第八話
イザベラが謎の巨大な物体に気付いた頃、ヒルダはハダルビーチに集まる人たちを避難させていた。
沖で助けた若者を浜辺へ連れ戻した後、ヒルダはビーチを管理する責任者であるおっさんにサハギン出現の緊急事態を、ヒルダが救出した若者と一緒に伝えていた。
初め、おっさんはその事実を訝しんでいたが、ヒルダたちの訴えがあまりに真剣なため、一応確認ということで部下を一人海へ行かせた。
数分してその部下は血相を変えて帰ってくる。
部下の報告を受けたおっさんの行動は、そこからは実に迅速だった。すぐさま部下全員を総動員して、ハダルビーチにいる全員を避難させ始める。数キロずつに置かれた支部にもその報は届けられ、大混乱となりつつも避難は始まった。
ヒルダは海岸沿いに立ち、海にまだ残っている人がいないか、水平線をくまなく探す。ヒルダの他にも十数名の男たちが避難誘導をしてくれている。その中にはシャウラとぶつかり、イザベラに《風刃》を飛ばしてきた不良たちも混ざっていた。流石にこの緊急事態のため、まだ砂の中に埋まっていた彼らをヒルダが助けたのだ。
するとどうしたのか、一目散に逃げると思っていた男五人は、ヒルダに付き従い避難誘導に加わってくれたのだ。これにはヒルダも驚きを隠せなかった。
完膚なきまでに負けた男たちは、ヒルダが助けた時にはどこかスッキリしていた。負けたことで更なる恨みを買うのではなく、まるで家臣にでもなるかのようにヒルダに付いて来た。実際はイザベラにやられたのだが、一緒に行動していたヒルダにも敬意を払うようになっていた。
「ヒルダの姉貴ィ! ここら一帯はもう避難が終わりやした!」
「お疲れ様。それでは貴方たちも避難を始めてください。そろそろイザベラちゃんも大変になってくると思いますし、私は加勢に行きます」
ヒルダはそれだけ告げると、イザベラの元へ向かおうとする。
「姉貴ィ! 俺らは避難しません! 海まで加勢に行くことは出来ませんが、姉貴が戦い続ける最後まで、最終防衛ラインとして俺たちはここで待ってます!」
「そうです! イザベラの姉貴のところまで行けないのは悔しいが、俺たちも男だ! 最後まで残って、万が一にも上陸してしまったサハギンをここで必ず倒す!」
「ここに残らせてください! 姉貴ィ!」
ヒルダは一瞬だけ逡巡するも、リーダーの男――イザベラに魔法を放った男――に対して言いつけた。
「分かりました。慢心なさらずに、連携して相手すればサハギンくらいは貴方たちでも大丈夫でしょう。気をつけてください。では行ってきます」
「っす! 姉貴こそ気をつけてください!」
ヒルダは今度こそその場を後にする。砂浜に残るのは不良五人と、他数人の男たち。
「姉貴たち……どうかご無事で……」
男五人は各々腕を胸の前で組み、砂浜で横一列に並ぶ。リーダーが呟いたその一言は、荒々しい波の音で掻き消えていった。
◇◇◇
イザベラは海の底から上がってくる巨大な魔物を凝視していた。
海から上がってくる謎の物体は魔物だった。まだ何の魔物かは判別出来ないが、相当でかい。上から見下ろしているだけでも縦横三十メートル以上はありそうだ。
イザベラの記憶にも、これほど大きい水中型の魔物はそうそういない。そしてその記憶にある魔物の中から、ある一匹の魔物が候補として浮上する。
その魔物は頭部に熱を発生する器官があり、活動が活発になるにつれ頭部から出る熱は温度を上げていく。そしてその魔物は伸縮性のある、長く太いしなやかな腕を八本持つ。腕の筋肉を縮めることでかなりの硬度を出すことも出来る。
(……まさか、あの魔物が起きたというの? あっ!)
サハギンの下でゆっくりと動いていたその魔物は、突如飛び跳ねるように急上昇してくる。水中での行動が制限され、地上と同じようには動けないイザベラに向かって、魔物はどんどん急上昇していく。
(……まずいっ――のっ!)
◇◇◇
「イザベラちゃんはどの辺りでしょうか」
重力魔法で水上をゆっくりと移動しながらイザベラを探しているヒルダ。イザベラが海水面より上空にいるのなら、無属性魔法の《魔力感知》で居場所を探れるのだが、イザベラは現在海の中にいる。海中では《魔力感知》が直進しないため、目的の人物がどこにいるか分からないのだ。
そうやって空中でウロウロしていると、沖の方の海面が盛り上がりを見せる。
「な、何ですあれは」
海面は少しずつ盛り上がっていく。そして破裂するように大きな水柱が天高く打ち上がる。
「――っ!? あ、あれはっ……。あっ、イザベラちゃん!」
水柱の更に上にはイザベラが放り投げられていた。イザベラは回転しながら海面へと落ちていく。
「間に合って!」
ヒルダはイザベラの落下地点へと急ぐ。もしイザベラが気を失っていた場合、海へものすごい速度で打ち付けられることになる。それはまさしく死を意味する。どれだけ戦闘技能に優れていたとしても、人は単純なことで簡単に死ぬのだ。当たりどころが悪ければ、素人のパンチ一つでさえ死ぬ場合もある。
「――くっ、ふう。……なんとか、間に合いました」
イザベラがヒルダの重力魔法の射程距離に入ったため、ヒルダは《反重力》でイザベラの落下速度を緩めることに成功。そして無事抱きかかえることが出来た。
イザベラの様子を見るに、どうやら気を失っているようだった。水中からかなりの早さで水面へと押し上げられ、空中へと放り投げられたのだ。気を保てている方がおかしい。
「それにしても、あなたが暴れていたとは。今年の夏が異常に暑かったのはあなたのせいだったのですね。……ヒートオクトタコス」
《ヒートオクトタコス》。頭の先から腕の先までは百メートルを超す大型の魔物だ。頭部には特徴的な熱を発生する器官を備えており、頭部は触れたものを大やけど、最悪の場合は死へ誘うほどの高温となっている。
「う……ん……。……ヒル……ヒル……?」
「イザベラちゃん、大丈夫ですか?」
ヒルダに抱きかかえられた衝撃でか、イザベラは無事に目覚める。
「……すごく、苦しかったの」
「えぇ、大変でしたね。イザベラちゃんが無事で、ほんとによかったです」
「……決して許さないの、ヒートオクトタコス」
逆襲に燃えるイザベラの瞳には、目の前でうねうねと腕をしならせるヒートオクトタコスの姿が映っている。
ヒルダに見えるヒートオクトタコスの姿は、火に焼かれて存在が無となる様。
「……見えないくらい、焼いてあげるの」
《空間強固》で作った足場に乗り、イザベラは両手を前に突き出す。魔力を濃く練り上げているため、イザベラの周りには魔力による空間の揺らぎが発生している。
「私も、お手伝いしますね」
ヒルダは開いた左手をヒートオクトタコスに向ける。そして何かを掴むように左手を握り、上方へと左腕を上げていった。するとそれにつられてヒートオクトタコスも空中に浮き上がっていく。
巨体な身体は海中から浮き上がり、宙に全身を露わとする。身体から流れ落ちる海水は大きな音と水しぶきを上げている。
「いつでもどうぞ、イザベラちゃん」
「……ありがとなの。……焼け焦げちゃえ、【炎破射撃】!」
大きな火の塊がヒートオクトタコスめがけて飛んで行く。
刹那、それは目標物体着弾後、すさまじい熱と轟音を辺りに撒き散らした。
ヒートオクトタコスが存在した空を中心に、空気までもが爆発とともに焼かれていく。
「……焼失、確認なの」
「お疲れ様でした」
ヒートオクトタコスは肉の奥までの全てを焼かれ、灰の一粒さえ残ることなくこの世から姿を消した。
読んで下さりありがとうございました。
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第九話である最終話は、明日の十二時に投稿予定です。