の兵士たちは、この国で略奪も不当な暴行も行わなかった。

 少なくとも市井にはほとんど迷惑をかけていない。

 しかも以前より物流が良くなって物価が下がり、暮らしが楽になっている。

 下から搾取することと上に取り入ることしか頭にない自国の貴族たちより、彼らのほうが庶民に受けがいいのは当然のことだろう。

 ちなみに木乃香の給金も、少しながら上がっていた。

 だから休み時間を利用して、この露店に足を向けたのだった。

 平和なのは大変結構。結構ではあるのだが。


「オーカちゃん」

 

 呼ばれて顔を上げれば、縦はともかく横に大柄なおばさんのにやにや笑いにあたる。

 この世界に迷い込んで言葉に困ることはなかったが、どうやら彼女の本名はこちらの人々にとって呼びにくいものであるらしい。

 ごく一部を除いて、宮瀬木乃香はミアゼ・オーカと呼ばれていた。

 この呼び名にもすっかり慣れた。いまでは本名で呼ばれるほうが違和感を覚えるほど。


「久しぶりだねえ。元気そうでよかったよ」

「おばさんこそ」

「しばらく顔を見ないから、クビになったか生まれ故郷に帰ったのかと思ってたよ」

「なんか慌ただしかったみたいですしね」

「……なんか他人事に聞こえるんだけど」


 事実、木乃香にはどこか他人事だった。

 クーデターは目と鼻の先で起こったのだが、木乃香はただいつもの仕事をしていただけである。

現在も、それはあまり変わらない。


「……まあ、わたしは解雇でも良かったんですけどね」

「ええ?」

「職場に残って得したことって、休み時間におばさんのところのカナッツを買いに来れることくらいじゃないかなあ」

「……褒めたってこれ以上はオマケしてあげないからね」


 おばさんは呆れたようにため息をつく。

 そして木乃香に向けて人差し指をびしっと向ける。詳しくは、彼女の装いそのものに。

 灰色の地に銀糸のつた模様が刺しゅうされた厚手のマントと、そしてそれを胸元で留める、同じくつたの意匠を凝らした銀の留め具(フィブラ)

 これらは、フローライド王国での身分証明。

 彼女が王城で働く下級魔法使いであることを示していた。


「城勤めなんて、いまや若い子たちのあこがれの職業だろう」


 そういえば、この前露店の売り子をしていたおばさんの娘さんにもそんなことを言われた。

 木乃香が入ったころは、残業、休日出勤当たり前。もちろん春夏のボーナスや有給休暇などというものは存在せず、退職金もなく、さらには上司に給料の一部を巻き上げられていたという、あきれるほどブラックな勤め先だった。

 まあ、もとの世界の雇用規定などこちらには通用しないのだと、わかってはいるのだが。

 しかも王座に座っていたのはメタボというのもはばかられるような丸い体型の我儘王様とそれに似たような取り巻きオジサン連中であり、物語にありがちな見目麗しい王子様も、キラキラしい親衛隊や騎士団のようなものも存在しない。

 ダルマな王様とその取り巻き――その中には木乃香の強欲上司も含まれる――がいなくなり、職場環境がいくらか改善された以外は、現在もあまり変わっていない。

 これのどこに若い子憧れの要素があるというのか。


「代わって下さる方がいるというなら、喜んでこのマントと留め具を進呈したいです」


 けっこう真面目に言ったのに、露店のおばさんは特大のため息を落とした。


「それ、イヤミにしか聞こえないからね」


 なんで嫌味?

 以前は王宮勤めと言えば嫌な顔をされるか憐みのこもった視線を向けられるかのどちらかだった。

 それに彼女程度の魔法使いなら、別に珍しくも何ともない。


 木乃香には、いわゆる魔法の資質があった。


 もともと素質があったのか、こちらに来てから体質が変わったのか、それはわからない。

 とにもかくにも、その実力は“下級”。

 残念ながら、魔法使いの前に「一応」と前置く必要がある程度のものでしかなかった。


 火や水や風などを生み出すことも操ることも出来なければ、結界や護符の類を作成することもできない。

 箒や絨毯に乗って空を飛ぶことだって無理だ。まあ、掃除道具に乗った魔法使いはこちらの世界には絵本の中にも存在しないようだったが。

 木乃香が出来たのは“召喚術”のみ。

 彼女を拾い保護しこちらの常識と魔法を基礎から教えてくれた師が言うには、それしか適性がないのだそうだ。

 完全魔法実力主義であったフローライド王国においては無いよりマシ。それくらいの代物だ。

 あまりに微妙である。


 そして木乃香には、彼女の装い以外にもひと目で下位の魔法使いと分かる要素があった。


「………まあ、あんた程度が遭う機会なんてそうそうないか」

「あう? 誰に?」


 首をかしげる木乃香をよそに、露店のおばさんの視線はだんだんと下がっていく。


「あんたのそれ、役に立つとは思えないからねえ」


 それ、とあごで示されて、木乃香もマントのさらに下、自分の足元を見下ろす。

 そこには、彼女の片足にまとわりつく黒い子犬がいた。

 正確には、子犬のような姿形をした彼女の召喚した“使役魔獣”が。


「そうですよねえ」


 片手で抱え上げられるほど小さな、つやつやとした黒く短い毛皮に覆われる身体。

 ぽってりと太く短い四本の脚。

 好奇心旺盛で、ぴくぴく動く三角の耳。

こちらを見上げる、くりくりっとしたつぶらな黒い目。

 主に見つめられて、黒犬は嬉しそうにぴこぴこと毛糸玉のような尻尾を振っている。

 買ったばかりのカナッツをもらえると思っているらしい。そういえばこの子犬、紙袋をばさんから受け取ったあたりから、甘えるようにやたらと足元にまとわりついていた。


「……っ。可愛いからいいけどね」

「ですよねえ」


 果てしなく眉尻を下げた露店のおばさんに、へにゃりと笑いながら木乃香はうなずく。

 この使役魔獣、可愛く可愛く、とにかく癒し系でと念じて作ったモノだ。

 この世界、残念ながら可愛げのある小動物が存在していなかったので。


 使役魔獣の召喚とは、魚釣りのようなものだ。


 ……というのが、彼女の師の言である。

 自らの魔力を餌にして、異なる次元から実体のない“力”そのものを釣り上げる。とうぜん、餌が大きかったり良質であったりすれば、より大きな釣果が期待できる。

 そして魔法力で作った“器”に召喚した“力”を閉じ込める。使役魔獣とは、そんなモノだった。

 世の中、使役魔獣を持つ魔法使いは珍しくない。

 しかしそれらは総じて大きくて強そうで、怖そうな姿を取っていることが多い。

 非力な魔法使いの代わりに敵と戦うモノだという前提があるからだ。

 その点、木乃香の魔獣はどう頑張っても相手を威嚇することはできないだろう。

 ちなみに彼女はこの子犬の他に四体の使役魔獣を持っているが、みんな似たようなモノだ。

 いちおう、特殊能力のようなものは備わっている。

 が、あまり活用されたことはない。


 誰とも戦う気がなく、またそんな危機意識も皆無だった木乃香は、“使役魔獣”たちになにより癒しを求めたのだ。

 彼女の魔法使いとしての位が低いゆえんであるが、おかげでこうして連れ歩いても周囲に恐れられることなく、嫌悪感を抱かれることも少なく、露店のおばさんのようにむしろ非常に好意的に市井の皆様に受け入れられていた。

 可愛いは正義とは、まったくよく言ったものである。


「何だいジロちゃん、これが欲しいのかい?」


 オマケしないと言ったその口からでれでれに甘い声を発したかと思うと、おばさんは露店からいそいそと出てきて揚げ菓子のかけらを差し出した。

 愛想をふりまく使役魔獣は、待てをされた犬のようにそわそわと木乃香のほうを見上げる。

木乃香が「いいよ」と言えば、尻尾をぴこぴこさせながら揚げ菓子のかけらにかぶりついた。糧になることはないが、彼は主に似てこの揚げ菓子が大好きなのだ。


「いいねえ……」


 使役魔獣がみんなこんなだったらいいのにねえ。

 呟く言葉に、木乃香もうなずく。職場の同僚や兄弟子たちの使役魔獣が甘い揚げ菓子を喜んで頬張る姿など、とても想像できなかった。生の骨付き肉をばりばり貪り食らう姿なら簡単に想像できるが。




 まったりとした空気の中、木乃香の目の前に、突然ぽんと小さな赤い物体が姿を現す。


 ゆらゆらと揺らめく炎のような細い髪にその合間からのぞく小さな角。

形は人間の子供のようだが、褐色の手足は赤子のそれよりも小さく、やはり軽く片腕で抱え上げられる程度の大きさしかない。


「このか、このか」


 甘えるように彼女の名前を呼んで肩にすり寄ってくるこれも、彼女の僕であった。

 記念すべき使役魔獣第一号“一郎”である。

 ぷくぷくとした柔らかな頬を押し付けられると、つい顔が緩んでしまう。

 鬼の子供のような使役魔獣も、主に触られてくすぐったそうに髪と同じ赤いどんぐり眼を細めた。


「イチローちゃん。久しぶりだねえ」


 露店のおばさんが、赤色の使役魔獣にも揚げ菓子を差し出す。

 木乃香の僕は彼女の腕の中、小さな首を巡らせて菓子を見、おばさんを見、木乃香を見上げた。

 彼女がにっこり笑うと、やがておずおずともみじのような手を伸ばす。

 そして。


「ありがと」


 ほわんと、はにかんだ。


「………っ」


 その心理的破壊力に、すでに黒犬“二郎”にメロメロだったおばさんは撃沈する。

 それはそうだろう。見慣れているはずの木乃香でさえ、よろめくほどの可愛さだ。

 この笑顔が見られるのなら、揚げ菓子などいくらでもあげてしまいそうになる。


「いっちゃん、どうしたの。今日はお留守番って言ったでしょう」

「うん」


 もきゅもきゅとドーナツもどきのかけらを口に頬張ったまま、赤色の使役魔獣はこっくりとうなずく。

 露店の主から「はうっ」と悶えるような声が聞こえた。


「でんごん。ししょーから」

「師匠? ラディアル様?」

「うん」

「……」


 ラディアルは、こちらの世界に迷い込んだ木乃香を拾い保護し、こちらの常識と魔法を教えてくれた師である。現在の上司でもある。

 国の端で研究と称した隠居生活をしていた彼は、なんと現在フローライド王国の宰相位に就いている。常識を理路整然と説く彼は、非常識な元・国王様に煙たがられ、地方に追いやられていたとのことだった。

 その宰相様直々の伝言である。


 嫌な、予感がした。


「ししょーから、このか、に」


 話し相手を欲して作った使役魔獣第一号だが、“一郎”の言葉は片言がせいぜいだ。

 だがそのつたない話し方がまた可愛さ倍増なので、木乃香はこれでいいか、と思っている。

 そもそも戦うだけの使役魔獣に人語での会話能力を期待するのが非常識なのだ、とは師であるラディアルの言である。

 良くも悪くも極めて無害な木乃香の使役魔獣を、なんとも複雑な表情で見ていた師匠が実に印象的だった。


 ごっくん、と菓子を飲み込んだ“一郎”は小さな口を開いた。


「“なな、きけん、すぐかえれ”」

「…………」


 電報か。

 そう突っ込みたくなった。

 そして、頭も抱えたくなった。


「………まじで?」

「まじで」


 使役魔獣がこっくりと頷く。

 貴重な休み時間なのに、やっと出られた城下町なのに、もう戻れと。


 そのとき、黒い子犬が小さく「わん」と吠えた。

 不安げによりいっそう木乃香の足にもふっとまとわりつき、そのくせ彼女の背後、つまり木乃香がついさっき出てきた職場、王城の方角をしきりに気にしているようだ。


「ほらほら、ジロちゃんが寂しがってるよ」


 滅多に吠えないのにねえ、吠え方も可愛いねえとおばさんがでれっと笑う。

 だが木乃香は笑い返すことができなかった。

 子犬が滅多に吠えないのは当たり前だ。

 この使役魔獣二号“二郎”が吠えるのは、何らかの魔法を感知したときだけなのだから。

 とはいっても、魔法使いや魔法の仕掛けや結界が多い職場である。木乃香がお願いするかよほどの事が無い限り、木乃香に知らせてくることはないのだが。

 そう、“よほどの事”が無い限り。

 つまり、いま、それが起こったということでもある。


「ミアゼどの。こんなところにいたのですか!」


 追い打ちのように、顔をひきつらせた彼女に人間の男のものである低い声までかかる。

 振り返らなくても木乃香はそれがサヴィア王国側の軍人、それも士官クラス、いやむしろ将官クラスだと知っていた。


「……バドルさま」


 振り返れば案の定、明らかにその辺の警備兵ではない、より装飾過多な軍服を身にまとう偉丈夫がそこにいる。

 それも、必死の形相で。


 側では、子犬の可愛い鳴き声にうっとりとしていた露店の女主人がぽかんと口を開けていた。売り物の揚げ菓子が三個は入るだろうか、見事な開けっぷりである。

 そりゃあびっくりもするだろう。

 下級魔法使いである木乃香なぞに、サヴィア王国の将校様が丁寧な口を利いているのだ。

 バドル卿はだいたい誰に対してもこんな堅苦しい口調なのだが、そんなことまで露店のおばさんは知る由もない。


「あれだけ外出は控えて下さるようにと言ったはずですが?」

「……ちょっと休憩に出ただけじゃないですか」


 おそらく彼は赤い使役魔獣の後を追ってきたのだろう。

 そもそも木乃香の師匠が留守番の“一郎”をわざわざ彼女に差し向けて「すぐ帰れ」と急かすからには、職場で厄介な出来事が起きているにちがいないのだ。


「何かご用でしたか」


 聞きたくないが聞いてみた。

 それでバドル卿の精悍な顔は必死な、から鬼のような、という形容に変わる。

 同じ角つきでも、木乃香の可愛い赤使役魔獣とは雲泥の差である。


「ご用も何も、馬鹿どもがまたうちのナナリィゼ様にちょっかいかけてきたんですよ! とにかく至急お戻りください!」


 だから、それでどうして木乃香を呼びにくるのだ。


 木乃香は本気で首をかしげる。

 なぜならサヴィア王国から来た指揮官である王女ナナリィゼには、“花守り”とあだ名される腕利きの護衛たちが付いていて、常に彼女の周囲に目を光らせているのだから。


 ちなみにこの“花守り”、見目麗しく将来有望な若者たちで構成されていることでも有名である。

 公務員の人員削減もあって、若いお嬢様方によるフローライドの王宮勤めがかつてないほどの競争倍率に跳ね上がった原因なのだが、木乃香はそんなことは全然知らない。


「サヴィアの“花守り”が、なんで……?」


 露店のおばさんが呆然と呟いた言葉は、木乃香の耳には入らなかった。

 目の前の堅物将校様が“花守り”と呼ばれるうちのひとりであることは知っている。

 しかし木乃香には彼らをうっとりと眺める余裕などない。


 ナナリィゼ姫の護衛集団と認識されている“花守り”だが、実際は違う。

 外敵から王女守るのではない。むしろ世界屈指の魔法使いすら苦も無く打ち倒す世界最強の魔法使いである彼女の暴走から・・周囲を守るために、彼らはいるのだ。


 正義感が強い彼女は、曲がったことが大嫌いだ。

 勧善懲悪、ならぬ“完全”懲悪。許せないものは許せない。例外はない。

 自軍でさえ、誰か一人でも軍律を破れば「規則っていうのは守るためにあるの。破るためにあるんじゃないの。しかも民を守るための軍が民に迷惑をかけるなんて、勘違いも甚だしい。存在意義もなくなっちゃったわね。こんな迷惑集団、いらなくない? いっそいらないわよね?」とほんとうに跡形もなく潰そうとする。

 厄介なことに、それを可能にする苛烈な性格と確かな実力を彼女は持っていた。

 見た目が儚げな美少女なだけに、詐欺である。

 彼女が本気を出せば、フローライド王城のひとつやふたつ、簡単に吹き飛んでしまう。

 さっきの電報じみた伝言だって、おそらくナナリィゼの身が危険なのではない。ナナリィゼによって、周囲が危険にさらされているという意味に違いないのだ。


 それで、なぜサヴィア王国側の上層部と下級魔法使いで下級役人のはずの木乃香がお近づきになったのかというと、彼女の癒し系使役魔獣をナナリィゼ姫が非常にお気に召し、彼女の精神安定に多少なりとも役に立ってしまったからだ。

 もとの世界であれば女子高生の年齢なのに、サヴィア王国軍をまとめ、戦争などをしているのだ。木乃香の愛玩動物で荒んだ心が癒されて年相応になるのなら、いくらでもお貸出ししますと言ったのは木乃香だ。若い女性も身近にはいなかったらしく、話し相手になってやってほしいと懇願もされた。

 同じ魔法使いたちには「役立たず」と嘲笑か苦笑されることも多い木乃香の使役魔獣を王女が気に入ってくれたのも、嬉しかった。

 しかしあくまで癒しは癒し。非常に不確かで、即効性のある鎮静剤ではない。

 今だって、王女のもとにはいちばん小さくていちばんもふもふな末っ子の甘えん坊、ハムスターもどきな使役魔獣ごろちゃんこと“五郎”を置いてきたはずなのに。


 これ以上、なにをしろと。


 木乃香を探して城下に出るくらいなら、“花守り”はそれらしくちゃんとナナリィゼを止めろと言いたい。面と向かってはとても言えないが。



 異世界から来た彼女は、知らなかったのだ。


 彼女の従えている使役魔獣たちが、姿かたち以外にもあらゆる面で規格外だということを。


 暴走したナナリィゼ王女の魔法を止めることができるほとんど唯一の方法が、彼女の可愛い使役魔獣たちであるということを。


 そして事実を知った世界中の権力者や野心家から狙われるであろうことを。


 彼女の師をはじめとする彼女に近しい人々が、そのことにどれだけ心を砕き頭悩ませているのかも。



 木乃香は、知らなかった。





 のちに“騒擾(そうじょう)の魔道王”の異名を取る暗君が倒されて一か月。


 フローライド王国は平和を取り戻したが、木乃香の身辺は平穏とは言い難い。


「ちょっとくらい平和を謳歌したっていいじゃないですか」


「………」


 そんなささやかな呟きは、彼女を連行するバドル卿によって黙殺された。






蛇足な説明。


木乃香の使役魔獣たち。

“一郎”

 ・・・通称いっちゃん。赤髪の子鬼。人語を話し、他の使役魔獣とも意志疎通が可能。“お願い”して他の使役魔獣を動かすこともできる。


“二郎”

 ・・・通称じろちゃん。柴犬もどきな黒い子犬。魔法探知機。ここほれわんわんのノリ。その性能は恐るべし。


“三朗”

 ・・・通称みいちゃん。白い子猫。氷の属性持ち。有機物だけでなく、空気や魔法など、あらゆるものを凍結できる。木乃香はかき氷を作ったり黒い石畳による温暖化を防ぐのに使っている。


“四郎”

 ・・・通称しろちゃん。シロなのに金色の小鳥。イメージは火の鳥だが外見はちょっと大きなスズメ。炎の属性持ちだが、怪我や病気を治す治癒能力も持っている。


“五郎”

 ・・・通称ごろちゃん。うすピンクのハムスター。甘えん坊で臆病者だが、実は絶対防御の持ち主。魔法だけでなく物理攻撃まで吸収しときに跳ね返す。ナナリィゼ王女のお気に入り。

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― 新着の感想 ―
[一言] 連載版では、“三朗”が小鳥、“四郎”が子猫となっていると思うんですけど…、勘違いだったらごめんなさい。
[一言] あけましておめでとう御座いますm(__)m 今年も、楽しみに待っております。 底冷えし、風邪が流行っているので気をつけて下さいね。 有難う御座いますm(__)m
[一言] 初めまして。 全部の作品、何度も読ませて頂きました。 短編のですが、続編や連載として読んでみたいです。 寒暖の差が激しい時期なので、体調には気をつけて下さいね。 有難う御座いました…
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