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第七話

 人の声は無くなり、少々荒々しい波の音だけが、この場を支配していた。

「い、今なんて言いました……の……?」

 ヒルダは誰に問うこともなく、小さな呟きを漏らす。

 背中で寝ていたレグルスは五人の男が絡みに来た時点で起きてしまっていた。レグルスはヒルダの呟きが聞こえたため、律儀にもそれに答える。

「あの男の人が、イザベラちゃんと結婚できないなら死ぬって、言ってたけど?」

「あ、ありがとう……レグルスくん」

 イザベラの前に立つ男は、震える脚で身体を支え、震える手でナイフを自分の首に向けていた。

 この状況は非常に難しい。イザベラが結婚を承諾しなければ、男は直ぐにでも自殺してしまいそうだ。そして、男の命を絶たせないためにイザベラが結婚を容認したとしても、それはイザベラにとって最悪だろう。

 男は先程からぶつぶつと小さな声で、意味は分からないが気持ち悪いこと、卑しいことだと分かる言葉を呟いている。

 ヒルダは被害者であろう当の本人である、イザベラの顔色を窺った。

 ある意味仕方がないのかもしれないが、イザベラはだらしなく小さな口を開け、身動き一つしていなかった。

 突然わけもわからない男から脅迫めいたプロポーズを聞かされたのだ。それは誰でもショックを受ける状況だろう。

(ど、どうすればいいんでしょうか)

 全力で魔法を発動すればこの場を収めることは出来る。もちろん死者など一人も出さずにだ。

 しかしそれをしてしまうと、この場にいる多くの者が二人の実力に疑問を抱くだろう。

 イザベラとヒルダの実力は一般戦闘員の実力からかけ離れている。もし全力を出した場合、見た目が違ったとしても二人の正体に辿り着くことは容易い。

 二人の正体がバレてしまった場合、最悪の事態としてはここにいる人たち全員、二人に対して平伏す可能性がある。過去にも二人が小さい村落を訪れた際、村人全員が額を地につけて動こうとしなかった経験があるのだ。

 ヒルダが悶々と悩んでいると、イザベラの身体が徐々に震え始めた。それは怒りなのか、恥ずかしさなのか。

 ヒルダの震えに呼応するように、海が飛沫(しぶき)を上げ始める。

「あひぃっ」

 目の前の男は、突如強くなり始めた波に驚き腰を抜かしてしまう。その瞬間、レグルスを背中から既に下ろしていたヒルダは、男の元へ駆けてナイフを奪い去った。

 どうやらヒルダの考えは取り越し苦労に終わったようだ。小太りの男は目に涙を(にじ)ませながら、無様にも震えていた。

「ふう。……イザベラちゃん、もういいですよ」

「……これ、私じゃないの」

 波の揺らぎは止まなかった。てっきりイザベラによる魔法だと思っていたヒルダは、言い知れぬ妙な違和感を覚える。

 今日は快晴。雲一つ無いこのハダルビーチ。波はサーフィンでも出来そうなくらい強くはあるが、至って普通の日常。絶好の海日和のはずだ。

 ヒルダがそこまで考えていた時、イザベラがぽつりと漏らす。

「……風が……無いの」

 その言葉にヒルダは海へと身体を向けた。

 本日は快晴。風などほとんど吹かないため、波もほとんど立たず、静かで穏やかなはずだ。

 波はさらに強くなり、海で泳いでいた人たちも危険を感じ始め、次々と砂浜に上がり始める。

「きゃああああああ!!」

「うわああああああ!!」

「何だあれはっ!?」

 それなりの距離まで泳いでいた若者たちが叫び声を上げた。

「あなた、この子たちのことお願いします。アンタレスさんに見張るよう言われていたのでしょう?」

 ヒルダは近くにいた男にレグルスたちを預けると、ヒルダと一緒に叫び声の元へと駆け出す。イザベラの光属性の障壁魔法《空間強固(アラン)》を足場に利用して。

「た、助けてくれぇ――っ!」

 ヒルダは助けを求める若者たちを、闇属性の重力魔法《浮遊(フロート)》で空中に救出。イザベラは勢いを殺さずにそのまま海へ飛び込む。

 そこでイザベラが見たものは、数えきれないほどの《サハギン》だった。数千では済まない数だろう。

 サハギンとは、魚に両手足を生やした恰好の、体長が一~ニメートルの魔物だ。

 風のない海が荒れていた理由は、サハギンが海面近くまで上がってきていたからのようだ。しかし、それは決して楽観視出来るものではない。サハギンは本来こんな浅瀬付近まで来ない。普段は水面から観測出来ないほど深い場所で生活をしている。それがこんな場所まで浮上してくる。それは通常、人生で一度も経験することがないはずだった。

 あらゆる戦闘区域に出撃したイザベラとヒルダでも、今回のような大群が押し寄せてくる現象は、過去にニ度だけしか見たことがない。サハギンの大群がこうして地上へと押し寄せてくるのは、それだけ珍しい現象なのだ。

「ヒルヒル、サハギンなの! 推定数一万! 今直ぐみんなを避難させるの!」

 イザベラ特有のゆったりとした話し方は姿を消していた。ハダルビーチに集まる数万の市民を守り通さねばならないイザベラたちは、普段ののんびりとした雰囲気から、気の引き締まった戦闘の雰囲気を漂わせていた。

「了解! ここは任せます!」

 ヒルダはイザベラにサハギンの足止めを頼むと、空中に浮かばせていた若者を連れ立って、浜辺へと急いだ。

 イザベラは再び海中に身体を沈める。目の前に見えるのは推定数一万のサハギン。直線的ではないが、サハギンたちは確実に水上へと上がってきていた。

(……どうしてこうなったの)

 イザベラは風属性魔法――《空袋(エアポケット)》で空気の塊を作り、その中に顔を入れて呼吸している。これで数十分は海中でも酸素不足にならない。

(……取り敢えず、浜辺方向にサハギンが行かないように、《水壁(ウォーターウォール)》を張っとくの)

 イザベラは自身の背後に、縦十メートル横五十メートルの巨大な《水壁》を発動させる。海中で《水壁》を発動させると、海そのものを壁として利用出来る。イザベラが発動した《水壁》は下向きの海流を生み、近寄るものを決して通さなかった。

 ただ待つだけなのも暇なため、イザベラは近くにいるサハギンを手当たり次第に消していく。

 そんなことを何十回も繰り返していると、不意にサハギンの群れの奥、光が届くか届かないか、そんな海の奥深くで何か大きな物体が、ゆっくりと動いたのをイザベラは感じる。

(……気のせい……なの?)

 海流や《空袋》の揺らぎではっきりしない視界だが、確かにとてつもなく大きな何かが存在している。イザベラは確信を持っていた。

 イザベラの経験してきた戦闘の数は数えきれない。その経験の中から条件反射のように感じるこの状況。迫る危機。それは理屈ではなく、完全なる直感。

 その大きな何かは、ゆっくりと、確実に、浮上してきていた。


 読んで下さりありがとうございました。

 出来れば一話ごとに作品評価や感想をしてくださると嬉しいです。次作に向けて、作者はどこがダメなのか、読者はこれを読んでどう感じたのかなど、文章作成スキルを上げるためにも評価してもらいたいと思ってます。よろしくお願いします。

 第八話は明日の十二時に投稿予定です。

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