嫉妬深いと噂の悪役令嬢に目を付けられたけれど――お局令嬢デボラの本懐
「メル、明日がいよいよ社交界デビューの日だな」
夕食後、お父様にそう声をかけられ、私は「はい」と頷いた。
「緊張しているか?」
「していない、と言えば嘘になりますが……。でも、精いっぱい頑張ります」
そう言って口角を上げると、お父様は「その調子だ」と、私の肩をポンと叩いた。
自室に戻り、ドアが完全に閉まったことを確認してから、私は大きなため息をつく。
そう。明日は、社交界デビューの日。
街の中心、セントラルで開かれる舞踏会に、私は地方領主、ウィズリー家の令嬢として出席する。
普通の女子であれば、デビュタントとなる記念すべき日を待ち焦がれていることだろう。
しかし、私は違う。
本音を言えば、今すぐにでも逃げ出したいくらい、明日が来るのが嫌だった。
なぜって……「貴族のご令嬢達が苦手」だから。
地方出身の私は、昔からもっぱら村娘たちと遊んでいた。
貴族の友達は一人もおらず、そのことを特に気にも留めていなかった。
しかし、10才になった日。
お父様は、私をセントラルのサマースクールに入れた。
名家の子ども達とのコネクションを作らせるためだ。
その一か月間は地獄だった。
クラスの子たちは皆、その階級により、クラスメイトをランク付けする。
地方出身の私はもちろんランク最下位。
田舎くさいと蔑まれ、後ろ指をさされ、散々な思いをした。
特に苦手だったのは、気の強い女子たちだ。
彼女らは、私をのけ者にし、様々な嫌がらせをした。
「この場所は、あなたにはふさわしくないわ」
そう、真正面から言われたこともあった。
だから私は、できれば自らの一生を、この地方の片田舎、ウィズリーの領地内で平和に過ごしたかった。
しかし、財政難の昨今、そうも言ってはいられない。
私に求められていることは、セントラルで名家の令息に見初められ、結婚をすること。
そうして、婚家から多額の援助を受けるルートを開拓することだ。
(でも、やっぱり、怖い……)
私はベッドに腰を下ろし、窓越しに夜空を見上げる。
今日は天気が良くなかったからだろう。空は雲に覆われており、星の一つも見えない。
まるで、今の自分の心を映しているかのようだ。
(あぁ……アンやハーパーと野原を転げまわっていたことが懐かしい……。戻りたいな、あの頃に)
私は目を細め、雲をぼんやりと見つめる。
アンとハーパーは、村娘の中でも特に仲の良かった子の名だ。
どちらも15才の誕生日を機に、セントラルへ働きに出た。
いつまでも大人に成りきれていないのは私だけだ。
これから私が身を置くのは、貴族社会。
過去のこともあり、私はそんな場で新たな友人ができる気が、全くしない。
(友人ではなく、「敵」なら、いくらでも現れる気がするけれど)
明日の舞踏会には、とある「悪女」が来るという情報を、私は事前に仕入れていた。
彼女の名はデボラ・フォード。
物語の悪役令嬢のように、傲慢で、気が強く、嫉妬深いことで有名だ。
30才になっても未だに誰とも婚姻していない彼女のことを、人は「お局令嬢」と呼んでいる。
「お局」とは、本来、東洋の言葉で「特定の集団に長く在籍し、強い発言権のあるベテラン女性」を揶揄して使う言葉のようだ。
実際彼女は、十代で社交界の中に足を踏み入れて以来、
長年、セントラル社交界のトップに君臨している。
王族の血を引いていることも、その立場を確固たるものにしている原因の一つだ。
彼女に目を付けられ、セントラルを去った令嬢、メイドは数知れず。
その噂は、こんな片田舎の地にすら届くほどだ。
「気の強い女性」にただでさえトラウマを持っている私にとって、彼女の存在は恐ろしい以外の何物でもない。
(とりあえず、明日は、デビュー初日なのだもの。
大人しく、目立たないようにしなくては)
私は一人で、そう決意を固めた。
***
こうして迎えた舞踏会当日。
私は父と共に、参加者の方々へあいさつ回りを行った。
「これはなんとお美しいお嬢さんだ!」
周りの人々の誉め言葉に、私は深々と頭を下げる。
しかし、心中は穏やかなものではなかった。
(早く、この場を後にしたい……)
そんな思いでいっぱいだった。
そんな時。
「あなたが、ウィズリー家のお嬢様ですか。
お噂通り、お美しい」
一人の青年が、私の前に現れた。
「これは……。エドモンド家のセイン様!」
私の隣に立っていたお父様は、急に姿勢を正した。
「エドモンド……家?」
私が小さく呟くと、お父様が小声で「モンド財閥の跡継ぎ様だ」と囁いた。
「メル様は、今日が社交界デビューの日と聞いております。よろしければ、ご一緒しませんか?」
セイン様は、青い透き通った瞳でこちらを見つめる。
銀髪の美しい髪がさらさらとたなびいていた。
「あ、ありがたきお言葉……!」
茫然としている私をよそに、お父様は私を彼の前に突き出した。
「さぁ、いってきなさい、メル。無礼のないようにな」
満面の笑みで私を送り出すお父様。
気持ちが追い付かない私をよそに、セイン様は、
「では、行こうか」
と、私の手を取った。
その時だ。
瞬間、背筋に寒気が走る。
何事かと、私は思わず振り返る。
皆がシャンパン片手に交流している中、その部屋の隅に、彼女はいた。
紫色の濃いアイシャドウに、切れ長の目。
釣り上がった眉。歯ぎしりでもするように、引き結ばれた口元。
金髪のロールアップに、その鋭い目つき。
噂でしか聞いたことがないにも関わらず、私はそれが「彼女」だと一目でわかった。
(あれが噂の、デボラ嬢……)
彼女は、射抜くような視線をこちらに向けている。
私はすぐさま顔を背けた。
「どうしたの?」
セイン様は、様子がおかしい私に気が付き、私の目線の先に視線を投げた。
「あぁ……。フォード家のデボラ嬢か。確かに、彼女は有名だものね。
でも大丈夫。僕の家柄は、彼女と大差ない。
僕といる限りは、彼女はそうそう手は出せないだろうさ」
そう言って彼は、私の手を少し持ち上げる。
「大丈夫、君のデビューの日を、彼女なんかに汚させはしないよ」
こちらを真っすぐに見つめるセイン様に、私は「はい……」と何とか返事をした。
***
その日の舞踏会は、セイン様のおかげもあって、特に何事もなく過ごすことができた。
「今日は本当にありがとう、メル。良ければ君とは、今後も交流できたらいいな」
もったいないくらいの言葉に、私は深々と頭を下げる。
彼と別れた後、私はお父様との待ち合わせのため、迎賓館の門へと向かっていた。
私は、今日という日を何とかやり過ごせた安堵で、少し肩の力を抜いていた。
しかし、その時だった。
「あなた、メル・ウィズリーでしょう?」
ツンと甲高い声が、後ろで響く。
私は思わず振り返った。
そこには、鋭い視線でこちらを見下ろす、デボラ嬢の姿があった。
彼女の一歩後ろには、執事なのか、燕尾服を着た端正な顔立ちの青年が付いている。
デボラ嬢は孔雀の羽で作られた扇で口元を隠しながらも、はっきりとこちらに聞こえるように、言った。
「この場所は、あなたにはふさわしくないわ」
小さい頃のサマースクールで、聞いたことのあるその言葉。
即座に、あの頃の苦い思い出が脳裏を駆け巡る。
私が声も出せずに硬直していると、デボラ嬢は続けた。
「それに、今日あなたをエスコートしていた男、セイン・エドモンド……。
あなたは一刻も早く、彼の元を去るべきよ。なぜなら……」
彼女がそこまで言ったところで、私は続く言葉を遮り、「申し訳ございませんでしたっ」と深々と頭を下げた。
「い、田舎の令嬢である私などが、あのようなお方と共に過ごすなど、で、出すぎた真似であることは重々承知しておりました。ほ、本当に、申し訳ございませんっ」
そして顔を上げると、一目散に逃げだした。
「なっ、あなた、ちょっと!」
デボラ嬢が、引き留めるかのように私のドレスをつかむ。ビリッと、何かが破ける音がしたが、気にしない。
私は彼女を振り払い、門の外へ飛び出た。
通りの前には、すでにウィズリー家の馬車と、その前で立つお父様の姿があった。
「おお、メル。時間通りだな。どうだった? セイン様との……」
「そんなことよりお父様、早く馬車を出してくださいっ!」
私は必死の形相でお父様に迫る。
お父様は混乱した様子だったが、私は構うことなく馬車にお父様を押し込み、
自分のそれに乗るとすぐさま、「早く、出発してください」と叫んだ。
御者が鞭を振るい、馬車が走り出す。
私は恐る恐るカーテンを開け、窓から外の様子を伺った。
そこには、こちらを追いかけてきたのであろう、息を切らしたデボラ嬢と、
そんな彼女を呆れたような目つきで見つめる執事の姿があった。
鼓動は依然として早く、私はぎゅっと膝の上で手を握りしめた。
どうしよう、デボラ嬢に目をつけられてしまった。
サマースクールの時に味わった、心臓がつぶれそうなほどの息苦しさを感じる。
当時、私を見下し、蔑んだクラスメイトの表情を、私は自然とデボラ嬢の顔に重ねていた。
冷たい目つき。こちらを嘲笑するように歪む口元。
心の奥に、痛みが走る。
お父様の呼びかけにも応じず、私はただ、唇を噛みしめ、小刻みに震えていた。
***
「あの……メル様、少しよろしいでしょうか?」
次の日の午後、屋敷の自室に籠っていた私を、ドアの外でメイドが呼んだ。
私はベッドから重い身体を起こし、「何でしょう?」とドアを開く。
「実は、昨夜、舞踏会にお召しになられたドレスですが、このように、肩の辺りが破れておりました。
処分されますか? それとも、こちらで補修いたしましょうか?」
メイドがドレスを広げ、破れた箇所をこちらに見せる。
「これは……」
私は小さく息を呑む。
「す、捨ててください。これは、昨夜、デボラ嬢に捕まれて、破いてしまったものです」
そう言って、ドレスから目を背けた。
デビュタントを飾る特別な品であったが、もう見たくはない。
もし補修されてしまっては、私はその痕が目に入るたびに、昨日の恐ろしさを思い起こしてしまうだろう。
しかし、これが間違いだった。
私が「デボラ嬢に破られた」と口走ったことは、噂として、屋敷内どころか領地の外まで知れ渡っていった。
そしてある日、どこからかその話を聞きつけたセイン様が、わざわざ屋敷を訪ねてきた。
「災難だったね、メル。すまない。君にそんな恐ろしい思いをさせてしまって」
屋敷の庭を歩く最中、セイン様はふと立ち止まる。
そして、じっと私の瞳を見つめ、深々と頭を垂れた。
「そんな、セイン様のせいではございません。私がもっと上手く立ち回れれば、このようなことには……。顔を上げてくださいっ!」
慌てふためく私に対し、セイン様はようやく頭を上げる。
そして、「本当に、メルは優しいね」と目を細めた。
小さく微笑む彼の姿は本当に美しくて、私は一瞬、言葉を失う。
と同時に、頬に熱が帯びるのを感じた。
(って、駄目よ。メル! そもそも、デボラ嬢に目をつけられた原因は、セイン様からのエスコートを受けたことが原因じゃない!
この人からは、距離を置かなきゃ……)
そう思いながらも、視線はセイン様の瞳に釘づけになっていた。
それを知ってか、彼はますます、口角をゆっくりと持ち上げる。
「デボラ嬢のことは、気にしなくていい。
彼女は、嫉妬深いことで有名だ。まるでおとぎ話に出てくる悪役のような奴さ。
これから彼女は、君に様々な嫌がらせをしてくるかもしれない。虚言を君に吹き込むかもしれない。
けれど、君は決して、彼女の発言を真に受けてはいけないよ。
あんな奴の言うことなど、信じるに足りないからね」
そして、ふいに彼の手が、私の顎に触れる。
突然のことで、私の心臓は跳ね上がった。
「まぁ……美しい恋愛に障害はつきものさ。
悪い魔女の出現は、そう、僕らに与えられた試練。
それを乗り越えた暁には素晴らしい景色が見られる。
だから、大丈夫、メル」
セイン様は言葉を続けながら、徐々に顔を近づける。
そして、額を私の額にくっつけて、言った。
「君は僕が守る」
その甘い囁きに、私は思わず、一歩退き彼から身体を離す。
あまりの出来事に、頭がくらくらしていた。
身体はすでに、蒸気が立ち上りそうなほど、熱い。
私が突然身を離したからか、セイン様は一瞬目を見開く。
しかし、私の様子を確認した後、クスッと吹き出した。
「……ほんと、可愛いな」
その発言のおかげで、私の頬はますます熱を帯びてしまった。
おそらく、顔はすでにリンゴのように真っ赤になっていたことだろう。
そんな時だ。
「セイン様、申し訳ございませんが、そろそろ次の予定が迫っております」
従者さんの言葉に、彼は「そうだった」と声を張り、踵を返す。
「ごめんね。こんなにバタバタしてしまって。でも、また来るよ。必ず」
去り際の彼に、私はかろうじて「はい……」と返事をした。
***
彼の来訪は、まるで嵐のようだった。
私はそれに巻き込まれるままで、身動き一つとることができなかった。
自室に戻った私は、未だに冷めやらない頬のほてりを鎮めるべく、
洗面台で顔を洗っていた。
(セイン様、本当にお美しかったな)
思い出すだけで、再び身体が紅潮する。
しかし、一方で少し引っかかることもあった。
――悪い魔女の出現は、そう、僕らに与えられた試練。
悪い魔女がデボラ嬢を指すことは分かっていた。
彼は私を慰めるために、あえて彼女をこき下ろすような発言をしたのだろう。
(……でも、悪い魔女、とまで言い切るのはちょっと……。まかりなりにも、王家を血を引く令嬢なのだから)
地方でのんびりと暮らしてきた私は、あまり「悪口」に慣れていない。
たとえ悪名高いデボラ嬢とはいえ、そこまで言うのはどうなのだろう。
私は、セイン様への微かな違和感を感じつつ、白いタオルで顔を拭いた。
そんな時だ。
「メル様っ! メル様に来客の方がお見えです!」
メイドさんが、焦った様子でドアを叩く。
何事だろうと私はドアを開けた。
「どうしたの? そんな慌てた様子で……」
「それが、お見えになったのが、デボラ・フォード御令嬢の使者の方なのです!」
瞬間、私の背中に悪寒が走った。
***
「先日の舞踏会では、我が主、デボラが失礼な振る舞いをいたしましたこと、誠にお詫び申し上げます」
そう言って、応接間で待っていた黒髪の美青年は、深々と頭を下げた。
彼には見覚えがある。
舞踏会のあの日、デボラ嬢の後ろに控えていた執事だ。
唖然とする私をよそに、彼は懐から、一通の封筒を取り出した。
「こちらは、招待状でございます。
デボラは先日の件を深く悔いておりまして、ぜひとも、直接謝罪したいと申しております。ただ、主は多忙にて、中々こちらに伺うこともできません。
そこで、ご無理を言って恐縮ではございますが、セントラルの我が屋敷にお越しいただくことは可能でしょうか?
もちろん、馬車の手配はこちらで行います。
一応、こちらのカードに日時を記載しておりますが、出席が難しい場合は、日取りを変更いたします。
誠に不躾な申し出であることは承知しておりますが、いかがでしょうか?」
そう言って、彼はスミレ色の瞳でじっと、こちらを見下ろした。
「そんな、そこまでしていただくほどのことでは……」
私が何とか言葉を絞り出した瞬間、急にお父様が口をはさむ。
「なんともったいないお言葉! フォード家の方々にわざわざお招きいただけるなど、大変光栄なことでございます。ぜひとも、行かせていただきたい!」
私は思わず隣のお父様に視線をやると、お父様は耳打ちするかのように小声でささやいた。
「これは千載一遇のチャンスだぞ! メル! フォード家とつながりができれば、場合によれば王家ともコネクションができるかもしれん! 断る理由がどこにある!」
「ですが……」
私が返そうとした瞬間、執事の青年が薄く微笑む。
「ご出席していただけるとのことで、大変感謝いたします。主もお喜びになることでしょう」
腕を胸の前に当て、青年は再び腰を曲げた。
***
こうして、「その日」が訪れた。
いつもよりドレスアップをしているものの、私は顔面蒼白だった。
鏡の前に立つ私に、お父様が後ろから話しかける。
「うん、衣装もばっちりだ。今日は社交界デビューの日と同じくらいに輝いているぞ、メル。
大丈夫。確かにデボラ様は気難しいことで有名だが、お前は誰からも好かれる娘だ。
すぐに打ち解け合えるさ」
そう言ってお父様は豪快に笑う。人の気など全く知らない様子だ。
と、その時、玄関のベルが鳴る。
外に出ると、例の執事が門の前に立っていた。
後ろには豪華に装飾された馬車もある。
私は断頭台への一歩を踏み出す心地で、馬車のキャビンに乗り込んだ。
客室内で手のひらがどんどん湿っていくのを感じながら、私は無言で俯いていた。
頭がくらくらするが、それが、馬車の揺れによるものなのか、精神疲労によるものなのかも分からない。
そんな中、斜め向かいに座っていた青年が、ふと、口を開いた。
「……緊張されていますか?」
私はすぐさま顔を上げ、「そんな、滅相もない!」と口走る。
青年は小さく息を吐くと
「大丈夫です。デボラ様は、世間で言われているような心の卑しい方ではありません」
そう、きっぱりと言い切る。
その潔い口ぶりに、私は「……はい」と思わず声を漏らした。
まるで、主に全幅の信頼を置いているような澄んだ空気を、彼の声は纏っていた。
道が少々込んでいたらしく、デボラ嬢の屋敷には少し遅れての到着となった。
馬車の中でこそ、青年の言葉もあり私の心は幾分凪いでいたが、
門をくぐり、「彼女」を見た瞬間、私の心臓は再び早く脈打つ。
「やっと来たのね。遅かったじゃない」
「も、申し訳ありませんっ」
私はすぐさま頭を下げる。
「なぜあなたが頭を下げるの? 私はあなたにではなく、御者に向けて言ったのよ。
今日は、私が謝罪をする場。あなたが頭を下げてどうするの?」
謝罪する場、とは言いながらも、デボラ嬢の口ぶりは、相変わらずとげとげしい。
すると執事の青年がため息をつき、私とデボラ嬢の肩をポンと叩いた。
「早く、客間に入りましょう。もう準備は整っているのですから」
主に対しては無礼とも言えるその態度に、私は一瞬、ひやりとする。
しかし、デボラ嬢は「分かっているわよ」と、少しむくれた調子で踵を返した。
こうして、私は客間に通された。
天井には無数のダイヤモンドがちりばめられたシャンデリアがかかっている。
テーブルにはすでにキャンドルが炊かれ、白いバラやチューリップが飾られていた。
(白いバラの花言葉は「心からの尊敬」、白のチューリップは確か「失われた愛、新しい始まり」……?)
つまるところデボラ嬢は、私をいびるためにここに呼んだのではなく、本当に、謝罪と、新たな関係を結ぶために呼んだのだろうか。
そこまで思ったところで、私は考えを打ち消すかのように首を振る。
社交界に精通しているあのセイン様が「悪い魔女」に喩えるくらいの人なのだ。
簡単に信じてはならない。
それに私は、舞踏会の日、彼女に面と向かって言われたのだ。
「この場所は、あなたにふさわしくない」と。
デボラ嬢は、昔、私をいじめたサマースクールの子たちと同じだ。
いや、噂ではそれ以上のはずだ。
今まで何人ものメイドや令嬢が、彼女に心を潰され、セントラルから去っている。
だからこそ、心を強く持たなくては。
何を言われても、くじけないように。
私は、きゅっと唇を引き結ぶ。
すると、デボラ嬢が部屋に入ってきた。
「早く座りなさい」
私は、一礼した後に着座する。
向かいにデボラ嬢が座った。
そして開口一番、こう告げたのだ。
「先日は、いきなり話しかけて悪かったわ。あと、ドレスも破いてしまったわね。
これは、心ばかりの謝罪の品よ。受け取りなさい」
同時に、先ほどの執事の青年が、両手に白い箱を抱えて私の元へやってきた。
差し出された箱を私は、恐る恐る開ける。
「……これは」
そこには、先日私が舞踏会で着用したものと瓜二つのドレスが入っていた。
しかし、手に取ってみて、気づく。
これは、破られたそれより、遥かに高価な布地が使われている。
刺繍もより繊細で、生地のあちこちに、ガラスやパールのラメやスパンコールがちりばめられていた。
「い、いただけません! こんなもの!」
「こんなもの? 随分な言い回しではなくて?」
デボラ嬢が眉をひそめる。私は慌てて訂正する。
「ち、違うのです! 確かに、私が持っていた物と似てはいますが、似て非なる物、と申しますか……。
こんな素晴らしいお品は、私には不相応です!」
するとデボラ嬢は、ますます険しい表情でこちらを見た。
「確かに、これは『似て非なる物』。私と執事のリカルドが、記憶していた先日のドレスをデザインを伝え、作らせた物よ。あなたのデビューを飾った思い出の品に及ぶはずはないけれど、その分金はかけたわ。だから受け取りなさい。これは私の謝罪の気持ち」
「それとも」と、デボラ嬢は続ける。
「私の謝罪を受け入れられないって言うの?」
睨みつけられ、私はすぐに「滅相もございません」と、箱を受け取った。
視緊張した面持ちで、再び箱の中を覗いてみる。
確かに、一見すると、私が着用していたドレスに似てはいた。が、全く同じデザインではない。
(デボラ様は、わざわざ記憶を呼び起こし、デザイナーに自ら指示をしてまで、このドレスを作ってくださったの……?!)
私は口をぽかんと開けたまま、再びデボラ様に視線をやった。
彼女は気まずさを振り払うかのように、目を伏せたまま、コホンと咳払いをした。
「ところで」
急に声を張るデボラ嬢に、私はびくりと肩を震わせる。
「私が『去れ』と言ったにもかかわらず、その後もセイン・エドモンドとは交流を続けているようね」
虚を突くかのように投げかけられたその言葉に、私は矢で胸を射抜かれたような痛みを覚えた。
「それは、その……」
思わず口ごもる。やはり、今日の本題はそれだったのだ。
嫉妬深いと噂のデボラ嬢のことだ。おそらく彼女は、私とセイン様との関係を良く思ってはいない。
どう返答しようか逡巡している最中、彼女は続ける。
「端的に言うわ。メル。あの男は最低よ。今まで数々の女性を手玉に取り、だまし、捨ててきた。特に彼が好むのが、都会に染まっていない、純真無垢な少女。そう、あなたのような、ね」
一瞬、息を止める。
セイン様が、最低?
あの、かっこよくて、スマートで、優しい彼が?
「そ、そんなことありません! 彼はとても素晴らしい方です! 私が落ち込んでいた時は、はるばるセントラルから駆けつけてくださって……」
「心配したから、ではないわ。その行動は単に、あなたを落とすための手段の一つにすぎない」
「で、でもっ!」
私は、デボラ嬢への恐怖も忘れ、必死に反論しようとした。
瞬間、彼の言葉が思い出される。
――君は決して、彼女の発言を真に受けてはいけないよ。
そうだ。目の前の彼女はあの悪名高き「お局令嬢」、デボラ嬢なのだ。
彼女の噂は、地方にまで及んでいる。
こんな人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。
「せ、セイン様は、私の目を見つめ、『必ず守る』とおっしゃってくださいました。
そんな方が、そんな、非道なことをするはずがありません!」
自分でも、なんて根拠のかけらもない言い訳だろうかと思った。
しかし、自分の感情がそうさせた。
すると、デボラ嬢はフッと小さくため息をついた。
感情的にののしられることを覚悟していた私は、一瞬怯む。
「仕方ないわね。リカルド。彼女を呼んで」
すると、先の執事が一旦部屋を出る。
そして、次に現れた時、私は目を疑った。
彼が引き連れていたのは、そう。
「……ハーパー?」
そこに立っていたのは、昔、一緒に野を駆け回った村娘、ハーパーだった。
メイド服に身を包んだ彼女は、俯いている。
そして彼女のお腹は大きく、ふっくらと弧を描いていた。
「どうしてこんなところに……?! それに、そのお腹……」
ハーパーはそっとこちらに視線を上げると、「メル様……」と、今にも泣きだしそうな声で答えた。
「あなたがセントラルに働きに出たことは聞いていたけれど、デボラ様のお屋敷に勤めていたの?」
「違います」
隣にいた、リカルドと言う名の執事が代わりに答える。
「彼女がこの屋敷に来たのは、つい先日のことです。彼女は今まで別の屋敷で働いていた。
そして、セイン・エドモンド氏と出会い、遊ばれ、捨てられた」
思わず、手で口を抑える。
その途端、ハーパーは急に声を張った。
「メル様、セイン様に騙されてはいけませんっ! あの方は数々の女性と浮名を流し、飽きては捨てる、そんなお方です!」
「で、でも、そんな噂、今まで聞いたことな」
「金で封じているのよ」
デボラ様は、私の言葉をはたき落とすかのように、ピシャリと言い放った。
「彼はモンド財閥の御曹司よ? 醜聞をもみ消すくらい、造作もないわ」
二人の言葉に、私はただただ唖然とする。
セイン様の美しい笑顔、甘い囁き、その全てが、偽りだったなんて。
ハーパーが再び口を開く。
「私は元々、セントラルの別の屋敷で働いていました。その際、客として来られたセイン様に声をかけられたのです。私はすっかり舞い上がってしまい、結果、このようなことに」
そう言いながら、ハーパーは小さくお腹をさする。
私は、ただただ今の状況が信じられず、言葉を失っていた。
ハーパーは続ける。
「こうなった以上、私はセイン様と結ばれると思い込んでいました。
しかし、妊娠を告げた私に彼が投げかけた言葉は、ひどいものでした。
面倒くさい、近寄るな、お前みたいな庶民を相手にするはずがないだろう、などと罵られ……。
あげく、堕胎させるべく、彼は私を無理やり医者の元へ連れて行こうとしたのです」
ハーパーは悔しげに唇を噛む。
その頬は、すでに涙で濡れていた。
彼女は元来、純粋で、嘘をつくことが苦手な子だ。
つまりは、彼女の言っていることこそ、真実なのだ。
「その道中で彼女をかっさらい、この屋敷に引きずり込んだのが、我が主、デボラ様というわけです」
「ちょっとリカルド、もうちょっと良い言い方できないの?!」
デボラ様はきつい口調で抗議するが、リカルドはどこ吹く風だ。
「では、メイド服を着ているのは……」
尋ねると、
「臨月までは、この屋敷で働かせるつもりよ。その後は、私の別荘地でこき使うつもりよ」
「いえ、そう言いながらデボラ様は、私に箒一つ持たせないではありませんか!」
ハーパーが割って入った。
そこで私は、とある噂の真意を悟る。
――彼女に目を付けられ、セントラルを去った令嬢、メイドは数知れず。
この状況は、今後のハーパーにも当てはまる。
デボラ様は、嫉妬から女子を地方に追いやっていたのではない。
彼女らを助けるべく、セントラルから自身の地方の領地へ、逃がしていたのだ。
もし、考えもなく故郷のウィズリーに返してしまえば、おそらくセイン様の追手に連れ戻される。
身分の差から、実家の両親はなす術もないだろう。
その点、デボラ様の領地であれば、他の男性はおいそれと手を出せない。
おそらく彼女は、ハーパーを安全な場所で出産させ、しばらく面倒をみるつもりなのだ。
貴族社会を牛耳るのは権力者たちだ。
そんな彼らの邪魔をするデボラ様は、だからこそ「悪女」と噂されるのだろう。
ハーパーは言う。
「メル様。デボラ様は、このセントラルで最も信頼に足るお方です。だからどうか、私の、デボラ様の言葉を信じてください」
少しの間、私は黙りこむ。
脳裏に浮かぶのは、セイン様の優しい笑み。
でも、この状況を突き付けられた今、どちらを信じるかは明白だ。
「……申し訳ございません。デボラ様。私、あなたのことを誤解しておりました」
私は立ち上がると、デボラ様に向かって深々と頭を下げる。
「仕方ありませんよ。我が主は顔も言動もきつい。だから皆に誤解されるのです」
鼻を鳴らすリカルド。
デボラ様は、気持ちを切り替えるように咳ばらいをする。
「全く、あなたのような娘は、毎年毎年、性懲りもなくデビュタントとして現れる。
男どもの格好の餌食になるとも知らずにね。
だから私は、やつらを金と権力でねじ伏せてやるの。
ゲスなやつらの思う通りにいかせるものですか」
そう言って浮かべた笑みは、悪役令嬢のそれとなんら変わりがないものだった。
しかし今の私には、その笑顔すら、とても頼もしく感じられた。
帰り際、玄関まで見送りにきてくれたデボラ様に、私はふと、尋ねる。
「デボラ様、あの……最初にお会いした際に、私に『この場所は、あなたにふさわしくない』、とおっしゃったのって……」
「だって本当のことでしょう? こんな腐った社交界、ウブなあなたには全くふさわしくないわ。
領地を潤す手段は、貴族に媚びるだけではなくってよ? そのことを、肝に銘じなさい」
私は「はいっ」と力強く答える。
その瞬間、デボラ様の目じりが、ふわりと緩んだように見えた。
(こんな顔もなさるんだ……)
その微かな笑みに見とれていると、彼女はすぐさまいつも通り、目を吊り上げる。
「それより、早く馬車に乗りなさい。私と仲良くしているところなんて見られたら事よ?
あなたは、『私にいびられて、泣く泣くセインから距離を取る』設定なのだから」
私は小さく頷くと、デボラ様に背を向けた。
でも、その手には、彼女から頂いたドレスの箱をしっかりと握りしめていた。
(デボラ様のように、強く生き抜かなくては)
私は背筋を伸ばし、帰りの馬車に飛び乗った。
***
「やーれやれ、終わったわ」
玄関先で馬車を見送った後、デボラは大きくため息をつく。
「それにしても、メルにしろハーパーにしろ、
田舎娘というものは、なんで毎度毎度、セインのような悪い男に騙されるわけ?
純粋すぎるというか、世間知らずというか……」
「あなたの環境が特殊だったのですよ。出生時から相続争いの渦中にあり、幼少期より擦れていたあなたとは違うのです」
リカルドが淡泊な口調で答える。
「そのおかけで、目はつり上がり、口調は強くなり、貴族の男性陣から悪い意味で一目置かれる存在になったわけですが」
「悪くは、ないわ」
デボラはきっぱりと言う。
「そのおかげで、誰にも構うことなく好き勝手できるのだから。評判が最初から地に落ちていれば、それ以上、何も気にすることはないでしょう?」
「確かに」
リカルドは、諦めたようにフッと微笑する。
「しかし、くれぐれも無理はなさらぬように。セイン様を筆頭に、あなたを目の上のたんこぶのように疎ましく思っている人間は多いのですから」
「分かっているわ。でも、そんな時は、あなたが守ってくれるのでしょう?」
デボラは、リカルドに視線を投げかける。
彼は一瞬目を見開いたものの、すぐさま元の冷静な表情に戻る。
そして小さく、こう言った。
「もちろんです。デボラ様」
その回答が嬉しかったのか、デボラは密かに目を細める。
しかし、礼などは言わない。
そのまま踵を返し、いつも通りの傲慢な態度で、屋敷の中に入っていった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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最後までありがとうございました。




