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そのまま

新生活③

作者: こまこま
掲載日:2026/06/11

クラブハウスの一角は、妙にざわついていた。


「おめでとうございまーす!」


誰かが声を上げた瞬間、

拍手が連鎖みたいに広がる。

「会いたかったー」

「昂汰さん、全然連れてきてくれないんですもん」

「やっと会えたー」

軽い冗談と、本気の祝福が混ざった空気。


昂汰は片手を上げて、

「うるさいわ」と返すけど、顔は少しだけ赤い。


(まぁ、これはこれでええやろ)


「…で、詩さん、なにしてるんすか」


その一言で、空気が一段変わる。


「……え?」


視線が一斉に動く。

詩は、完全に固まっていた。

状況に追いついていない顔。


一歩、下がる。

もう一歩、下がる。


そのまま――


昂汰の後ろに、すっと隠れた。


「……っ」


昂汰の肩が一瞬だけ止まる。


(おい)

今、それやるか?

しかもここで?


周りも一瞬、固まる。


「……え?」

「今の、隠れた?」

「昂汰さんの後ろ?」


ざわっ、と空気が揺れる。


昂汰は振り返れないまま、

耳だけ熱くなるのを感じていた。


(やめろや……)


いや、詩は悪くない。

悪くないのは分かってる。


「……あのな」


昂汰が小さく言う。


「大丈夫や、出てこい」


動かない気配。

詩はたぶん、

まだ気持ちが追いついてない。


逃げるように辞めた場所で

浴びるのは厳しい視線。

その覚悟しかしてなくて。


何度説明しても

ただただ緊張と覚悟だけで



頭の整理が追いついてない。



ただ。

周りはもう完全にニヤニヤし始めていた。


「いやいやいや」

「ガチやん」

「昂汰さんの影に隠れるの、なんすか」

「見せつけてこんといて」


「ちゃうわ!」


昂汰、完全に限界一歩手前。

耳まで赤い。


でもその一方で、

胸の奥がどうしようもなく緩んでるのが分かってしまう。


(あかんてこれ……)


かわいいとか、

そういう単語で処理したくないのに、

もう無理やろこれ。


「詩」

昂汰が少しだけ声を落とす。

「ええから、ちょっとこっち」


後ろから、少しだけ身体が離れる。


安心したのか、

確認したのか。


そして――


恐る恐る顔を出した詩と、周りの視線がまともにぶつかる。


「……っ」


一瞬で固まる。


理解が遅れて入ってくるタイプの沈黙。


次の瞬間。


「え……?」


耳まで赤くなる。


「え、私……今……」


やっと気づいた顔。


昂汰の後ろに隠れてたこと。

みんなの前だったこと。

自分が“そう見えてたこと”。


「……ごめんなさい」


即座に一歩下がる。


今度は、昂汰から距離を取る。


「いやいやいや」


昂汰の声が被る。


でももう遅い。


詩は顔を真っ赤にして、

完全にパニック寸前。


「ちが、違うんです、そういうつもりじゃなくて……!」


「わかってるわ!」


昂汰が叫ぶ。


でもその横で、


「いやもう無理やろこれ」

「尊すぎる」


周りは完全に楽しんでる。


昂汰は一回だけ天を仰ぐ。


(ほんま……)


そして、半分あきらめて、

もう一度詩の方を見る。


距離は開いたまま。


でも、ちゃんとそこにいる。


逃げたわけじゃない。


ただ、恥ずかしくなっただけ。


それが分かってしまう自分が、

一番厄介やと思う。


「……戻ってきて」


小さく言う。


詩はまだ赤い顔のまま、

一歩だけ戻る。


その一歩で、また少しだけ距離が戻る。


周りがまた騒ぐ。


昂汰はもう笑うしかなかった。


(ほんまに、なんやねんこいつ)


なのに。


手は、ちゃんとそこに伸びてしまっていた。





その後。

それぞれが各所に挨拶にまわる。


途中詩を見かけて立ち止まった。


彼女が話している相手は、男だった。


スーツ姿の先輩らしき人。


笑い方が柔らかくて、

距離の詰め方も慣れてる感じがする。


昂汰は、そこで一回だけ足を止めた。


(あれ)


別に、何かあったわけじゃない。


ただ話してるだけ。


ただそれだけのはずやのに。


胸の奥が、妙にざわつく。


詩は気づいていない。


楽しそうに相槌を打って、

少しだけ笑っている。


その笑い方が、

さっき勇人に向けてたものと同じかどうかなんて、

分からない。


(……いや)


何考えてんねん俺。


昂汰は軽く頭を振る。



気にする必要なんかない。

そう思うのに。

視線だけが外れない。


男の方が、詩に何か言っている。


詩は少し驚いた顔をして、

それから小さく笑った。


その瞬間。


胸の奥が、ちくっとする。


(……なんやねん)


意味が分からない。


嫉妬とか、

そんな単純なもんじゃない。


いや、たぶんそれに近いけど、

認めたくないやつ。


昂汰は無意識に一歩近づいていた。


「……詩」


少しだけ声をかける。


詩が振り向く。


「あ、昂汰さん」


いつもの顔。


その“いつもの”が、

逆に引っかかる。


(誰にでもその顔するんか)


一瞬だけ、男の先輩に視線が行く。


相手は軽く会釈してきた。

感じ悪いわけじゃない。


むしろ普通にいい人そうやから、

余計に面倒くさい。



「学生の時の先輩で……ちょっと久しぶりで。今日たまたまこっち来てたそうで」


「そうなんや」


“よろしく”

無難に挨拶を返す。


(学生の頃)


その単語だけが、

妙に引っかかる。


詩の“昔”。


自分が知らない時間。


そこで誰と何してたかなんて、

当然分からない。


でも。


もし。


もしその中に、

“ちゃんと好きだった人”とかおったら?


一瞬だけ、

あり得ない想像が浮かぶ。


すぐに打ち消す。


(いや、ないやろ)


でも消えきらない。


自分はどうやった?

遊びまくってたくせに。

相手の過去に文句言える立場ちゃうやろ。


そう分かってるのに。


胸の奥だけが、落ち着かない。


詩がこっちに戻ってくる。


「行きますか?」


いつもの調子。

何も知らない顔。


その無防備さが、

余計に怖い。


昂汰は一拍おいてから答える。


「……おう」


歩き出す。


けど、半歩だけ距離が近い。


さっきより。


自分でも気づかないくらい、

少しだけ。


(別にええねん)

(過去とか)


そう言い聞かせながら。



夜の帰り道は、少しだけ静かだった。


さっきまでのざわつきが嘘みたいに、

二人の足音だけが続く。


昂汰は横を歩きながら、

ずっと同じことを考えていた。


(あいつ、あの先輩と昔……)


いや、別に何かあったわけじゃない。


ただ話してただけ。

それは分かってる。

分かってるはずやのに。


さっきの笑い方が、頭から離れない。

自分に向けた笑いと、

あの男に向けた笑い。


同じやった気がして、

違う気もして。


その“分からなさ”が一番気に入らない。


「……なぁ」


気づいたら声が出ていた。


詩が顔を上げる。

何でもない顔。

その何でもなさが、

また引っかかる。


(お前、ほんまに何もないんか)


聞きたい。

でも聞けない。


聞いた瞬間、

自分の方が終わる気がする。


なのに。


「……さっきの人、」


詩は一瞬きょとんとする。


「先輩……?」


詩は少し考えてから続ける。


「学生の時の…そういえば、ほとんど活動なかったけど、サークルも一緒だったな」


「ふーん」


また、それだけ。


でも頭の中はふーんで済んでない。


(サークル)

(学生時代)

(昔から知ってる)


情報が増えるたびに、

勝手に想像だけが膨らんでいく。


昂汰は一回だけ息を吐く。


ほんまはここで終わるはずやった。


でも、口が勝手に動く。


「……仲ええんやな」


言った瞬間、

自分で一番嫌な言い方した自覚がある。


詩が止まる。


「え?」


「いや、別に」


即座に否定。


(何が別にやねん)


もう一人の自分がキレてる。


詩は少し困った顔をする。


「普通だけど……」


「普通ってなんやねん」


また出る。


抑えられてない。

自分でも分かってる。

これ、ただの嫉妬や。

しかもかなり分かりやすいやつ。

でも認めたら終わる気がしてる。


詩は小さく首をかしげる。


「昂汰さん?」


その一言で、自分の中の“理性”が一瞬だけ戻る。


(いや、待て)


俺は今、

何の立場でこれ言うてる?


過去散々遊んで、

誰にでも笑って、

何も責任取ってへん男やろ。


誰が、

何を詰めようとしてんねん。


一瞬、言葉が詰まる。


でも。


次の瞬間にはまた別の感情が勝つ。


(でもこいつのは嫌や)


意味分からん。

自分でも分からん。


ただ、詩が誰かと“当たり前に笑ってた過去”が、

やけに気に触る。


昂汰は視線を逸らす。


「……なんでもない」


そう言いながら、

距離だけ少し詰める。


詩が半歩ずれる。


その動きに、

また胸がちくっとする。


(いや、何に傷ついてんねん俺)


完全におかしいのは自分やのに。


「昂汰さん、さっきから変」


「……変ちゃう」


即答。

間髪入れず。

でも声は全然落ち着いてない。


「……いや、なんか楽しそうやったなって」


言ったそばから、

後悔する。


詩が固まる。


「……え?」


沈黙。


昂汰も固まる。


(あ)


今の、終わったやつやろ。


詩は怒らない。

でも笑ってもない。


ただ、少しだけ困った顔をしてから、


「……楽しそう?」


って聞く。


そのトーンが、

予想と違う。


昂汰は視線を上げる。

詩は続ける。


「先輩とは、ただ昔の話してただけで……」

「私も、仕事の時以外あんまり人と話さなかったから」


それだけ言って、

小さく笑う。


そこで初めて気づく。


(あ、これ)


詩の中で、そんな意識が全く無い

そもそもそこに立ってない。


そういえば。

それどころじゃなかったはずだった

俺は、わかってたはずなのに。



その事実が、

さっきまでの自分の嫉妬を一回全部ほどく。


昂汰は小さく息を吐く。


「……アホやな俺」


ぽつり。


詩が首をかしげる。


「何がですか?」


「なんでもない」


そう言って、

今度は自然に手を伸ばす。


詩の手を軽く取る。


もうさっきみたいな探りじゃない。


詩は一瞬びっくりしてから、

そのまま握り返す。


昂汰はそれを感じながら、

小さく呟く。


「ごめん…」


過去とか、

先輩とか、

想像とか。


全部一回、置く。


今はただ、


(こいつ、目の前おるしな)


それで十分やった。




(……いや)

(そんなん言える立場ちゃうやろ)


昔のことなんか、

綺麗なもんちゃう。


遊び方も、

距離の取り方も、

今の詩から見たら、たぶん真逆の人間や。


それなのに。


誰と話してたとか、

昔どうやったとか。


そんなことで一瞬でも揺れてる自分が、

どうしようもなくみっともない。



「……ほんま、アホやな」


もう一回。

今度は少しだけ力が抜けている。

詩が不安そうに顔を覗き込む。


「昂汰さん……?」


「なんでもない」


軽く笑って見せる。

でもその笑いは、

さっきみたいな棘がない。


「大体な」


ぽつりと続ける。


詩が首をかしげる。


昂汰は視線を前に戻したまま言う。


「俺が言える立場ちゃうしな、そういうの」


その瞬間、

詩の動きが止まる。


「……え?」


昂汰は少しだけ肩をすくめる。


「昔とか、どんな人とおったとか」


詩は何か言いかけて、

でも言葉が出てこないまま黙る。


昂汰はそれを見て、

逆に少しだけ苦笑する。


(ほんまやな)


今さら何を気にしてんねん。


でも、不思議とその言葉を言ったあと、

胸のざわつきは少しだけ静かになっていた。


詩がゆっくり口を開く。


「……気にしてたの?」


その問いに。


正直に言えば、気にしてる。

それに、“気にしてる”自分に驚いてもいる。

こんなに誰かの“過去”が気になるなんて。





妙な視線を感じて横を向けば。


さっきまで普通に歩いてたはずの詩が、

急に横目でこちらを見ている。


「……何」


「昂汰さんって」


「ん?」


「モテてましたよね、うんん、モテますよね」


「……急に何やねん」


詩は真顔のまま続ける。


「キレイな人とか……いました?」

“そりゃいますよね”

“むしろキレイな人ばっかだ”


「は?」


一拍遅れる。


昂汰の足が止まる。


詩は止まらない。


「何人くらい付き合ってたんですか」


「え、いや」


「一番長かった人ってどのくらいですか」


「ちょ、待て」


昂汰が手を上げる。


完全に詰まる。


(なんやこれ)


会議か?

取り調べか?


しかも内容が全部えぐい。


「いや別に……普通やろ」


「普通って何ですか。なんかわたしも気になってきました」


「いや、だから普通の……」


「答えになってないです」


淡々と詰めてくる詩。

さっきまでの柔らかさが消えてる。


めっちゃ敬語。

それが余計効く。


昂汰は一回だけ頭を掻く。


(こいつ……)


珍しく攻めてきてる。

しかも真面目な顔で。


「いやほんまに、そんな長いのとかないし」


「ほんとに?」


「ほんまやって」


「…ふーん」


納得してない“ふーん”。


昂汰はため息をつく。


(なんやねん今日)


詩は少しだけ視線を落として、

ぽつっと言う。


「……なんか」


「ん?」


「ちょっと、いやです」


その一言で、

昂汰の表情が止まる。


「は?」


詩は慌てて視線を逸らす。


「いや、別に……その」

「昂汰さんがどうとかじゃなくて」

「そういう話を想像すると」


言葉が途切れる。


「……ちょっと」


そこまで言って、

自分で止まる。




(あ…)


今のは、

詩の中で勝手に広がってるやつや。


理屈じゃなくて、

“想像でしんどくなるやつ”。


さっきまでの自分と、

まったく同じ構造。


(アホやな)


でも、今度は詩の方が沈みかけてる。


昂汰は軽く肩をすくめる。


「…お前なぁ」


詩がビクッとする。


「自分から詰めてダメージ喰らっとるって」


「……だって」


「だってやない」


昂汰はそこでようやく、

自分の中の“余裕”を戻す。


「けど、そうやな」


“俺が言い出したんやもんな”


「ごめんな、くだらんことやった」

「詩も、心配することなんかないで」

“帰ろか”


詩は、まだ少しだけ黙っていた。


歩き出してはいるけど、

足取りがさっきよりほんの少しだけ遅い。


昂汰は横目でそれに気づく。


(……まだ引きずってる)


詩は、ちらっとだけ昂汰を見る。

そしてすぐ逸らす。


昂汰の中に、嫌な予感が走る。


「……おい」


「はい」


返事は早い。

でも顔はこっちを見ない。


「まだなんかあるん?」


「別に」


即答。


出た。

一番厄介なやつ。



「いや、絶対あるやろ今の」


詩は少しだけ間を置いてから、


「……なんか」


ぽつっと言う。


「うまく、誤魔化された気がします」


「は?」


昂汰、足が止まる。


(誤魔化す?俺が?)


いやいやいやいや。


全部正直やったやろ。

ちゃんと言ったやろ。


「いや、誤魔化してへんやろ」


「……そうかな?」


詩がようやくこっちを見る。

でも目が、まだ少しだけ拗ねてる。


「なんか、全部まとめて終わらせた感じ」


「いや終わらせるも何も……」


「私が勝手に気にしてただけ、みたいに」




(そこ、か)


完全に読めてなかった。


詩は“安心したい”んじゃなくて、

“ちゃんと向き合ってほしかった”側や。

でもそれを言語化できてない。


だから拗ねてる。


「……めんどくさ」


思わず本音が漏れる。


詩の眉がピクリと動く。


「え?」


「いや違う違う」


即座に否定。


「ちゃうねん、そういう意味ちゃう」


完全に慌ててる昂汰。


(やばい、これ機嫌悪くなるやつや)


普段の勝手な女の扱い方とか、

一切通用せんやつ。


「…わかった」


昂汰、珍しく焦る。


「いや、ちゃう」

「誤魔化したとかやなくて」

「詩がしんどくなる話は、もういらんと思っただけや」


詩が少しだけ動く。

でもまだ納得しきってない顔。

昂汰はそこで、ようやく観念する。


(あーもう)


ほんま手強い。

普通に処理できへんタイプや。


昂汰は軽く笑うと、

一歩だけ近づく。


「ほな、ちゃんと言うわ」


詩が顔を上げる。


「昔の俺はな、まぁ……知ってると思うけど、褒められたもんちゃうで」


詩がじっと聞く。


「でもそれ含めて」

「今お前の前におる俺やろ」


詩は少しだけ黙る。


今度は、ちゃんと受け取ってる沈黙。


「詩」


「……はい」


昂汰は一瞬だけ言葉を選んでから、視線を逸らさずに言った。


「好きやで」


詩の動きが止まる。


空気が一回、静かになる。


「……え?」


反応が遅い。


昂汰は苦笑する。


「さっきのやつも含めてやけどな」

「昔とか、誰とどうとか」


少しだけ間を置く。


「ほんまはどうでもええねん」


詩の目が少し揺れる。


「俺が気にしてるのはそこちゃう」


一歩だけ距離を詰める。


「いま、俺の隣おってくれるのが詩かどうか、だけや」


詩は何も言えないまま、昂汰を見ている。


昂汰は少しだけ肩をすくめる。


「俺は、詩とおりたい」


今度は逃げない。


「詩がなにを見てなにを考えてるか」

“おんなじ気持ちでおってくれるのか”


それを知りたい


詩はゆっくり瞬きをする。


「……うん」


小さい声。


“ごめんな”

「余裕なくなって、詩の事、責めてもうた」


その言葉で、詩の表情が少しだけ崩れる。


拗ねてた角が、ゆっくり落ちていくみたいに。


小さく息を吸ってから、ぽつっと言う。


「…わたしも」


“昂汰さんが好き”


その一言で、昂汰の方が一瞬止まる。


視線を逸らして、軽く息を吐く。


「……知ってる」


詩はもう拗ねてない。


でもまだ少しだけ照れている顔のまま、隣に戻ってくる。


その距離を感じながら、昂汰は心の中でひとつだけ思う。


(ほんまに手強いわ)


でも、その“手強さごと”離したくないと思ってる自分にも、もう気づいていた。


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