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耳の奥で、何かが壊れる音

本作品は毎週火曜日更新予定です。

(※状況により変更となる場合があります)

真っ暗な世界。


波に揺られるように、

思考だけが溶けていく。


──お……やめ……ください……さま……


何か、聞こえる。


切羽詰まった声。

しかも、一人じゃない。


募る苛立ちに比例して、

少しずつ声が、はっきりとしてくる。


「いけません、旦那さま!」


うるさい、静かにして。


文句を言おうと、

重い瞼に力を込める。


すると、闇の奥に

白く小さい光が浮かんだ。


考える間もなく、

”それ”は闇を切り裂き、

世界は光に包まれる。


……眩しい。


反射的に目を開く。

視界はぼんやりと霞み、

焦点が合わない。


だが、気づく。


男が私に飛びかかろうとし、

数人が必死に押さえつけていた。


「離せ!こいつは、こいつは妻の命を……

私の未来を奪ったんだ!!」


興奮した男が、剣を高く振り上げる。


視界がぐらりと揺れ、

体が何かに包まれた。


「旦那さま。

剣をお収めください!」


息を乱し、

懇願する男の声が、室内に響き渡る。


……何が、起きているの?


逃げ出したくて喉に力を入れるが、

出てくるのは呻き声だけ。


背筋に寒気が走る。

体を動かそうとしたが、鉛のように重かった。


手に触れる感触が、

明らかにおかしい。


「そいつを寄越せ、乳母!

殺してやる、殺してやる!!」


男は、慟哭するように叫んだ。


その言葉で、

私の体を包む重さが、

より強くなった。


「大丈夫、大丈夫ですからね。

乳母が、必ずお守りします」


絞り出すような声と、

全身に伝わってくる震え。


ようやく気づいた。

抱きしめられてる。


そういえば、頭が重い。

視線を下に向ける。


そこにあるのは、

小さくてぷにぷにした手。


赤ん坊の手だった。


……なに、これ。


だって私は──


記憶が、

鮮明に蘇る。


狂っていた婚約者の素顔。

全てを私のせいにした彼の両親。


逃げだした先で、

クラクションが鳴り響き、

車が寸前まで迫っていた。


……私、死んじゃったんだ。


薄れゆく意識の中、

最後に、何か見た気がする。


「離せ!

当主である私に逆らう気か!!」


男の怒声で、ハッと我に返る。


今の私は赤ん坊で、

男は、”妻の命”と言っていた。


サーっと、血の気が引いた。


私を殺そうとしてるのは、

血の繋がった”父親”ってこと?


理解した瞬間、

息が吸えなくなった。


──終わったと思ったのに


どうしてまた、

ここから始まるの。


「ふ、うぅぅ」


胸の奥が、ドロドロと煮えたぎる。

怒りとも、絶望ともつかない感情が、

焼きついて離れない。


もう、限界だった。


乳母の腕の中で私は泣き叫んだ。


部屋の動きが、

一瞬止まる。


──父だけは違った。


憎しみに歪んだ顔が、私を睨んでいた。


「死ねぇぇぇえ!!」


隙をつき、父が飛びかかる。

振り上げた剣が、鈍く光った。


「おやめください!」


遅れて、誰かの声が飛ぶ。


振り下ろさる刃に、

乳母は固く目を瞑った。


「失礼いたします」


日常と変わらない声が、

部屋の中心から聞こえた。


「ぐあっ!」


背後からの衝撃に、父は呻き声を上げる。


膝から崩れ落ちる体。

握ったままの剣が、乳母の横をすり抜けた。


「な、にを……」


その言葉を残し、

父は完全に意識を手放した。


「ご主人さまの命令に従い、

行動いたしました」


温度のない声が、父の背後から告げた。


すらりとした長身。

闇に溶け込むような黒い髪。

燕尾服をまとい、

顔を覆うのは真っ白な仮面。


反射するように、薄く光を帯びていた。


仮面の人物は父に歩み寄り、

静かに視線を落とした。


チラリと私を見て、

父の体を荷物のように肩へ担ぎ上げた。


「それでは。これにて失礼いたします」


軽く頭を下げ、

凍りついた空気の中を、平然と立ち去っていった。


「……終わった」


誰かが呟いた。

乳母の肩から力が抜ける。


恐怖を吐き出すように、

口からは安堵のため息が漏れた。


ホッとした瞬間、

私の泣き声が乳母の耳に届く。


慌てて様子を確かめると、

右手でおくるみを握りしめ、顔を真っ赤にしていた。


「お嬢さま、アモリスお嬢さま。

大丈夫ですからね、乳母がついております」


火がついたように泣く私を、

乳母は目を潤ませ、あやし続けた。


私の苦しみは終わらない。


なんで。

どうして。


繰り返される問いと、

脳裏に浮かぶ前世の両親。


入院用の服を着ている母と、

覗き込むように私を眺める父。


今と同じように泣いていると、

父は私の頭に手を置いて、優しく撫でた。


そして、

一筋の涙を流して微笑んだ。


「俺たちのところに、

産まれてきてくれて、ありがとう」


疲れきった顔の母も、頬が緩んでいた。


……嘘つき。


”お前さえいなければ”

憎しみの目で、私を壊していった。


やめてよ。

もうこんなの見たくない。


振り払おうとしても、焼きついて離れない。

胸が潰れるほど、私を苦しめた。


その時、

誰も気づかなかった。


おくるみを掴んでいた右手から、

鮮血のような赤色が滲んでいたことに。


真っ白な布地を、

ゆっくりと染めながら広がっていく。


「お嬢さま、風邪をひきますよ」


巻き直されるおくるみ。

手が離れた瞬間──


すっと赤色が消え、

シミひとつ残ってはいなかった。



母の死と共に生まれた私。

それから──三年が経った。


「アモリスお嬢さま。

お昼ご飯ができましたよ」


私の背後から、

乳母が昼食を持って現れた。


ロールパンと、

ひと皿の野菜スープだけ。


幼い私に与えられたのは、

鳥かごのような狭い部屋。

装飾品もなく、家財道具も粗末だった。


少し体を動かすだけで、ミシッと椅子が軋む。


私はその椅子に座り、

生気のない瞳で、窓の外を眺めていた。


朝も、昼も、夜も。

そうして一日が終わる。


「……お嬢さま」


乳母は悲しげに呟くと、

顔を伏せ、唇を強く噛んだ。


少しだけ申し訳ないと思った。


乳母の気持ちに、答えられないことを。


父に殺されかけて、

私は泣くことをやめた。


次に喋ることもやめた。

感情を出さずに、ただ息をするだけ。


そんな状態の私を見て、

多くの人間は気味悪がった。


それでも世話をしてくれたのは、

年老いた乳母だけだった。


私に暴言を吐く使用人は、

乳母が怒鳴りつけて追い払った。


けれど使用人のほとんどは、

由緒ある公爵家の名に相応しいほど、

落ちぶれた人材ばかり。


ある者は金銭の横領。

またある者は亡き母が残した、

私への玩具やドレス、宝石などを売り払っていた。


後で知った時、

どうでもいいと思った。


だって、

本当に欲しいものは、

もう二度と、手に入らないのだから。


──なのに


どうして乳母は、

私に尽くしてくれるのだろう。


血が繋がった親は、

私を二度も憎み、殺そうとしたのに。


赤の他人である乳母は、

いつも大切にしてくれる。


変わらない笑顔を向け、

無愛想な私に、可愛いと言ってくれる。


いつしか、

自然と乳母を目で追うようになっていた。


日を追うごとに増えていく生傷。

使用人のせいだと、すぐに気づいた。


歳のせいで辛いはずなのに、

乳母の優しさを、私は理解できなかった。


「お嬢さま。

冷めないうちに召し上がりましょう」


テーブルに食事を並べると同時に、

けたたましく音を立て、扉が開け放たれた。


「ちょっと、ばーさん!

勝手に厨房の食料を盗らないでよ」


ノックもせず、開口一番に怒鳴り込んだのは、

最近雇われたばかりの若いメイド。


それなりの容姿ではあるが、

目を吊り上げ、髪を振り乱す姿は、

魔物と差し支えないだろう。


”あの”執事長が雇った人間だけのことはある。


「貴方、ここをどこだと思っているの!」


乳母は荒らげそうな声を抑え、

毅然とした態度で睨みつける。


「はぁ? 泥棒が偉そうにしないでよ。

そんなガキに食わせるより、

働いてる私の方が偉いんだから!」


吐き捨てながら部屋に踏み込み、食事に手を伸ばす。


その瞬間、

パシィンと、乾いた音が響いた。


メイドが頬を押さえて硬直し、

乳母は真っ赤な顔で、手を震わせていた。


呆然としていたメイドは、

何が起きたか理解した瞬間、恐ろしい形相で乳母に掴みかかった。


「なにすんのよ!くそばばあ!!」


力いっぱい突き飛ばされ、乳母は受け身が取れないまま、床に強く叩きつけられた。


その拍子にポケットから、

大きなブローチが転がり落ちる。


メイドは宝石のブローチに目を輝かせた。


「なんだ、あんたも盗んでるじゃん」


迷いなく拾いあげては、

高くかざし、顔を綻ばせている。


「それは、お嬢さまの物よ。

早く返しなさい」


顔を歪めたまま、乳母は立ち上がれずにいた。


メイドは鼻で笑い、

ブローチを持ち去ろうと背を向ける。


一瞬だけ、私と目が合った。

何故か、怪訝な顔をされた。


何をしようと関係ない。

私が待っているのは人生の”終わり”であって、

それ以外は、ただの人形劇。


でも乳母は違う。

眺めている私に、

舞台の上から語りかけてくれる。


今だって痛む体で立ち上がり、

背後からメイドに掴みかかった。


「返しなさい!

それはお嬢さまの亡き母が残した、

唯一残された形見なのよ!」


乳母の声は震えていた。


それでも、

ブローチを取り返すことは諦めなかった。


「成人したら、お嬢さまに渡してほしいって、

そう言って奥様は……」


どんなに殴られても、暴言を吐かれても、

しがみついて離れなかった。


どうして必死なの?


他人のために辛い思いをしても、

得られるものなんて、何ひとつないのに。


「……お嬢さま。

貴方は、一人じゃありませんよ」


やめてよ。


「乳母が、お嬢さまをお守りします」


もうやめて。


「だから……」


──聞きたくない!!


「安心して、幸せになってください」


その瞬間、

私の目に光が戻った。


胸の奥に熱いものを感じる。


込み上げてきた思いが、

口から溢れかけた。


「ぅ……!」


”乳母”と呼びかけた時、

メイドの叫びが、部屋に響く。


「離せよ、ばばあ!!」


振り払われた乳母の体は、

バランスを崩し、仰向けに倒れていく。


──嫌な音がした。


ベッドの角に頭を打ちつけ、

そのまま転がるように倒れ込んだ。


ピクリとも動かない姿に、

メイドが引きつった顔で後退る。


「わ、私、関係ないから!」


けたたましい音を立て、立ち去っていった。


残された私は、

椅子から立ち上がり、

ゆっくりと乳母の元へ歩み寄る。


また立ち上がってくれると思った。

いつもみたいに、声をかけてくれると思った。


「……乳母」


返ってきたのは、

頭から流れ出る鮮血だった。


胸を溶かすほどの熱が、

一瞬で凍りついた。


……耳の奥で、何かが壊れる音がした。


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